« 2008年3月 | トップページ | 2008年5月 »

2008年4月30日 (水)

東京都交響楽団第六六〇回定期演奏会

エリアフ・インバル プリンシパルコンダクター就任披露公演
二〇〇八年四月二八日 東京文化会館

マーラー/交響曲第八番変ホ長調「千人の交響曲」

澤畑恵美、大倉由紀枝、半田美和子(Sop.)、竹本節子、手嶋眞佐子(Msp.)
福井敬(Ten.)、河野克典(Bar.)、成田眞(Bas.)
晋友会合唱団(合唱指揮:清水敬一)
NHK東京児童合唱団(合唱指揮:加藤洋朗)

 インバルのお披露目公演で、いきなり千人を取り上げるとは、都響もなかなかやる。それもA定期とB定期の間にミューザ川崎での公演を挟み、三日間三会場三公演。舞台スタッフは死ぬ思いをしていることだろう。
 私は別にインバルのファンではないのだが、自称「マラ8マニア」なので、初日(東京文化会館)と二日目(ミューザ川崎)を聴く。ちなみにミューザ川崎でコンサートを聴くのは初めて。音の混沌が予想される三日目(サントリーホール)は避けてみた。

 東京文化会館の舞台はかなり広めだが、舞台後方の音響反射板が一間ほど後ろに下げられており、通常の合唱雛壇に追加するように仮設雛壇が設けられている。これだけ手間をかけて一公演しか使わないのは勿体ない気がする。オーケストラはハープが四台いる他は最少編成。客席バンダだけ二倍。合唱は児童合唱が百数十名、混声合唱が三百数十名くらいか。

 インバルの千人は、一九八六年録音のCDと大きな構成は変わらないが、レパートリーとしてこなれた分、全体にテンポが早くなっている。もっとゆったりして欲しい部分もあるが、全体の統一感を考えれば適切か。表情過多になりやすい(というよりマーラー自身がそれを狙って書いた)音楽だが、独唱パートも表情は抑え気味。ドラマティックな曲作りを期待すると肩すかしを食うが、全体的に引き締まった表現のため、曲自体の冗長さをうまく隠す効果があった。
 都響は好演。勿論生なので幾らかの綻びは見えたものの、よく鳴っていた。ここ一番で絃にもう少し艶が欲しい気がするが高望みだろうか。合唱も好演。晋友会は安心して聴けたし、大抵不満が残る児童合唱も、人数が多く不満はなかった。それにしても、合唱は全員が暗譜。暗譜が偉いわけではないが、よく練習しているということだろう。ソリストは女声陣が好演、四人のバランスも良く安心して聴ける。それに対し男声陣は不満。テノールの福井敬はいつになくガラガラ声で、全く声が伸びず苦しそう。フレーズの最後をブツ切りにして、何とか唄いきった感じだったが、体調が悪いのではないかと心配になる。三日目は持つのだろうか。バリトンとバスは音量不足。特にバスは誰が唄っても生では苦しい。威厳をもって唄おうとすればオーケストラにかき消され、音量を出そうとすれば吠えっぱなしみたいな歌唱にならざるを得ない(岡村喬生がいい例)。このバスをまともに聴かせられる日本人はなかなか現れない。

 インバルを迎えることが都響にとっていいのか悪いのかは微妙だと思う。インバルが振れば客は入るだろうし、私のようなマーラー好きにも有り難い。しかし、前任のデプリーストが三年で去り、インバルだって長くはないだろう。会社もオーケストラも余裕がないから、即動員増の人ばかり欲しがって、人を育てられなくなっているような気がする。

 川崎の終演後、エキストラで乗っていたNさんと久々に飲む。お互い深刻な問題が身の回りに多いのに、久しぶりに会ったら楽しくなっちゃって、主に猫の話題で盛り上がる。いいのか?。

|

2008年4月22日 (火)

黒崎高尾の断崖

 決算が一段落ついたので、貯まった代休を使って旅行に行くことにした。ここのところ、とにかく船に乗りたい衝動に駆られていたので、島に行くことにした。
 伊豆諸島の内未上陸の利島か御蔵島に行こうと検討するが、利島はこの時期夜行の客船が運休しているので却下。御蔵島へ向かう。
 土曜の夜、行きつけの飲み屋で作ってもらったおにぎり弁当をリュックに詰めて、竹芝桟橋から乗船。翌朝六時に御蔵島着。予約しておいた「しげを工房」のクルマに乗せられて宿に着く。一時間ほど寝てから、島内の探索を開始する。

