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2006年9月25日 (月)

有吉佐和子「海暗」(新潮文庫)

 初出は文藝春秋一九六七年四月~一九六八年四月、初刊は一九七一年新潮社、文庫化は一九七二年、現在は絶版。

 中学から大学生頃に読んだ本には、最終頁に購入年月日、本編の最後に読了年月日が書き込まれている。この古びた文庫本の本編の終わりには「Sep.5,1987」と鉛筆で記されている。つまり、第二次船ブームだった高校生の時に買って読んだ本である。

 描かれている一九六〇年代、私が初めて読んだ一九八〇年代、そして現在の二〇〇〇年代。本編の舞台である御蔵島はずっと人口二百人前後の小さな島である。悪夢のような平成の大合併騒動も、ここでは影響がない。東海汽船の貨客船が月二回寄港するだけだった島は、八〇年代には五〇トンクラスの村営連絡船が一日一回三宅島と往復するようになり、現在では五〇〇〇トンクラスの貨客船が東京から毎日直行する。ただし、ちょっと波が高ければ欠航になることも変わらない。

 日本がオリンピック前で、新幹線だ、高速道路だと浮き足立っていた頃、黒潮の小さな島に持ち上がった大きな騒動を、島以外の世界を知らずに生きてきた八〇歳のオオヨン婆の視点から捉えたこの小説は、半分はフィクションらしい。オオヨン婆のモデルになった人がいたのかいなかったのかは判らないが、時子のモデルになった人は(小説の結末とは違うが)今でも御蔵島に居るらしい。
 この小説を初めて読んだ頃から是非御蔵島には行ってみたいと思っている。伊豆諸島の内未踏の地は御蔵島と利島だけなのだ。だが、面白くなさそうだからなかなか行けない利島に比べて、御蔵島はとっておきの感じがする。せっかく行ったなら、島の南側にある御代ヶ池は見に行きたい。なのに、現在の御蔵島は、地元のガイドを付けないと無闇に島内を歩けないらしいのだ。ガイドを雇えというのは、いつも単独行で気が変わったら行き先を変えたい私を怖じ気づかせるに十分だ。ダイビングに興味がなくて、原生林を見て歩くだけで納得してくれる同行者が居たらいいのにと思う。

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2006年9月19日 (火)

RE:唐辛子な人々のブログ

 畏友梅奴さんのブログ「豆大福生活」で、本ブログを紹介していただきました。何故か唐辛子な人々ということで、同じく畏友Mamさんのブログ「奥様はママ社長」と並んでいます。
 私は決して激辛好きだったわけではないのですが、二ヶ月前に勤務地が池袋西口から目黒東口に替わり、昼飯の選択肢の少なさから「蒙古タンメン中本」に毎日のように通ったわけです。すると以前は「蒙古タンメン」で大汗かくほど辛いと感じていたのが、近頃では最も辛い「冷やし味噌ラーメン」じゃないと辛味が足りないような気がするのです。
 決して威張れる話でもなく、軽い味覚障害のようにも感じます。しかし、じゃあオマエの味覚はそんなに微妙だったのかと問われると、マヨネーズや化学調味料が好きで、濃い味好き。煙草をやめても味覚に変化があったとは思えない。元々たいした味覚じゃないみたいだから構わないやと、開き直ってます。
 そこで、ネットで見つけた「BLAIR'S DEATH Sauce」。辛い順に「SUDDEN DEATH」「AFTER DEATH」「ORIGINAL DEATH」「JALAPENO DEATH」の四本お試しセットを二セット取り寄せてみました。一セットはMamさんに送りつけてご批評いただこうと思っています。ちなみに商品には日本語で「このホットソースシリーズで「サドンデス」ソースは想像を超える辛さであるため、特にお子様、心臓の弱い方はご使用の際には十分注意して、希釈又は調味素材としてご利用下さい。」という注意書きが貼付されていました。
 Mam姐、送るから待っててね。

奥様はママ社長 http://mampre.jugem.jp/

豆大福生活 http://umeyakko.at.webry.info/

Death_sauce

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阿房船

 かめりあ丸 東海汽船 貨客船三七五一トン
 一九八六年内海造船瀬戸田工場で建造

 現在個人的に第三次伊豆諸島航路ブームが訪れており、昨日も友人T君を引き込んで八丈島まで往復してきた。内田百間を気取るわけではないが、なんにも用事がないけれど、船に乗って八丈島へ行って来ようと思ったのだ。片道十一時間で八丈島滞在は三十分。帰りの乗船券を買ったら土産を買う時間もなくトンボ返りである。同行のT君は流石にウンザリしたらしく、殆ど船室でふて寝を決め込んでいた。
 東海汽船に乗るだけの為だったら、いろいろな乗り継ぎパターンが選択できる東京~大島~神津島の通称片航路が楽しく、東京湾内が往復とも日没後になる東京~三宅島~八丈島の通称三八航路は時間もきつく、面白味に欠ける。しかし、黒潮より南の海の碧さは八丈まで行かないと見ることが出来ない。
 普段は東海汽船のフラッグシップ、一九九二年建造のさるびあ丸(四九六五トン)が就航する三八航路だが、夏の間はさるびあ丸が東京湾納涼船に就航するため受け持ちを入れ替えて、普段は片航路担当の老嬢かめりあ丸が就航する。
 台風十三号が九州付近を北上中のため、立って居られないくらいの大揺れを期待しての乗船だったが、台風は日本海に抜けてしまい、うねりも大したことない。全島条件付き(桟橋に接岸できない場合は欠航となる)での出帆だったが、まさかの往復全島就航。未上陸の御蔵島で下船したかったが、下り便が接岸できたからといって上り便が接岸できる保証はない。無理せず八丈まで行ったが、上り便も無事接岸。結果的には判断を誤ったことになるが、強風とうねりの中の接岸作業と荷役作業。船旅の醍醐味を充分に堪能してきた。
 高校時代の第二次伊豆諸島航路ブームの頃、先輩のかとれあ丸やすとれちあ丸に比べて安っぽい感じがして、あまり好きでなかったかめりあ丸だが、船齢二十年という老嬢となり風格が備わった気がする。下田航路のあぜりあ丸(一九八八年建造)とともに、今の内に乗っておきたい船である。

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