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2008年10月27日 (月)

はじめての船釣り

 土曜日は電車が遅れて、生まれて初めての船釣りに行きそびれた。初めて挑戦することが実行前に頓挫すると気勢が削がれる。「今までやらなかったんだからもういいや」という気分になる。このままだと二度と行く気にならないような気がするので、翌日の日曜日に再挑戦しようと思ったが、日曜は夕方から用事があるので今一つ気が乗らない。「もし自然に四時に目が覚めたら行く」と、やる前から自分に言い訳をしているダメ人間思考で、目が覚めないようにいつもより多く酒を飲んで寝た。なのに翌朝目が覚めると四時十分。
 昨日と同じ南武線に乗って、六時過ぎに川崎着。駅前のコンビニでカップ麺とおにぎりと缶ビールを買い、麺とおにぎりは二日酔いの胃袋へ、ビールはクーラーボックスへしまう。送迎車に乗って六時五〇分、船宿「つり幸」到着。午前ライトアジ(軽い仕掛けで釣るアジ)船に乗り込み、桜堀運河、池上運河、扇島大橋下を抜け、横浜港口を横切り、南本牧大橋をくぐって富浦沖へ。しかし、魚群にあたらないらしく、戻って南本牧ふ頭の南側で釣り開始。貸し竿は一メートルほどの短い竿に両軸リール。コマセカゴは四〇号。両軸リールの使い方が判らない上に、川釣りの感覚では竿の華奢さに対しコマセカゴが重すぎる。片手で竿を持ってコマセカゴを離した途端、ポチャン・・・・・・。四〇号の重さに対し、フリーになっていなかったリールは糸を出してくれず、あっという間に私の手から竿を奪っていった。
 坊主頭の怖い船頭に貸し竿を海中に落とした旨申告し、予備の竿を借りて釣り開始。船釣り初心者のくせに釣り始めたかと思えばいきなりビールを飲み始めるし、船べりに取り付けたGPSを操作する。左の耳にはTBSラジオのイヤフォン、右の耳には船舶無線のイヤフォン。船舶無線は面白そうな交信が聞こえるとチャンネルを切り替えるから忙しい。周りとオマツリ(仕掛け同士が絡まること)と根掛かりをしなかったのは健闘したといえるだろう。そんな、ながら釣りでもぼつぼつ釣れて十一時二十分の納竿までに、アジ九匹、サバ八匹。この日の「つり幸」の釣果情報によれば「3-51匹18-28cm」となっているので、私より釣れなかったやる気のない人もいた模様。
 この日の会計は船代六千円、貸し竿五百円、貸しコマセカゴ&天秤弁償千五百円、貸し竿弁償四千円のしめて一万二千円。サバは外道と認識しているので、一匹千円以上の超高級アジである。
 家に帰ってアジは開いて、サバは三枚におろす。味噌煮用のサバ以外は干物にするため塩水につけてから干物ネットへ。

 干物ネットをベランダに吊すと家を出て、行きつけの飲み屋「K」へ。昨日気分直しに飲みに行きたかったのだが、臨時休業だった。その後所用があるのでビール一本で切り上げて、赤坂のサントリーホールへ。慶應ワグネル・オケの演奏会を聴く。慶應とは縁もゆかりもないのだが、仲良しのNさんが賛助で出演しており、曲がマーラーの「復活」なので足を運んだ。金管が苦しかったが、その他は学生オケとは思えないハイレヴェルな演奏。席も良かったのでマーラーを堪能。その後Nさんと一緒に吉祥寺の沖縄料理屋へ。オリオンビールの生で乾杯し、泡盛を飲みながら馬鹿話をしていたら、あっという間に十一時。
 本来は土日二日に分けて行うつもりだった行事が、全て日曜に集中したため、超盛り沢山な一日と相成った次第。でも、家に帰って寝る前に飲み直す。

