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2011年10月30日 (日)

山田一雄没後二〇周年記念・交響作品展

オーケストラ・ニッポニカ第二〇回演奏会
「山田一雄没後二〇周年記念・交響作品展」

二〇一一年一〇月三〇日(日) 紀尾井ホール

山田和男(一九一二~一九九一)
大管絃楽の為の小交響詩「若者のうたへる歌」(一九三七)
交響組曲「呪縛」(一九四〇)*
もう直き春になるだらう(一九三八)*
日本の歌(一九四四/一九五九)*
おほむたから作品二〇(一九四四)
大管絃楽の為の交響的「木曾」作品十二(一九三九)

山田英津子(ソプラノ)*
管絃楽/オーケストラ・ニッポニカ
指揮/田中良和

 山田一雄(以下ヤマカズ)が亡くなって二〇年。夕食を食べながら聴いていたFMラジオで訃報を知り、思わず箸を落としたあの日の事を、まるで昨日の事のように思い出すが、年月は確実に過ぎていく。近年、ヤマカズさんの再評価が進んでいるのは嬉しい限りで、この演奏会も嬉しい企画である。

 「若者のうたへる歌」は「題名のない音楽会」の追悼番組で演奏された録音を持っていて、随分聴き込んでいたのだが、今回の演奏を聴いて、初めてその録音が短縮版(若干ではあるが)であったことに気づいた。スコアを見ているわけではないので確たる事は言えないが、経過句のような部分が何箇所か端折られていたようだ。演奏は録音で聴いていた朝比奈千足指揮東京フェスティバル・オーケストラのやっつけ仕事な演奏に比べ、メリハリの利いたいい演奏。若干若書きの感もある曲だが、それがかえって魅力になっていたと思う。
 「呪縛」は初めて聴く曲。元はバレエ音楽で、四曲からなる構成。二曲目には意味不明な歌詞の独唱が加わり、三曲目はごく短い。バレエ音楽らしく旋律も親しみやすい曲だ。
 前半の最後は「もう直き春になるだらう」。一九九二年一月三十一日、雪降る日の神奈川県立音楽堂で行われた山田一雄追悼演奏会。杖を突いて舞台に現れた三宅春惠が、最後(三曲目)にこの曲を歌い、舞台正面に掲げられたヤマカズさんの遺影に笑顔で手を振って袖へ下がっていったあの演奏会以来、私はこの曲を涙無しに聴く事は出来ない。山田英津子の独唱では一九九二年八月十六日の新星日本交響楽団の山田一雄メモリアルコンサートで聴いている。今回も十九年前と同じく、ゆっくり目のテンポで噛み締めるような歌唱で、曲の美しさが最大限に生かされていた。この曲に関して言えば、山田英津子は最高の歌い手で、レコードで聴く伊藤京子など足元にも及ばない。
 休憩後は「日本の歌」。ドラマティックな曲なので、山田英津子の声量の無さが目立ってしまう。伴奏の楽器が厚くなると声が聞こえないのは致し方ない。この曲も、「もう直き春になるだらう」も、ピアノ伴奏の方が曲自体を楽しめるような気がする。山田英津子は、拍手を受けてはにかむときの表情が一瞬ヤマカズさんを彷彿とさせる。独自の活動をしているようなので、応援したいと思う。
 「おほむたから」を聴くのは二〇〇一年四月二十八日の飯守泰次郎指揮新交響楽団による没後十周年演奏会以来。初めて聴いたときは相当衝撃的な作品という印象だった。今回聴いてみて改めて感じたのは、何かをやり遂げたような感じである。戦局も悪化した一九四四年の作品で、大師匠に当たるマーラーの本歌取りというこの作品には、ヤマカズさんがその時点でやり残す事が無いようにという気持ちで書いたような気がするのだ。もっとも、作曲時点でヤマカズさんが敗戦を予感していたかなど知る由もないが、生前総譜の存在すら曖昧にしていたというのは、もう死ぬと思って若い頃に書いた遺言のように気恥ずかしかったのではないか。
 「交響的木曾」は一九九二年七月十九日の小泉和裕指揮新交響楽団による追悼演奏会で聴き、その録音をCDで持っている。言うまでもなくヤマカズさんの代表作であり、絢爛豪華な作品と言っていいと思う。よく練習していると感じさせる演奏で、席が舞台に近かったせいもあり、録音では気がつかない内声部の動きなども聞こえて面白かった。この曲の影響で外山雄三は「ラプソディ」を書いたそうだが、日本のオケが海外に持って行くなら、断然この「木曾」の方がいいと思う。

 田中良和の指揮は、特に変わった事はしていないが、アマオケをきっちり纏めていたと思う。このような曲を紹介する趣旨の演奏会では、出しゃばらずにいい仕事をしていた。このオケは最近まで伊福部作品のぶち壊し演奏で名高い某指揮者が音楽監督だったので足が向かなかったが、田中が振ってくれるなら面白いと思う。
 またこの演奏会は、CD化前提と思われるマイク群がセットされていたので、音源が市販されて何度も聴けるようになる事を望む。

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2011年10月24日 (月)

