« 2005年7月 | トップページ | 2005年9月 »

2005年8月30日 (火)

地震の被害

 古本屋で落語のLPレコードを衝動買いする。一枚六百円也。

 帰宅していざ聴かんと、レコードプレイヤーのカヴァーを開けて驚いた。無惨にもレコードプレイヤーは息絶えておりました。原因は先日の地震。安物のプレイヤー(DENON/DP-29F)なので、電源スイッチは無く、トーンアームが支柱から外れるとターンテーブルが回る構造。地震の震動でトーンアームがターンテーブル上に飛び出したらしい。レコードが乗っていれば一通り再生して戻るのだが、悲しいかな針はゴムマットを引っ掻くばかり。何日間か知らないがゴムマットを引っ掻いてモーターが焼き切れたらしい。ゴムマットには深い傷が刻まれて、削られたゴムの粉が散らかっている。

 レコードを聴く事なんて年に一二回なので、もうやめてしまってもいいのだ。だが、買ってきたLPが聴けない。さらに、去年くらいから値段と性能のバランスの良いレコードプレイヤーを見つけて気になっていたのだが、「今のでも聴けるし・・・」と自制していたのだ。

 というわけで、迷わず新たなレコードプレイヤーを購入。現在入荷待ち。わずか六百円の古レコードを買ったことが、三万円の出費に直結するというお話。おそらく今の勢いだとSPレコード用のカートリッジとかも買っちゃうんだろうなあ。

|

2005年8月28日 (日)

祭礼

 Y女史から午前中にメールが入る。曰く「今日オマエの地元に行くが、居るなら顔を出せ」とのこと。丁度鎮守の祭礼なので、一緒にお祭りを見に行く。

 少し早めに出掛けて、民俗芸能の獅子舞を見物する。露払いで棒を回している四人の少年は小学二年生と四年生。四年生はヴェテランなんだそうな。続いて天狗と獅子三匹の登場。親分の大獅子は三十代前半だが、あとの獅子二匹と天狗は高校生。使用している獅子頭は比較的新しい二百年前位のモノ。古い獅子頭は歴史民俗資料館に展示してあるのだそうだ。伝統芸能を若者が継承してくれるのは頼もしい。獅子と天狗は面と衣装を着けて五十分踊りっぱなし。若くなきゃ出来ない芸当。爺さん達は皆桟敷席で笛を吹いたり歌を謡ったりしている。

 Y女史と落ち合って、縁日の屋台をひやかして回る。昔ながらの屋台が多いが、目新しい屋台もあって面白い。小さなイイダコが一匹丸ごと入ったハミタコ屋は大人気で、うどん粉がやっと固まった焦げ目のないタコ焼きに行列が出来ていた。ちょっと心惹かれるが、あんな生焼けではなく、ちゃんと焼けたのが食べてみたい。腹が減っていたので焼そばと生ビールで一息つく。子供の頃とは違って、同じお祭りの夜店を見ても、買い物でなく雰囲気で満足してしまう。かき氷を食べながら、パレードから鎮守の宮に戻ってくる御輿を見物する。

 鎮守の祭りが終わると、もう夏休みも数日。私の夏休みはとっくに終わっているんだけど、ふと子供の頃に感じた切ないような気持ちを思い出した。

|

川柳川柳独演会

川柳 高座五十年 懺悔会

二〇〇五年八月二六日(金)なかの芸能小劇場

( 前 説 )川柳つくし&鈴々舎わか馬

「 首 屋 」川柳川柳

「 山号寺号 」柳亭市馬

「ジャズ息子」川柳川柳

(歌謡ショウ)川柳川柳(唄&ギター)、柳亭市馬(唄)、

       鈴々舎わか馬(ギター&コーラス)、川柳つくし(ウクレレ)

