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2009年8月 8日 (土)

中島みゆきのガラスCD(その二)

 ガラスCDというフォーマットに続いて、中島みゆきについて書かせていただく。

 今はAMラジオ派である私だが、高校~浪人時代はFMラジオを聴いていた。当時NHK-FMの平日21時台は「ミュージック・スクエア」という帯で、各曜日きら星のようなアーティストがDJを担当していたが、不動の金曜日は「中島みゆきのフル金」だった。
 最初この「ふざけたオバサン」が、あの「悪女」とかの中島みゆきと重ならなかったのだが、まず喋りが面白くて好きになり、次第に曲も聴くようになっていった。
 当時の中島みゆきはテレビには滅多に出ず、露出はラジオのみ。シアターコクーンでの「夜会」が始まった頃だったと思う。その当時から私は中島みゆきの歌は初期が良くて、最近のドスの利いた歌いっぷりには違和感があるなと思っていた。

 その後段々と熱は冷めていったが、「予感」までの最初の十枚のアルバムは、自分にとって大切なものだった。しかし、中島みゆきの歌はどんどんドスが利いてきて、セルフカバーした、「時代」「ローリング」「流浪の詩」などを聴いた時には心からガッカリしたし、更に距離を置く(というより聴きたくない)というスタンスになってきた。

 そして決定的だったのは、いつだったかのNHK紅白歌合戦。普段は見ない紅白だが、中島みゆきが出るということで、恐い物見たさで観てみた。
 テレビ画面にはNHKホールの舞台ではなく、黒部のトンネルからカメラ目線を一切せずに無表情で唱う中島みゆきの姿が映っていた。歌詞を間違えて字幕が消えるアクシデントが起きた時は、図らずも内心「ザマミロ」と思っていた。
 どんなしがらみがあったのかは知らないが、紅白に出るのなら曲間の小芝居に続いて司会者に呼び出されて、NHKホールの袖から堂々と出てこいと言いたい。紅白に出るというのは、あの田舎芝居の一員になると言うことなのだ。その覚悟が出来ないなら紅白になぞ出なければいい。
 この中途半端で無様な紅白出演以来、わたしはあんなに好きだった中島みゆきが大嫌いになった。

 普段私はあまりテレビを観ないのだが、最近おぞましい物を観てしまった。化粧品のコマーシャルのようだったが、ウェディングドレスの松田聖子と白無垢の中島みゆきが小芝居を演じていた。所謂悪乗りなのだろうが、あまりにも醜悪で不愉快だった。どこの会社かは忘れたが、何もコマーシャルで視聴者を不愉快にさせなくてもいいのにと思う。あの会社の製品だけは出来る限り買わないようにしたい。

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