2019年1月20日 (日)

バッティストーニの千人

フレッシュ名曲コンサート

マーラー/交響曲第八番変ホ長調

独唱/木下美穂子、今井実希、安井陽子(Sop.)、中島郁子、小林由佳(Alt.)、
   福井敬(Ten.)、青山貴(Bar.)、ジョン・ハオ(Bas.)
合唱/新宿文化センター合唱団(合唱指揮・:山神健志)
児童合唱/花園小学校合唱団(合唱指揮:根本潤子)、西新宿小学校合唱団(合唱指揮:草深陽子)、
     関北みどりの風合唱団、マーガレット少年少女合唱団
管絃楽/東京フィルハーモニー交響楽団
指揮/アンドレア・バッティストーニ

二〇一九年一月一九日(土)新宿文化センター

 新宿文化センターは周年事業で「千人」をやるのが好きなホールで、私の知る限りでは一五周年(一九九四年レナルト/都響)、二〇周年(一九九九年インバル/都響)、二五周年(二〇〇四年ベルティーニ/都響)、三〇周年(二〇一〇年レナルト/東フィル)に続き今回が五回目。フレッシュ名曲コンサートは、昔は都民名曲サロンという名称だった、東京都が各自治体に助成金を出してオーケストラの公演を行う事業。今回は開館四〇周年と都助成公演の合わせ技ということのようだ。

 バッティストーニという指揮者は大好きな指揮者で、何度も実演で聴いているが、正直なところ「千人」を振るといわれてもピンと来なかった。しかし、オペラが得意な指揮者だから、特に第二部は予想外の大名演もあり得るかと、期待と不安が入り交じった感じで会場へ向かった。
 今回は一階席のかなり前の方だと思っていたら、席に着いてびっくり、張り出し舞台を使っているので最前列の真ん真ん中。目の前に嵩上げされた指揮台がドンと置かれており、七人の独唱者は見えるが、指揮者は見上げても尻しか見えない。演奏が始まると指揮台の陰に入っているので、合唱はほぼ聞こえず、独唱者と絃楽器だけが聞こえる状態。全くどうにもならない。

 鑑賞条件は最悪だったが、演奏も悪い予感が当たり期待外れ。バッティストーニがそれほどこの曲に思い入れがないのか、練習時間が足りずにやり尽くせなかったのかは判らないが、そつなく進んでいく演奏。第一部も第二部も最後でテンポを煽ってみたりするものの、取って付けた感は否めない。その他にもいくつかの面白い試みはあったし、テンポも今時の指揮者としては動かしているのだが、いつもはバッティストーニの指揮から感じられる、表現意欲に棒の技術が付いていかない感じが無く、珍しく安全運転な印象であった。
 オーケストラと合唱はよく聞こえなかったが、独唱はしっかり聴くことができた。瞑想の教父(バス)のソロが一ヶ所ヨレヨレになった以外は落っこちも無く皆健闘していた。テノールの福井敬も自己陶酔的な唱い方が少しおとなしくなった感じで、前よりはましになった感じだ。残念だったのは第二ソプラノ。声量が無い上に声質が軽すぎて重唱部分になると埋もれてしまう。ドラマティックな歌唱が求められる罪を悔いる女のソロは、頑張って唱っており下手なわけではないのだが、何とも貫禄が無いのである。この声質ならば第三ソプラノ(栄光の聖母)を唱わせればピッタリだと思うし、四番のソロはこの人で聴いてみたいと思う。これはキャスティングのミスだ。
 合唱については殆ど聞き取れなかったので詳しくは書けないが、可もなく不可もなくというところか。よく練習している感じで安心して聴けたが、音程の難しいところなどはアマチュアらしく危うかった。児童合唱は小学生主体としては大健闘していたと思う。

 舞台上が殆ど見えなかったので備忘メモも薄い。合唱団は名簿によると混声合唱が約三二〇名、児童合唱が八〇名。オケはティンパニが一対、ハープ四以外は見えなかったので不明。バンダは二階席下手側中通路。栄光の聖母は見えなかったが、下手側壁面の照明室の窓から唱っていたようだった。ソリストは指揮者を囲む形で、舞台が狭いせいか譜面台は無し。第二部では第二ソプラノを移動させて、第一ソプラノ、第一アルト、第二アルト、第二ソプラノとしていた。これは三重唱部分があるためであろう。

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2018年10月20日 (土)

