2020年10月17日 (土)

小笠原航路

おがさわら丸(三代目)
小笠原海運 貨客船 一一、〇三五総噸
全長一五〇m 航海速力 二三、八ノット
二〇一六年 三菱重工下関造船所で建造

ははじま丸(三代目)
伊豆諸島開発 貨客船 四九九総噸
全長六五、二m 航海速力 一六、五ノット
二〇一六年 渡辺造船所(長崎)で建造

 私の勤務する会社では勤続十五年と二十五年で勤続休暇を取らなくてはいけない。私は去年が勤続二十五年で、今年中に四連休を取らなければならない。コロナ騒動で旅行がしづらい中、念願の小笠原へ行くことにした。
 船ヲタ、島ヲタである私は、十五年ほど前に小笠原渡航を計画し、当時は便乗可能だった共勝丸の予約までしたのだが、台風直撃であえなく断念。それ以来のリベンジである。十五年の間におがさわら丸、ははじま丸ともに三代目に代替わりしている。

 コロナ騒動のおかげで、任意ではあるがPCR検査を受ける。小笠原海運から送られてきた検査キットに唾液二ccを採取して、東京発の前日か前々日に竹芝桟橋の受付に提出する。前日の夕方までに連絡が無ければ陰性だったという事なのだが、毎日通勤電車に乗っている私は陽性だったとしても不思議はない。久しぶりにドキドキしながら待機する経験をしたが、陽性の連絡は来ず無事に乗船が叶う。

 三代目おがさわら丸は、浦賀水道で釣りをしていて間近に見たことはあるが、垂直ステムが印象的な船だ。貨客船でコンテナを積載するので、巨大なハウスに対して船首船尾ともに甲板が低い。これが見た目を悪くしている。船内はコロナ対策で定員を絞っているので快適。私は二等寝台を取ったが、二段ベッドは下段しか使っていない。船内は自動販売機コーナー、売店、レストラン、展望ラウンジの供食設備があるが、値段は高めだ。売店に電子レンジがあるので、冷凍パスタに心惹かれるが、内地で普通に食えるものを選ばずともと思い、レストランやラウンジで食事をした。
 往復とも東方沖に台風がある気象状況だったので大きくうねりが入り、東京湾の外ではかなり揺れる航海。フィンスタビライザーが効いてローリングは全く無いが、盛大なピッチングは避けられない。これは、波を切り裂く形状の垂直ステムでもどうにもならないようだ。船が揺れると外甲板が閉鎖されるのがつまらない。六デッキの後部だけは開放されているので、閉鎖される二十二時まではここで過ごすことが多くなる。ここでは船尾側のデリックが目の前にあるので、遠目では解りにくいデリッククレーンの構造がじっくり観察できる。
 また、おがさわら丸は衛星公衆電話を二台設置してあるが、無線LANなどは無い。携帯が繋がらない洲崎沖から父島まで通信は途絶する。私のように何の連絡も来ない人間は構わないが、スマホ依存の現代人には少々厳しいかも知れない。まあ、小笠原に行くこと自体が現代社会からの隔離みたいなものなので仕方ないのだろう。

 さて、到着初日はそのまま母島へ渡って一泊しようと思っていたのだが、母島の宿は全て満室。なので、母島に渡るのは三日目に回して南島ツアーに参加する。民宿に荷物を置いて午後のツアーに参加。憧れの南島に上陸し、千尋岩(通称ハートロック)、ジニービーチ、境浦の濱江丸などを間近で見ながら回るがイルカには遭遇できず。イルカ目当ての同乗者たちは残念そうだったが、泳ぐ気のない私は座礁船が身近に見られて大満足。
 二日目は嫁島へ行くドルフィンスイムツアーに参加。さすがに今日は泳がないわけにはいかず準備をする。嫁島でいきなりイルカに遭遇して泳ぐが、十数年ぶりのシュノーケリングでペースがつかめずヘロヘロになる。以降は湾のようなうねりの少ないところでのみドルフィンスイムに参加する。嫁島周辺を少し探ったところで船長が「四十分ほど走ります」と宣言。GPSの地図を見ると媒島か聟島へ向かうようだ。昼頃に聟島の小花湾に船は停泊し、昼休み&自由時間となる。まさか聟島へ行けて、更に上陸が出来るなどとは思っていなかったので狂喜。メシは後でいいからまずは上陸。砂浜は暑いらしいのでサンダルを持って。そして、上陸の軌跡を残したいのでGPS受信機を持って浜まで泳ぐ。望外の聟島上陸だ。砂浜は漂着したゴミだらけなのは残念だが、取り敢えず高台に登って景色を眺め写真を撮る。少し泳いで船に戻るが、カマスの群れがいたのでついつい潜水して観察する。そして船に戻るとGPSから警告音。「電池がありません電源を切ります」という表示が出ているが、電池は朝入れたばかり。そして画面が内側からの結露で曇っている。ここで五年ほど使ったGPSトレッキングナビ(ガーミン/GPSMAP64sJ)は息絶えた。その後龍の口で泳いだり、針の岩や媒島、嫁島周辺でドルフィンスイムをして父島に戻ったのは十七時半。
 三日目は7時30分発のははじま丸で念願の母島へ。
 ははじま丸はおがさわら丸と同じく三代目。三菱重工か内海造船製が多い東海汽船系列では初の、渡辺造船(長崎)が建造した船だ。下田のフェリーあぜりあ(内海造船)、あおがしま丸(三菱下関)と同じ五百トン級の貨客船で、長いバルバスバウ(球状船首)と荷役用のクレーンが特徴だ。同じ頃に建造された三隻の貨客船が、フェリーあぜりあはデリックを、あおがしま丸とははじま丸はトラックに付いているようなクレーンを採用しているのが興味深い。その違いは何なのかは判らないが、好みとしては従来のデリックの方が、荷役作業を見ていて楽しいと思う。さておき、滅多に見ることの出来ないははじま丸は、いかにも離島航路向けの精悍な船という印象だ。
 母島に着くとレンタバイクを借りる。島の北部にある東港、北港まで行ってから、今度は島の南側を目指す。都道の終点にバイクを置いて、母島最南端の小富士を目指して歩く。山道だが距離は二キロ程で大した距離では無い。しかし猛烈に暑いのだ。一昨日の南島もそうだったが、地上を歩いているととにかく暑い。体感温度は間違いなく体温以上だ。船の時間もあるので取り敢えず行きは早足で歩く。小富士直前が急な登り、最後ははしごを登って小富士の山頂に立つ。目の下に南崎海岸、鰹鳥島を見渡せる絶景であるが、とにかく暑い。日陰が無くて風も無い。逃げ場が無いのである。絶景を楽しむ余裕も無く引き上げる。
 母島航路は往復とも鏡のようなベタ凪。湖の遊覧船のような静かな航海で、ずっと甲板のベンチで過ごすことが出来て快適だった。海が荒れるとどんな感じなのか知りたいと思うのは贅沢な望みかも知れない。父島に戻ると二見港には共勝丸が着いている。共勝丸、おがさわら丸、ははじま丸の三隻が並んでいるので高台から写真を撮ろうと思ったのだが、船を下りた途端にスコールが来てしまい、いつまで待っても止まない。この日は残念ながらスリーショットは撮れなかった。
Ogahaha

