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2007年12月26日 (水)

怖くて聴けないCD

マーラー:交響曲第九番ニ長調
管絃楽/イスラエル・フィルハーモニー管絃楽団
指揮/レナード・バーンスタイン
一九八五年九月三日大阪フェスティバルホール
LANNE HISTORICAL COLLECTION/LHC-7002

 俗に裏青と呼ばれる海賊盤。先日2ちゃんねるの書き込みで存在を知り、ネット通販で入手。もう四回ほど冒頭部分を再生したのだが、一分も聴くと再生をやめてしまった。聴くのが怖いのである。

 この録音の五日後にあたる九月八日。当時中学三年生だった私はNHKホールの客席で、同じ演奏者の同じ曲を聴いた。今でも語りぐさとなっているその演奏は、冒頭から尋常でなく、最後の音が消えてから気の遠くなるような沈黙の中、呼吸が出来なくなって気が狂うのではないかと思った。当時、まだまだ音楽経験は浅く、マーラーの交響曲の中では難しい第九番よりは旋律が馴染みやすい「巨人」の方が好きだったように記憶している。しかし、バーンスタインの演奏はどこがどう優れているとかのレヴェルではなく、最初から最後まで圧倒されっぱなしの演奏で、間違いなく私はあの日、大人の階段を一段昇ったと思っている。そして今でも音楽談義になると、「オレはあのバーンスタイン/イスラエル・フィルのマラ九を生で聴いてるからね」と自慢する出来事なのだ。
 当日のNHKホールにはマイクが吊ってなかったので、正規の録音は残されていない。しかし、そのものズバリではないが、限りなくそれに近い録音が日の目を見たのだから、一も二もなく聴いてみたい。しかし、実際手に入れると聴けないのだ。何しろ二十年以上前の記憶だ。思春期に感動したのに、オッサンになるとつまらない小説や映画も結構ある。思い出として美化してしまっているのではないかと心配になるのだ。さらに、生演奏の感動は、後で録音を聴くとさほどでない場合も多い。山田一雄/新交響楽団によるマーラーの交響曲第八番、小林研一郎/日本フィルのチャイコフスキーの交響曲第四番など、もの凄い演奏だったのに、録音がそれを伝えていない例も多い。

 せっかく入手したCDなので、同窓会に参加するような気持ちで、暮れ正月の間に聴いてみようとは思っている。もし、期待通りかそれ以上ならここに感想を書こうと思うが、なにぶん膝上録音の海賊版という音響的に不備なものなので、恐らくスルーだと思う。

 ちなみに、私が生で聴いた演奏(会ではなく曲単位で)のベスト五は、バーンスタイン以外は以下の四曲。

ベートーヴェン:交響曲第五番ハ短調
管絃楽/新交響楽団
指揮/山田一雄
一九八六年九月二十三日新宿文化センター

ベルリオーズ:幻想交響曲
管絃楽/ハンガリー国立交響楽団
指揮/小林研一郎
一九九五年十二月三日昭島市民会館

チャイコフスキー:交響曲第五番ホ短調
管絃楽/神奈川フィルハーモニー管弦楽団
指揮/小林研一郎
一九九六年十二月六日神奈川県立音楽堂

ハイラー:舞踏トッカータ
オルガン/新山恵理
一九九七年四月二十九日サントリーホール

 いずれもCD化されたら飛びついて買うだろうが、やはり聴くまでには相当の時間と覚悟が必要な気がする。

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