岩崎御嶽社

 名古屋で時間があったので、浅野祥雲作品を幾つか見てきた。
 犬山成田山、桃太郎神社、春日井駅前弘法、慈眼寺弘法、勝川大弘法、東風公園弁財天、五色園、岩崎御嶽社と回ったのだが、桃太郎神社と五色園は再訪なのでちょっと覗くだけの感じ。慈眼寺は疑問作、勝川と東風公園は雲岳作品だ。
 興味のない片にはサッパリ解らないかも知れないが、浅野祥雲は昭和の初めから四〇年代まで活躍した名古屋のコンクリート仏師で、雲岳は昭和初期のコンクリート仏師。活動地域と作風が被っているので同一人物説が強い。
 犬山成田山、桃太郎神社、五色園、岩崎御嶽社は複数の祥雲作品が集まっているスポットだが、難関は岩崎御嶽社である。これは江戸末期に木曽の御嶽大神を勧請した山で、山頂に御嶽神社があるのだが、その山中にあちこちの御嶽講中が作った霊場が点在しているのだ。山の斜面を十メートル四方くらいに仕切って、沢山の石碑、仏像などが林立しており、規模の大きな物になると管理用の建物などが付随していたりする。これが何の規則もなく隣り合って配置されており、手入れされている物もあれば、荒れ放題になっている物もある。そして、だれもそれらを統括している者はなく、地図も何もないのだ。鬱蒼と茂った森の中にあるので、航空写真でも全く把握不可能である。事前にネットで情報を集めると、素人が下準備無しに足を踏み入れてはならないカオスなスポットと紹介されていることが多い。
 今回は下見のつもりで土曜日の午前中に二時間ほど探索してみた。確かに森の中の荒れた霊場は気味がいいとは言えないが、かつての御嶽信仰というのは随分盛んだったことが解る。私の興味は祥雲作品なので、石碑類には目もくれず、人物像、仏像だけをチェックしながら回ってみた。有名な山頂駐車場周辺や西側の駐車場周辺の像の他に、祥雲らしい感じのコンクリート像がかなり存在しているようだ。ここは是非一度、大縮尺の地図とGPS、カメラを持って、二日くらい掛けてじっくり調査してみたい所だ。ちょっと覗いて回る程度では勿体ない。
 とにかく山の中で道無き道を藪漕ぎして進むので、調査するなら冬場でないと無理だろう。当日は十月なのに蝉が鳴いている陽気で、藪蚊と服にくっつく草の実に悩まされ、何よりも蜘蛛の巣だらけでまともに歩けない。以前四国の鵜来島を歩いた時みたいに、手頃な棒切れを振り回して蜘蛛の巣を払いながらでないと進めないのだ。
 是非冬に再訪してみたいと思う。
Pa134181

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2018年10月15日 (月)

名古屋フィルハーモニー交響楽団第四六一回定期演奏会

名古屋フィルハーモニー交響楽団第四六一回定期演奏会

マーラー/交響曲第八番変ホ長調

独唱/並河寿美、大隅智佳子、三宅理恵(Sop.)、加納悦子、福原寿美枝(Alt.)、
   望月哲也(Ten.)、宮本益光(Bar.)、久保和範(Bas.)
合唱一/グリーン・エコー
合唱二/名古屋市民コーラス、名古屋混声合唱団、一宮第九をうたう会、
    混声合唱団名古屋シティーハーモニー、クール・ジョワイエ
合唱指揮/河辺康宏、荻野砂和子、神田豊壽
児童合唱/名古屋少年少女合唱団(合唱指揮:水谷俊二、谷鈴代)
管絃楽/名古屋フィルハーモニー交響楽団、、中部フィルハーモニー交響楽団
指揮/小泉和裕

