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2007年9月21日 (金)

東京ニューシティ管第五十二回定期演奏会

二〇〇七年九月二十一日(金)東京芸術劇場

指揮/曽我大介

カリンニコフ/交響曲第一番ト短調
カリンニコフ/交響曲第二番イ長調

 カリンニコフという作曲家の存在を知ったのは一九九三年二月三日のN響第一一九二回定期公演。たまたまクルマで移動中にカーラジオで聴いたFM生中継だった。今でも語りぐさになっている、N響も客席も珍しいくらい興奮気味の演奏であった。その後同級生のSとYが当日客席で聴いていたと知って、実に悔しい思いをした。
 その後、すっかりこの夭折の作曲家にハマり、CDはほぼ全て持っている(作品数が少ないから簡単に集まった)。二曲の交響曲は構成や管絃楽法に若干若書きの感は否めないが、旋律の美しさが素晴らしい。どんなに緻密な構成と完璧な管絃楽法で書かれていても、旋律に魅力がなければ音楽としての魅力はないから、この二曲は魅力的な曲と言って差し支えないだろう。
 一番の方は近年演奏機会も多く、アマチュア・オーケストラでもちょくちょく取り上げられたりしているが、二番の方は演奏頻度は低い。更に二曲を一晩で聴ける機会は滅多にないので、暫く演奏会から足が遠のいていたにもかかわらず、迷わずチケットを購入した。

 東京ニューシティ管を聴くのは初めてだ。音楽監督(創立者?)の内藤彰がやっている、ナントカ新版スコアによる本邦(世界)初演というのに全く興味がない。ナントカ版を従来版と比較して楽しむなら、遠慮無くスコアが見られて、気になったらちょっと戻って聴き直せるCDで聴く方が断然面白いだろう。実演で一回しか聴けない演奏が何版だろうが興味はなく、ただ感動する演奏を願うばかりだ。
 指揮の曽我大介は、ルーマニアのオーケストラでネタおろしは済ませてきたらしいが、よくスコアを読み込んだ好演だったと思う。別段珍奇なことは試みていないが、全般的にクドめの音楽を、メリハリをはっきり付けることで飽きさせないようにしていた。例えば終楽章で無闇にテンポを煽れば、取り敢えず盛り上げることは可能だろう。しかし、そのような姑息な手段は使わずに、まずは曲を聴かせようとする姿勢に好感が持てた。曽我が今後この二曲を定番のレパートリーにした時、もっと思い切った解釈が聴けることを期待したい。
 オーケストラは健闘していた。特にコーラングレとクラリネットのソロは好演。オーボエが下手で美しい旋律を棒吹きにして台無し。ホルンが一番の肝心なところでコケたのはまあご愛敬だろう。絃は十二形でトランペットとホルンにアシスタントが一名づつ付いていたが、それでも金管はやや非力に感じた。

 田舎出の才能に恵まれ健康に恵まれなかった青年が、二曲の交響曲を遺して夭折したというカリンニコフの生涯。二番のファンファーレの鳴り響く最後を聴くと、彼はもっと生きたかったんだろうと思えて涙を禁じ得ない。いつの間にかカリンニコフよりも、モーツァルトよりも長生きしてしまった自分を省みると、生きたい理由が何もないことに愕然とする。

 教科書に載るほど完成度が高いとは言えないが、旋律がこの上なく美しく、もっと人口に膾炙してよい曲だと思う。聴き比べの選択肢を増やすためにも、今回の演奏をCD化して欲しいと願っている。

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