 最終四日目のおがさわら丸出港までが父島観光。早起きして船の写真を撮りに行くが既に共勝丸の姿は無い。残念だが大神山の展望台に上り残り二隻の写真を撮るが、思ったほどいいアングルで撮れなかった。宿で朝飯の後、レンタバイクを借りて父島探索。途中スコールが来たので、Tシャツと海パンに着替える。島の北部から二見湾沿いを回り、コペペ海岸、小港海岸、常世の滝を見て中央山に登る。ここで再び激しいスコール。展望台の階段の下で暫く雨宿りをする。
 私は離島に行くと、その島の最高峰に行ってみたいと思う。母島の乳房山には時間的に行く余裕は無かったが、父島の中央山には登ることが出来た。しかし本当は父島の最高峰は標高三一九メートルの中央山ではなく、中央山の南東約六百メートルにある標高三二六メートルの名前の無い山だ。しかしそちらには道が無いどころか、都道沿いに動物除けのフェンスが続いており近づくことも出来ない。なので、七メートル低い中央山で納得するしかない。
 雨が上がったので次は初寝浦に向かう。都道から歩いて二キロほどだが標高差が二百メートル位ある。再び雨も降り出したので、山道の脇ににリュックをデポして歩くが、石鹸があれば頭が洗えるような激しい雨で、登山道を沢のように水が流れる。誰もいない初寝浦に辿り着いたが、まるで見通しがきかない土砂降りなので引き返す。日頃運動不足の体に標高二百メートルの急登はきつい。ようよう都道まで戻った頃にスコールは去って青空が戻る。全く間が悪い。
 昨日の小富士、今日の初寝浦に行ったのには訳がある。それはこの二ヶ所が東京都の東と南の涯だからである。いや、地理的には東京都の東端は南鳥島、南端は沖ノ鳥島だ。しかし、自力で行ける、ガイドの同行や船のチャーターが必要でなく、普通に歩いて行けるという縛りだと南端は小富士、東端は初寝浦というのがオレルールなのである。もっとも遥かに行きやすいはずの東京都の北端(天目山付近)と西端(雲取山付近)に行くつもりはないのであるが。
 おがさわら丸の出港は名物のレジャー船団の見送りが行われる。「行ってらっしゃーい!」と叫んで次々海に飛び込んでいく光景は微笑ましい。小笠原は今日本国内で一番行きにくい観光地だと思う。六連休が必須ということは、行けない人は生涯行けないが、行ける人は何度も行くのかも知れない。二日目の聟島ツアーの参加者は八名だったが、私以外は全員船長から○○ちゃんと下の名前で呼ばれてる常連ばかりだった。遠ざかる父島を眺めながら、「次に来るのは定年後か、あるいは最初で最後の小笠原旅行だったのか」と思ったが、帰宅して冷静になると、その気さえあれば来年も行けそうだと思うのである。

 

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2020年6月 1日 (月)

鮎釣り二〇二〇

・九月十八日(金)中津川(坂本) ゼロ

 世間は四連休だが、私は二十一日が出勤なので、その代休をとって平日釣行。相模川本流は濁っているので、中津川のいつもの場所に入るが、今日は平日なのに釣り師がかなり居る。
 水は僅かに濁りが残っているが平水。ただし垢は無く、喰み跡も無い。動き回れないので浅い瀬で細かく探る。風が強くて非常にやりにくい。午前中二時間弱竿を出したが、小さなカジカが一匹掛かっただけで終了。今期の鮎釣りもこれで終了にする。

 釣行十一回で釣果二匹。十年以上鮎釣りをしているが、言うまでも無く最悪の成績だ。長雨から猛暑という天候で、鮎が育たなかったという分析は可能だが、それにしたってひどすぎる。相模川の年券を買っているので他の川に転戦しなかったのも敗因だ。そもそも相模川本流ではほぼ鮎を釣った事がない。へら池でも使えるからと言うさもしい了見で年券を買ったのが失敗だったのか。よく分析をして来年の方針を考えたいと思う。

・八月二十五日(火) 相模川(六ツ倉) ゼロ

 今日から夏休みで六連休。当初は米代川遠征を決めていたのだが、地方では東京ナンバーのクルマは目の敵にされるという情報なので遠征は断念。全くノープランで夏休み突入。取り敢えず相模川に行くが、相変わらず絶不調。水も澄んで喰み跡も見られるが、追う気配はさらに無し。釣り師は何人か見えるが、誰も釣れていなくて、十一時過ぎ頃にはみんな引き上げてしまう。一本瀬が貸切になったところで広く探ってみるが、どうにも反応が無い。今年に関して言えば、秋刀魚と鮎は早めに見切りを付けるべきなのかも知れない。

・八月十八日(火) 中津川(坂本) ゼロ

 平日休み二日目は、今年のホームグラウンドとなりつつある中津川へ。見渡す限り釣り師も水遊びも居ない。やはり平日釣行はいい。水位も下がり澄み切った水は二十二度。今日こそは釣れるだろうと思い探るが気配が無い。独り占めの瀬を土俵掃き釣法で探るが反応なし。一時間半ほどで囮を二匹目に替えて、仕掛けもずっと使っている一本針から三本錨に変更。再び広く探るが反応が無い。
 幾つかの石には喰み跡も見られるし、水温もベスト。魚はあちこちで跳ねている。あの跳ねている魚や、浅瀬で群れているのは、鮎ではなくハヤなのだろうか。鮎釣りは、一場所、二オトリ、三に腕といわれるくらいで、縄張り鮎が居るところに囮鮎が近づけば、腕にかかわらず釣れるものだ。私は下手の横好きではあるが、ガンガン瀬でもない限り、囮をコントロールは出来ていると思う。何故釣れないのだろうか。
 元が取れるか心配だった相模川の年券も、今日が八回目の釣行で無事元は取った。釣果はたった二匹であるが。

・八月十七日(月) 相模川(六ツ倉) ゼロ

 お盆の土日は出勤当番だったので、解禁日以来の平日釣行で解禁日以来の相模川本流へ。水量は平水だがやや濁りが残っている。猛暑で垢腐れ気味だが、結構魚は跳ねているので悪くない感じだ。解禁日と同じ高田橋下流の一本瀬の一番下に入る。周りに釣り師は居ない。
 囮屋の親父が「釣れるのは流芯、野鮎が取れたら流芯へ。ただ、ヘチが釣れないから、一匹目を釣るまでが大変」と言われたので。まずは浅いチャラチャラした瀬を広く探る。水温も二十二度あるので、囮を弱らせないよう丁寧に泳がせる。一時間反応が無いので囮を交換して更に一時間半。ずっと釣れる気がしていたのだが、結局一度も反応なし。ここまで釣れないと呆れるが、才能が無いと諦めるしか無い。

・八月十日(月祝) 中津川(坂本) ゼロ

 連休最終日は一昨日と同じ中津川へ。一昨日は数名釣り師が居たが、今日は私だけだ。その代わり水遊びの客は相当居る。八菅橋の前後などはサマーランドのプールのような状態だった。水遊び客と距離をとりながら、貸切の瀬を広く探る。喰み跡のある石もあり悪くなさそうなのだが、全く気配が無い。十一時頃になるとこっち岸の大タープを広げた家族連れが、街宣車かと思うような大音量で音楽を流し始める。イヤホンで聴いていたラジオが聞こえないレヴェルの音量で、見るとクルマの後部に巨大なスピーカーが積んである。やれやれと思っていると、向こう岸ではカップルが、私が釣りを始める前から酒盛りをしながらじゃれ合っていたのだが、遂には膝の上に向かい合って座ってパンツの中をまさぐったりし始めた。
 流石に馬鹿馬鹿しくなって納竿。相模川の本流あたりだと水遊び向きでは無いので、これほど手に負えない状況にはならないのだが、濁りが抜けないので仕方が無い。早く相模川の濁りが抜けて竿が出せる状況になってほしい。

・八月九日(日) 丹波川(道の駅下) ゼロ

 三連休中日は早起きして丹波へ。水の色はまだ増水の名残がある感じ。元々上流部で垢付きの悪い川だが、完全な白っ川。鮎の気配も無い。去年いい思いをした道の駅下で竿を出すも気配なし。橋をくぐって上流に移動して驚く。以前は左岸側を本流が流れ、右岸側に村営釣場の区画渓流があった。姪っ子達が小さかった頃何度か釣場を利用したことがあったのだが、今は釣場があった側に本流が流れており、釣場は跡形も無い。去年の台風から復旧していないのか、今年の雨でやられたのか。夏の稼ぎ時にまともに営業できないのは気の毒な話だ。というわけで、あれた河原を一直線に流れる渓相になっており、全く気配もなし。粘っても無駄と早々に切り上げる。
 昼過ぎには帰途につくが、吉野街道の対向車線は梅ヶ谷峠口から古里まで断続渋滞。県境をまたげない律儀な都民達は一斉に奥多摩を目指してきたようだ。