野外用蚊取線香皿

 夏場のキャンプや車中泊旅行では蚊に悩まされることが多い。森の中のキャンプ場などでは藪蚊の集中砲火を受けるので、肌の露出している部分には虫除けを塗るが、うっかりテントの中に入られると服の上から刺される。車中泊でも、蚊が一匹車内に入り込んだだけで、安眠は妨げられる。そこで頼りになるのは昔ながらの蚊取線香である。
 キャンプの場合はテントサイトの周辺や、テントの入口に複数配置するが、この場合は熊笹の茎をナイフで切って地面に突き立てればいい。そして自分自身にも吊り下げ式線香皿をぶら下げる。車中泊の場合は、車外で一杯やったりしている間、吊り下げ式線香皿で蚊取線香を焚く。車内で寝る時は電池式の蚊取り機を使用するが、それ以外では吊り下げ式蚊取線香皿が大活躍するのである。
 最初はホームセンターで買った安い線香皿を使っていた。これは普通に使っている分には何ら問題ないのだが、水気に弱いのが欠点だ。寝る前に線香を消火して、片付けてしまえばいいのだが、外で焚きっぱなしにしておくと夜露を吸ってしまう。雨に当たっても同様である。皿側の構造がグラスウールのフェルトになっており、ここが水気を吸ってしまうと、昼間天日で乾かさないと使えなくなってしまうのだ。
 そこで次に買ったのが、皿側も蓋側もガラス繊維の網になっているフマキラー製の線香皿。これは今シーズン大活躍した。キンチョー製の線香皿も両側網の構造だが、網と皿(蓋)が分離する方式で扱いにくい。フマキラー製のものは網が皿(蓋)から外れない一体型なので、開いた途端に網が転がり出すようなトラブルが無く使いやすい。勿論、網とはいえ雨に当たったり水没したりすれば駄目だが、夜露で使用不能になったりはしない。大変使いやすかったのだが、ヤニが溜まって開閉がしづらくなるので何度か水洗いしている内に、繊維が緩んできたのか網が弛んできてしまった。それほどの使用頻度ではないが、一シーズン程度しか持たないようである。
 そして遂に発見した究極の野外用蚊取線香皿。児玉兄弟商会の携帯防虫器。まず作りが堅牢で、目立つ朱色の塗装が、実用一点張りで良い。そして画期的なのが蚊取線香を保持する方法が、皿側と蓋側に放射状に配置された鋸刃状の金具で押さえるようになっている。これならば例え水没させても、水を切って新しい線香を乗せれば即座に使えそうだ。更に、蓋側のスリットが吊り下げた時に下向きに開いている構造になっており、雨が降っても飛沫が中に入りにくい。そして、おまけとしては、皿の背中にタッパーウェアのような蓋が付いており、予備の線香一枚(二本)が収納出来るので、一日程度なら予備の線香を別に持ち歩かなくても大丈夫だ。
 パッケージには同社の防虫香、森林香、パワー森林香専用と明記されている。この森林香とパワー森林香は一般的な蚊取線香より随分太いので若干不安だった。しかし、買い置きの安物の蚊取線香で試してみると、何ら問題なく最後まで焚く事が出来た。
 本体は全て金属製なので、面倒なヤニ掃除も簡単に出来そうだ。
 丈夫で、雨や夜露に強く、手入れが簡単で、予備線香を収納出来る。たかが吊り下げ線香皿で千円を超えるのは高価い気もするが、これだけ考えて作られているなら納得である。今シーズンはもう出番は無さそうだが、来夏の活躍が期待される。

http://www.e-kodama.jp/products.html

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2011年10月 7日 (金)

近代デジタルライブラリー

 携帯電話をスマートフォンにしたので、青空文庫のビューアーをインストールして三遊亭円朝の速記や海野十三のSFを読んでいる。先日も「札所の霊験」を読んでいたら、永禅和尚とお梅が高岡から逃げる道行き(円生の口演より後の部分)が、「高岡の宗慈寺(総持寺)~いすの宮(伊豆の宮)~大沓川(神通川)川上の渡し~笹津~のり原(楡原)~いぼり谷(庵谷)~片掛~湯の谷(猪谷)~小豆沢(加賀沢)~杉原~靱(打保)~三河原(三川原)」(括弧内は実際の地名)と記されており、何度も釣りに行っている神通川上流部から、私の遠い先祖の出所である杉原を通る事が判った。今でさえ谷の深い険しい道のりなのに、円朝が口演した明治半ばでは、どれほど困難な道のりだったのだろうかと想像が拡がった。
 ところが、近年では柳家喬太郎が高座に掛けているという「熱海土産温泉利書(あたみみやげいでゆのききがき)」が、まだ青空文庫でテキスト化されていないようだ。この噺は舞台が八王子と熱海を中心となるらしく、土地勘もあるので是非是非読んでみたいのだ。
 そこで、ネットで拾えないかと検索してみたところ、国立国会図書館の近代デジタルライブラリーで発見した。この、近代デジタルライブラリーというのは著作権の切れた書物をデジタルスキャンした画像を閲覧出来るサービスだ。なので、ここにある熱海土産温泉利書は明治二十二年に日本橋の金泉堂から発行された初版(恐らく)のスキャン画像である。ということは、私が常々この状態で読んでみたいと思っていた、旧字旧仮名総ルビ、句読点改行無し、更には変体仮名使用という、読み難いこと甚だしい代物である。しかし、明治の文学をリアルに楽しむには原文に近い方がいい。最上の状態である。
 有難いことにこのサービスでは、十頁毎に印刷かダウンロード(PDF形式)が出来る。早速全頁印刷してみた。画像が本の見開きで一枚なので、横長でファイルすることになるのがちょっと扱いづらいが、贅沢は言ってられない。慌てずにじっくり読んで、読み終わったら足跡を辿って熱海にでも行ってみたいと思う。

 この近代デジタルライブラリーでは現在二十四万冊の書籍が閲覧出来る。他の円朝作品のみならず、明治の文学、地図、楽譜に至るまで、様々な文書があるので、楽しみは尽きないと思う。一度は行ってみたいと思っていた国立国会図書館だが、このような形で気軽に利用出来るというのは本当に有難い。古いことを調べたりするのが楽しくなりそうだ。

近代デジタルライブラリー http://kindai.da.ndl.go.jp/

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