« 2008年2月 | トップページ | 2008年4月 »

2008年3月30日 (日)

「ワルボロ」(二〇〇七)

 東映DVD

 原作はここにも感想を書いたが大変面白く読んだ。映画は期待していなかったのだが、地元のレンタルビデオ屋にDVDがあったので、やっぱり借りて観ることになった。

 観た感想。う~ん、どうでもいいや。どこで撮影したのか知らないけど、原作の地元民としては、知らない場所でロケするなら地名も架空にしてほしかった。そんなことより何より、私は不良少年とか不良大人とかが生理的に嫌いだし、演技とはいいつつ殴り合いの喧嘩を観て、愉快な気分になれないんだよね。プロレスは大好きだし、いわゆる格闘技も好きだ。なぜなら見せるためにやってるから。映画だとリアルに演技されるほど(というほどの演技はしていないが)、不愉快になっちゃう。東映のヤクザ映画を観て、鶴田浩二や高倉健にシビレるってタイプの方々とは感覚が違うんだと思う。
 もう一つは、中学生の抗争なのに役者が大人過ぎる。煙草吸う場面とかがあるから未成年の役者使えないのだろうけど、どう見てもチンピラヤクザの出入りにしか見えない。
 更に、原作では印象的だった、最後の対決に朝鮮中が加わる場面のカットも痛い。私が監督だったら、去っていく錦組を負けた二中の下っ端どもが数にものを言わせて追いかけようとしたとき、颯爽と朝鮮中の大部隊が現れて阻止するという大団円にしたかった。でないとどう考えても二中の下っ端たちが間抜けすぎちゃうでしょ。

 保母さんの役で西原理恵子が二秒くらい出ていたが、どうせならゲッツ板谷が中村トオルの代わりにヤクザのおじさんの役で出ればよかったのに。まあ、大事な役だから無理とは思うが。

|

伊集院光「日曜日の秘密基地」(TBSラジオ一九九八~二〇〇八)

 十年前に「日曜大将軍」として始まった番組。途中二〇〇〇年十月から「日曜日の秘密基地」とタイトルが変わった。
 私は小学生時代からラジオが好きで、ラジオに初めてハガキを送ったのは小学四年の時(春風亭小朝の「夜はともだち」だった)。基本的に家にいるとき、クルマで移動中、電車で移動中は大体ラジオ(またはラジオ番組の録音)を聴いている。高校~浪人の頃は一時FMを聴き、90年代後半は大学の同級生がニッポン放送のアナウンサーになった(川野良子アナ、現フジテレビ)ため、午後だけニッポン放送を聴いていたが、ずっとTBSばかり聴いていた。

 十年前にこの番組が始まったときは、それまで印象の薄かった日曜のTBSが一気に面白くなった気がした。深夜放送は聴いてなかったので、テレビのピクニックフェイスとは違う伊集院光にもの凄い親近感を覚え、すっかり日曜日が楽しみになってしまった。
 長く不規則勤務の仕事をしていたが、二年前に月~金の勤務に変わったとき、悲しいのは大沢悠里と毒蝮三太夫が聴けなくなること、嬉しいのは伊集院光が毎週聴けることだった。
 今は「深夜の馬鹿力」も聴いているが、堅気の仕事をしているのでこちらは録音でしか聴けない。伊集院光は常々「ラジオは生で聴いてほしい」と発言しており、ポッドキャストにも積極的でないようだ。私もその意見には賛成なので、土日のどちらでもいい用事は、必ず土曜日に入れる習慣がついてしまった。更に日曜日の午前中に安住紳一郎の「日曜天国」が始まってからは、「日曜日はラジオの日」という習慣が定着してしまった。

 それなのに、「日曜日の秘密基地」が今日の放送をもって終了してしまった。日曜日の楽しみが一つなくなってしまい、本当に残念だ。来週から日曜日をどう過ごしたらいいのか戸惑っている自分がいる。もっとも、私は伊集院光が好きでラジオを聴き始めたわけではなく、ラジオが好きだったので伊集院光が好きになったのだ。だから来週もラジオを聴くだろうし、後任の爆笑問題も深夜の「爆笑問題カーボーイ」を毎週聴いているから、昼はどんな番組を作るのか、楽しみにはしている。
 幸いにも伊集院光はラジオから撤退するということではなく、ラジオは深夜一本に絞って集中したいと発言している。「深夜の馬鹿力」がより悪ふざけしてくれることを期待しつつ、何時の日か伊集院光が昼のラジオに戻ってきてくれる日が来ることを願っている。
 勝手な妄想だが、大沢悠里御大と蝮師匠が勇退するときに、「伊集院光のいじゅいじゅワイド」&「桐畑トールのミュージックプレゼント」なんていいんじゃないかと思う。その時はもう深夜の「黒伊集院」は聴けなくなるのだろうが・・・。