・八月八日(土) 中津川(坂本) 二匹

 三連休初日の土曜日。ゆっくり起きて、先週と同じ中津川の坂本堰の上流に入る。今週は川遊びの家族連れが既に二組入っており、上下に釣り師も数名居る。水は平水だが、まだ垢はイマイチで喰み跡も殆ど無い。午前中一時間ほどやるが反応なし。昼休憩後浅めの瀬を探ると待望の一匹目。八月八日にして今季初の鮎を手にする。囮を野鮎に替えて暫くすると同じ場所でもう一匹。どちらも十五センチくらいの小さめの鮎だが、囮と比べると黄色みが出ている。しかしその後は続かず。十五時まで頑張ったが追加無し。風も出てきたので納竿。
 何とかボウズ続きからは脱出したが。明日以降どうするか悩む。相模の本流は濁りが抜けてないし、中津、道志、丹波あたりは水遊び客との争いになりそうだ。

・八月二日(日) 中津川(坂本) ゼロ

 やっと梅雨明けの土曜日、満を持して出かけたが、クルマの挙動がおかしい。左後輪の空気が抜けており、何やら刺さっている。なじみのタイヤ屋に持ち込んでタイヤを外してもらうと、直径六ミリ、長さ十センチほどの「し」の字型の鉄の棒が刺さっていた。ぎりぎりタイヤ交換にならず修理で済んだが、出鼻をくじかれて竿を出せず。
 梅雨明け二日目の日曜日。相模川は濁りが抜けないので、丹波川、道志川、中津川のどこにしようか迷う。前日良さそうだった中津川の坂本堰の上流に入ってみる。やや濁りが残っているが平水に近いくらいまで水は落ち着いている。ただし垢は全く付いていなくて、喰み跡はほぼ無し。
 釣り師も少なく、一人一瀬でのびのびと探るが、午前中いっぱいやっても全く反応なし。魚ははねているので居るはずだが、垢が無いから追い気も無いのか。昼になると向こう岸から家族連れが入ってきてバシャバシャ泳ぎ始めたので納竿。
 四連続ボウズで、八月まで一匹の鮎も釣れていない。才能ではなく適性が無い気がしてきた。

・七月十二日(日) 道志川(大川原橋) ゼロ

 所用があったり増水続きだったりで、六月二日以来の釣行。前日に道志川、相模川、中津川と偵察し、道志と中津は何とか竿が出せると判断。下見には何度か来ている道志川の大川原橋に入る。増水笹濁りで、全く垢のない白っ川、他に釣り師はいないし,魚の気配もない。だが天気予報が外れて晴天の上、気温も三十度くらいある。やっと夏が来た感じなので,釣れる釣れないは別として、鮎釣りを楽しむ。
 まだ水が多く、岸近くのチャラチャラしたところしか狙えないので、探れるところを一通り探って全く反応がないのを確かめると、後は夏の日差しと山から下りてくる風を浴びて、仕事と長雨でじめついている気分の虫干しである。河原に立っているだけで心地よい。
 囮二匹に一時間づつ頑張ってもらい、二時間ほどで納竿。全く何の気配も無かった。
 相模川本流の濁りは暫く抜けそうにないが、澄むのが早い中津川や道志川は回復傾向だ。しかし、また雨の予報も出ている。早く梅雨が明けてもらいたいと思う。

・六月二日(火) 相模川(六ツ倉) ゼロ

 晴れ、気温二十八度の予報だったので、昨日と同じ六ツ倉に入る。水温は十八度。前後に釣り師はいないので、広い瀬をオトリが自由に泳ぐのに任せて探る。鮎の跳ねる姿や、喰み跡もポツポツ見られるので釣れそうな気がするのだが、何度か怪しい動きがあったものの一匹も掛からず。時々オトリの近くの水面がユラッ(釣りキチ三平で巨大魚が動く描写!)として、潜水艦みたいな鯉が通りかかるので、うっかり引っかけないようにビクビクしながらオトリを泳がせる。
 午前中二時間ほど竿を出したが、狙っていた日が差して水温が上がる事もなく。曇り空のまま納竿。相模川はまだ鮎が育っていないというのが二日間の感触。解禁二日目なのに高田橋下流の瀬に十人も釣り師がいないのだから、状況は推して知るべしだろう。

・六月一日(月) 相模川(六ツ倉) ゼロ

 本ブログは、最近では鮎釣りと年に数回しか行かない演奏会の感想を書くだけの、生存確認のツールと成り果てているが、今年も懲りずに鮎釣りの記録を書く。新聞を取っていないから家にチラシが無いので、チラシの裏に書くべき事をここに書いているわけだ。

 というわけで今年も鮎シーズンが始まった。去年から少し真面目にへら鮒釣りを始めたので、漁協管理のへら釣り場と鮎の両方が楽しめる相模川の年券を四月に買って、鮎の解禁前にへら釣りに何回か行こうと目論んでいたのだが、年券を買った途端に緊急事態宣言が出て、結局一回も使わないまま鮎解禁である。事前に下見しておりた高田橋下流右岸の六ツ倉へら釣り場から入川。ここはクルマを駐められる場所から川までが遠いので空いているだろうと予想したとおり、釣り師は数名しかいない。生憎の雨模様で水温十七度。釣りやすいザラ瀬でおとりをそっと泳がすが何の気配も無し。オトリ屋のオヤジも「魚の姿が見えない。昭和橋辺りまでは幾らかいるが、それより上流は居ない」と言っていたが、そもそも魚の居る気配が無いのだ。ただ、若干喰み跡のある石もあるので、水温が上がれば追うかも知れない。
 雨だし寒いし釣れないしで、午前中釣って納竿。前後でもつれている気配は全くなかった。解禁日に相模川に来たのは五回目だと思うが、一度も釣れたことがない。でも今年は年券を持っているので、元を取るくらいは釣行したい。一万二千円の年券なので、日券千五百円の鮎なら八回、八百円のへら鮒なら十五回で元が取れる。まずは鮎六回へら五回を目標にしたい。再び緊急事態宣言が出ないことを切に願いたい。

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2019年11月11日 (月)

藤岡幸夫のサロメ

東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団第三二九回定期演奏会

ヴォーン・ウィリアムズ/「富める人とラザロ」の五つのヴァリアント
プロコフィエフ/ピアノ協奏曲第三番ハ長調作品二十六
伊福部昭/舞踊音楽「サロメ」(一九八七)

ピアノ/松田華音
管弦楽/東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団
指揮/藤岡幸夫

二〇一九年十一月九日 東京オペラシティコンサートホール

 東京シティ・フィルが伊福部昭の「サロメ」を取り上げるという。伊福部作品の中でも滅多に取り上げられない大作なので、万難を排して聴きに行った。
 この曲の初演にあたる一九八七年五月十五日の新星日響第一〇〇回定期演奏会。山田一雄の追っかけを始めていた高校生の私は、伊福部ではなく前後の曲を目当てにこの演奏会を聴きに行った。この余りに無防備な田舎者の高校生に、伊福部のサロメは情け容赦なく襲いかかり、私はわけもわからずノックアウトされて呆然となったのを覚えている。これが私の伊福部初体験であり、その後ヤマカズ/新星コンビでラウダ・コンチェルタータ、日本狂詩曲を聴くことが出来た。そして今では伊福部を聴きに札幌まで出掛ける伊福部ファンになってしまったのだ。幸いにも初演の模様はCD化され、二十代の頃には本当に数え切れないくらい聴いたものだが、その後生演奏に接する機会はなかった。私にとって、まさに待望久しいサロメなのである。

