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2009年11月25日 (水)

トゥルノフスキーのブラ四

群馬交響楽団第四五九回定期演奏会
二〇〇九年十一月二十一日群馬音楽センター

指揮/マルティン・トゥルノフスキー
チェロ/フランシス・グトン

ドヴォルジャーク/チェロ協奏曲ロ短調作品一〇四
ブラームス/交響曲第四番ホ短調作品九十八

 以前ある筋から「群響に毎年来ているトゥルノフスキーという爺さん指揮者が面白いらしい。全然棒が振れないから、オケが必死に演奏するので、毎回びっくりするような名演が生まれる。」という多少誇張を含んでいそうな噂話を聴いた。是非実演に接してみたいと思っていたのだが、日程が合わなかったり、知らない曲だったりで実現せずにいた。今年は三月に聴き逃したが、十一月にも来日したので勇んでチケットを買った。今回は一週間前に神奈川フィルにも客演していたようだが、「藤沢の千人」とかち合った上に、曲が全く知らない曲だったので避け、群響のブラームスメインのプログラムを選んだ。
 なお、群馬音楽センターで群響を聴くのは二度目。前回はバルシャイ版マーラーの交響曲第十番だった。

 前半のドヴォコンは、残念ながら印象が薄い。というより寝てしまった。長年コンサート通いをした悪い習慣で、前半の協奏曲は寝る時間という習性が染みついているようだ。チェロ独奏曲のアンコールがあったが曲目は不明。終演後に掲示されていたのかも知れないが、曲名をメモして帰りたいと思う曲ではなかった。トゥルノフスキーの指揮は、ソロと掛け合いの部分などはちょっと危なっかしい感じだったが、聞いていたほどではなくちょっと期待外れ。
 後半のブラ四はいい演奏だった。そもそも私はブラームスが苦手だ。苦手といっても、ブルックナーやシベリウスのように、どこがいいのかさっぱり解らないし、心の琴線に触れたこともないのとは違う。いい曲だと思うし、聴けば感動するのだが、とにかく陰々滅々とした暗さが苦手なのだ。交響曲でいうと好きな順に三、二、一、四の順。第四の終楽章のフルートソロを勝手に「悪魔が来たりて笛を吹く」と命名している。なので、しみじみと演奏されてしまうと参ってしまう。私にとってブラ四のベスト盤はとにかく勢いで駆け抜けるフルトヴェングラー盤だ。恐らく本当にブラームスが好きな人からすると、あんなにテンポを煽ったら、ブラームスのわびさびが台無しだと怒るのだろう。しかし、私には丁度いいのだ。
 トゥルノフスキーの演奏は、両端楽章ではフルトヴェングラー張りにテンポを煽る興奮型演奏。群響は下手ではあるが、指揮者の不器用な棒から真意を推し量りつつ音にしていた。確かに器用な棒ではないが、朝比奈隆と変わらないし、晩年のベームなどよりずっとましな棒だ。舞台から受けた印象は、群響の楽員は何だかんだ悪口を言いながらもトゥルノフスキーのことが結構好きなんだと思う。だから毎年呼んで一致団結した演奏をするのだろう。このチェコの老指揮者は群馬でのみ評価が高い様子だが、欧州では評価されているのか。CDなどを検索してもほとんど名前が出てこないので、もしかすると晩年のフルネが日本でのみ評価されていたように、群馬でのみ評価されている指揮者なのかも知れない。
 個人的には結構気に入ったので、今後も来日して曲と日程が合えば高崎まで聴きに行きたいと思う。

 それにしても、群馬音楽センターの音響の悪さは何とかならないのか。建物のデザインとしては面白いのだが、間接音が一切返ってこない音響特性には閉口する。楽器自身が余韻を持つ弦楽器などは問題ないが、管楽器の音は丸裸になってしまう。さらに、空調の音がうるさく、無音やピアニシモの緊張感が台無しだ。私は残響が無闇に長いホールは嫌いだ。神奈川県立音楽堂や東京文化会館のように、残響は短くてもホール全体が鳴るようないい音のホールもある。しかし、音楽センターは横広の客席に音が拡散していき返ってこない感じがするのだ。
 群響がこんなホールで五十年も演奏し続けているというのは気の毒な話だ。もっともホール建設の経緯が「群響のためのホールを」であったようなので、出来上がったら音が悪いからイヤとは言えない事情もあったのだろう。もう十分頑張ったのだから、新しく建て替えてあげればいいのにと思う。地元では音楽センターの保存運動もあるようだが、存続使用するなら最低でも空調設備の更新と残響付加装置の設備が必要だと思う。邪道という意見もあるかも知れないが、音楽センターの場合直接音は不足していないので残響を若干付加するだけで結構改善されるように思うがどうだろうか。

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