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2011年8月15日 (月)

中央線の車内放送

 毎日通勤で利用しているJR中央線の快速電車。新型のE二三三系に置き換えが完了し、車内放送も自動化された。発車直後の「次は○○」と、到着直前の「間もなく○○」の放送が、録音された女性の声で日本語と英語で流れるのだ。
 最近気づいたのだが、その自動放送の英語の部分に変化が見られた。「The next stop is Shinjuku.」などという中の駅名の部分が差し替えられたのだ。今までは全てネイティブらしい女性が、駅名も英語らしい抑揚を付けて読んでいた。基本的に二音節の駅名は頭に、三音節の駅名は二音目に、それ以外では変なところに妙なアクセントがついて、とても面白い。中でも「Kitty George」と聞こえる吉祥寺や、「信二君」と聞こえる新宿はなどは傑作だったと言える。
 ところがその駅名の部分だけ、日本語ヴァージョンと同じ音源に差し替えられ、別に面白くなくなってしまった。部分的な差し替えをするのは結構手間だから、何か理由があったのだろう。どこぞの偉そうな人とか何かが苦言を呈したとかいう、どうでもいい話だろう。どっちの方が英語人に判りやすいとかはどうでもいいのだが、ちょっと楽しみが減ってしまったような気がする。JRも少しは遊び心を持って、十編成に一つくらい元のやつを混ぜておいてくれると、当たった時に嬉しい気がする。ええ、遊びじゃないから無理なのは承知してます。ふざけて言ってみただけです。

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2011年8月 4日 (木)

志ん朝と老松

 古今亭志ん朝が亡くなってから早いものでもう十年。北海道へ向かう寝台特急の車内で訃報を聞いた時の事を思い出す。
 生前は本人が許可しなかったため、CD等が少なかった志ん朝だが、没後色々な音源や映像が発売されたのは嬉しいことだ。最近になって二種類のCDボックスを聴くことが出来た。

「志ん朝初出し」(来福/ソニー CD十二枚組)

 畏友K女史から貸していただいた。一九六六年から一九九五年までの東京放送(TBS)の放送音源。この中でもっとも貴重なのはCD四の「ちきり伊勢屋」と「崇徳院」である。この二席だけは志ん朝と春風亭柳朝が続けていた勉強会「二朝会」の実況録音である。ブックレットの解説によれば、それ以外の何席かも二朝会の録音としているが、ここが曖昧なのだ。「よってたかって古今亭志ん朝 (文春文庫) 」の巻末資料によれば、自主的な二朝会は霞ヶ関のイイノホールで一九六九年七月から当初不定期、後に隔月(偶数月)で行われ一九七四年十二月の第二十八回が最終回となっている。なので、一九七七年録音の「鰻の幇間」や「大山詣り」が二朝会の録音のはずはない。しかし、どうやら二朝会という名称は本家の自主公演以外に「柳朝・志ん朝二人会」のタイトルとして地方営業などもしていたようだ。なので、もしかするとラジオ番組としての二朝会での録音なのかもしれない。なお、「ちきり伊勢屋」は前半のみの口演なので、オマケとして柳朝が口演したであろう後編も収録して欲しかった。
 「ラジオ寄席」は現在も継続(野球がない季節だけ)している番組だが、東北地方での収録となる。二千人規模の会場に地方の招待客という最悪の客層なので、反応が悪いのが残念。「ビアホール名人会」は銀座ライオンで公開収録していた落語番組で、こちらは客が殆ど酔っぱらい。反応はいいのだが、時に悪受けする客がいるのが苦々しい。
 「犬の災難」「坊主の遊び」「ちきり伊勢屋」「宮戸川」「片棒」「野ざらし」「紙入れ」「風呂敷」「へっつい幽霊」「妾馬」は他に音源が出ていないので貴重だ。放送用の録音では避けて通れない時間の制約を感じさせる口演も幾つかあり、「妾馬」などは端折りすぎで勿体ない。一方放送音源なので、録音状態は良好で、AMステレオ導入(九二年三月)後はステレオ収録の音源もある。

「東横落語会 古今亭志ん朝(小学館 CD二十一枚組)」

 一九五六年から一九八五年まで続いたホール落語会の老舗、東横落語会での高座の内、一九七七年以降の記録用録音。テープの保存状態が悪く、一部聞き苦しいものもある。東横落語会の音源は、圓生や小さんのものは結構出ているので期待していたが、このように纏まった形で出してくれたのは有難い。特に「鰻屋」「近江八景」「首ったけ」「稽古屋」「蒟蒻問答」「千両みかん」「たがや」「豊志賀の死」「猫の皿」は唯一の音源である。一九七八年五月二十九日の「船徳」のマクラで、「宗珉の滝」を予告して稽古も始めていたのだが、それどころでなくなったと断っているのは、丁度落語協会分裂騒動の最中で、五日前の二十四日に記者会見、翌二十五日に席亭勧告により圓蔵と志ん朝一門は協会に復帰したゴタゴタの事を言っているのだろう。この日、当の圓生はトリで「樟脳玉」を演じ、開口一番「時の人がお目通りを致します」と言っている。