 十年間本当に日曜日を楽しませてもらいました。伊集院さん他出演者の皆さん、スタッフの皆さんに感謝します。そして、夜の黒伊集院がもっともっと悪ふざけしてくれることを期待します。

|

2008年3月24日 (月)

川柳川柳 喜寿の会

二〇〇八年三月二十三日(日) なかの芸能小劇場

「 演題不明 」川 柳 つくし
「 新聞記事 」鈴々舎 わか馬
「昭和音曲噺」川 柳 川 柳
   (中入り)
「日米名曲撰」絃 楽 ト リ オ

 花粉症がひどくて、呑気に落語を聴いている気分ではないのだが、川柳師の独演会だから何としても足を運ぶ。
 開口一番はつくし。本当は歌いたい病の老人なのに「噺家」を偽装していたことが発覚し、寄席から干される川柳。おかみさんは心機一転で古典の稽古をさせるため、楽太郎を訪れるが、楽太郎が昔瀬古俊彦を偽装していたことを知って方針転換。福田首相を川柳の替え玉に仕立てる。福田の川柳は筋が良く、古典落語がめきめき上達し、三年目には遂に円生を襲名する。一方総理になった川柳の福田も、日銀総裁に羽賀研二を据えるなどのハチャメチャな人事があたり、名宰相と呼ばれる。川柳出世の一席。記者会見で偽装を指摘されるところが面白かったが、やや竜頭蛇尾の感あり。後半もうひと練り欲しいところ。
 わか馬の高座は可もなく不可もない。ギターが弾けて、コーラスができるので呼ばれているわけだから仕方がないだろう。本人も心得ているようで、変な工夫をするわけでなく、あっさりまとめていた。
 中入り前の「昭和音曲噺」はどんなことをやるのかと思っていたら、高座に上がるなり「ガーコンです」と内容を暴露。カセットとCDの宣伝をやってから、たっぷり一時間近い「大ガーコン」。何十回も聴いているけど、何十回聴いても楽しい。近頃は聴きながら、「あ~師匠、敵の歌だっての抜かしちゃったよ」などと思っている。恐らくこの独演会に足を運んでいる多くの客が、同じような気持ちで聴いているのだろう。

 中入り後はます短いスライド上映、川柳師の幼少から現在までの写真を映写して一旦緞帳が下りる。
 再び緞帳が上がると、絃楽トリオ。つくしのウクレレ、川柳とわか馬がギターとヴォーカル。日米の名曲を次々と歌う。相変わらずの美声である。多少とちったりするところもご愛敬で、歌いっぱなしの四十分だった。始まってすぐ見知らぬオッサン(文左衛門?)が加わり、コップや茶碗を叩いていたが、全く場違い。リズム感のかけらもなく、自分が目立ちたくて仕方がない空気ばかり感じる。今日は川柳の会なんだから、川柳の邪魔をしてどうする気だ。
 最後はお馴染みの「ラ・マラゲーニャ」。いいんです楽しければ。「今流行のよろめき現象」だろうが、「ネチョリンコンの真っ最中」だろうが。それにしても、常連客ばかりのはずなのに、一回目に声を延ばすところで拍手をする間抜けがいるのはどういう事か。そこを黙ってやり過ごさなかったら、二回目で拍手を促して「ボンヤリしてちゃだめ~」のギャグが生きないじゃないか。

 「自分の会はこれが最後」と川柳師は言っていたが、そんなこと言わずにやって欲しい。「ガーコン」と歌以外はスケを頼んだっていい。後の噺家がみんな真似するくらいヨレヨレになっても高座に上がり、彦六師を越えて欲しいと思っている。

|

2008年3月16日 (日)