 以上、まとめると「朝から晩までずーっと酒飲んだ一日」でした。

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三度目

 土曜日に釣りに行こうと思い、早朝の南武線に乗車。もうすぐ川崎に着くなと思う頃、非常ブレーキで停車。車内放送が「この列車が平間駅に進入の際、人身事故が発生しました。乗務員が確認のため電車から離れますので、絶対に電車から降りないでください」と告げる。
 中央線で二十年近く通勤・通学しているので、人身事故で予定が狂うことは日常茶飯だが、乗っている電車が人身事故を起こしたのは三回目だ。余裕を持って家を出たのに、釣り船の出船時刻に間に合わなくなりそうだ。幸い先頭車がホームにかかっているので、平間駅で降りることは可能らしい。川崎駅まで歩いて間に合うか微妙なので、まずは携帯電話のナビ機能で川崎駅までの距離を調べようと思いつく。GPS信号の受信状態を良くするために窓を開けて車外に顔を出したら…。見てしまいました。一両ほど先の線路脇に倒れている人を。
 目撃者が乗務員や野次馬と声高に話しているので、状況は大体判る。飛び込み自殺ではなく、踏切の直前横断。三十センチほど間に合わず跳ねられたらしい。轢断ではないので、普通に線路脇に横たわっている感じだ。脱げたスニーカーと持っていたらしいバッグが散らばっているのが生々しい。
 死体を見た瞬間から「歩いて川崎駅まで行けば釣り船に間に合うかも」などという了見は消し飛び、目が離せなくなってしまった。救急隊、警察の到着から現場検証、運転再開までずっと見守り、色々考えてしまった。事故の状況だけで考えれば、危険を承知で渡ろうとした本人の問題だ。しかし朝六時に遮断機の下りた踏切を無理に渡らざるを得ないほど急ぐ事情を抱えていたのか。それとも朝まで飲んでいて訳がわからなくなっていたのか。ともかくも、すぐ目の前に、たった今不用意に死んでしまった人が横たわっていた。
 私は「鉄」なので、日頃から「鉄道自殺は犯罪。轢断死体は見せしめに放置して、カラスや野良猫に食わせちまえ」などと言っているが、事故の場合は死んだ人も鉄道会社も気の毒としか言いようがない。踏切事故を減らすための高架化推進は、鉄道会社の責任ではなく公共交通機関全体、つまり国の方針として進めて欲しいものだ。

 勿論、釣りに行く気は失せて(時間も間に合わなかったが)、そのまま家へ帰って一日中ぼーっとしていた。気分転換に飲みに行こうと思ったら、行きつけの飲み屋は臨時休業だった。

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2008年10月16日 (木)

ホラ吹き節の謎

ホラ吹き節
作詞/青島幸男
作曲/萩原哲晶
歌/植木等

初出盤「バカは死んでも直らない/ホラ吹き節」東芝音楽工業/TRー一〇九六(一九六四年六月二〇日)

 一九九一年にCD二枚組の「クレイジーシングルズ」が発売され、クレイジーキャッツのシングル盤を発売順に聴けるようになったとき、面白いことに気がついた。丁度モノラル録音からステレオ録音への移行期にレコード会社を移籍したせいで、モノラルからステレオへの移行が時系列順になっていないのだ。

「スーダラ節/こりゃシャクだった」(東芝一九六一年八月二〇日)モノラル
「ドント節/五万節」(東芝一九六二年一月二〇日)モノラル
「ハイそれまでョ/無責任一代男」(東芝一九六二年七月二〇日)モノラル
「これが男の生きる道/ショボクレ人生」(東芝一九六三年四月二〇日)モノラル
「いろいろ節/ホンダラ行進曲」(キング一九六三年四月二〇日)モノラル
「どうしてこんなにもてるんだろう/ギターは恋人」(キング一九六三年七月二〇日)ステレオ
「学生節/めんどうみたョ」(東芝一九六三年一二月二〇日)モノラル
「バカは死んでも直らない/ホラ吹き節」(東芝一九六四年六月二〇日)モノラル
「だまって俺について来い/無責任数え歌」(東芝一九六四年一一月一五日)ステレオ