二〇一八年一〇月一二日(金)、一三日(土)名古屋市民会館大ホール

 基本的な曲作りは先日の九響と変わらないが、充実感は大きく違った。九響を聴いた時も非常な感動と満足感を感じられたが、名フィルはそれを上回る。間違いなく今年のマラ八ラッシュの中で白眉の演奏と断言出来るだろう。私が聴きたいのはこういうマーラーである。とは言え、何か特別な外連があるわけではなく、旋律をたっぷり歌わせ、呼吸を大きく取り、時にテンポにメリハリを付けるという、ごく普通の事をやっているだけなのだ。フルトヴェングラーの逸話を持ち出すまでもなく、いい指揮者というのは立っているだけでいい演奏になるのだと思う。先日の九響と今回の名フィルを聴いて、今まで堅実な中堅指揮者という認識だった小泉和裕が、いつの間にか巨匠の域に達している事を感じた。
 小泉が指揮する音楽を聴いていると、自然体で小賢しい所は無い。テンポの動かし方や表情の付け方も極端ではないのだが、何とも恰幅が良く安心して聴いていられる。マラ八では、昨年聴いた広上淳一も素晴らしかったが、広上にはまだ計算ずくな所があり、思わぬディフォルメに感心しつつも、ちょっと音楽の流れが止まってしまう感じがあった。その点で、小泉は大向こうを唸らせようという意識は感じられず、自由に思ったとおりの音楽を作っていく感じだ。あまり練習できっちり作り込んだ感じではなく、大きく方針を決めて、後は奏者の自発性に任せている印象なのだ。なので、音楽に身を委ねていて誠に心地よく、いつまでも音楽が終わらないでほしいという気持ちになる。とにかく素晴らしいマラ八で、今まで聴いたマラ八の中でもベストを争う出来であったと思う。
 備忘録として、絃は二〇型、テューバ二、ハープ二、マンドリン一、ティンパニ三台×二人で両手打ちは無し。鐘はチューブラーベル使用。第一部のシンバルは一回目が吊りシンバル×三、二回目が合わせシンバル×三。第二部の冒頭、シンバルは摩擦奏法なし。独唱はオケと合唱の間。合唱の並びは奥が男声、手前中央が児童で両側が女声。金管バンダは上手側の花道に配置、栄光の聖母は下手の側壁にある照明用?の窓から唱っていた。
 独唱は第三ソプラノ、第二アルト、バリトン以外は九響と同じ。九響同様第二ソプラノが大変素晴らしく、特に第二部の罪を悔いる女の最後の所は鳥肌が立った。九響ではいなかった第三ソプラノ、第二アルト、バリトンは好演、一方でテノールは頑張っていたが声質が悪く、バスは音量が足りなかった。第一ソプラノは、最後の神秘の合唱でハイCの後の二つの音を唱っていなかった(又は聞こえなかった)。九響ではハイCを絶叫した後、息継ぎをして歌っていたと記憶しているが、二日ともそうだったので、ここは指揮者の解釈(妥協?)なのかもしれない。
 合唱は地元の合唱団で、第一コーラスと児童合唱は単一の団体、第二コーラスは五団体の合同。特別上手というわけではないが、よく纏まって安定感があった。小泉は合唱団を第一部では立たせたまま、第二部でも立ったり座ったりを最小限にしていたが、これは素晴らしいと思う。全曲立っていろとまでは言わないが、某アマチュア合唱団みたいにやたら立ったり座ったりするだけでなく、第二部の最初は座って唱うみたいなやり方は気が散っていけない。また、初日は合唱団員が二人倒れてハラハラしたが、二日目は倒れる人はいなかったようだ。今回の合唱を聴いて、先日の読響のときに音大生合唱団に感じた纏まりの無さは、声の若さ故ではないかと改めて感じた。

 今回は愛知芸術劇場が改修中の為、古い名古屋市民会館での公演だったが、舞台が広く取れるので結果的には良かったのかもしれない。オルガンが電子オルガンだったのは残念だが、音響的にも過剰な残響はかえって邪魔な曲なので、各パートが見通良く聞こえたと思う。
 今回は金土定期の二日とも聴いたが、三日目があったらもう一度聴きたい。それぐらい素晴らしいマラ八だった。名古屋まで遠征して本当に良かった。

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2018年10月 9日 (火)

関西グスタフ・マーラー交響楽団第八回演奏会

関西グスタフ・マーラー交響楽団第八回演奏会

マーラー/交響曲第八番変ホ長調

独唱/安藤るり、老田裕子、端山梨奈(Sop.)、八木寿子、福原寿美枝(Alt.)、
   二塚直紀(Ten.)、小玉晃(Bar.)、武久竜也(Bas.)
合唱/京都大学音楽研究会ハイマート合唱団、大阪混声合唱団有志
児童合唱/寝屋川市立第五小学校、メイシアター少年少女合唱団
管絃楽/関西グスタフ・マーラー交響楽団
指揮/田中宗利

