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2008年8月29日 (金)

清水義範「イマジン」(集英社文庫二〇〇八)

 初出は「週刊プレイボーイ」二〇〇三~二〇〇四年

 ひょんな事から二十三年前にタイムスリップした青年が、若き日の父親と一緒にジョン・レノンの暗殺を防ぐべく立ち上がる。こんな紹介文をちらりと読んで、「あ、また逢う日までだな」と思って読み始めた。
 私はそもそもSF小説に全く興味がないのだが、清水義範作品については読んでいる。なので、他の作家が書いたタイムトラベル小説と比較することは出来ない。
 清水義範は他にも沢山タイムトラベル小説を書いているが、どれも外れなく面白いと思う。本作も、一九八〇年と二〇〇三年という、自分にとって身近な年代が舞台となっているので、共感しながら読むことが出来た。
 今思えば、八〇年代というのは、不思議な時代だったと思う。私の十代と重なるのだが、自分が子供から大人になっていった十年間で、日本の文化も成熟したように感じる。高度成長が終わって、どうしていいか手探りだった一九八〇年からバブルのピーク一九九〇年まで、日本人は実態のない何かに踊らされて、徒花のような文化を生み出していた。その入口である一九八〇年の、何だかうわついた雰囲気が巧みに描かれている。私より五歳上くらいのバブル世代の人が読めば、もっとリアルな懐かしさを感じるのではないだろうか。
 過去の世界に迷い込んだ人間が、うだつの上がらない若き日の父親に影響を与えるという設定は、清水義範の初期の佳作「また逢う日まで」(講談社文庫「グローイング・ダウン」所収)の、未亡人が若き日の夫にアドヴァイスを与える設定とよく似ている。時空がねじれているが故に出来ること出来ないこと、言えること言えないことがあるのがタイムトラベル小説の面白さである。かなり長編の小説だが、いつも通り物語の展開が早く、全く飽きることなく一気に読んでしまった。特に翔悟が帰る日の朝、二日酔いの大輔があっさりと出勤していく場面は、淡々としている故に印象に残る。男同士の別れなんて、実際にはこんなものだろう。
 十数年ぶりになるが「また逢う日まで」を読み直してみたい気分になった。

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