 御蔵島は二〇〇四年から「エコツーリズム」を制定しており、ガイド無しで立ち入れる区域が限られている。私は無計画な一人旅だし、ガイドと二人で行動するのも気が進まない。だから、行ってみたかった御代ヶ池も御山へも行くことが出来ないのは残念だ。せめてもの救いは、黒崎高尾の断崖にはガイド無しで行けることだ。
 黒崎高尾の断崖は、八丈島から東京行きの船に乗ると見える、黒潮に削られた東洋一と言われる海蝕崖で、海から見上げるとその高さ(四八〇メートル)に圧倒される。あの上から海岸を見下ろしたら、さぞもの凄い眺めだろうと、高いところ好きの血が騒ぐ。

 宿を出て集落を離れ、村道を歩いていく。車道はコンクリートで舗装されている。途中でエビネ公園へ作業に行く島民のオッサンがクルマに乗せてくれて、色々島の話を聞く。エビネ公園から黒崎高尾までは数百メートルの山道で、すぐに到着する。大きな期待を胸に展望台から海岸線を見下ろしたのだが、ちっともすごくないし、感動もしないのだ。
 理由は二つある。高さ四八〇メートルという高さが、余りに高すぎて認識不能なこと。霧が出てきて、展望台の真下は見えるが、周辺の眺望が利かないこと。晴れて遠くが見渡せればいいのにと思いながら、展望台の上で弁当を食べた。
 その後エビネ公園を見学してから集落まで歩き、港で東京行きの着発を見学、その後タンテイロ巨樹の森を散策する。

 翌月曜日は生憎の雨模様だが、取り敢えず都道を南郷方面へ向かう。南郷までは辿り着けなくても、せめて川田橋まで行こうと思ったのだが、雨脚も強くなり、道ばたにある伊奈佐のシイを見て引き返す。集落に戻った頃には全身ずぶ濡れ。つくづく雨男な自分に呆れる。
 島唯一の食堂「やまや」で、ビールを飲み、東京行き「かめりあ丸」に乗船してからも、酒を飲む。船内の軽食コーナーで、前から気になっていた「マンゴーカレー」を注文してみる。出されたものは一瞬普通のカレーライスだが、確かにマンゴーの果肉(ドライフルーツだと思うが)が三切れほど入っている。これで普通のカレーより二〇〇円増とは納得がいかない。いつか誰かをそそのかして食べさせようと思う。

|

2008年4月11日 (金)

変電所火災で思い出した歌

 二〇〇八年四月一〇日木曜日、午前七時五〇分頃。私は税理士事務所に決算資料を持ち込むべく、立川駅のホームにいた。税理士事務所のある東京駅までは一時間弱。約束の十時よりは一時間ほど早く着いて、喫茶店でお茶を飲んで余裕の到着になる予定だった。しかし・・・。
 向かいのホームに停まっている電車がちっとも動かないなと訝しんでいると、駅の案内放送が「国分寺駅の変電所で火災が発生し、電気が足らないため電車を動かせません」と告げる。普段だったら喜んで電車が動くまで暇をつぶすところだが、今日はそうはいかない。資料は自分が預かっているから、自分が行かないと税理士も同僚も何も出来ないのだ。
 振り替え輸送で大混雑の南武線に乗車し分倍河原で下車。京王線に乗り換えたいが、ホーム上に人が溢れてちっとも進まない。ようやく京王線のホームに辿り着き各駅停車新宿行きに乗車。一つ目の府中で準特急に乗り換えるが殺人的な混雑で、多客混雑も重なってノロノロ運転。目の前のオヤジの後ろ頭に見覚えがあると思ったら、毎日立川から目黒まで一緒の電車の一緒の車両に乗っているオッサンだったので二度びっくり。
 十時近くなってやっと新宿に到着。税理士事務所と同僚に電話し状況を説明し、中央総武各駅停車に乗ろうとすると、ホーム上に人が溢れているため、入ってきた電車に傘が当たり、異音感知で数分抑止。秋葉原で京浜東北線に乗り換え、東京駅に着いたのが十時二十分頃。既に二十分の遅刻。
 昨日資料を預けたコインロッカーから取り出した資料を抱え、駅構内を税理士事務所へ向かって走る。その時何故か、走りながら自然に歌を唄っていた。曲は中島みゆきの「遍路」。息が切れているが、走っているのをいいことに結構大きな声で歌っていた。

もう幾つ目の 遠回り道 行き止まり道
手にさげた鈴の音は
帰ろうと言う 急ごうと言う
うなずく私は 帰り道も とうになくしたのを知っている

 全く急ぐ局面に相応しい歌ではないのに、何でいきなり歌い始めたのか、その時は気にしなかったが、後で冷静になると気になってくる。

 よくよく思い返してみたら判明しました。東京駅の電光掲示で京浜東北線の「磯子」行きを見た瞬間に、「帰ろうと言う 急ごうと言う」の歌詞を連想したようです。つまり私は、血相変えて駆けだしながら「帰ろうと言う、磯子と言う」と唄っていたわけですな。

|

« 2008年3月 | トップページ | 2008年5月 »