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2009年10月21日 (水)

新平湯大観音(仮称)

 最近文庫になった宮田珠己「晴れた日は巨大仏を見に」を読んで、時々首をもたげる「大仏好き」にスイッチが入ったようだ。以前にも突発的に仙台大観音や東京湾観音を見に出かけたりしているので、潜在的な「巨大仏愛好家」であることは否定しない。恐らく「見仏記」や「珍日本紀行」の影響もあるのだろう。
 思い出したのは今年に入って何度か見ている謎の巨大仏だ。四月以降、岐阜県の高原川や富山県の神通川に釣りに行っている。東京からだと中央道を松本で降り、国道一五八号の阿房トンネルを抜けたら国道四七一号線を辿る。ヘアピンカーブを越えて新平湯温泉に入る頃、右手の山の上に大きな観音像のようなものが見えるのだ。私の視力では、小高い山の上に、木立から顔を出している「仏像らしきもの」としか判別できないので、気になりつつそのままになっていた。時々気になってはネットで「新平湯温泉」「仏像」などと検索してみるが、ナントカ寺の鉈彫りの仏像しか引っかからない。

Photo

 たまたま何の予定もない日曜日に早起きしたので、思い切って調べに行くことにした。日頃から「休日ETC千円政策は、無駄走りを誘発するばかりの歴史的愚策」と思っているが、やはり私のような「どうでもいい用件で遠出する化石燃料の無駄遣い」を誘発する。
 新平湯温泉はいつ見ても寂れている。上高地や乗鞍はもう紅葉が良さそうだが、麓の新平湯は閑散としている。仏像は遠くからは見えるが、近づくと木立に埋もれてしまい位置が判然としない。暫く行くと狭い道の入口に「新平湯の新名所 大観音の里 入口この先」という門状の看板を発見。道は廃旅館の裏から山の上に登り、開けた場所に出る。キャンプ場のような東屋などがあり、奥に塀と門に囲まれた広い民家らしき場所がある。恐る恐る中にはいると正面に木立の奥へ伸びる階段、右手に民家、左手の奥に作業所みたいな建物がある。奥の階段を進めば大観音に至りそうだが、作業所の前で犬が吠えているので進むのをためらう。
Photo_2
右手の民家に人の気配があるので「ごめん下さい」と声を掛ける。何度か叫ぶと、奥から髭を伸ばした爺さんが現れる。
「あの、麓から見える仏像が見たくて上がってきたんですけど」
私が尋ねると爺さんは、
「こっちからの道は台風で崩れて通れない。見たかったら下から別の道があるから車で入れる。」
と教えてくれる。ついでに私が
「ここはキャンプ場か何かをなさっているんですか」
と尋ねると、
「キャンプ場じゃないけど、色々道楽でやっていたんだ。けどもう不景気でどうにもならない。首括ろうにもロープ買う金もない。」
という。その後大観音への詳しい道を教わり辞去したが、結局この爺さんが道楽で「何を」やっていたのかは判らない。推測するに「道楽で大観音の里という庭園のようなものを作り、大観音を建立した」のだが、不景気で荒れ放題、道路の補修費用もままならないということだろうか。
 一旦麓におりて大観音を目指す。林道を上がったところに目当ての大観音は佇んでいた。身の丈およそ十二メートル。台座を合わせた高さは一五メートル強だろうか。コンクリート造りの白い観音像だが、風雨に晒されてすっかり黒ずんでいる。形は観音だが、顔は大仏に近い。台座に登って様子を探ると、足下の一角に穴が空いており、ベニヤ板で塞いであるが内部が見えるようになっている。中に入ってみたかったが、台座の最上段が高く、登るにもとっかかりがないので無理だった。

Photo_3

 今までは遠くからしか見えなかったので、何かの見間違いかと半信半疑だった大観音だが、実際に所在が確認できて良かった。今度はちゃんと準備して、件の爺さんにこの観音や大観音の里の経緯、建立年月日や高さ、建造費などを聞いてみたいと思う。

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