新日本フィル第四五五回定期演奏会
新日本フィルハーモニー交響楽団第四五五回定期演奏会
二〇〇九年十一月十八日サントリーホール
独唱/マヌエラ・ウール、宮平真希子、安井陽子(ソプラノ)
アレクサンドラ・ペーターザマー、清水華澄(アルト)
ジョン・ヴィラーズ(テノール)、ユルゲン・リン(バリトン)
ロベルト・ホルツァー(バス)
合唱/武蔵野音楽大学室内合唱団、栗友会合唱団、東京少年少女合唱隊
合唱指揮/栗山文昭、長谷川久恵
管絃楽/新日本フィルハーモニー交響楽団
指揮/クリスティアン・アルミンク
マーラー/交響曲第8番変ホ長調「千人の交響曲」
一週間に二種類の千人を聴けるとはマラ八マニアにとってたまらない一週間だ。マラ八好きというのは大編成を喜ぶ輩であり、見た目が豪華なものに惑わされて本質理解できていないことのような気がする。元々吹奏楽の打楽器出身なので、色々なものがごちゃごちゃ並んでいるのが好きなので性であるから仕方ない。
よく考えたら新日本フィルの定期公演を聴くのは初めて。在京オケで唯一定期を聴いたことがなかったのは、長年の新日フィル嫌いと小澤嫌いのせいなのだが、この誤解と思い込みについては別項に譲りたい。
舞台上には二組のティンパニが置かれている。このティンパニ二組と、第一部のクライマックスで「シンバル二又は三組」と指定された部分をどう扱うかで、その指揮者の考え方が判る。アルミンクはティンパニ二組、シンバル三組で木管のベルアップも忠実に行い、マーラーが意図した視覚的効果をきっちり実現していた。また、チューブラーベルをオクターヴで叩かせるのは初めて見たが、楽譜通りだと音が浮いてしまい、オクターヴ下げると暗くなると言う問題が見事に解決されていていた。
演奏は曲の大きさを前面に出した拡散型のアプローチ。テンポはゆったり目で思い切ったルバートも多用し、やりたいことをやっている感じがいい。オケも合唱もよく応えており、思わぬ所で音量を絞ってメリハリを付けるなど、多少の外連もあり面白い。スコアを見ながら聴いたのではないので判然とはしないが、オルガンの低い持続音(三十二フィートのフルー管)を何箇所かで加えていたと思う(今まで気づかなかっただけかも)。面白く効果的だとは思うが、やり過ぎの感は否めない。天井からは五チャンネル用のマイクが下がっていたので、CD化されたらスコアを見ながら聴き直してみたい。
合唱は好演。先日の藤沢合唱連盟も決して下手ではなかったが、栗友会と武蔵野音大選抜はもう一ランク上。児童合唱に関しては雲泥の差だ。そして更に素晴らしかったのが独唱陣。第一と第二ソプラノの二人の声量と声質は正に千人向きで、第一ソプラノは音域的に若干苦しいところもあったが、決して叫ばず格調が高かった。そして更に素晴らしかったのは男声陣。見た目は熊のような大男三人組で、ピンチヒッターだったバスは声量、音域ともにやや苦しかったが、テノールとバリトンの声量はものすごく、オケや合唱に全く引けを取っていない。特にテノールは声がデカイだけではなく表情付けが巧く、ピアニシモから超フォルテシモまでのダイナミックレンジの広さに感心する。第二部においてマリア崇拝の博士の歌唱は本当に重要で、せっかくの名演がテノール一人でぶち壊しになるケースが多い。古くはバーンスタイン盤のケネス・リーゲル、最近では立て続けに聴かされた福井敬など、たった一人のせいで演奏全体の評価がガタ落ちになってしまう。逆に今回のジョン・ヴィラーズは、一人で演奏全体の評価を随分上げたと思う。もっとも、私にとって理想のマリア崇拝の博士は小林一男(渡邉曉雄指揮日本フィル一九八一年)なので、ドラマッティックなヴィラーズよりもう少しリリックな方が好みではある。
アルミンクの指揮は初めて見た。長身で二枚目、オバサンファンにキャーキャー言われそうだが、指揮姿はあまり格好良くはない。斉藤流の整然とした棒ではなく、棒で表情を付けていく感じだ。決して見やすい指揮ではないと思うが、かえってあの棒でルバートされると、オケ側も緊張感を持って合わせるのではないだろうか。今までこのコンビでマーラーを随分演奏してきたらしいのだが、新日フィル嫌いのため興味を持たなかった。勿体ないことをしたと思う。
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