携帯電話の充電器

 充電器兼用の携帯電話用卓上ホルダーの接触が悪くなり、携帯を置いても充電されていないことが多くなった。
 取り敢えずお約束で、接点部分をHBの鉛筆で磨いて(塗って?)みたのだが、通電ランプが点くか点かないかしか判断基準がないので、今ひとつはっきりしない。そこで、充電器の方をちょっと改造してみることにした。
 改造と言っても大それた事ではない。たまたま手元に以前に買った小型の電流計があったので、充電器のコード部分に取り付けてみたのだ。使った道具はハサミと熱収縮チューブとライター。作業時間五分ほどで完了。仮付け程度の出来であるが、持ち歩くわけではないから構わない。
 早速携帯電話に繋いでみる。
 最初は〇、四アンペアくらい。暫くすると〇、二アンペアくらいに下がり、画面に「FULL」の表示が出ると〇、〇一アンペア。携帯側で制御しているのだと思うが、見事に急速充電~通常充電~トリクル充電を切り替えている。一昔前の無線機などの電池は、この制御が出来ないために充電しっぱなしにすると過充電になって、すぐに電池がダメになってしまったものだ。実は今回使った電流計も、十年近く前に通常充電とトリクル充電を切り替えられる、無線機用の充電器を自作したときに買ったものだ。
 ちなみに私の乗っているクルマのダッシュボードには太陽電池パネルが付いており、バッテリーの補充電に供しているが、ここにも自作で同じような電流計が取り付けてある。太陽電池パネルの定格には最大一五〇ミリワットと書いてあったので、最大一五〇ミリワットの電流計を付けているが、真夏のカンカン照りでも、五〇ミリワット程度しか出ていないようだ。

 電気や電波は目には見えないものだが、素人にとってはそれらを視覚的に感じられる計測器類というのは面白い。本当の希望は、計器なしで電波が見えるようになることなのだが。

Ampmeter

|

2008年3月15日 (土)

さよなら一八三系

 三月十五日はJRグループのダイヤ改正が行われる。一般の人にとっては東海道新幹線がより便利になる程度の変化しかないのだろうが、「鉄」にとっては馴染みの列車が消えていく悲しいダイヤ改正である。
 一番の話題は急行「銀河」の廃止だろう。同時に特急「なは」も廃止されるが、こちらは既に運転区間も短縮されていたので寝台特急縮小の流れの中で当然という感じだ。しかし、「銀河」だけは東京~大阪間の新幹線を補完するダイヤなので廃止はないだろうと思っていた。ニュースでも取り上げられて、三月十四日の東京駅のホームには二千人もの「鉄」が集まったらしい。
 同じ日に私は別の列車に乗るために東京駅に向かった。21時30分発の「中央ライナー九号」である。なぜこの列車に乗りたかったかというと、あまり話題になってはいないが中央線で最後の一八三系電車の定期運用となるからだ。一八三系電車とは国鉄時代に製造された特急用車両で、国鉄末期からJR初期にかけての特急の顔であった電車である。
 中央本線の特急「あずさ」への投入は一九七三年で、当時「チビ鉄」だった私は、ボンネット型の一八一系電車を「高鼻」、平たい顔の一八三系を「低鼻」と命名していた。ちなみに、狩人が「あずさ二号」を歌って大ヒットしたのが一九七七年なので、「あずさ二号=一八三系」なのである。
 その後車内の床を高くして、座席を高級化する改造や、塗色の変更があったりした。さらに長野新幹線開業のために特急「あさま」用の一八九系が一時混ざったりしつつ、二〇〇一年のダイヤ改正まで特急「あずさ」「かいじ」として走り続けた。
 特急運用が終わった後は、臨時列車の他に通勤ライナーとして運用され、ここ数年は塗色を国鉄時代のデザインに戻していた。いわば繁忙期にOBが定期的に助っ人に来るような運用だったのだが、このダイヤ改正で通勤ライナーからの運用も解かれ、完全な隠居の身になるのだ。

 午前中からネット予約で指定席を確保し東京駅に向かうと、中央線ホームは普通の金曜日の雑踏で、「鉄」の姿はない。私も勤め帰りの風体だから同化している。混雑で五分ほど遅れて発車すると、車内は全く日常の風景だ。新宿駅に「三脚組」が何人か見えたが、それ以外は全くいつも通り。立川駅でホームに降りて、感慨に浸っているのは私だけだったようだ。物好きなことである。

 古いものが消えていくのは淋しいが仕方のないことだ。しかし、全てを合理的思考で切り捨てることに一抹の不安を覚えるのは、すっかり自分が古い人間の範疇に収まっている自覚なのかも知れない。

|

« 2008年2月 | トップページ | 2008年4月 »