二〇一八年一〇月八日 京都コンサートホール

 関西のアマオケによる千人。備忘録として、オケは十六型くらいで、対向配置。チェロが下手でコントラバスは正面一番奥。ピッコロ、小クラリネット各一。ハープ二、マンドリン三(絃楽器と持ち替え)。合唱は第一が約八〇名、第二が約七〇、児童が約二〇名で、並びは下手から男声、女声、児童、女声、男声。金管バンダは第一部がオルガン下手のボックス、第二部は上手側のオルガンと合唱の間。独唱者は第一部が舞台前面で、下手がソプラノ、上手がバス。第二部は合唱の前(P席一列目)で、バスの上手に栄光の聖母。マラ八を随分聴いてきたが、栄光の聖母が他の独唱者と並んでいるのは初めて見た。ティンパニは二組で両手打ちは無し。マンドリンを絃楽器奏者(第一ヴァイオリン、第二ヴァイオリン、ヴィオラ)が持ち替えるというのは、プロには出来ない素晴らしいアイディアだ。一ヶ所に纏まっていないのでバラバラに聞こえたのは御愛嬌であろう。
 今回のマラ八ラッシュの中では、技術レヴェルは一番低く、人数も最小限(児童合唱は最小限未満)だが、これでマラ八が上演出来てしまうと云うのは凄いと思う。絃のレヴェルは十分。昔はアマオケと云えば絃が揃わなかったものだが、昨今のオケは本当にレヴェルが高い。金管の高音が盛大にひっくり返ったり、ここ一番でシンバルが空気打ちをやらかしたりしていたが、オーケストラのメンバーは楽しそうに演奏していた。合唱も人数が少なく音量は不足気味ではあったが、よく練習している感じだった。二つの常設合唱団が第一コーラスと第二コーラスを分担しているので、技術的にはもう一歩だが、よく纏まっていたと思う。先日の音大生寄せ集め合唱団(読響)は一人一人はちゃんと歌えていても合唱団としての纏まりが感じられなかった。音大生レヴェルを寄せ集めて一夜漬けで唱わせるよりは、下手でも常設の合唱団がしっかり練習した方が出来がいいようだ。児童合唱は頑張っていたが、さすがにこの人数(メンバー表によれば十八人)ではどうにもならない。客席の最前列にでも並べないと聞こえないだろう。
 独唱陣はとても良かった。特に女声の四人が素晴らしいアンサンブルを聴かせていた、またテノールも特筆に値する素晴らしさで、感動的だった。一方、バスは音量的に苦しく、栄光の聖母は雰囲気の無い歌唱だった。
 指揮者は時にテンポをぐっと落としたりして、なかなか面白い部分があった。職業指揮者なのかどうかはよく判らないが、オールアマチュアのこの面々をよくぞここまで纏めたと思う。一方で、第一部、第二部とも最後の部分を全く撓めずにあっさり進めてしまう辺り、盛り上げようという意思は全く感じられなかった。なので、途中はそれなりに良かったのに、最後があっさりなので拍子抜けという印象だ。
 最後に疑問点を二つ。まず、金管バンダの扱い。第一部はオルガン左のボックス、第二部は上手側のオルガン前。第一部が終わってバンダが移動し始めたので、ボックスに栄光の聖母が入るのかと思ったら違った。この移動は指揮者の位置からだと何か違うのかも知れないが、客席から聴くと意味が無い。音響的には金管バンダは客席側に配置したい。費用の問題はあるが、インバルがやる二倍にして客席後方の上手下手に分けて、客席全体が音の渦に巻き込まれるのがいいと思う。次に独唱者の位置。第一部は指揮者の上下。第二部はP列一列目。曲の性格からして、独唱者は、第一部はオーケストラと合唱の間、第二部は舞台前面に配置したい。新日本フィルを振ったハーディングはバリトンとバスを、先日の読響を振った井上道義は男声三人を第二部だけ舞台前面に移動させていた。これが成功していたかどうかは別にして、やりたいことはよく判る。しかし、第二部で独唱を奥にして、栄光の聖母を並べてしまうのはどういうことか。オルガン下手のボックスでも、バルコニー席でも、栄光の聖母を配置する場所は幾らもあるだろうに。この、無意味又は逆効果としか思えないバンダと独唱の移動についてどんな効果を狙ったのか聞いてみたいものだ。少なくとも客席で聴いていて、「ハハン、なるほどね」と合点する部分は全くなかった。
 あっさり曲が終わった瞬間、盛大にブラヴォーと絶叫する輩がいたのも興醒めだった。このオッサン、その後も発声練習みたいに騒ぎ続けていた。あれでは、ただ大声を出したい人だ。まあ、アマオケだと時々見かける頑張りすぎて周りを引かせるサクラだったのかも知れないが。

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2018年10月 3日 (水)

井上/読響の千人

東京芸術劇場presents 井上道義&読売日本交響楽団

マーラー/交響曲第八番変ホ長調

独唱/菅英三子、小川里美、森麻季(Sop.)、池田香織、福原寿美枝(Alt.)、
   フセヴォロド・グリフノフ(Ten.)、青戸知(Bar.)、スティーヴン・リチャードソン(Bas.)
合唱/首都圏音楽大学合同コーラス(合唱指揮:福島章泰)
児童合唱/TOKYO FM少年合唱団
管絃楽/読売日本交響楽団
指揮/井上道義

