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2007年9月30日 (日)

夏休み二〇〇七

 今年の夏休みは九月上旬に念願の小笠原に行くべく準備していた。会社に休暇取得を予告し、船、宿、レンタバイクまで予約を済ませていたが、まさに東京を発つ日に小笠原方面から台風が北上し、関東を直撃。乗せてもらう予定だった貨物船から便乗を断られて玉砕。時期をずらして小笠原に再チャレンジか迷ったが、結局目先を変えて唯一行ったことのない都道府県である沖縄に行くことにした。
 当然、乗り物好きの悪い血が騒いで、七泊八日という日程の内、沖縄滞在が一泊二十六時間、陸地二泊、船内五泊という、何をしに行くんだか解らない行程が出来上がった。

 初日、N七〇〇系が騒がれているが、敢えて五〇〇系のぞみで新大阪へ。大阪港の海遊館でジンベエザメを見物。キャプテンラインの遊覧船を乗り継いで大阪南港へ渡り、関西汽船の「さんふらわあこがね」別府行きに乗船。

 二日目、別府着。バスで大分空港へ。飛行機には乗らず大分ホーバーフェリーで大分へ。九州新幹線への乗り継ぎは博多を回った方が早いのだが、敢えて豊肥本線の普通列車と九州横断特急、リレーつばめを乗り継いで九州新幹線「つばめ」初乗車。これでJR完乗のタイトルを奪還。鹿児島市電と鹿児島交通バスを乗り継いで谷山港へ向かい、新屋敷商事の「はいびすかす」屋久島行きに乗船。

 三日目、屋久島着。すぐに上屋久町営「フェリー太陽」に乗り換え口之永良部島へ渡り、とんぼ返りで屋久島。折田汽船の「フェリー屋久島2」に乗り換え鹿児島へ。鹿児島では市営フェリーに乗って桜島往復後、市電に全線乗る。再び鹿児島港から十島村営「フェリーとしま」名瀬行きに乗船。

 四日目、吐喇列島の口之島、中之島、平島、諏訪之瀬島、悪石島、小宝島、宝島に寄港して夕方奄美大島の名瀬着。奄美観光ハブセンターを見学し、名瀬泊。

 五日目、名瀬滞在十四時間でマルエーフェリーの「フェリーなみのうえ」に乗船。徳之島、沖永良部島、与論島に寄港し夕方那覇着。那覇泊。

 六日目、ゆいレール全線に乗り、首里城、おきなわワールド(ハブ博物公園、玉泉洞、琉球王国村)観光。夜マルエーフェリーの「ありあけ」東京行きに乗船。

 七日目、全日船上。

 八日目、夕方東京着。

 だらだらと羅列したが、正直なところこのような強行軍は、計画段階は楽しいけど実踏段階は難行苦行になる。更に、知らない土地でじっとしていることが出来ない性格のため、鹿児島の二晩目と那覇の二日目は真夏並みの暑さの中歩き回ってヨレヨレ。最後の船に乗って以降は朝から酒浸りという、最悪の状態。けれど不思議なもので、東京港に入り有明埠頭が見えると、もう二三日乗っていたい気がする。それが旅の醍醐味なのだと思う。
 今回改めて感じたこと。私は乗り物に乗るのと、動物や魚を観るの(怖いもの見たさも含め)が本当に好きなんだなあ。

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2007年9月21日 (金)

東京ニューシティ管第五十二回定期演奏会

二〇〇七年九月二十一日(金)東京芸術劇場

指揮/曽我大介

カリンニコフ/交響曲第一番ト短調
カリンニコフ/交響曲第二番イ長調

 カリンニコフという作曲家の存在を知ったのは一九九三年二月三日のN響第一一九二回定期公演。たまたまクルマで移動中にカーラジオで聴いたFM生中継だった。今でも語りぐさになっている、N響も客席も珍しいくらい興奮気味の演奏であった。その後同級生のSとYが当日客席で聴いていたと知って、実に悔しい思いをした。
 その後、すっかりこの夭折の作曲家にハマり、CDはほぼ全て持っている(作品数が少ないから簡単に集まった)。二曲の交響曲は構成や管絃楽法に若干若書きの感は否めないが、旋律の美しさが素晴らしい。どんなに緻密な構成と完璧な管絃楽法で書かれていても、旋律に魅力がなければ音楽としての魅力はないから、この二曲は魅力的な曲と言って差し支えないだろう。
 一番の方は近年演奏機会も多く、アマチュア・オーケストラでもちょくちょく取り上げられたりしているが、二番の方は演奏頻度は低い。更に二曲を一晩で聴ける機会は滅多にないので、暫く演奏会から足が遠のいていたにもかかわらず、迷わずチケットを購入した。