 藤岡幸夫という指揮者は今まで注目したことはなかったが、今回のサロメは実に素晴らしかった。とにかくよくスコアを読み込んでおり、強弱の付け方やテンポの動かし方など、しっかりと頭の中で組み立てた音楽を、入念な練習で音に組み上げていったのがよく判る。こちらも今までに発売された四種類の録音(山田一雄、金洪才、岩城宏之、広上淳一)をよく聴き込んでレコ勉は十分だ。しかし、その期待以上に藤岡はこの曲をより面白く聴き応えのあるものに仕上げていたと思う。プレトークで話していたとおり、サロメの主題を指定のアルトフルートではなくバスフルートで吹かせたのも、より重苦しい感じが出ており。サロメの心の闇を見事に表現できていたと思う。また、終曲の最後をテンポを煽らずに行ったのも立派。シンフォニア・タプカーラや日本狂詩曲もそうだが、伊福部作品は安易にコーダのテンポを上げると台無しになることが多い。藤岡はさすがによく解っていて素晴らしい。
 久々に聴いたシティ・フィルも大熱演。決して上手いオケではないが、荒削りな音色が伊福部の音楽に合っていたと思う。ヤマカズ新星のCDと同じようなところで金管がひっくり返ったりしていたのはご愛敬だが、藤岡に煽られて乗りに乗った演奏になっていたと思う。

 心の準備は十分にして臨んだサロメだったが、期待以上の素晴らしい演奏に、居ても立ってもいられないような気持ちになり、十代だったあの日に戻ったような錯覚を覚えた。
 あの初演の日、火の鳥、サロメ、ボレロという考えられない高カロリーなプログラムを組んだ新星日響。ヤマカズの配分を考えない棒に煽られた新星日響は、サロメを大熱演で初演したが、休憩を挟まず演奏されたボレロで大事故が起こった。客席がみんな同情する気の毒な事故だったが、後に関係者に聞いたところ、その奏者はそれから程なく退団したらしい。懐かしくも悲しいサロメ初演にまつわるエピソードである。

 藤岡幸夫が伊福部振りという印象は今まで無かったが、このサロメを聴いた限りではシティ・フィルとの相性もいいようなので、伊福部の他の作品も取り上げてほしいものだ。

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2019年11月 4日 (月)

水星交響楽団第六〇回定期演奏会

水星交響楽団第六〇回定期演奏会
一橋大学管弦楽団創立一〇〇周年記念

マーラー/交響曲第八番変ホ長調

独唱/國光ともこ、朴瑛実、高橋美咲(Sop.)、加納悦子、中島郁子(Alt.)、
   松原陸(Ten.)、藪内俊哉(Bar.)、成田眞(Bas.)
合唱/東京オラトリオ研究会、立川コーラスアカデミー、新星合唱団、
   コーラスアカデミーJAPAN、オルフ祝祭合唱団
児童合唱/オーケストラとうたう杜の歌・こども合唱団、四街道少年少女合唱団、
     FCT郡山少年少女合唱団、にしみたか学園三鷹市立井口小学校
合唱指揮/郡司博
管絃楽/水星交響楽団
指揮/齊藤栄一

二〇一九年一一月四日(月祝)すみだトリフォニーホール

 水星交響楽団は一橋大学管弦楽団のOBオーケストラらしい。私は一九九三年にマーラーの交響曲第三番を聴いたことがあるが、コンサートマスターが高校の同級生のK薗クンで驚いた記憶がある。そして、派生団体として国立マーラー楽友協会があり、年一回マーラーの交響曲第九番を演奏しているらしく、これは二〇一二年に聴いた。どちらもアマチュアらしい感動的な演奏だったので好印象を持っている。
 今回は一橋大学管弦楽団の創立百周年記念企画の「国立マーラー音楽祭」の一環で交響曲第八番(以下「千人」)を取り上げるということらしい。詳しい経緯は配布されたプログラム冊子に書いてあるようだが、老眼が進んで本もプログラム冊子も目次くらいしか読む気になれないのだ。

 アマチュアオーケストラなので、ラッパがひっくり返ったりすることは結構ある。しかし、そんな細かいミスが気にならないほど、齊藤の指揮は確固たる音楽を構築している。第九番を聴いたときにも感じたのだが、この指揮者の頭の中にはハッキリと自分の考える演奏の形が出来上がっているのではないか。だからオーケストラや合唱が付いてこられなくても音楽作りがブレない。そうなると聞き手側は、落っこちたりひっくり返ったパートを補完して聴くので、指揮者と聴き手の間に理想のマーラーが完結するのではないかと思う。
 もっとも、オーケストラは慣れているから阿吽の呼吸で引っ張って行けるが、慣れない独唱陣を合わせるのは大変だ。七人の独唱者を舞台前面に並べており、独唱者が指揮者を見にくいので余計に緊張感があった。勢いで行ける第一部は良かったが、独唱が多い第二部が安全運転気味になるのは仕方あるまい。エヴェレストの登山道ではないが、往年のバス歌手の死屍累々たる第二部のバス独唱など、合わせるのに精一杯だった感じだが、とにかくズレずに唱いきったのは立派。
 その独唱陣はレヴェルが高かった。アンサンブルとしてバランスが良く、特にバリトンとバスは声量も十分で聴き応えあり。テノールは表情は素晴らしかったが、もう少し声量が欲しかった。とは言え、神秘の合唱の前の長い独唱を、超スローテンポで唱い切ったのはお見事としか言い様が無い。女声陣は文句なし。アマチュアオーケストラの演奏会でこれだけのレヴェルの高いソリストが集められるというのは、日本の声楽界も人材が豊富なのだと感心する。
 混声合唱は五団体がクレジットされているので寄せ集め感があるが、実際は郡司博が指導する合唱団の集まりだ。これを博友会とか郡司合唱連盟とせず、各団体名を表記するのがいいと思う。あくまでそれぞれの合唱団であるが、共通の指導者の下で一つの音楽を作り上げていく姿勢が素晴らしいと思う。指導者が同じだから一体感があり安心の出来である。特に合唱の実力が試される、間奏曲の後から第二ソプラノの前までや、神秘の合唱の前などは素晴らしい出来だった。児童合唱は健闘していたが、声量が足らずやや埋没気味であったのが残念。
 合唱は三百人弱、児童合唱七十人強。オーケストラの編成は十八型くらいの絃に管楽器はほぼスコア通り。バンダはオルガンの左右でトランペット八、トロンボーン五。ティンパニは二対で両手打ちあり。鐘はチューブラーベルではなく鉄板のようなモノを使用していた。
 齊藤の指揮は時にテンポをぐっと落としたり、内声部を強調したりする部分もあったが、基本的にはキッチリと合わせる棒。オーケストラだけだと自由だが、児童合唱や独唱が入る部分では、非常に判りやすい指揮で、しっかりとまとめていた。この人の指揮に比べたら、七月に聴いたエッシェンバッハなんて子供の指揮真似である。アマオケにはこういう指導者が必要なのだと思う。
 水星交響楽団はマーラーをかなり積極的に取り上げているアマチュアオーケストラなので、かなり期待して臨んだ演奏会だったが、期待通りの素晴らしい演奏だったと思う。アマオケが千人をやることは今や珍しくないが、技術的にレヴェルが高いだけではなく、とても感動的な演奏であったと思う。

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2019年7月22日 (月)

エッシェンバッハの千人

PMFプレミアム・コンサート

マーラー/交響曲第八番変ホ長調

独唱/エリン・ウォール、吉田珠代、安井陽子(Sop.)、藤村実穂子、山下牧子(Alt.)、
   ニコライ・シュコフ清水徹太郎(Ten.)、町英和(Bar.)、ミハイル・ペトレンコ(Bas.)
合唱/PMFプレミアム合唱団、札幌大谷大学芸術学部音楽学科、
   北海道教育大学岩見沢校音楽文化専攻
児童合唱/HBC少年少女合唱団
管絃楽/PMFオーケストラ
指揮/クリストフ・エッシェンバッハ