二〇一八年一〇月三日 東京芸術劇場大ホール

 周年事業などではない東京芸劇の自主事業。予算が余っているのだろうか。
 絃は十六型、ハープ四、マンドリン二、ティンパニは二組で、両手打ちは無し。合唱は首都圏の音大(上野、国立、昭和、洗足、桐朋、東京、藝大)の学生と、OBと東響コーラスの男声が賛助出演で約二五〇名、児童合唱は約三〇名。金管バンダと栄光の聖母はオルガンバルコニーに配置。
 合唱はここのレヴェルは高いのだが、やはり寄せ集めのせいか纏まらない感じがした。一方、児童合唱は少年だけと云うこともあり、人数は少ないが理想的な発声で大健闘していた。もっとも私の席は一階前方上手側で、児童合唱(舞台上手のバルコニー席)に近いので聞こえやすかったのだが。
 声楽陣は女声は及第点だが男声に不満が残る。バリトンは好演だったが、見せ場の一番高い音が苦しいと云うよりは出ていなくて残念。外人歌手のテノールは下品な唱い方で興醒め。同じくバスは吠えるところは大声なのだが、それ以外は体格ほど声量はない。何故わざわざ外人歌手をキャスティングしたのか疑問。独唱は一部ではオーケストラと合唱の間だが、第二部は男声だけ指揮者の左右に移動。これはいいと思う。
 井上道義の指揮は、何年か前に名古屋のアマオケ&合唱団の寄せ集めを指揮した時の印象で全く期待していなかったのだが、今回はプロオケと音大中心の合唱と云うことで随分印象が変わった。前回は全く何をやりたいのかが伝わってこなかったが、それは巨大編成の素人たちを纏めるだけで精一杯だったと云うことなのだろう。今回は特にオーケストラだけの部分がそこそこ充実した音楽になっていたと思う。所々で普段聞こえにくい金管が聞こえたりして、面白く感じる部分があったのは収穫だと思う。アマオケ相手の時には神秘の合唱で照明を落とすような小細工をしていたが、今回は第二部全体で照明をやや落とす程度で、わざとらしい感じにはなっていなかった。
 今回特筆すべきは児童合唱の好演。学生の合唱団も纏まりは無かったが、健闘していたと思う。CD化用らしいマイクロフォンが林立していたが、バランスを調整すればCD化は可能だろう。ひっくり返る木管奏者や、携帯を鳴らす客がいなくて本当に良かったと思う。

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2018年9月30日 (日)

びわ湖ホール開館二〇周年記念演奏会(振替公演)

びわ湖ホール開館二〇周年記念演奏会(振替公演)

マーラー/交響曲第八番変ホ長調

独唱/横山恵子、砂川涼子、幸田浩子(Sop.)、谷口睦美、竹本節子(Alt.)、
   清水徹太郎(Ten.)、黒田博(Bar.)、伊藤貴之(Bas.)
合唱/びわ湖ホール声楽アンサンブル、千人の交響曲」合唱団(合唱指揮:田中信昭)
児童合唱/、大津児童合唱団
管絃楽/京都市交響楽団
指揮/沼尻竜典

二〇一八年九月二十九日 滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール

 びわ湖ホールの開館二十周年記念演奏会は九月三十日(日)に行われる予定だったが、大型で非常に強い勢力の台風二十四号が直撃する予想となった。二十八日(金)の段階でびわ湖ホールの告知は。「三十日は予定通り十四時開演の方針だが、二十九日(土)十六時からに緊急臨時公演を行う」というもの。チケットを持っている人は両公演とも聴ける。前回の二十一号台風でJR西日本はあっさり全便運休を決め、世論調査でも好評だったので、今回も運休しそうだ。こうなったら二十九日に行くしかない。仕事中にこっそり高速バスを予約して大津へ向かう。昼過ぎにJR西日本より三十日午後の全便運休が発表され、会場に入ると三十日の公演中止が告知されていた。

 前売りは完売だったらしいが、急な日程変更のため入りは半分程度。びわ湖ホールにとって運が良かったのは京響が去年の三月にマラ八を上演していたことだろう。下地があったから練習が一日減っても上演出来たのではないだろうか。勿論全ての出演者、関係者の、想像も付かない大変な努力によって、完全な中止ではなく前日に振り替えるということが出来たのだと思う。私は昔、音楽制作関係にちょっとだけ関わったことがあるので、この規模の演奏会の日程を替えると云うことの大変さが想像出来る。本当に頭の下がる思いだ。

 それはさておき、演奏内容だが、独唱陣の健闘が素晴らしかった。特に第一アルトと男声陣が良かった。アルトの谷口睦美の声量は驚くほどで、他の六人とのバランスは悪いが、往年の佐藤しのぶと並べても引けをとらない声量だ。合唱も御大田中信昭の指導の賜か、児童合唱を含めレヴェルが高かった。混声合唱約二百、児童合唱約五十と人数が少なかったので、ここ一番でもう少し迫力が欲しいと思ったのは贅沢か。