「ラ・マラゲーニャ」川柳川柳

 去年の独演会は予約したのに急に都合が悪くなり行けなかった。今年はリベンジが叶う。

 後で自ら「緊張した」と言っていた圓生直伝の「首屋」。マクラから本題に入るところで眼鏡を外しての熱演だったが、最初からたどたどしくて演者も客席もハラハラし通し。寄席でやったら「下手」の一言で片付けられそうな気がするが、今日の客は川柳独演会の客。「川柳の古典を聞きたい」よりは「古典をやる川柳を観たい」のが本音。更に言えばつっかえたり、間違ったりしないか期待を込めてハラハラしているのだ。

 市馬師の「山号寺号」は休憩みたいなもの。この人の高座は本当に安定している。幾らでも新しい山号寺号を織り込んで、現代版にアレンジが可能な噺だが、余計なことはあまりしない演出。一応「川柳さん助平オヤジ」と御祝儀代わりが入っていたのはご愛敬。

 中入り前はお馴染み「ジャズ息子」。本の宣伝はなく、カセットテープ(後述)の宣伝をしてから入り、たっぷり三十分。やはり生で観る「ジャズの真似」は最高に面白い。

 川柳歌謡ショウは川柳師が二十曲、市馬師が七曲を唄い、たっぷり一時間。全体の内知っている曲が三分の一、知らない曲が三分の一、川柳師が唄うから知っている曲が三分の一という構成。

 飛び道具「ラ・マラゲーニャ」を生で観るのは二度目。七年前からの相違点は、前奏の時ギターの胴を指で弾いて「こんなことしなくていいんだけど・・・巧そうに見えるから」というのが無くなり、落ちの後の唄が長くなったこと。前のやり方の方がすっきりしていたように感じる。

 川柳師七十四歳。髪はすっかり白くなったが、声の張りは全然変わらない。まだ当分は元気な姿を見られそうで嬉しい。今回は落語初級者のKちゃんを「もうすぐ死んじゃうから今の内に観ておきな」とそそのかして一緒に行ったのだが、志の輔や喬太郎が好きな彼女も結構楽しんでいた様子だった。よかったよかった。

 ロビーで売っていたカセットテープは以前「談志が選んだ艶噺」シリーズCDに入っていた破礼噺四席と、オマケに「マラゲーニャ」が入っている。CDでは編集されていた「東宝オ××コ事件」の未編集ヴァージョンが聴けるかと期待して買ったのだが、CDからのコピーだった上にダビングを繰り返したような情けない音質。オマケに入っている「マラゲーニャ」だけが買った甲斐ありだった。

|

2005年8月25日 (木)

金原亭伯楽「小説・落語協団騒動記」(本阿弥書店)

 あまり評判は芳しくないが、一つの事象に対して色々な立場からの意見を聞くのは面白いので買ってみた。

 一九七八年の落語協会分裂騒動については様々な人が様々な立場で書いているので面白い。

三遊亭圓丈「ご乱心」

川柳川柳「天下御免の極落語―平成の爆笑王による“ガーコン”的自叙伝」

 の二作は読んでいるが、好生(一柳)の「噺の咄の話のはなし」は未読。

 圓丈、川柳が実名で顛末を記しているのに、伯楽が今更仮名にして「小説」とするのには合点がいかない。圓丈や川柳のように渦の真ん中に居たわけではなく、馬生と志ん朝の間に挟まってオロオロしただけの立場なんだから、もっと客観的な立場から思い切って書けばいいのに。破門になった川柳、好生、破門にはならなかったけど師匠との絆が切れた圓丈に比べれば、結局師馬生、兄弟子志ん朝とも丸く納まった伯楽は被害者ではない。圓丈が圓楽を批判する時は煮え湯を飲まされた者の実感が籠もっているが、伯楽が談志を批判する時には「この人やな人なんです」という言いつけん坊の了見に感じてしまう。更に全て仮名で書いているところが、何か文句を言われた時に「あれは小説ですから」と逃げる布石に感じられて、とても不愉快な気分になる。

 伯楽はスター性は無いが、力の抜けた「佳い」噺家だと、かなり好意的に感じていたのに、この本を読んだおかげで印象が悪くなってしまった。中途半端な了見で告発暴露系の振る舞いに出ると、お粗末な結果になると云うことだろう。