二〇一九年七月二十一日(日)札幌コンサートホール

 パシフィック・ミュージック・フェスティバル(以下PMF)が三十周年を迎えてマーラーの交響曲第八番(以下千人)を取り上げる。私は国内で演奏される千人は全て聴くと決めているので聴きに行くことにした。
 まず良かったことを書く。PMFオーケストラはプロと学生の混成オケみたいなものだが、一人一人のレヴェルは高い。音がひっくり返ったりするアマチュアらしいミスは無かった。合唱は実態はよく判らないが、地元の大学生も動員して音程もしっかりしていた。人数が多いので舞台の両サイドの客席まで合唱が配置されているので、一階席の中程にいると第一合唱と第二合唱の掛け合いが立体的に聞こえて、マーラーの意図が上手く表現できていたと思う。そして特筆大書したいのはテノールの独唱。プログラム冊子にはニコライ・シュコフとクレジットされているが、漫画家のやくみつるを若くしたような日本人らしい歌手だった。この人のテノールが絶品。何より声質が素晴らしく曲に合っている上に、表現が実に堂に入っている。大昔にFMで聴いた渡邉曉雄/日本フィルの小林一男(一九八一年)に並ぶ歌唱をやっと聴くことができた。あの人は一体誰だったのだろう。通常だとプログラム冊子に挟み込みが入っているものだが、謎のままである。その他の独唱陣は合格点の出来。後述するバス以外は大きなミスも無く、第三ソプラノの澄んだ声質も好ましかった。
 続いてダメだったところ。指揮者。これに尽きる。エッシェンバッハという指揮者は名前は知っているが初めて聴く。PMFの音楽監督を務めているのだから、大変な人格者で若者たちから尊敬されている人なのだろう。しかしダメなものはダメ。曲に対する理解も表現欲も全く感じさせないし、交通整理をする棒の技術も無い。音楽好きの爺さんがレコードに合わせて指揮真似をしているレヴェル。棒と音楽がオンタイムな上に、前拍を打たない指揮なので、下手でもないオケに落っこちが散見される。この棒じゃバスのソロはヤバそうだと思っていると、案の定バスソロは一小節ずれる。全体的に遅めのテンポ設定だがメリハリが無く、私が拡散型と呼んでいる音楽が広がっている音楽作りとはほど遠く、ただ緩い音楽が続いていく。怪我の功名だったのは第一部の最後。バンダが加わるところからテンポを上げて、合唱の上行音階をかき消してしまう指揮者が多いが、遅いテンポでもたもたしていたので合唱が良く聞こえたところのみが指揮者の手柄か。
 私は数十年前音楽関係の仕事をしていて、PMFオーケストラの東京公演に関わったことがある。実行委員会のスタッフは身勝手な連中で、文化祭の高校生レヴェル。段取りも最低で、演奏終了後も楽屋で打ち上げを始めるなどダラダラしていて大幅にホールの使用時間を超過。超過料金を請求されるとホールスタッフを悪罵するという、チンピラみたいな人たちだった。三十年も続いているのだから、今ではそんなスタッフもいないのだろう。
 バーンスタインの遺志を継いで、毎年盛大に開催されているPMFだが、正直なところ私は全く興味が無い。バーンスタインは指揮者としては大好きだが、死ぬ間際にちょっと関わっただけで、残りわずかな時間で学生の指導をするよりは、千人の新録音を残してもらいたかったと思う。そもそも私はフェスティバル的なものが好きでなく、普通の演奏会が好きだ。少なくとも今回のエッシェンバッハの千人よりは、四月のコバケン群響の英雄の方が遙かに感動的な演奏だったと思う。
 まあ、演奏会を口実に札幌まで行って、味噌ラーメンとジンギスカンを食べてきたからそれで良しとしよう。ところであのテノールは誰だったのか?

(追記)
 PMFのウェブサイトを見たところ、テノールは清水徹太郎という人だったようだ。という事は去年びわ湖で唱っていた人だ。びわ湖では席が遠かったせいか、今回ほどいいとは思わなかったのだが……。それにしてもPMFのウェブサイトには代演について一言も触れられていないようだ。結果オーライだったので別に文句は無いのだが、何だか違和感が残る。

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2019年7月15日 (月)

群馬交響楽団第五五〇回定期演奏会

群馬交響楽団第五五〇回定期演奏会

チャイコフスキー/ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品三十五
チャイコフスキー/交響曲第四番ヘ短調作品三十六

ヴァイオリン/木嶋真優
管絃楽/群馬交響楽団
指揮/小林研一郎

二〇一九年七月十三日 群馬音楽センター

 コバケンこと小林研一郎が四月から群馬交響楽団のミュージック・アドヴァイザーに就任した。群響は音楽監督だった大友直人が退任して後任は空席。メンバー表に載っているのは他に名誉指揮者のトゥルノフスキーと高関健だけだ。もう名誉職だけでよさそうな七十九歳のコバケンがどんな演奏をするのか聴きたくて、就任披露の四月定期を聴いた。清水和音をソリストに迎えた「皇帝」と「英雄」というベートーヴェンプログラム。協奏曲は相変わらずな感じだったが、英雄はオケも本気になった名演であった。馴れ合いになりがちな在京オケより面白そうなので、七月定期にも足を運ぶ。四月は一回限りの演奏だったが、今回は十一日に東京公演、十四日に上田定期と、同プロ三公演である。元気とはいえ七十九歳のコバケンにはきつい仕事であろう。群響の定期公演も今回を含めあと二回となった群馬音楽センターは満席札止めの盛況。
 前半の協奏曲は特段のことはない感じだ。コバケンは暗譜で振っているので他の協奏曲よりはのびのびやっている感じがする。ソリストは初めて聴くヴァイオリニストだが、終始不貞腐れたような態度と表情が大物っぽい。よく見ていると不貞腐れているのではなく、音楽に没入するとああいう表情と態度になるようだ。
 メインの交響曲第四番はコバケン節全開だが、群響は木管楽器の安定感が不足し、独奏の度に心細くなる。オーケストラも良く鳴っているが、前回の英雄より抑え気味に感じられるのは三公演の中日だからか。コバケンのチャイコフスキーはCD化された一九九三~一九九五年のツィクルスが懐かしく思い出されるが、やっていることはさほど変わらないのに、あのときの全身の血液が逆流するような感動は起こらない。それは自分が歳をとったせいだろう。涙腺は緩くなったが心の感覚は鈍くなってる気がする。良くも悪くも昔と変わらないコバケンのアプローチだが、この四番に関してはずっと不満に思っている部分がある。第一楽章の終結部。コバケンは定石通り、三八一小節からテンポを上げていき、四〇四小節からギヤチェンジをしてテンポを落とす。しかしここは実演で聴いた山田一雄やバーンスタインのCDのように、繰り返しから目一杯アッチェレランドをかけて、四〇〇小節のアウフタクトからガクンとテンポを落とし、さらに四〇三小節からもう一段階テンポを落とすと物凄く効果的なのだが。五番であれだけやり尽くしてくれるコバケンのへの、贅沢な不満である。
 コバケンは相変わらず元気で、髪は白くなったが若い頃と変わっていない。それはメリハリの効いた音楽作りもそうだし、終楽章アタッカ病も、何かしゃべらないと終わらないところも、最後をもう一回演奏してアンコールにするところもだ。三楽章の終わりで絃楽器奏者が順番に弓を拾って行く様子など、コバケンならではの光景である。私も若かった頃は、マーラーの三番の後にアンコールでダニーボーイを演奏し始めたので席を蹴立って退場したのも若き日の想い出だ。今ではいいところ悪いところ含めてコバケンのファンであり、追っかけまではしないが自分かコバケンが死ぬまで、時々演奏会は聴きに行きたいと思っている。
 群響は五月の高関も聴いたので立て続けに三回聴いたが、本当にいいオーケストラだと思う。勿論在京オケの一流どころに比べれば非力で下手だが、地元の人々に愛されている感じがひしひしと伝わってくる。今シーズンはコバケンの定期登場は終わりだが、来期以降のラインナップによっては、時々聴きに行きたいと思う。