 さて、この二組のシリーズだが、どちらも若干の不満がある。出囃子がしっかり収録されていないものが多いのだ。「初出し」の録音時期が古いものは生演奏の出囃子だが、「ラジオ寄席」「ビアホール名人会」はテープ。「東横」の方は全て生演奏だが、途中からフェードインして、出囃子の終わりの所しか収録されていない。東横落語会のお囃子は、八〇年頃まで平川てる、橘つやの名人コンビが弾いていたはずなので勿体ないと思う。志ん朝は圓生と違って、出囃子一杯で上がる(出囃子の曲の長さに合わせて高座に上がり、曲の終わりとお辞儀がピタッと合うようにする)ことをしなかったので、変なところで終わったり、曲一杯になるかと思ったらちょっと足らなかったりというお囃子さんの苦労が面白いのだが、このCDセットではそれらを楽しめる部分は少ない。ちなみに、ソニーの「落語名人会」「志ん朝復活」シリーズでは出囃子がきっちり収録されているので、大変面白く聴ける。

 志ん朝の出囃子は老松という曲だが、本当に志ん朝の芸風とぴったりな出囃子だ。
 学生時代に新宿末廣亭や旧池袋演芸場で志ん朝の出番が来ると、本当にドキドキしたものだった。当時は予告無しの代演は当たり前で、客席に座って出番が来るまで目当ての噺家が出るかどうか判らなかった。そんな時、前の演者が下がって老松が流れると高座が急に華やかな雰囲気になったものだ。志ん朝が出るという喜びと、何をやるんだろうという期待(何故か寄席では宿屋の富に当たることが多かった)が客席全体を包む中、扇子と手拭いを両手で持ったいつもの格好で袖から現れると、何とも言えない寄席の醍醐味を味わえたものだ。
 私の親くらいの世代の落語ファンは、同じ気分を文楽の野崎、志ん生の一丁入り、圓生の正札附、柳好の梅は咲いたか、可楽の勧進帳などで味わったのではないかと思う。
 近年では出囃子を先代から引き継ぐことが多いようだ。噺家の名跡はケチケチしないで下手でも何でも継いだ方がいいと思うが、出囃子は継がない方がいいと思う。芸風が違うと違和感を感じるし、似ていると物真似のように感じてしまう。現正蔵、可楽、円楽、金馬、(名前は継いでいないが)伯楽、鳳楽などは師匠の影を引きずっているようで損をしていると思う。
 私は一時期真剣に噺家になろうかと思っていた時期があったが、その時既に出囃子は「波浮の港」か「鞠と殿様」にすると決めていた。現在では「鞠と殿様」は林家彦いちと新山真理が使っているが、「波浮の港」はまだ誰も使っていないようだ。

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2011年8月 2日 (火)

前島良雄「マーラー 輝かしい日々と断ち切られた未来」(アルファベータ二〇一一)

 新聞の広告を見て購入。価格を見てかなり躊躇したが、この手の本は文庫になったりはしないだろうと思い決断。三千円に近い本を買ったのは久しぶりだ。

 マーラに関する書籍やレコードの解説を読むと、マーラーの人物像がある一定のイメージで固まってくる。天才作曲家、指揮者でありながら協調出来ない性格が故に周囲とは常にトラブルを起こし、やっと手に入れたポストも周囲との軋轢で追われ、曲も理解されることがなかった。兄弟を早く亡くしたせいで常に死の恐怖に付きまとわれ、特に晩年は心臓疾患の悪化により、作品には濃い死の影が感じられる。生前は理解されることの無かった孤高の天才で、いずれ自分が評価されることを予言して死んでいった。簡単に書けばこんな調子である。私も中学生の頃から孤高の天才マーラーという人物像を疑うことなく信じてきた。
 しかし、筆者はそのようなイメージを払拭し、マーラーの実像に迫る。諸悪の根源は妻アルマ・マーラーの回想手記(未読)であり、その記述を無批判に様々な文章が引いたため、アルマの作ったマーラー像が一人歩きをしたのだ。有名人の未亡人というものは、その未亡人期間が長くなるほど亡夫の記憶を自分に都合良く取捨選択(時に捏造)する傾向があるようで、アルマの手記は、自分を孤高の天才を健気に支えた妻という位置に置きたいが為に、事実を歪曲し、エピソードを捏造している部分が多く見受けられるようだ。
 この本を読み終わると、当時作曲家としても指揮者としても第一人者で、楽壇の頂点に君臨したマーラーという正しい姿が見えてくる。指揮者としては三十代からヴィーン宮廷歌劇場の総監督、ヴィーン・フィル常任指揮者、メトロポリタン歌劇場指揮者、ニューヨーク・フィル常任指揮者という輝かしいポストを歴任た他、各地から客演の要請も多く、ヴィーン宮廷歌劇場では他に客演ばかりしているという批判が高まって辞任の要因になった。作曲家としては、自作曲はあちこちで演奏され、他の指揮者にも何度も取り上げられている。客演したオケでは、次回は自作の演奏をという要望が多かった。しかし、晩年まで多忙な演奏活動を積極的にこなしていたが、感染性の病に冒されて本人も予期しない死を迎える。確かに齢五十にして、欧米の最高のオペラハウスとオケのシェフを務め、作曲家としても売れっ子だったマーラーに、孤高の人というイメージはそぐわない。我々は初めてマーラーの実像を知らされたような気がする。
 大変よく調べてあり、マーラーが好きな人にとっては目から鱗が落ちるような一冊だ。この手の評伝では、翻訳の下手さに呆れることが結構あるので、最初から日本語で書かれているのは有難い。それにしても、主に書簡などが資料となる本書の執筆を、外国人である日本人の著者が書いたということは、語学が苦手な私のような人間にとっては信じられない偉業だ。著者への経緯を込めて、マーラーが好きだったら税込み二七五〇円は全然高くないと思う。

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