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2010年3月10日 (水)

ヤマカズのDVD

NHKクラシカルDVD

管絃楽/NHK交響楽団
指揮/山田一雄

 曲目は収録日順に、

黛敏郎/曼荼羅交響曲
一九七六年一〇月一三日 NHKホール

モーツァルト/交響曲第三十八番ニ長調K.五〇四「プラハ」
マーラー/交響曲第五番嬰ハ短調
一九八五年二月一三日 NHKホール

モーツァルト/交響曲第十四番イ長調K.一一四
モーツァルト/交響曲第四十一番ハ長調K.五一一「ジュピター」
一九九〇年一一月二六日 サントリーホール

他に特典映像として「喝采!指揮棒ひとすじ 山田一雄 指揮者生活50年」(一九九〇年一二月二四日放送)が収められている。七六年はヤマカズ初のN響定期登場。八五年はスウィトナーの代演(確かABC定期を朝比奈、山田、渡邉が振り分けたのだった)。九〇年は梶本音楽事務所主催の「楽壇生活五〇周年記念演奏会」からの収録。

 「ウンタマギルー」をスクリーンで観られたり、ヤマカズのDVDが出たり、諦めていたことが次々と実現して、何か反動で嫌なことが起こらないかと心配になってしまう。十年近く前にマーラーの最後五分ほどが「二十世紀の名演奏」で放映されたのを、録画して大切に保存していたが、遂に全曲を視聴する事が出来た。
 「曼荼羅交響曲」はヤマカズ六十四歳の演奏。見た目は晩年とさほど変わらないが、動きはきびきびしている。現代物なので指揮ぶりも的確。よく「棒が判りにくい」とか「タコ踊り」などと言われていたが、棒自体は決して判りにくくないのだと思う。恐らくオケが混乱するのは、振り間違えたか、どこだか判らなくなった時なのだと思う。何故か客席前方に置かれていると思しきカメラの映像のみ甚だしく劣化しており、そこだけお化けのような映像になっている。指揮台のカーペットが緑色なのも珍しい。
 一九八五年のモーツァルトとマーラーはヤマカズ七十二歳。正に全盛期の演奏。経験的にヤマカズの実演では眼鏡を外した場合は相当乗っている時であり、第一楽章の途中で眼鏡を外したマーラーは大熱演。じっくり唄わせる音楽作りも素晴らしくて圧倒される。ただし、不感症のようなN響の演奏も当時らしい。何をやっても地蔵のように無表情なコンマスの徳永二男は、当時日本人や二流指揮者が振るといつもあんな感じだった。依頼公演などでのやる気の無さに腹を立てて、少年だった私は出来るだけN響を避けていたものだった。
 一九九〇年の記念コンサートは七十九歳、亡くなる九ヶ月前の姿。この公演は私も客席で聴いている。この時はN響も依頼公演のため気が抜けており、ムードが穏やかに感じられる。ヤマカズの動きは最晩年なので判りにくくなっているが、N響がリラックスして指揮棒に食いついていないので、かえって充実した演奏になっている気がする。思い返せばこの年のヤマカズは、楽壇生活五〇周年で武蔵野合唱団(五月)、新日本フィル定期+特別(「ダヴィデ王」再演、十一月)、本公演、新星日響定期(「ガイーヌ」他、十二月)、新日本フィル第九(十二月)と記念の年に相応しい大活躍をして、私もその殆どを客席で聴くことが出来た。私の音楽体験の一番濃い一年だったように思う。

 一九八〇年代の音楽界は、昭和御三家(朝比奈、山田、渡邉)が元気に活躍しているところに、中堅若手の指揮者も伸びてきて、楽壇全体に活気が漲っていた。アケさん、ヤマカズが死んだとき、音楽ファンは何時でも聴けると思っていた昭和御三家の偉大さに気付き、その後の朝比奈フィーバーへ向かったのだと思う。朝比奈が録音、映像ともに多く残されているのに、渡邉、山田は少なかった。しかし最近になって、渡邉は日本フィルが膨大な録音を一気にCD化、山田は各社から音源が復活している。日本にもこれだけの大音楽家が存在したことを後世に伝えるためにも、このような動きを心から歓迎したい。決して大儲けが期待出来る類の事業ではないので、関係各社の良心にすがって、この動きが続くことを祈っている。
 あまりの嬉しさに、全部一気に観てしまった。もう一度一曲づつじっくり観直そうと思っている次第。

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