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2019年6月 2日 (日)

鮎釣り二〇一九

・九月二十七日(金) 佐渡島の某河川(二ヶ所) 三匹

 私の勤務先では、今年から五日間の夏休を消化しきれないと、課長に呼び出されて説教されるらしい。働き方改革である。土日に残りの夏休をくっつけて念願の佐渡へ渡る。念のため鮎釣りの道具も持参する。
 二日目を釣りにあてて、島内の河川を物色する。中央の国府川と南部の羽茂川には漁業権が設定されているが、それ以外の川には漁業権が無いので新潟県内水面漁業調整規則で禁漁期間とされている期間(一月一日~六月十五日、十月一日~十月七日)を除けば自由に鮎釣りができるという予備知識のみで様子を見るが、平地の少ない島なので釣りができるような川は少ない。
 放流も管理もされていない川なので、具体的な河川名は差し控えるが、最初の川で釣り開始。土手の上から竿を出してみる。群れ鮎が沢山いるので、その中にそっと鮎ルアーを送り込む。秋川の鮎のように驚いて散ることもなく、鮎ルアーを踊らせても逃げもしない。しかし、群れ鮎なので偶然掛かるのを待つしかない。しばらく待っていると下流から威勢のいいのが泳いできて鮎ルアーに体当たり。一匹目をゲット。おとりを野鮎に替えてさあこれからと張り切るが、群れ鮎たちは全く追う気配がない。鮎がいそうなのは河口から数十メートルだけなのだが、他に縄張り鮎がいる気配がないのである。しばらく粘るが反応なし。
 別の川に移動して、ここはと思うポイントに鮎ルアーを送ると一発でガツンと掛かる。野鮎をおとりにして送り込むと、すぐに二匹目。しめたと思って続けるが、これでお終い。上下に移動するが、群れ鮎はうじゃうじゃいるのだが、瀬が無いので友釣りにならない。餌釣りならじゃんじゃん釣れそうだが、友釣りでは縄張り鮎が少なくてどうにもならない。どの川も河口から数十メートル程度で垂直な段差がある場合が多く、鮎が住める区間が短いのだ。川の流れも細く、土手の上から釣るような釣りで面白くない。友釣りをする人がいない理由がよく解った。
 翌日は島内観光。佐渡金山や歴史伝説館などに行く。最南端の宿根木の町並みを観光するが、狭い路地の脇に用水路がある。幅一メートルも無い三面張りの水路だが、コンクリートに埋め込まれている玉石にきれいな喰に跡があり、よく見ると鮎が沢山泳いでいる。ここならば一間半くらいの竿で友釣りができそうだ。
 佐渡の鮎はまだまだ小さく群れていたが、釣れた鮎は小さくても既にサビが入っていた。今年の気候で育ちが遅いのか、毎年こんなものなのかは解らないが、友釣りの醍醐味は味わえない。今度佐渡に夏に来る機会があったら、友釣りではなく餌釣りの用意をしてこようと思う。

 遠征もしたので今年の鮎釣りはお終い。書きたくもないが釣行九回、十七匹という結果だ。年券を買った丹波川に冷水病が出たのが痛かったとは言え、もうやめちまえと言いたくなる体たらくだ。
 さあ、気分を切り替えてカワハギ釣りの準備をするが、カワハギも近年にない不漁らしい。ゲン直しにマス釣り場でも行ってみようかなあ。

・八月十一日(日) 丹波川(保之瀬) ゼロ

 三連休の初日は夏バテで起きられず、二日目に満を持して丹波川へ。村営釣り場や道の駅下にはそこそこ釣り師が入っているので、下流の保之瀬に入る。下保之瀬橋の下流には先行者がいるので、少し上流まで歩いて釣り下ろうと歩き始める。河原を歩いていると、水の流れの緩い所に点々と鮎の死骸が沈んでいる。鮎釣り師なら何が起こったか一目で判る光景だ。上保之瀬橋の近くから釣り下るが全く反応はない。ここぞというポイントで目印が飛ぶが、掛かったのは綺麗な岩魚。
 昼まで釣り下るが鮎の姿は見られないまま。標識をつけた漁協の監視員が五六人様子を見に来ていたので話を聞く。上流の方ではまだ発生していないらしいが間違いはなさそうだ。今年は早い段階で秋川では発生していたので、そこから回ってきた釣り師が足袋やタイツが生乾きのまま入川したのかも知れない。残念だが出てしまったら仕方が無い。足袋とタイツをよく乾かして、シーズン後半の戦略を検討せねばなるまい。

・八月三日(土) 丹波川(道の駅下) ゼロ

 七月は所用が多くて第一週しか釣行出来なかった。梅雨が明けて満を持しての丹波川。木曜に雨が降ったそうでやや増水気味でいい感じだが、釣り師は少ない。
 前回と同じ道の駅下に入るが反応は全くなし。一時間半ほどでやっと掛かったと思ったら、綺麗なパーマークのあるアマゴ。
 午後からは拾い釣りに変えようと思いながら飯を食っていると、目の前から二人組が入川して拾い釣りを始める。これで戦意喪失し、結局午後は竿を出さず撤収。
 水量、天候ともにいい感じなのだがなぜ釣れないのか。浅い瀬には群れ鮎がまだいるので、条件さえ良くなればまだ釣れると思うのだが。

・七月七日(日) 丹波川(道の駅下) 五匹

 昨日の釣果に気をよくして、車中泊して朝七時から釣り開始。小雨で昨日より若干水量が増え濁り気味だ。昨日の石をまず探るが今日は反応なし。解禁日と違い釣り師が全然いないので移動しながら拾い釣りでポツリポツリと五匹釣ったのだが、昨日と違い十四度の水に立ち込んでいるので寒くて仕方なく、腹が痛くなってきたので九時半に終了。年券を持っているのでこんな釣り方も可能だ。今年は八メートル竿と一本針仕掛けで真夏の丹波川に通おうと思う。

・七月六日(土) 丹波川(道の駅下) 九匹

 何と八年ぶりに新しい鮎竿を買った。竿おろしは絶対坊主を避けたい。ふるさと納税で年券を手に入れた丹波川の解禁日に臨む。
 前日入りしようかとも思ったが、天気も悪そうなのでそれほど混まないだろうと高をくくり、九時頃現地入り。竿の出せるところにはビッシリ釣り師が並んでいる。川幅が狭くなって深みになっているところに入るが、どう見てもヤマメ釣りのポイントだ。水温も十四度とヤマメ向きである。立ち込まずに、陸からおとりを泳がせてじっと待つが追われる気配はない。
 暫くして目の前の大きな石を鮎が盛んに喰んでることに気づく。少し移動して離れて観察していると岸から一・五メートルほどの大石を何匹もの鮎が競うように喰んでいるが、岸に近いので釣り師が通るとサッと散ってしまう。岸からかなり下がって鮎が戻ってきたところにおとりを送り込むと、あっさり一匹目が掛かる。野鮎をおとりにして同じ場所に送り込むとすぐに二匹目。この繰り返しでパタパタっと七匹釣れる。
 昼休みを挟んで午後も同じ石で二匹。三匹目をキャッチミスしたところで雨脚が強くなってきたので終了。午前中の七匹は流れが緩い所だったので、錨針ではなく一本針での釣果。新竿、新仕掛けで結果を出せたので嬉しい。一本針は根掛かり、エビが殆ど無いので使いやすい。次回から錨針とともに常備したいと思う。

