ホラ吹き節の謎
ホラ吹き節
作詞/青島幸男
作曲/萩原哲晶
歌/植木等
初出盤「バカは死んでも直らない/ホラ吹き節」東芝音楽工業/TRー一〇九六(一九六四年六月二〇日)
一九九一年にCD二枚組の「クレイジーシングルズ」が発売され、クレイジーキャッツのシングル盤を発売順に聴けるようになったとき、面白いことに気がついた。丁度モノラル録音からステレオ録音への移行期にレコード会社を移籍したせいで、モノラルからステレオへの移行が時系列順になっていないのだ。
「スーダラ節/こりゃシャクだった」(東芝一九六一年八月二〇日)モノラル
「ドント節/五万節」(東芝一九六二年一月二〇日)モノラル
「ハイそれまでョ/無責任一代男」(東芝一九六二年七月二〇日)モノラル
「これが男の生きる道/ショボクレ人生」(東芝一九六三年四月二〇日)モノラル
「いろいろ節/ホンダラ行進曲」(キング一九六三年四月二〇日)モノラル
「どうしてこんなにもてるんだろう/ギターは恋人」(キング一九六三年七月二〇日)ステレオ
「学生節/めんどうみたョ」(東芝一九六三年一二月二〇日)モノラル
「バカは死んでも直らない/ホラ吹き節」(東芝一九六四年六月二〇日)モノラル
「だまって俺について来い/無責任数え歌」(東芝一九六四年一一月一五日)ステレオ
東芝よりキングが少し早くステレオ移行したため、キングの「どうしてこんなにもてるんだろう」で一旦ステレオになったのに、東芝に戻った「学生節」「バカは死んでも直らない」の二枚はモノラル、「だまって俺について来い」以降ステレオとなる。
ところが、モノラルであるはずの「バカは死んでも直らない」のB面「ホラ吹き節」をよく聴くと、ステレオの音場感があるのである。更に頭からよく聴くと、
「台詞」モノラル
「前奏」ステレオ
「 歌 」モノラル
「間奏」ステレオ
「 歌 」モノラル
「後奏」ステレオ
に聞こえるのである。
私は最初、ステレオ初期の実験的な試みでステレオ録音とモノラル録音を切り替えているのかと思って感心した。しかし、よく聴くとステレオ部分に音場の拡がりは感じられるが、楽器の定位感が感じられないのだ。明らかにこれはモノラルの音源を疑似ステレオ化しているようである。そこで調べたところ、初出盤発売の四ヶ月後(一九六四年一〇月五日)にリイシュー盤(四曲入り二種)「スーダラ節、ドント節/ハイそれまでョ、これが男の生きる道」「学生節、馬鹿は死んでも直らない/めんどうみたョ、ホラ吹き節」が発売されており、この盤が疑似ステレオ化された音源を使っているらしいのだ(実際に聴いたわけではないが)。ただ不思議なのは、このリイシュー盤に収録されている八曲の内、「ホラ吹き節」を除く七曲はモノラル音源でCD化されているのだ。CD作成時に音源選択を誤ったのかと思い、二〇〇五年発売の「クレイジーキャッツHONDARA盤」を聴いてみたが「クレイジーシングルズ」と同じ音源だった。両盤ともクレイジーキャッツの音源をきちんとした形で残そうという姿勢が感じられるCDなので、音源の選択にも気を遣っていると思う。恐らく何らかの手違いか事故で、マスターテープが失われているのではないだろうか。
クラシック音楽の世界では評判の悪い疑似ステレオだが、この「ホラ吹き節」はなかなか良くできているので、出来ればヘッドフォンで聴くことをお勧めする。歌い出しの「ホラ~」の「ラ~」(小節の変わり目)で拡がっていた音場がピタッと中央に収まるところなどは大変に面白い。CDを持っている方は是非気にして聴いてみて欲しい。
また、疑似ステレオ盤しか残っていない経緯や、モノラル盤の存在などをご存じの方がいらしたら、是非教えていただきたいと思っている。
(試聴したCD)
「クレイジーシングルズ」東芝EMI/TOCTー六〇三〇~一(一九九一)
「クレイジーキャッツHONDARA盤」東芝EMI/TOCTー二五五六八~九(二〇〇五)
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