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2007年1月27日 (土)

日本フィル第五八七回定期演奏会

二〇〇七年一月二十五日(木)、二十六日(金)サントリーホール

指揮/小林研一郎

マーラー/交響曲第九番ニ長調

 高校生の時から二十年待ち続けたコバケンのマラ九。二日間の二日とも聴く。
 曲に思い入れが強すぎ、理想の演奏が頭の中で出来上がっている。初日の第一楽章冒頭で肩すかしをくらった気分になる。ヴィオラの六連符は一音目を長めに手探りのように、第一主題のアウフタクトはフェルマータ気味に溜息のようにやってほしい。サラサラっと始まった第一楽章は抑え気味で迫力不足。この曲は第一楽章が肝心なのにここを抑えてどうする。第二楽章はグロテスクさが出て佳。第三楽章は最後の加速が上滑り気味でオケが鳴り切っていない。最後に大太鼓を加えるのはコバケンの常套手段。終楽章は好演。遅めのテンポで十分に唄わせていた。最後の音が消えてからの長い静寂は、日本フィルの客筋の良さを感じる。
 残念だったのは、金管にミスが多く安定感を欠いたこと。終楽章の絃が非力で、決め所が決まらなかったこと。そして何と言っても「尋常でない世界」が現れなかったこと。
 説明しづらいのだが、マーラーの九番というのは尋常でない世界が現れやすい曲で、バーンスタイン/イスラエル・フィルは最初の一音から最後まで尋常でない世界だったし、山田一雄/新日本フィルは何度か舞台の上に宇宙が現れた。今回のコバケンは良く考えた真摯な演奏ではあったが、心がざわめいたり、鳥肌が立つようなことが殆ど無かった。

 コバケンが日本フィル音楽監督をを退任する。私が日本フィルの会員になったのが常任指揮者就任の九〇年、以来ずっと聞き続けたコンビだが、近年は馴れ合いの演奏が多くなっていたので、退任は仕方ないと思う。それよりも打楽器奏者の森茂が退団というのが大ショック。日本フィルを聴く楽しみの半分は森茂のティンパニだったのに。
 そうでなくても演奏会通いの頻度が落ちているのに、森茂とコバケンのいない日本フィルは殆ど聴きに行くことは無くなりそうだ。

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2007年1月10日 (水)

橋本克彦「線路工手の唄が聞えた」(文春文庫一九八六)

 初刊は一九八三年JICC出版

 古本屋で探し続けて、もう七八年経つだろうか。昨年の暮れに八王子の古本屋で遂に発見、二〇〇円なり。
 明治から戦前までの鉄道建設と線路保守の様子を、「道床搗き固め音頭」を通して探るノンフィクション。小池喜孝「常紋トンネル」(朝日文庫一九九一)と並んで鉄道ファン必読の書であると思う。戦前までの日本の鉄道が、ただひたすら人力のみによって線路を敷設し、保守してきたことが理解できる。
 「常紋トンネル」では北海道の線路敷設が、主に囚人やタコ部屋労働者を酷使して行われた歴史が描かれていた。この「線路工手の唄が聞えた」では、各地の保線作業が地元出身者からなる線路班によって行われた歴史が、最後の線路班員たちからの貴重な聞き取りによって生き生きと描かれている。そこには貧国日本の安上がりな線路を少しでも長く敷設する方針が、そのまま保線作業員の重労働にはね返っていた事実がよく見える。更に「優良線路班表彰制度」により必要以上の競争意識を喚起し、必要以上の保線精度の追求に走らせる様子や、「保線講話会」による科学的な研究が行われてきた事実など、日本的な部分とそうでない部分が同居していて面白い。
 高校生の頃、毎年菅平にスキーに行く時、上下にジャンプしそうに大揺れで走っていた八高線の気動車が、高崎線の線路に入るとピタリと揺れなくなるのに気づいた。列車の乗り心地は車両の性能ではなく、線路の保守で決まるのだと実感したものである。
 このような本は鉄道ファンくらいしか読まないのだろうが、本当は鉄道を利用する全ての人に読んでほしいと思う。ついでに言えば、私が毎日乗っているJR中央線の線路状態は、高架化工事中の仮線とはいえ、もう少しちゃんとしてほしいと思う。
 