・六月二十一日(金) 桂川(鳥沢) ゼロ

 先週先々週と天候に恵まれず竿を出せなかった。今週は土日出勤当番なので、待望の平日釣行。相模川も酒匂川もどうしようもなさそうなので、久々の桂川へ。ただし、桂川漁協は酒匂川漁協とは違って、全く釣れていなくても、釣果情報は大体五~三〇匹と掲載するので信用出来ない。
 鳥沢のJR鉄橋の上流に入る。暫く様子を見ているが誰も釣れていない。渋いのは判ったので、流れの緩い瀬に入ってオトリを自由に泳がせてみるが、全く反応がない。群れ鮎はいるので丁寧にやるがダメ。昼飯昼寝を挟み土手の上から川の様子を良く観察する。釣れているのは一人だけ。ヤマメ釣りのような瀬から淵に落ち込んだ白泡の立つ深場でやっている人のみだ。瀬はダメであろうと判断。群れ鮎が回遊している渕尻の緩い流れにオトリを止めて、秋川でやるような群れ鮎狙いの釣法で頑張ってみる。じっと静かにしていると何度も群れ鮎がオトリのいるところを通過する。しかし、オトリが多少反応して動く程度で、ちょっかいを出すやつは無し。緩流用の一本針仕掛けにしたせいもあり、偶然引っ掛かるやつもいない。悪い予想通り解禁から三連続坊主。
 群れ鮎は沢山いるので、育って縄張りを持つようになれば状況は変わりそうだ。ただし、天然遡上無しの桂川は、遡上河川が釣れ始めれば用は無い。どこへ行ってもダメな状況で、次はどこに行くか悩ましいところだ。

・六月二日(日) 相模川(高田橋上流) ゼロ

 坊主スタートを取り返したいのだが、酒匂川は濁りと垢腐れとの情報。桂川土日は混むので避けたい。秋川は流れが細いので難しいなどとグズグズ考えたあげく、やっぱり相模川へ。昨日少しは釣れたらしい高田橋上流の瀬に入る。
 今日も見る限り釣れていないし、監視員も回ってこない。解禁二日目の日曜日に監視員が来ないというのは、絶望的な状況ということであろう。やはり昼過ぎまで頑張ったが気配も無し。ワカサギみたいな子鮎は結構見えるので、魚がいないわけではないようだ。
 まさかの二タテスタートとなってしまった。相模川は絶望的なので、転戦先を検討せねばなるまい。

・六月一日(土) 相模川(高田橋下流) ゼロ

 今年も鮎釣りの季節が来た。昨年七月に仕事の部署が替わり、カレンダー通りの勤務になってしまったので、釣行は基本土日祝日となってしまった。平日釣行出来る人がうらやましいが、こればかりは仕方ない。今年も三〇匹、三〇センチを目標に鮎釣りの記録を書いていきたい。

 解禁日は前日残業で出遅れ。九時頃に高田橋下流の一本瀬に入る。両岸は釣り師でびっしりだが、誰も釣れている気配はない。漁協の監視員の第一声も「釣れませんねえ」というほど低調。ボウズだけは避けたいと昼過ぎまで頑張ったが、気配すら無し。あんなにいた釣り師もみんな引き上げてしまった。見ていた限り、二百メートルほど下流で長い格闘のあげく四〇センチくらいの鯉を釣り上げた人が唯一の釣果だった。
 今年は渇水で、水量は少ないのに水は濁っている。苔も腐れ苔なので、鮎の育ちも悪そうだ。遡上は例年並みらしいので、梅雨に一二度大水が出てくれれば、遡上、苔付きともに良くなりそうだ。

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2019年1月20日 (日)

バッティストーニの千人

フレッシュ名曲コンサート

マーラー/交響曲第八番変ホ長調

独唱/木下美穂子、今井実希、安井陽子(Sop.)、中島郁子、小林由佳(Alt.)、
   福井敬(Ten.)、青山貴(Bar.)、ジョン・ハオ(Bas.)
合唱/新宿文化センター合唱団(合唱指揮・:山神健志)
児童合唱/花園小学校合唱団(合唱指揮:根本潤子)、西新宿小学校合唱団(合唱指揮:草深陽子)、
     関北みどりの風合唱団、マーガレット少年少女合唱団
管絃楽/東京フィルハーモニー交響楽団
指揮/アンドレア・バッティストーニ

二〇一九年一月一九日(土)新宿文化センター

 新宿文化センターは周年事業で「千人」をやるのが好きなホールで、私の知る限りでは一五周年(一九九四年レナルト/都響)、二〇周年(一九九九年インバル/都響)、二五周年(二〇〇四年ベルティーニ/都響)、三〇周年(二〇一〇年レナルト/東フィル)に続き今回が五回目。フレッシュ名曲コンサートは、昔は都民名曲サロンという名称だった、東京都が各自治体に助成金を出してオーケストラの公演を行う事業。今回は開館四〇周年と都助成公演の合わせ技ということのようだ。

 バッティストーニという指揮者は大好きな指揮者で、何度も実演で聴いているが、正直なところ「千人」を振るといわれてもピンと来なかった。しかし、オペラが得意な指揮者だから、特に第二部は予想外の大名演もあり得るかと、期待と不安が入り交じった感じで会場へ向かった。
 今回は一階席のかなり前の方だと思っていたら、席に着いてびっくり、張り出し舞台を使っているので最前列の真ん真ん中。目の前に嵩上げされた指揮台がドンと置かれており、七人の独唱者は見えるが、指揮者は見上げても尻しか見えない。演奏が始まると指揮台の陰に入っているので、合唱はほぼ聞こえず、独唱者と絃楽器だけが聞こえる状態。全くどうにもならない。

 鑑賞条件は最悪だったが、演奏も悪い予感が当たり期待外れ。バッティストーニがそれほどこの曲に思い入れがないのか、練習時間が足りずにやり尽くせなかったのかは判らないが、そつなく進んでいく演奏。第一部も第二部も最後でテンポを煽ってみたりするものの、取って付けた感は否めない。その他にもいくつかの面白い試みはあったし、テンポも今時の指揮者としては動かしているのだが、いつもはバッティストーニの指揮から感じられる、表現意欲に棒の技術が付いていかない感じが無く、珍しく安全運転な印象であった。
 オーケストラと合唱はよく聞こえなかったが、独唱はしっかり聴くことができた。瞑想の教父(バス)のソロが一ヶ所ヨレヨレになった以外は落っこちも無く皆健闘していた。テノールの福井敬も自己陶酔的な唱い方が少しおとなしくなった感じで、前よりはましになった感じだ。残念だったのは第二ソプラノ。声量が無い上に声質が軽すぎて重唱部分になると埋もれてしまう。ドラマティックな歌唱が求められる罪を悔いる女のソロは、頑張って唱っており下手なわけではないのだが、何とも貫禄が無いのである。この声質ならば第三ソプラノ(栄光の聖母)を唱わせればピッタリだと思うし、四番のソロはこの人で聴いてみたいと思う。これはキャスティングのミスだ。
 合唱については殆ど聞き取れなかったので詳しくは書けないが、可もなく不可もなくというところか。よく練習している感じで安心して聴けたが、音程の難しいところなどはアマチュアらしく危うかった。児童合唱は小学生主体としては大健闘していたと思う。

 舞台上が殆ど見えなかったので備忘メモも薄い。合唱団は名簿によると混声合唱が約三二〇名、児童合唱が八〇名。オケはティンパニが一対、ハープ四以外は見えなかったので不明。バンダは二階席下手側中通路。栄光の聖母は見えなかったが、下手側壁面の照明室の窓から唱っていたようだった。ソリストは指揮者を囲む形で、舞台が狭いせいか譜面台は無し。第二部では第二ソプラノを移動させて、第一ソプラノ、第一アルト、第二アルト、第二ソプラノとしていた。これは三重唱部分があるためであろう。

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2018年10月20日 (土)