 以下、毎度のメモ。絃は十六型。ハープ二、マンドリン一、ピッコロと小クラリネット各二、ティンパニは二対で両手打ちは無し。チューブラーベルではなく鉄板使用。児童合唱は合唱壇の下手側、金管バンダは三階下手、栄光の聖母は三階上手。
 沼尻の指揮は予想通りそつないものだった。今までのイメージ通り、速めのテンポでスラスラ進めていき、表現欲が全く感じられない交通整理的な棒だ。と云うものの、この公演の指揮者が沼尻だったからこそ、前日に振り替えるというウルトラCが可能だったのだと思う。往年のヤマカズ先生だったら途中で間違いなく崩壊していただろうし、アサヒナ御大だったらそもそも振替公演を是としないだろう。小器用でそつがない指揮者だったからこそ何とか上演に漕ぎ着けたのだ。
 貴重なマラ八の生演奏を聴く機会が一回失われずに済んだ。関係者の努力に改めて感謝したい。そしてJRの運休が三十日の十七時過ぎまで続いて、私の手元にある「ぷらっとこだま乗車票」が無事払い戻しになることを祈るばかりだ。

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2018年9月23日 (日)

成田山久留米分院

成田山久留米分院

救世慈母大観音(一九八二年建立、六十二メートル)

 北九州で半日暇と云うことになると、まず押さえたいのはここであろう。西鉄の高架からも見える巨大仏、成田山久留米分院の救世慈母大観音を御参りしてきた。石段を登ると、本堂の左奥が拝観料五百円がかかるエリア。この中に、救世慈母大観音、インド村・平和大仏塔極楽殿、歴史館、地獄館がある。
 先ずはインド村・平和大仏塔極楽殿。高さ三十八メートルの仏塔で、ブッダガヤ大仏塔のコピー。有名な建築物のコピーを建てるというのは、生口島の耕三寺みたいで香ばしい。中には金ピカでインドっぽい釈尊像や様々な仏画などがあるが、目を引いたのは「日本一鑿子」という仏壇のおりんの化け物。直径一メートルくらいだろうか。叩いてみると鐘というよりは銅鑼のような音がした。
 続いて五百(はないと思う)羅漢像を見ながら救世慈母大観音、台座の後ろ側に体内巡りの入口がある。高さ六十二メートルの首のあたりまで階段で登れる。内部は蒸し暑くて殺風景。所々に景色を眺められる小窓が付いている。台座部分や階段の所々に人形や絵があるが、もう少し見せ場があってもいいと思う。東京湾観音みたいに外に出られる展望台でもあると素晴らしいのだが。
 大観音の足元から怪しい地下通路に順路は続いており、その途中に何故か「孝子の像」がある。これは「一日一善爺さん」として知られる笹川良一が老母を背負って金比羅様の階段を登ったという有名な美談を銅像にしたもので、確か船の科学館や日本船舶振興会にあるものだと思う。何故そのレプリカがこんな薄暗い地下通路に置かれているのか。何の説明もないので全く判らない。
 地下通路を抜けると歴史館。歴史上の人物像を天然の宝石で作ったものが沢山並んでいる。甲府の宝石庭園と蒲郡の貝殻館(竹島ファンタジー館)の折衷みたいなもので、その他に関係ない骨董品なども並んでいるところが香ばしい。
 そして最後は地獄館。お馴染みの地獄の様々なシーンが電動の人形と怪しい照明で再現されている。人形の表情などとてもよく出来ている上に状態も良く、徳島の正観寺八大地獄より規模は小さいが、大変に見応えがある。特に責められている人間の苦悶の表情が素晴らしい。

 残念ながらこれらのアトラクション、もとい宗教施設は、内部は撮影禁止のためここに画像を示すことは出来ない。しかし、ネット上には結構動画なども上がっているようなので、興味のある方は是非見てみてほしい。久留米近辺まで行ったなら、バスに乗って行くだけの価値は十分にあるスポットである。

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フェリーしまんと

フェリーしまんと(二〇一六佐伯重工業/オーシャントランス)