 東芝よりキングが少し早くステレオ移行したため、キングの「どうしてこんなにもてるんだろう」で一旦ステレオになったのに、東芝に戻った「学生節」「バカは死んでも直らない」の二枚はモノラル、「だまって俺について来い」以降ステレオとなる。
 ところが、モノラルであるはずの「バカは死んでも直らない」のB面「ホラ吹き節」をよく聴くと、ステレオの音場感があるのである。更に頭からよく聴くと、
「台詞」モノラル
「前奏」ステレオ
「 歌 」モノラル
「間奏」ステレオ
「 歌 」モノラル
「後奏」ステレオ
に聞こえるのである。
 私は最初、ステレオ初期の実験的な試みでステレオ録音とモノラル録音を切り替えているのかと思って感心した。しかし、よく聴くとステレオ部分に音場の拡がりは感じられるが、楽器の定位感が感じられないのだ。明らかにこれはモノラルの音源を疑似ステレオ化しているようである。そこで調べたところ、初出盤発売の四ヶ月後(一九六四年一〇月五日)にリイシュー盤(四曲入り二種)「スーダラ節、ドント節/ハイそれまでョ、これが男の生きる道」「学生節、馬鹿は死んでも直らない/めんどうみたョ、ホラ吹き節」が発売されており、この盤が疑似ステレオ化された音源を使っているらしいのだ(実際に聴いたわけではないが)。ただ不思議なのは、このリイシュー盤に収録されている八曲の内、「ホラ吹き節」を除く七曲はモノラル音源でCD化されているのだ。CD作成時に音源選択を誤ったのかと思い、二〇〇五年発売の「クレイジーキャッツHONDARA盤」を聴いてみたが「クレイジーシングルズ」と同じ音源だった。両盤ともクレイジーキャッツの音源をきちんとした形で残そうという姿勢が感じられるCDなので、音源の選択にも気を遣っていると思う。恐らく何らかの手違いか事故で、マスターテープが失われているのではないだろうか。

 クラシック音楽の世界では評判の悪い疑似ステレオだが、この「ホラ吹き節」はなかなか良くできているので、出来ればヘッドフォンで聴くことをお勧めする。歌い出しの「ホラ~」の「ラ~」(小節の変わり目)で拡がっていた音場がピタッと中央に収まるところなどは大変に面白い。CDを持っている方は是非気にして聴いてみて欲しい。
 また、疑似ステレオ盤しか残っていない経緯や、モノラル盤の存在などをご存じの方がいらしたら、是非教えていただきたいと思っている。 

(試聴したCD)
「クレイジーシングルズ」東芝EMI/TOCTー六〇三〇~一(一九九一)
「クレイジーキャッツHONDARA盤」東芝EMI/TOCTー二五五六八~九(二〇〇五)

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2008年10月15日 (水)

津軽海峡見通し悪し

ナッチャンRera(東日本フェリー)
 双胴型高速船(ウェーブ・ピアーサー)一〇七一二噸、定員七七四名
 二〇〇七年インキャット・タスマニア社(豪)で建造

ナッチャンWorld(東日本フェリー)
 双胴型高速船(ウェーブ・ピアーサー)一〇七一二噸、定員八〇〇名
 二〇〇八年インキャット・タスマニア社(豪)で建造

(共通仕様)全長一一二メートル、全幅三〇・五メートル、速力三十六ノット
       最大搭乗人員一七四六名、最大積載乗用車一九五台+トラック三十三台

あさかぜ(北日本海運)
 カーフェリー 一一三四噸
 全長八十九メートル、全幅十五メートル、旅客定員五十五名
 一九八六年山西造船鉄工所(現ヤマニシ)で建造、一九九一年旅客改造