 明日は川柳(小説中ではさん公)の独演会。去年は仕事の都合で行けなかったから、期待は高まります!。

|

2005年8月23日 (火)

乗り鉄の夏

 結局何もしないで夏休みが終わってしまった。実質四日しかなかったので、「さて何かするかなあ」と思っている間に終わってしまった。

 数年前まで乗り鉄をやっていた頃は、夏休みの期間目一杯、日の出ている間はひたすら列車に乗りまくっていた。最高が二〇〇〇年の中国地方九日間だろうか。青春18きっぷを二冊使い切る夏休みだった。

 三年前に旧国鉄完乗を果たしてしまったら目標がなくなって、旅に出るにも気勢が上がらない。欲張らずにゆったりした行程で回る旅も悪くないのだが、根が貧乏性のせいか張り合いに欠けるのである。一旦ブームが去ってしまうと何だか億劫になり、九州新幹線は未乗。JR完乗のタイトル保持者でもなくなっている。

 九月に会社の定休日と有給をくっつけて四連休が取れる予定。クルマのトランクに折り畳み自転車を積んで、ちょっと面白いことをしてやろうと画策中なり。

|

2005年8月15日 (月)

放っといてくれ

 日曜日に行くことが半ば習慣化してきた赤羽の「まるます家」に今日も寄る。とりあえず小生ビールと鯉の洗いを頼んでから今日は何を食べようかと考える。鯉のうま煮と、固定メニューにはない鰻の山椒煮を頼んだ。それぞれは旨いのだが、似たような傾向のものを並べてしまい選択ミスだなと思う。

 鯉こくを頼んでシメにしようと思ったら、隣(カウンターの角にいたので正確には斜め前)のオッサンが話しかけてくる。

「すごいねえ川魚ばっかり。どこの生まれ?」

 面倒なことになったなと思いつつ、

「東京ですよ」

 と答える。するとオッサン

「五代前はどこの出身?」

 と、素人とは思えない鋭い突っ込み。どこにしようかと一瞬思案するが、

「飛騨の古川です」

 と正直に答える。

「そうなの、飛騨高山には行ったことあるけど。俺は群馬なんだ。」

 もちろんこの先が喋りたくてオッサンは話しかけているわけだ。

「この店には子供の頃から五十年通ってる。今日は墓参りに行ったけど福田(前官房長官)も一緒だった。奴は東大の経済学部、俺は文学部卒だからかなわない」

 この手の話はみんな同じようなものなので、適当に相槌を打っている。他にも色々与太話を聞かされる。まあ、罪のない話なので腹も立たないのだが・・・。

 知らない人と話し込んだりするのは余り好きではない。大衆酒場で一人で酒を飲むのが好きだが、話し相手は要らない。周りの客や、従業員の仕事っぷりを眺めているのが好きなのである。仕事が接客系なので、勤務時間外は気の置けない連中とだけ馬鹿話をしていればいい。

 面白がってこっちも与太話が出来るくらい出来上がっていれば話は別だったんだけど・・・。鯉こくを片付けてさっさと退散。でも、お盆だったことを思い出して親父の家に寄り、仏壇にお線香を上げてくる。東大のオッサン、お盆だって教えてくれて有難う。

|

2005年8月12日 (金)

DVDカム

 会社でDVDカムなるものを購入。撮影係を命じられて、今日がリハーサルだった。とりあえず試し撮りしてみた。対象物の性質上(ライヴパフォーマンスの収録)、三十分のファイン画質では時間が足らないので、六十分のスタンダード画質で収録。念のためラインアウトをVHSデッキにつないでバックアップも録っておく。

 いや、驚きました。映像収録に興味がなかったので知らなかったが、DVDカムって子供騙しのオモチャですな。ヴィデオカメラがお手軽になることは歓迎するけど、小さくするために画質を犠牲にするのは如何なものかと・・・。データと云うモノは、少なくとも記録する段階では残せるだけの情報を残しておいた方がいい。使う段階で不要な部分は切り捨てられるから。しかし、DVDカムはそのような思想ではなく、「お手軽」ということを最優先しているように感じる。つまり「そのままDVDデッキで観られる」という以外に取り柄のないシロモノって事。