 東京ニューシティ管を聴くのは初めてだ。音楽監督(創立者?)の内藤彰がやっている、ナントカ新版スコアによる本邦(世界)初演というのに全く興味がない。ナントカ版を従来版と比較して楽しむなら、遠慮無くスコアが見られて、気になったらちょっと戻って聴き直せるCDで聴く方が断然面白いだろう。実演で一回しか聴けない演奏が何版だろうが興味はなく、ただ感動する演奏を願うばかりだ。
 指揮の曽我大介は、ルーマニアのオーケストラでネタおろしは済ませてきたらしいが、よくスコアを読み込んだ好演だったと思う。別段珍奇なことは試みていないが、全般的にクドめの音楽を、メリハリをはっきり付けることで飽きさせないようにしていた。例えば終楽章で無闇にテンポを煽れば、取り敢えず盛り上げることは可能だろう。しかし、そのような姑息な手段は使わずに、まずは曲を聴かせようとする姿勢に好感が持てた。曽我が今後この二曲を定番のレパートリーにした時、もっと思い切った解釈が聴けることを期待したい。
 オーケストラは健闘していた。特にコーラングレとクラリネットのソロは好演。オーボエが下手で美しい旋律を棒吹きにして台無し。ホルンが一番の肝心なところでコケたのはまあご愛敬だろう。絃は十二形でトランペットとホルンにアシスタントが一名づつ付いていたが、それでも金管はやや非力に感じた。

 田舎出の才能に恵まれ健康に恵まれなかった青年が、二曲の交響曲を遺して夭折したというカリンニコフの生涯。二番のファンファーレの鳴り響く最後を聴くと、彼はもっと生きたかったんだろうと思えて涙を禁じ得ない。いつの間にかカリンニコフよりも、モーツァルトよりも長生きしてしまった自分を省みると、生きたい理由が何もないことに愕然とする。

 教科書に載るほど完成度が高いとは言えないが、旋律がこの上なく美しく、もっと人口に膾炙してよい曲だと思う。聴き比べの選択肢を増やすためにも、今回の演奏をCD化して欲しいと願っている。

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2007年9月13日 (木)

立川駅一番線

 工事中の立川駅に番線変更のお知らせが掲示されていた。九月三〇日の西側改札供用開始を期に、現在の二番線から始まる番線番号を一番線からに変更するというのだ。

 立川駅から一番線が消えたのは、二十五年前の橋上駅化の時 である。改良前の立川駅は京都駅と似た形で、北口寄りの西側に青梅線の行き止まり線があり、それを挟む形で一番線と二番線があった。三番線は青梅線と朝ラッシュの中央線上り、四番五番が中央線(二面四線になったのがいつだったか覚えていない)、六番線は使ってなくて七番線が南武線だったと思う。 各ホームは地下通路で結ばれていたが、通路の幅が南口側が狭くなっていたと思う。
 一番線は降車専用ホームだったので、青梅線乗り場は二番三番線というのが定着していた。そこで、一番線が無くなったときにその他の番線を繰り上げず、二番線から始まるようにしたのだろう。

 新宿駅の番線もころころ変わったが、別段混乱はしていない。番号で呼ぶよりも中央線下りホームとか、山手線内回りホームなどと呼ぶことが多いからだ。立川駅の番線が一つづつ繰り上げになったところで、不便にも便利にもならないだろう。ただ何となく、立川駅には一番線が無いというどうでもいい知識が消えることが、少し寂しいような気がする。