 東日本フェリーがフェリー事業から撤退の報を聞き、大急ぎで津軽海峡に向かった。インキャット社のウェーブ・ピアーサーに乗る機会は二度とないだろうと予想したからだ。夏休みで遊び呆けたため予算縮小。弘南バスの夜行バスと高速フェリーのセット券を購入。学生の時以来の夜行バスだ。出発直前に調べると、何とトイレのない車輌での運行。飲んだくれていく予定がビール禁止に大転換。ストレートのウィスキーを舐めながら過ごす。隣席が若い娘なので、うっかり寄りかかって痴漢呼ばわりされたらかなわないと夜通しビクビクして、グッタリ疲れて青森港着。
 八時発函館行きの配船は新しい方の「ナッチャンWorld」。三連休初日なので、家族連れで満席だ。青森港を出ると巡航速度で三十四ノットくらい出ている。ジェットフォイルには負けるが、この巨大な船体にはジェットフォイルの約三倍の乗客と、最大二百台以上の車輌が積載できるのだ。この速度と輸送力は革命的で「投入場所を誤らなければ」その航路の輸送効率は飛躍的に向上するだろう。投入すべきは本土からやや遠い大きなリゾート地。主な乗客は徒歩客及び乗用車だと思う。
 津軽海峡は西風が強く、左舷側に龍飛岬を見送る頃から結構揺れ始める。後部甲板は閉鎖され、着席のアナウンスが繰り返される。船首に「Tフォイル」という減揺装置が装備されているので縦揺れはあまりしないが、横揺れは結構ある。客室内はグッタリする子供が続出。揺れが収まり函館港に入港。回頭して着岸するがモタモタしていて時間がかかる。揺れと着岸作業で予定より十五分ほど時間がかかった。

 函館に着いたらまずは洞爺丸台風の慰霊碑に向かう。洞爺丸事故は日本最大の海難事故だが、青函トンネルの実現と船舶技術の開発には大きく寄与した。慰霊碑裏の海岸から函館湾を眺める。
 路線バスで五稜郭公園まで行き、次は市電に乗る。湯の川まで往復してから、念願だった箱館ハイカラ號に乗車する。一九一〇年に製造され、一九一八年に成宗電気軌道から函館水電に譲渡された車輌で、長い間除雪車(ササラ電車)として使用されていたが、一九九二年に製造当時の姿に復元された。横から見ると台車(通常の電車の前と後ろにある、四つの車輪が一セットになった台枠)ひとつに車体が乗っている単台車である。二軸の車輌は富士重工製のレールバスなどで乗ったことがあるが、単台車の電車は初めて乗る。他には土佐電気に三両(維新号、グラーツ市電、リスボン市電)在籍している以外に単台車の電車が残っているのかは知らない。乗り心地は、鉄道工学の本に書いてあるとおり縦揺れがもの凄いが、他では味わえない乗り心地である。わざわざ選んで乗った甲斐があった。車内には女性の車掌がおり、行き先を聞いて乗車券を手売りする。運転席はオープンデッキにあり、客が降りると車掌が綱を引き、運転席のベルがチンチンと鳴る。観光用とはいえ、大正時代の運行スタイルを再現してくれているのが嬉しい。谷地頭まで乗車する。そのあと、青函連絡船摩周丸、函館朝市、自由市場、函館山を見物する。

 翌日は北埠頭から8時10分発の北日本海運(青函フェリー)「あさかぜ」に乗船。元は小型のRORO船だった船体を旅客化改造した船で、青函航路最古参。近々引退が決まっているらしいので、今の内にRORO船の面影を体験したかったのだ。ランプウェーから乗船して狭い階段を上がると、船橋の後ろに小さな旅客室が一部屋あるのみ。トラックドライバーは車内にいるらしく、客室内には五人しかいない。横風を受けて楽しく動揺しながら青森まで四時間。一般客には勧められないが、船好きなら一度は乗ってみたい船だ。
 青森からとんぼ返りで「ナッチャンRera」に乗船。午後便なので昨日ほど混んでいない。今日はさほど揺れないで函館港に入港。何と桟橋の手前にタグボートが待機しており、回頭、接岸作業を補助している。昨日の「World」も接岸に手間取っていたが、自力で接岸していたと思う(気づかなかっただけか?)。回頭接岸にタグを使うとは驚いた。一日何往復もする定期船が、いちいちタグで接岸していたのではたまらない。取り回しの悪さが廃止の一因になったのだろうか。
 この日は宿代を浮かすために列車で苫小牧まで移動し、〇時発の川崎近海汽船「べが」に乗船。翌朝七時半八戸着。八戸から東京までは新幹線で三時間ちょっと。二〇一〇年に新幹線が青森まで延伸すれば、青函航路はもっと近くなるが、その頃ナッチャン姉妹の身の上はどうなっているのか。