一二、六三六総噸 全長一九一メートル、全幅二七メートル
航海速力二二、四ノット
旅客定員二五二名 積載トラック一八八、乗用八〇台

 九州へ行くのに往路は船で行ってみた。オーシャン東九フェリーは大分以前和歌山へ行くのに徳島まで「おーしゃんいーすと」に乗船したことがあるが、二年前に四隻の船舶を総入れ替えして、全てシンプルフェリーと称する、設備を最少限に抑えた船になったので、どんな感じか確かめてみたかったのだ。
 国際展示場駅前から送迎ワゴン車に乗ってフェリーターミナルに着くと、徒歩乗船は十名程度。船内に入るとマイカー組は結構いるようだ。客室はワンフロアのみで、案内所兼売店、自動販売機食堂、大画面テレビのリラックス室、船橋下の展望室、男女浴室、ゲーム室。
 室外に出られる甲板は屋上の一部分と、右舷側の通路だけ。自殺と事故を防止するためと云うことで、忍び返しのように上部が内側に曲がった高いフェンスに囲まれている上、船縁まで距離があるところに設置されているため、接岸離岸作業などがよく見えない。更にベンチはおろか、吸排気口類も全てフェンスの外にあるので、甲板で海を眺めるのに座ることが出来ないである。これは全く面白くない。
 食堂は自販機と電子レンジがずらりと並んでおり最長で二泊程度の航路ならばまあ我慢が出来る内容。インスタント味噌汁やレトルトスープがあるのは有り難い。味噌汁代わりにカップラーメンを食わずに済む。缶ビールは三五〇缶が二五〇円、五〇〇缶が三五〇円。普通よりやや高いが仕方ないだろう。運転免許証を持たずに来たので、酒の自販機が東海汽船方式の免許証が要るタイプだったらどうしようと心配したが、深夜以外は自由に変えるタイプだったので良かった。
 私は船に乗ったら甲板でずっと景色を眺めていたい口なのだが、この船ではどうにもならない。炎天下に一日突っ立っていたら人間の丸干しが出来上がりそうなので、ほぼ展望室で一日過ごし、温泉でもない風呂に一日四回も入ってしまった。展望室も船縁と同じレヴェルなので景色が見えづらいため、結局スマホで銭形平次捕物控なぞを読むか、MP3プレイヤーでラジオの録音を聴くしかすることがない。甲板で過ごせないというのは、こうも詰まらないものかとガッカリした。
 とは言え貴重な東京発四国、九州行きのフェリーが新造船を揃えてくれたのは有り難い。シンプルフェリーにしたと云うことは輸送体制を貨主客従にシフトしたと云うことだろう。客はついでに乗せているのだから、貨物輸送が途絶えない限り航路が廃止になったりはしないだろう。細々とでいいから存続してほしい航路だ。
 以前乗った時は、徳島で南海フェリーに乗り換えたのだが、南海フェリーの埠頭が徳島港の反対岸だったので、タクシーで末広大橋を渡って乗り継いだが、現在は東九フェリーの埠頭が南海の並びに移転したので、距離は一キロ強あるが徒歩で乗り換えられるようになったのも有り難い。九州までだとさすがに退屈するが、四国、和歌山方面に行く場合の選択肢として忘れないようにしたいと思う。

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九州交響楽団第三七〇回定期演奏会

九州交響楽団第三七〇回定期演奏会

マーラー/交響曲第八番変ホ長調

独唱/並河寿美、大隅智佳子、吉原圭子(Sop.)、加納悦子、池田香織(Alt.)、
   望月哲也(Ten.)、小森輝彦(Bar.)、久保和範(Bas.)
合唱/九響合唱団、九州大学男声合唱団コールアカデミーほか
児童合唱/NHK福岡児童合唱団MIRAI、久留米児童合唱団、筑紫女学園中学校音楽部
合唱指揮/横田諭
管絃楽/九州交響楽団
指揮/小泉和裕

二〇一八年九月二二日 アクロス福岡シンフォニーホール

 やはり格が違う。九響は決して一流のオケとは言えないが、やはりアマオケや音大オケとは違う安心感があり、小泉和裕のどっしりした音楽作りと相まって、安心して聴ける。混声合唱はオール福岡的な寄せ集めだが、それを感じさせない纏まりの良さは特筆に値する。おそらく全体を纏める合唱指揮者が相当入念な練習を重ねたのだろう。N児福岡を中心の児童合唱も高いレヴェルだった。
 小泉は基本的に奇をてらうようなことはしないが、ここ一番で見せる思い切ったためや、極端にではなくぐっとテンポを落としてじっくり聴かせる部分など、いぶし銀の棒だ。第一部の最後、金管バンダが入る部分でテンポを上げて台無しにする浅はかな指揮者が多いが、小泉はテンポを落として始まり、合唱や金管の上行音階をしっかり聴かせつつ徐々にテンポを上げていくという、思わず「その手があったか!」と唸ってしまう処理を、ごくごく自然に行っていた。ここだけ聴いても凡百の指揮者とは次元が違うのだが、それを派手に見せるのではなく、当たり前のようにやってしまうところが凄い。
 以下、気づいた点を列挙する。絃は一六型、ピッコロ二、ホルン九、ハープ二、マンドリン一。金管バンダは上手側三階バルコニー席、栄光の聖母は三階席正面(多分)。独唱はオケと合唱の間。アクロス福岡は張出を使うとかなり舞台が広く、巨大な合唱台を組んでも舞台上に余裕があった。
 ティンパニは四台二組。第一部のzu2は両手打ち、第二部は片手打ち。チューブラーベルではなく鉄板を使用。シンバルの扱いが面白く、第一部の再現部手前(二人または三人同時打ち)は吊りシンバルを使わず合わせシンバル二人、再現部冒頭は合わせシンバル三人。第二部頭の合わせシンバルのピアニシモは、片方の縁でもう片方を擦り上げる奏法を使わず、大きなシンバルをそっと合わせていた。
 声楽陣はバランスが悪かった。特に第一ソプラノとテノールが不安定。テノールは縮緬ヴィブラートで自己陶酔的な唱い方が耳障りだった。第一ソプラノは途中までは良かったのだが、神秘の合唱のハイCをまさかの大絶叫して、まさかの息継ぎ。この曲の場合ソプラノとテノールは音域的に苦しいならオファーがあっても引き受けてはいけない。その一方で第二ソプラノが素晴らしく、第二部の罪を悔いる女のソロは鳥肌が立った。