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懲りずに・・・

 低気圧接近&三連休という、盆と正月が一緒に来たような好条件が重なったので、勇躍船に乗りに出かけた。三連休なので日曜日一日足止めを食っても、月曜日には帰れるだろうと高をくくり、金曜夜発の神津島行きかめりあ丸に乗船。切符は利島まで。未上陸の利島が第一希望だが、利島欠航の場合は接岸率の高い式根島か神津島で下船。一泊か二泊ののち神新汽船で下田に渡るか、大島まで戻ってジェットフォイルに乗るか。選択肢が沢山あって唄いたい気分になる。
 翌朝、大島岡田港着。「利島より先、下り条件付き、上り欠航」と船内放送が告げる。つまり取り敢えず行ってみて、急いで帰ってくるという事らしい。不安になって、大島出帆後案内所の船員さんに相談する。
「利島で降りるつもりだったんですけど、明日明後日の状況はどんな感じなんでしょうか」
 普通この手の質問には、当日にならないと判らないと答えるのが常識なのだが、
「どんどん悪くなる、明日は無理」
 と明確な答えが、
「連休中に戻れなくなりますかね」
 と聞くと、大きく頷く。
 残念だが帰れなくなるのはまずい。今日中に下田へ渡ることに一縷の望みをかける。利島、新島と無事接岸し、「重い条件付き」の式根島、そして神津島にも接岸。神新汽船に電話で問い合わせたところ、あっさり「全島欠航」とのこと。どうにもならず東京へ引き返す。
 東京に戻ると夜行客船は全便欠航になっており、翌朝八時に出帆した臨時の大島行き客船も、東京湾を出たところで諦めて引き返してきたとのこと。 どうせ乗るならそちらの臨時便の方に乗った方が面白そうだったのだけど・・・。

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2007年1月 2日 (火)

「犬神家の一族」(二〇〇六「犬神家の一族」製作委員会)

(ネタバレ注意)

二〇〇七年一月二日 立川シネマシティ

 原作(文庫)、旧作(DVD)に続きリメイク版新作をスクリーンで観る。細かい部分で若干の変更はあるが、ほぼ旧作通りの内容。ということは何の為にリメイクしたのか?。旧作同様豪華な配役だ。石坂浩二の金田一耕助はそれほどではないが、加藤武の署長はヨボヨボしており、呂律も回らず痛々しい。大滝秀治の神主は更にヨレヨレだが、役柄的に違和感がなく得をしている。
 違和感があったのは、珠代がさらわれるモーターボートが、どう考えても昭和二十二年の時代設定では無理がある、ヤマハのFRP製みたいな船体だったこと。逆に旧作では違和感のあった、何十年も肌身離さず持ち歩いていたようにボロボロだった佐清の「わが告白」が、書いたばかりの新しい紙と封筒になっていた。
 旧作のラストシーンは、見送りに照れた金田一がみんなを出し抜いて、一本前の列車に飛び乗るという印象的な演出だった。新作では田圃の中のアスファルト舗装の道を金田一が歩いていく。そして振り返って意味のわからない表情をする。旧作のままの方が良かったのではないかと思うのだが。
 松嶋菜々子の起用は批判も多いようだが、まあ悪くはなかったのではないか。それより旧作では坂口良子の絶妙の演技で存在感のあった旅館の女中役が、深田恭子の大根役者ぶりで台無しになったように感じる。
 まあ、予想通りというよりは、予想以上に旧作と同じである。つまり、老監督が自分が若い頃と変わらないことを誇示したいだけの作品のように感じる。そういう発想をすること自体がすでに耄碌なわけである。高齢化社会の励ましになる映画なのかも知れないが、わざわざ映画館で観るまでもないだろう。DVD化されたら、旧作新作を同時に借りて細かく観比べるのが面白いかも知れない。

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