 旧東日本フェリーの破綻から航路を引き継いだ新東日本フェリーは青函航路の救世主かと思われた。しかし、過剰投資と心配された豪華高速船の連続投入、直後に航路全廃という判断は、どれほど慎重に市場調査をしたのか疑問を感じる。ITバブル期のベンチャー企業のようなやり方は、生活航路を支える企業としてどうなのか。青函航路のフェリー運航は、東日本、道南、北日本、共栄の四社がダイヤ調整して頻発化(フリークエンシー)を高めるべきだったのではないか。
 東日本フェリーが撤退すると、在来フェリー二隻はグループ会社の道南自動車フェリーが引き継いで運行するという。ここ一年ちょっとのナッチャン導入騒動が残したものは、在来フェリーの二隻減腹だけであった。二〇一五年に新幹線が函館まで延伸したとき、青函トンネルを通れる貨物列車の数は現在より少なくなる。貨物輸送がトラックにシフトするだろうから、青函航路フェリーを運行する各社は、長期的な視点で物流を守るような経営戦略を立てて欲しいものだ。

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2008年10月 9日 (木)

華魁(一九八三年 武智小川プロ)

脚本・監督/武智鉄二 彩プロDVD

 唐沢俊一がラジオで「日本バカ映画ベスト・スリー」の一つに挙げていた作品。レンタル落ちのVHSで一度観たが、画像音声とも状態が悪すぎた。最近になってDVD化されているのに気づいて購入。画質音質ともに比べものにならないほど見やすくなった。

 あらすじは書かないが、話の種に見るべき映画だろう。R-18指定なので、家族や恋人同士での鑑賞はお勧めしない。
 脚本・監督の武智鉄二は「美の改革者」などと呼ばれているようで、武智歌舞伎なるものの創始者ということだ。しかし、この映画を観る限りは「美の改革者」というよりは「エロの異端児」と言って構わないだろう。
 とにかく全編エロ満載である。主役の菖蒲太夫(親王塚貴子)の着衣率は八〇年代のアイドル系AV女優より遙かに低い。台詞が棒読みで演技も下手くそだが、恐らく主演女優の採用基準は演技力よりハードコアシーンに耐えられるかに重きを置いただろうから仕方がない。少なくとも普通の女優に出来る役柄でない事は間違いない。
 それでも、長崎の遊郭を舞台にしている間は「愛欲シーン満載の主演が大根の映画」という印象だが、真夫である貸本屋の男に唆されて廓抜けをする辺りから雲行きが変わる。アメリカに密航する(と菖蒲太夫は思っている)船の中で、潜んでいる葛籠を動かされて自分の排泄物を浴びる辺りから変態の世界に入っていき、すぐに膝に殺された貸本屋が人面疽となって現れる。もっともこの映画は最初のタイトルから谷崎潤一郎の「人面疽」を原作(?)と謳っているので、人面疽が出てくる事自体は予想できる。
 アメリカと思って横浜の租界に連れてこられ、アメリカ人の大金持ちに求婚された菖蒲太夫。求婚を受け入れるのだが、「二度と所帯は持たない」という約束で姿を消していた貸本屋の人面疽が黙っていない。新婚初夜のお床入りで膝ではない意外な(予想できる)部位に現れ、とんでもない(ある意味当然の)行動をする。呼び出されて、エクソシスト丸パクりの悪魔払いをする神父に「この悪魔は異教徒です」とすがる菖蒲太夫。笑いどころ満載のクライマックスだ。そして最後は悪魔が滅びて、延々と続くベッドシーンにエンドロール。結局行き着くところはそこしかないようだ。
 一九八三年という時代を考えれば仕方ないのだが、今日の感覚からすれば「そこまで隠さなくても」と思うほどのボカシ処理が目障りなのが残念だ。原作と謳われた谷崎潤一郎の「人面疽」という作品が読んでみたくなった。

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