« 怖くて聴けないCD | トップページ | ゲッツ板谷「ワルボロ」(幻冬舎文庫二〇〇七) »

2008年1月10日 (木)

佐野之彦「N響80年全記録」(文藝春秋二〇〇七)

 N響の歴史を一冊にまとめるのだから、相当な駆け足になることは予想できる。ただ、本書は公式なN響史ではなく読み物だから、面白そうなエピソードのつまみ食いになっていて、一気に読み飛ばすことが可能である。

 N響に対する思いは複雑だ。子供の頃、オーケストラ番組といえば「N響アワー」と「音楽の広場」「題名のない音楽会」だった。「題名のない音楽会」は司会の黛俊郎をはじめとする番組全体の雰囲気が嫌いだった。「音楽の広場」は芥川也寸志が楽しそうに東フィルを指揮する様子が好きだったが、いかにも素人向けという気がした。そこでもっぱら「N響アワー」を観て、この「日本一のオーケストラ」の首席奏者の顔ぶれは大体覚えるくらい好意的になっていった。
 しかし、初めてN響を生で聴いて印象がひっくり返る。定期公演ではなく、都民芸術フェスティバルだったのも不運だった。前から四列目くらいの下手側に座っていた僕とM君を、椅子に浅く腰掛けてだらしない格好の第一ヴァイオリンの四プルト目のオッサンが、指揮者も見ずに弾きながら「ガキが来てるなあ」という感じに客席をジロジロ見ていたのだ。更に演奏が終わると、楽員の方を向いているときはニコニコしているのに、客席を向くと仏頂面になる指揮者(T山U三)にも反感を持った。子供の目にも明らかにやっつけ仕事をしているのが明らかで、「N響なんて二度と聴くもんか」と思った。
 もちろん、東京在住のオーケストラ好きがN響を無視して音楽を堪能するのは無理で、その後何度もN響を聴きに行った。好演にも当たったが、期待外れの方が多かった気がする。

 そんなN響の歴史だが、やはり圧巻は戦中戦後の日響時代と一九六〇年の世界楽旅だろう。世界楽旅の話は岩城宏之に詳しく書いて欲しかったのだが、残念ながら亡くなってしまった。戦中戦後のことも既に証人が少なくなっているから、早く書かないと間に合わないと思う。
 最も印象的なエピソードは、やはり山田和男の「春の祭典」初演。晩年の指揮姿を見て「この棒でハルサイの初演をするのは余程練習をしなければ無理だろう」と思っていたが、実際には過密スケジュールの練習不足でグズグズだったと知り、妙に納得してしまった。私もサントリーホールのP席から、どこをやってるのか判らなくなっているヤマカズさんの姿(石井真木「祇王」)を目の当たりにしている。その時の姿を彷彿とするようなエピソードで、読んでいてニヤリとしてしまった。もっともヤマカズさんも楽員も必死だったのだから笑っては失礼かも知れないが。

|

« 怖くて聴けないCD | トップページ | ゲッツ板谷「ワルボロ」(幻冬舎文庫二〇〇七) »