« ジャパンスネークセンター | トップページ | 猫の家出 »

2010年6月15日 (火)

都民劇場音楽サークル第五七九回定期公演

スウェーデン放送交響楽団
指揮/ダニエル・ハーディング

モーツァルト/歌劇「ドン・ジョヴァンニ」序曲K.五二七
R.シュトラウス/交響詩「ドン・ファン」作品二〇
マーラー/交響曲第一番ニ長調「巨人」
ヴァグナー/楽劇「トリスタンとイゾルデ」から「愛の死」(アンコール)

二〇一〇年六月十四日 東京文化会館

 友達が行けなくなったと、都民劇場のチケットをくれた。東京文化会館でマーラーが聴けるということで、久々の上野へ。

 「ドン・ジョヴァンニ」はキビキビした快演。今時普通なのかも知れないが、思春期にベームやフルトヴェングラーを聴いて馴染んでいるため、とても爽やかに聞こえる。そして、単純だが聞き慣れない演奏会用コーダを聴くと得した気分になる。
 編成が大きくなった「ドン・ファン」は今一。音楽にメリハリが無く重苦しい。一週間も煮込んでしまったおでんのように、どこもかしこも同じ味しかしない感じなのだ。変わったことはやっていないし、下手でもないのだが、面白くないし決まり所が決まらない印象。
 後半のマーラーはいい感じで始まったが、第一楽章提示部を繰り返す。色々意見はあるだろうが、せっかくいい感じで始まったのに頭に戻ってしまうのは緊張感が途切れる。展開部以降は色々とテンポやアクセントの付け方に工夫が見られた。第二楽章も同様に同じ音型の繰り返しでは音量やバランスを変えるなど、若手らしい試みが見られた。第三楽章は冒頭のコントラバスをソロではなく八人全員のトゥッティで弾かせる。最新の国際マーラー協会版の楽譜ではそのような指示になっているようだが、実際の演奏で聴くのは初めてだ。慣れの問題かも知れないが、やはりここはソロで弾いた方が素朴な感じがしていいと思う。第四楽章も色々テンポやバランスを工夫していた。コーダのホルンのコラールを楽譜通り立奏させるだけでなく、トランペットとトロンボーン各一本で補強するのはスコアの注意書き通りの処置だが、音量と引き替えに「トランペット、トロンボーンをかき消すホルン」というマーラーの当初の意図からは遠ざかっている気がする。もっともこれは演奏者の立場で自作を改訂してしまうマーラー自身の悪癖で、コラールの旋律を強調するのが主なら盛大に金管バンダを加えればいいし、ホルンを強調したいならホルンのみを増強すればいいと思う。マーラーが振ったオケの事情がスコアに反映されて残ってしまうのは困ったものだ。
 オケは巧くはない(落っこち散見)が、奏者全員が楽しそうで好印象。ファゴット奏者二名がヘッドレストのような物を背後に立てていたが、シンバル難聴を防止するためか。第一ティンパニが音量が足りず、決め所が締まらなかったのが残念だった。しかし、何よりもハーディングの音楽作りがしっくり来なかった。無視されがちな絃のポルタメントをしっかり行ったり、テンポやバランスを工夫し、時に極端なデフォルメをするなど努力はしているのだが、何だか迫ってこないのだ。同じ巨人でも数年前に聴いたドゥダメルはやりたいことをやっているのがゴリゴリ胸に迫ってきたのに。一青窈の歌の歌詞ではないが「笑うツボが一緒」ということは結構大事で、ドゥダメルとは笑うツボが一緒なのに、ハーディングとは正反対のようだ。これは、ドゥダメルが優秀な指揮者で、ハーディングが無能な指揮者ということではない。単純に好き嫌いの問題だ。
 アンコールは「トリスタンとイゾルデ」から「愛の死」。熱狂した聴衆を静める選曲だが、老人会のような都民劇場の客には、家まで辿り着く元気が出るよう、「威風堂々」とか「ラデツキー行進曲」あたりの方が適切だったのではないだろうか。とにかくスヤスヤ寝ている老人ばかりの客席だった。

|

« ジャパンスネークセンター | トップページ | 猫の家出 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« ジャパンスネークセンター | トップページ | 猫の家出 »