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2008年10月15日 (水)

津軽海峡見通し悪し

ナッチャンRera(東日本フェリー)
 双胴型高速船(ウェーブ・ピアーサー)一〇七一二噸、定員七七四名
 二〇〇七年インキャット・タスマニア社(豪)で建造

ナッチャンWorld(東日本フェリー)
 双胴型高速船(ウェーブ・ピアーサー)一〇七一二噸、定員八〇〇名
 二〇〇八年インキャット・タスマニア社(豪)で建造

(共通仕様)全長一一二メートル、全幅三〇・五メートル、速力三十六ノット
       最大搭乗人員一七四六名、最大積載乗用車一九五台+トラック三十三台

あさかぜ(北日本海運)
 カーフェリー 一一三四噸
 全長八十九メートル、全幅十五メートル、旅客定員五十五名
 一九八六年山西造船鉄工所(現ヤマニシ)で建造、一九九一年旅客改造

 東日本フェリーがフェリー事業から撤退の報を聞き、大急ぎで津軽海峡に向かった。インキャット社のウェーブ・ピアーサーに乗る機会は二度とないだろうと予想したからだ。夏休みで遊び呆けたため予算縮小。弘南バスの夜行バスと高速フェリーのセット券を購入。学生の時以来の夜行バスだ。出発直前に調べると、何とトイレのない車輌での運行。飲んだくれていく予定がビール禁止に大転換。ストレートのウィスキーを舐めながら過ごす。隣席が若い娘なので、うっかり寄りかかって痴漢呼ばわりされたらかなわないと夜通しビクビクして、グッタリ疲れて青森港着。
 八時発函館行きの配船は新しい方の「ナッチャンWorld」。三連休初日なので、家族連れで満席だ。青森港を出ると巡航速度で三十四ノットくらい出ている。ジェットフォイルには負けるが、この巨大な船体にはジェットフォイルの約三倍の乗客と、最大二百台以上の車輌が積載できるのだ。この速度と輸送力は革命的で「投入場所を誤らなければ」その航路の輸送効率は飛躍的に向上するだろう。投入すべきは本土からやや遠い大きなリゾート地。主な乗客は徒歩客及び乗用車だと思う。
 津軽海峡は西風が強く、左舷側に龍飛岬を見送る頃から結構揺れ始める。後部甲板は閉鎖され、着席のアナウンスが繰り返される。船首に「Tフォイル」という減揺装置が装備されているので縦揺れはあまりしないが、横揺れは結構ある。客室内はグッタリする子供が続出。揺れが収まり函館港に入港。回頭して着岸するがモタモタしていて時間がかかる。揺れと着岸作業で予定より十五分ほど時間がかかった。

 函館に着いたらまずは洞爺丸台風の慰霊碑に向かう。洞爺丸事故は日本最大の海難事故だが、青函トンネルの実現と船舶技術の開発には大きく寄与した。慰霊碑裏の海岸から函館湾を眺める。
 路線バスで五稜郭公園まで行き、次は市電に乗る。湯の川まで往復してから、念願だった箱館ハイカラ號に乗車する。一九一〇年に製造され、一九一八年に成宗電気軌道から函館水電に譲渡された車輌で、長い間除雪車(ササラ電車)として使用されていたが、一九九二年に製造当時の姿に復元された。横から見ると台車(通常の電車の前と後ろにある、四つの車輪が一セットになった台枠)ひとつに車体が乗っている単台車である。二軸の車輌は富士重工製のレールバスなどで乗ったことがあるが、単台車の電車は初めて乗る。他には土佐電気に三両(維新号、グラーツ市電、リスボン市電)在籍している以外に単台車の電車が残っているのかは知らない。乗り心地は、鉄道工学の本に書いてあるとおり縦揺れがもの凄いが、他では味わえない乗り心地である。わざわざ選んで乗った甲斐があった。車内には女性の車掌がおり、行き先を聞いて乗車券を手売りする。運転席はオープンデッキにあり、客が降りると車掌が綱を引き、運転席のベルがチンチンと鳴る。観光用とはいえ、大正時代の運行スタイルを再現してくれているのが嬉しい。谷地頭まで乗車する。そのあと、青函連絡船摩周丸、函館朝市、自由市場、函館山を見物する。

 翌日は北埠頭から8時10分発の北日本海運(青函フェリー)「あさかぜ」に乗船。元は小型のRORO船だった船体を旅客化改造した船で、青函航路最古参。近々引退が決まっているらしいので、今の内にRORO船の面影を体験したかったのだ。ランプウェーから乗船して狭い階段を上がると、船橋の後ろに小さな旅客室が一部屋あるのみ。トラックドライバーは車内にいるらしく、客室内には五人しかいない。横風を受けて楽しく動揺しながら青森まで四時間。一般客には勧められないが、船好きなら一度は乗ってみたい船だ。
 青森からとんぼ返りで「ナッチャンRera」に乗船。午後便なので昨日ほど混んでいない。今日はさほど揺れないで函館港に入港。何と桟橋の手前にタグボートが待機しており、回頭、接岸作業を補助している。昨日の「World」も接岸に手間取っていたが、自力で接岸していたと思う(気づかなかっただけか?)。回頭接岸にタグを使うとは驚いた。一日何往復もする定期船が、いちいちタグで接岸していたのではたまらない。取り回しの悪さが廃止の一因になったのだろうか。
 この日は宿代を浮かすために列車で苫小牧まで移動し、〇時発の川崎近海汽船「べが」に乗船。翌朝七時半八戸着。八戸から東京までは新幹線で三時間ちょっと。二〇一〇年に新幹線が青森まで延伸すれば、青函航路はもっと近くなるが、その頃ナッチャン姉妹の身の上はどうなっているのか。

 旧東日本フェリーの破綻から航路を引き継いだ新東日本フェリーは青函航路の救世主かと思われた。しかし、過剰投資と心配された豪華高速船の連続投入、直後に航路全廃という判断は、どれほど慎重に市場調査をしたのか疑問を感じる。ITバブル期のベンチャー企業のようなやり方は、生活航路を支える企業としてどうなのか。青函航路のフェリー運航は、東日本、道南、北日本、共栄の四社がダイヤ調整して頻発化(フリークエンシー)を高めるべきだったのではないか。
 東日本フェリーが撤退すると、在来フェリー二隻はグループ会社の道南自動車フェリーが引き継いで運行するという。ここ一年ちょっとのナッチャン導入騒動が残したものは、在来フェリーの二隻減腹だけであった。二〇一五年に新幹線が函館まで延伸したとき、青函トンネルを通れる貨物列車の数は現在より少なくなる。貨物輸送がトラックにシフトするだろうから、青函航路フェリーを運行する各社は、長期的な視点で物流を守るような経営戦略を立てて欲しいものだ。

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