 弁当箱サイズでいいから、十二センチDVD-Rに二時間以内の画質で録画出来なければ、「プリクラレヴェル」としか評価出来ません。結局今回は、バックアップのVHSデッキを頼りにするしかないみたいだなあ。

|

2005年8月 5日 (金)

温泉二題

 猛暑の中、温泉に行ってきました。どちらも日帰り温泉ですが、なかなかの湯でした。

 その1【はやぶさ温泉】山梨県塩山市

 名刹恵林寺にほど近い国道一四〇号線沿いの日帰り温泉。入浴料五百円。中規模の浴室浴槽と露天風呂。アルカリ性単純温泉(pH九、五)が大量にかけ流しになっているのが売り物の温泉。四阿つきの露天風呂の方が浴槽の温度はぬるめだ。内湯は跳ね上がった鯉の形の湯口から大量の湯が噴き出していてぜいたくに感じるが、その脇にももう一つ湯口があり、飲泉用のコップはそちらに置いてある。湯船の床下には強力に吸い込む吸湯口がある。吸湯口を足や桶で塞いでも湯量に変化はないので断定は出来ないが、標榜している全かけ流しには若干の疑念が湧く。念のため脱衣所近くの飲泉所の湯をかぶってみると、明らかにアルカリっぽさが違うので、更に疑心暗鬼になってしまう。

 その2【玉川温泉】山梨県甲斐市(旧竜王町)

 甲府盆地外れの田圃と住宅地の間に湧く温泉。県道二十五号から判りにくい路地を入った場違いなピンク色の建物。入湯料五百円。大小二つの浴槽が並んでおり、湯が溢れ出している大きい方がかけ流し、小さいジェットバスのある方は循環。かけ流しの方は大量の気泡が付く、所謂「あわあわ温泉」である。ただ、この手の気泡が付く温泉でいつも疑問に感じるのは、元来温泉に含まれる二酸化炭素なのか、泡立ちやすい泉質の温泉が湯船に注がれる際に混ざる空気なのかと言うこと。根拠の無い個人的憶測として、最近行った所では。「温泉の泡」田沢温泉、大塩温泉。「空気の泡」玉川温泉、山口温泉、韮崎旭温泉、平治温泉という所か。

 猛暑の温泉は上がってから汗が引かなくて往生する。冷房の効かないポンコツ車を汗止めの鉢巻きをして運転する。

|

2005年8月 3日 (水)

さねよしいさ子「知ラナイナイ空」(Mellow Head)

 「ぺとぺとさん」というアニメーションの主題歌。もう一曲の「帰り道」はエンディングテーマらしい。原作もアニメも見たことがないので純粋に歌として聴くしかない。

 正直言って期待はずれ。詩も曲も別段どうって事無くて面白味に欠ける。ダメと言い切るほど駄作とも思わないけど不満足。アニメの歌としてはこれで充分と思うけど、さねよしさんの歌としてはイマイチ。という書き方でも判る通り、長年のさねよしファンなので要求レヴェルは高いと思う。

 更にマイナスなのは音の悪さ。Mellow Headという聞いたことの無いレーヴェルから出たCDだが、MIDIと同じようなラジカセ向きの音作りでヒドイの一言。ヴォーカルが割れてない分MIDIよりはマシか?。音楽を聴くスタイルの主流が携帯プレイヤーとインナーイヤー型ヘッドフォンというご時世なのに、ヘッドフォンで聴くと船酔いしそうな音作りは制作者のセンスを疑う。

 お願いだから音楽を売ろうと目論む人間は、大人が聴いて納得できる音楽を売りさばいてもらいたい。クラシックまでも子供(※)向けのものしか売れない現状は情けない。

※善し悪しの判断ができない成人および老人も含む。

|

« 2005年7月 | トップページ | 2005年9月 »