 私が女だったら一度やってみたかったことがある。気の進まない男からデートに誘われたら「日曜日朝十時に、立川駅一番線ホームで待ち合わせ」と約束するのだ。相手は待ち合わせ場所を探すが・・・。携帯電話が無かった時代にしか通用しないオハナシです。Photo

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2007年9月 6日 (木)

萩野貞樹「旧かなづかひで書く日本語」(幻冬舎新書二〇〇七)

 子供の頃に身につけておけばよかったと思うことが三つある。「ピアノ」「そろばん」「旧仮名遣い」である。
 小学生の時、江戸川乱歩の処女作「二銭銅貨」を読んで、暗号の種明かしの部分で「ゴジヤウダン」(ご冗談)と説明されて、「説明になっていない」と腹立たしく感じた。それが旧仮名遣いだと知らなかったからだ。
 その後、中学生頃から小遣いの節約のため読書は文庫の古本が多く、旧仮名も旧漢字も意識することなく読むようになった。しかし書くことは難しく、旧仮名遣い風の文章をでっち上げる事は出来ても、正しい旧仮名遣いは出来ないのである。

 この本は、旧仮名遣いの要点が比較的簡潔にまとめられている。勿論、一読すればたちどころに旧仮名遣いがスラスラと遣えるようになるわけではないが、旧仮名遣いを知るためには格好だ。
 そして、旧仮名、旧漢字を知るほど新仮名、新漢字のダメさ加減に腹が立ってくる。

 日本が戦争に負けた時、軍国主義を放棄したのは良かったのだが、独自の文化まで一緒にかなぐり捨ててしまったのは大失敗だ。充分な議論もせずに、全く法則性のない漢字の省略と、意味のない仮名遣いの変更。中途半端に改変したことによって矛盾だらけになってしまった。「欧米は二十六文字のアルファベットだけで言葉を表現している。だから日本語もひらがなだけ、いずれはローマ字だけに」などという冗談が、まともな意見として通用してしまったのは、やはり敗戦という精神的打撃による開き直りだったのだろうかと思う。
 当用漢字だけしんにゅうの点を一つ減らしたりする事に何の意味があるのか。
 「大宮の近江屋で青海さんと大海さんが」は旧仮名だと「おほみやのあふみやであをみさんとおほみさんが」(たぶん)と字が類推できるが、音は「おーみやのおーみやでおーみさんとおーみさんが」である。新仮名では「おおみやのおうみやでおうみさんとおおみさんが」となり、まことに中途半端だ。

 こんな中途半端な漢字仮名遣いは全廃して、全て本来の旧仮名旧漢字に戻すべきだと思う。しかし、昭和三十年代ならともかく時間が経ちすぎてしまった。既に小学校の教師で、旧仮名遣いが出来る人は限りなくゼロに近いだろう。私のように新仮名新漢字廃止論者でも旧仮名旧漢字は使いこなせないのだ。興味がない人にとっては「何それ?」というレヴェルの話だろう。
 勿論、言葉というものは時代とともに変化していくものだから、伝統的なものが全て正しいとは思わない。かく言う私だって、日常会話の日本語は酷いものだと思う。しかし、文字が出来た時代は別として、話し言葉と文章は別の世界だと思う。だから文章を書くときは一応気を遣っているつもりだ。ブログの文章だって自分の分身という自覚で書いているから、「もっそい」「めっさ」「ぶっちゃけ」など崩れた話し言葉をそのまま文字に綴るようなみっともない真似をしないよう心がけている。

 黒岩涙香の本を読んだときにも書いたが、せめて文学作品に関してだけは作者が書いたままの文章を読ませて貰えないだろうか。夏目漱石や谷崎潤一郎の文章を出版社が新仮名新漢字に変え、更には勝手に漢字をひらいたりしているのは、作品の改竄に他ならないと思う。
 旧仮名旧漢字じゃ難しくて読めないだろうと言う人がいるかも知れないが、そんなことはない。我々は日常的に常用漢字以外の漢字や旧漢字に接し、言文一致ではない新仮名遣いをほぼ正しく駆使しているのだ。慣れてしまえばどうってことないはずだ。

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