岩崎御嶽社

 名古屋で時間があったので、浅野祥雲作品を幾つか見てきた。
 犬山成田山、桃太郎神社、春日井駅前弘法、慈眼寺弘法、勝川大弘法、東風公園弁財天、五色園、岩崎御嶽社と回ったのだが、桃太郎神社と五色園は再訪なのでちょっと覗くだけの感じ。慈眼寺は疑問作、勝川と東風公園は雲岳作品だ。
 興味のない片にはサッパリ解らないかも知れないが、浅野祥雲は昭和の初めから四〇年代まで活躍した名古屋のコンクリート仏師で、雲岳は昭和初期のコンクリート仏師。活動地域と作風が被っているので同一人物説が強い。
 犬山成田山、桃太郎神社、五色園、岩崎御嶽社は複数の祥雲作品が集まっているスポットだが、難関は岩崎御嶽社である。これは江戸末期に木曽の御嶽大神を勧請した山で、山頂に御嶽神社があるのだが、その山中にあちこちの御嶽講中が作った霊場が点在しているのだ。山の斜面を十メートル四方くらいに仕切って、沢山の石碑、仏像などが林立しており、規模の大きな物になると管理用の建物などが付随していたりする。これが何の規則もなく隣り合って配置されており、手入れされている物もあれば、荒れ放題になっている物もある。そして、だれもそれらを統括している者はなく、地図も何もないのだ。鬱蒼と茂った森の中にあるので、航空写真でも全く把握不可能である。事前にネットで情報を集めると、素人が下準備無しに足を踏み入れてはならないカオスなスポットと紹介されていることが多い。
 今回は下見のつもりで土曜日の午前中に二時間ほど探索してみた。確かに森の中の荒れた霊場は気味がいいとは言えないが、かつての御嶽信仰というのは随分盛んだったことが解る。私の興味は祥雲作品なので、石碑類には目もくれず、人物像、仏像だけをチェックしながら回ってみた。有名な山頂駐車場周辺や西側の駐車場周辺の像の他に、祥雲らしい感じのコンクリート像がかなり存在しているようだ。ここは是非一度、大縮尺の地図とGPS、カメラを持って、二日くらい掛けてじっくり調査してみたい所だ。ちょっと覗いて回る程度では勿体ない。
 とにかく山の中で道無き道を藪漕ぎして進むので、調査するなら冬場でないと無理だろう。当日は十月なのに蝉が鳴いている陽気で、藪蚊と服にくっつく草の実に悩まされ、何よりも蜘蛛の巣だらけでまともに歩けない。以前四国の鵜来島を歩いた時みたいに、手頃な棒切れを振り回して蜘蛛の巣を払いながらでないと進めないのだ。
 是非冬に再訪してみたいと思う。
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2018年10月15日 (月)

名古屋フィルハーモニー交響楽団第四六一回定期演奏会

名古屋フィルハーモニー交響楽団第四六一回定期演奏会

マーラー/交響曲第八番変ホ長調

独唱/並河寿美、大隅智佳子、三宅理恵(Sop.)、加納悦子、福原寿美枝(Alt.)、
   望月哲也(Ten.)、宮本益光(Bar.)、久保和範(Bas.)
合唱一/グリーン・エコー
合唱二/名古屋市民コーラス、名古屋混声合唱団、一宮第九をうたう会、
    混声合唱団名古屋シティーハーモニー、クール・ジョワイエ
合唱指揮/河辺康宏、荻野砂和子、神田豊壽
児童合唱/名古屋少年少女合唱団(合唱指揮:水谷俊二、谷鈴代)
管絃楽/名古屋フィルハーモニー交響楽団、、中部フィルハーモニー交響楽団
指揮/小泉和裕

二〇一八年一〇月一二日(金)、一三日(土)名古屋市民会館大ホール

 基本的な曲作りは先日の九響と変わらないが、充実感は大きく違った。九響を聴いた時も非常な感動と満足感を感じられたが、名フィルはそれを上回る。間違いなく今年のマラ八ラッシュの中で白眉の演奏と断言出来るだろう。私が聴きたいのはこういうマーラーである。とは言え、何か特別な外連があるわけではなく、旋律をたっぷり歌わせ、呼吸を大きく取り、時にテンポにメリハリを付けるという、ごく普通の事をやっているだけなのだ。フルトヴェングラーの逸話を持ち出すまでもなく、いい指揮者というのは立っているだけでいい演奏になるのだと思う。先日の九響と今回の名フィルを聴いて、今まで堅実な中堅指揮者という認識だった小泉和裕が、いつの間にか巨匠の域に達している事を感じた。
 小泉が指揮する音楽を聴いていると、自然体で小賢しい所は無い。テンポの動かし方や表情の付け方も極端ではないのだが、何とも恰幅が良く安心して聴いていられる。マラ八では、昨年聴いた広上淳一も素晴らしかったが、広上にはまだ計算ずくな所があり、思わぬディフォルメに感心しつつも、ちょっと音楽の流れが止まってしまう感じがあった。その点で、小泉は大向こうを唸らせようという意識は感じられず、自由に思ったとおりの音楽を作っていく感じだ。あまり練習できっちり作り込んだ感じではなく、大きく方針を決めて、後は奏者の自発性に任せている印象なのだ。なので、音楽に身を委ねていて誠に心地よく、いつまでも音楽が終わらないでほしいという気持ちになる。とにかく素晴らしいマラ八で、今まで聴いたマラ八の中でもベストを争う出来であったと思う。
 備忘録として、絃は二〇型、テューバ二、ハープ二、マンドリン一、ティンパニ三台×二人で両手打ちは無し。鐘はチューブラーベル使用。第一部のシンバルは一回目が吊りシンバル×三、二回目が合わせシンバル×三。第二部の冒頭、シンバルは摩擦奏法なし。独唱はオケと合唱の間。合唱の並びは奥が男声、手前中央が児童で両側が女声。金管バンダは上手側の花道に配置、栄光の聖母は下手の側壁にある照明用?の窓から唱っていた。
 独唱は第三ソプラノ、第二アルト、バリトン以外は九響と同じ。九響同様第二ソプラノが大変素晴らしく、特に第二部の罪を悔いる女の最後の所は鳥肌が立った。九響ではいなかった第三ソプラノ、第二アルト、バリトンは好演、一方でテノールは頑張っていたが声質が悪く、バスは音量が足りなかった。第一ソプラノは、最後の神秘の合唱でハイCの後の二つの音を唱っていなかった(又は聞こえなかった)。九響ではハイCを絶叫した後、息継ぎをして歌っていたと記憶しているが、二日ともそうだったので、ここは指揮者の解釈(妥協?)なのかもしれない。
 合唱は地元の合唱団で、第一コーラスと児童合唱は単一の団体、第二コーラスは五団体の合同。特別上手というわけではないが、よく纏まって安定感があった。小泉は合唱団を第一部では立たせたまま、第二部でも立ったり座ったりを最小限にしていたが、これは素晴らしいと思う。全曲立っていろとまでは言わないが、某アマチュア合唱団みたいにやたら立ったり座ったりするだけでなく、第二部の最初は座って唱うみたいなやり方は気が散っていけない。また、初日は合唱団員が二人倒れてハラハラしたが、二日目は倒れる人はいなかったようだ。今回の合唱を聴いて、先日の読響のときに音大生合唱団に感じた纏まりの無さは、声の若さ故ではないかと改めて感じた。

 今回は愛知芸術劇場が改修中の為、古い名古屋市民会館での公演だったが、舞台が広く取れるので結果的には良かったのかもしれない。オルガンが電子オルガンだったのは残念だが、音響的にも過剰な残響はかえって邪魔な曲なので、各パートが見通良く聞こえたと思う。
 今回は金土定期の二日とも聴いたが、三日目があったらもう一度聴きたい。それぐらい素晴らしいマラ八だった。名古屋まで遠征して本当に良かった。

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