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2008年2月 9日 (土)

立川志の輔「歓喜の歌二〇〇七」

 オフィスほたるいかDVD
 二〇〇七年一月十三日 パルコ劇場で収録

 落語は寄席で聞くのを基本にしてきたので、志の輔の高座を生で観たことはない。器用な司会者としての露出が目立つが、たまにテレビで観る高座は本当に面白い。
 この「歓喜の歌」も、本当によくできた新作落語で、舞台設定の意外さから、展開の早さ、省略の妙、五十分ほどの長講だが、一切ダレることはない。最後の最後に大がかりな仕掛けがあるのが蛇足だとは思うが、本人がやりたいのだから仕方ないと思う。本人の解説には「私なりの”餃子”」と書いているが、DVDで観ていても居心地が悪いのだから、客席で観ていたら恥ずかしくて退席したくなりそうだ。

 それだけだったらいちいちブログに書くつもりはなかったのだが、文句があるから書く。このDVD映像は、何台のカメラを使って収録したのか知らないが、実にコロコロとアングルが変わるのだ。登場人物の台詞の切り替わり毎は当たり前。下手すると台詞の一フレーズ毎にアングルが変わる。それも、顔面(眉から口まで)や手元などの大接写、真上からのアングルなど、編集者の趣味としか思えない構図が次々と切り替えられていくのだ。
 志の輔本人が認めているのだろうから仕方がないが、悪趣味の極みだと思う。私はこれからこのDVDの音声だけをCDに録音して聴こうと思うが、邪魔な映像は二度と見ないと思う。
 落語の本質は、受け止める側(客)の想像力を如何にかき立てるかにあると思う。このDVDでは一鑑賞者(DVD制作者)の視線で、自分が気になった表情や所作にいちいちズームアップするのだ。更には真上からの構図なんて、噺家が客席に向かって表現しているものを真上から観て何の意味があるのか。相撲中継では面白いかも知れないが、余計なお世話以外の何者でもない。

 ラジオ時代にあれほど重要な素材だった落語が、テレビ時代になって低迷した。NHKが軽めの演芸番組で用いる「ドッと受けた瞬間の客席を映す」手法など、制作者の「ここで笑え」というメッセージが伝わってきて煩わしい。同じNHKでも、東京落語会の録画を中心とした「日本の話芸」やTBSの落語研究会のような、余計なカメラワークを使わず、記録として収録に重きを置いた映像の方が、落語自体を楽しむのに適している。

 せっかく志の輔らくごの世界に入り込みたいのに、ズームアップすると公民館の職員が着物を着ていることや、電話の受話器が扇子であることを確認させられてしまう。勿体ないと思う。

 わざわざこのDVDを買ってきたのは、勿論この落語が原作になっている映画を観に行こうかと思っているからである。

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