 小泉和裕という指揮者は抜群の安定感だけではなく、それ以上の何かを持っている人だと感じる。それが派手なパフォーマンスや、太い政治力などならば一枚看板になるのだろうが、ピッチャーで言うと中継ぎのエースという感じだろうか。東京では都響にポストがあるが、なかなか聴く機会がない。レパートリーが渋くて私の好きな曲とかぶらないせいもあるが、もっと聴きたい指揮者だ。来月の名フィルが待ち遠しく感じる。

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2018年9月17日 (月)

東京ユヴェントス・フィルハーモニー創立一〇周年記念演奏会

東京ユヴェントス・フィルハーモニー創立一〇周年記念演奏会

マーラー/交響曲第八番変ホ長調

独唱/森谷真理、中江早紀、中山美紀(Sop.)、谷地畝晶子、中島郁子(Alt.)、
   宮里直樹(Ten.)、今井俊輔(Bar.)、清水那由太(Bas.)
合唱/東京ユヴェントス・フィルハーモニー合唱団(合唱指揮/谷本喜基、吉田宏)
児童合唱/NHK東京児童合唱団
管弦楽/東京ユヴェントス・フィルハーモニー
指揮/坂入健司郎

二〇一八年九月一六日 ミューザ川崎

 プログラム冊子によれば、二十歳に満たない頃にこのオーケストラを結成してから十周年ということなので、指揮者は三〇歳位か。オケも指揮者も若くて勢いがある。アマオケがマラ八をやると、安全運転の演奏を聴かされることが多いが、この指揮者は思いきったテンポの変化など、表現意欲に溢れていて素晴らしい。プロフィールを見ると音大やコンクールとは無縁な異色のプロフィールなので、今後プロオケの役付きになったりするタイプではないのかも知れない。しかし、二十歳でアマオケを組織してしまう、この無鉄砲な若者の指揮は、最近の若手指揮者に希薄な「オレはこういう風に演奏したい」という欲求が感じられて、彼が指揮する他の曲も聴いてみたくなる。
 そして、このマラ八で改めて感じたのは児童合唱の大切さ。やはりNHK東京児童合唱団(N児)は上手く、何より人数が多い(一〇〇人位)。日本の児童合唱もレヴェルが上がって上手い団体が増えたが、単独でこの人数とレヴェルを揃えられるのはN児だけだろう。やや非力な混声合唱(二四〇人位)に比べて抜群の安定感で、児童合唱が出てくると安心するという、普段と逆の現象が起こっていた。
 オーケストラは一八型くらいの絃を対向配置にして、コントラバスを正面奥に配置。ハープ三、マンドリン三、鍵盤楽器、ホルンを下手、打楽器とホルン以外の金管が上手。独唱は舞台の一番奥。金管のバンダは、第一部はオルガンの演奏台に、第二部は客席に配置。栄光の聖母は上手のバルコニー席。ティンパニは一対で、第一部のzu2は両手打ち、第二部は二台打ち。第一部のチューブラーベルを、二回目(変拍子の所)だけ鉄板と重ねていたのが面白かった。
 私の席は一階席だったのだが、舞台一番奥の独唱陣が全然聞こえなくてバランスが悪かった。ミューザ川崎は三階席がベストという噂を聞いたことがあるが、数多くマラ八を聴いてきて、やはりオケと合唱に埋もれがちな独唱者は、舞台前面に配置する方がいいと思う。
 オーケストラの並べ方にも、演奏表現にも、指揮者の「こうやりたい」という思いが表れており、近年のマラ八の中でも印象の強い演奏会であった。それにしても日本のアマチュアオーケストラはレヴェルが高くなった。採算度外視で出来るアマオケこそ果敢にマラ八を取り上げてほしいものだ。

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