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2011年11月26日 (土)

NHK交響楽団第一七一四回定期公演

NHK交響楽団第一七一四回定期公演

マーラー/リュッケルトによる五つの歌
マーラー/交響曲第四番ト長調

ダニエレ・ハルプヴァクス(ソプラノ)
管絃楽/NHK交響楽団
指揮/準・メルクル

二〇一一年十一月二十六日 NHKホール

 先々週に続き、N響の十一月A定期初日に足を運ぶ。

 A定期のピンチヒッターは準・メルクル。名前は聞いた事がある指揮者である。先ず、リュッケルトの詩による歌曲を五曲。順に「わたしの歌をのぞき見しないで」「ほのかなかおり」「真夜中に」「わたしはこの世に忘れられ」「美しさを愛するのか」。マーラー好きの私だが、歌曲は「若人の歌」くらいしか聴いていない。リュッケルト歌曲も一二度聴いた事があるという程度の曲ばかりだ。軽めの曲を先にやって、重めの曲を後半に配置した並びだが、最後の二曲が良かった。ハルプヴァクスは声量十分で、オケの伴奏と堂々と渡り合っており、メルクルは丁寧に伴奏していた。

 四番の交響曲は素晴らしかった。第一楽章から思い切ったテンポの緩急や表情付けで、メルクルはやりたい事を思い切ってやっている。その濃厚な音楽作りがマーラーの本質に迫っていると思う。続く第二楽章も同様に、ここはこんな風に演奏して欲しいと思う通りの演奏。N響も若干綻びはあるが良い反応で、人民席からは楽員の表情までは判らないが、楽しそうな音がしている。今回のコンサートマスターは、ゲストのヴェスコ・エシュケナージという人だが、第二楽章のソロも特筆すべき事は無かった。
 第三楽章は更に名演。下手に演奏すると退屈なBGMになる楽章だが、大丈夫かと心配になるような遅いテンポなのに音楽が充実しており、大袈裟でなくこの楽章がいつまでも終わらなければいいのにと思った。目を閉じて聴いていると、何度か自分が今何処にいるのか判らなくなるような(眠かっただけか?)陶酔感のある演奏だった。特筆すべきは楽譜に指定されている絃楽器のポルタメント(音のずり上げ、ずり下げ)をとても効果的に活かしていたこと。少し前にはポルタメントの指定はマーラーが活躍した時代の流行として、ほぼ採用しない指揮者が多かった。私も楽譜に書いてあるポルタメントを全て行うべきかと考えると結論が出ないが、然るべき箇所で上手に表現すると、この世の物とは思えないような世界が表現出来ると感じた。
 第四楽章は歌がメインになるので評価が変わってしまう。残念ながらハルプヴァクスの歌唱は、リュッケルトでは悪くないが四番ではダメ。バーンスタインが結果としては失敗と評価されているがボーイソプラノを起用した気持ちが理解出来るが、この曲はドラマティックな声で上手に唱ってはいけないのだと思う。ハルプヴァクスは声が太くて雄弁すぎ、音程の悪さもやや気になる。この楽章のソプラノ独唱は、天上からの声という雰囲気が必要なので軽い声質の方が向いているが、大編成のオーケストラに負けずに唱わなければならないので大変難しい役所である。

 二回続けて千五百円で素晴らしい演奏を聴く事が出来た。来週に迫ったデュトアの千人に期待が高まる。

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2011年11月12日 (土)

NHK交響楽団第一七一二回定期公演

NHK交響楽団第一七一二回定期公演

マーラー/交響曲第一〇番より「アダージョ」
マーラー/交響曲「大地の歌」

クラウディア・マーンケ(アルト)
ジョン・トレレーベン(テノール)
管絃楽/NHK交響楽団
指揮/ワシーリ・シナイスキー

二〇一一年十一月十一日 NHKホール

 マーラーの没後百年の年の後半に、N響が、四、八、十番と大地の歌を立て続けに取り上げるので、十数年ぶりにN響の定期公演に足を運んだ。先ずは十一月のC定期初日。
 指揮者が当初予定の人から変更になった。その人が誰だか、既に定かでない。千五百円で十番と大地の歌が聴けるというだけの理由でチケットを買ったので、演奏者について何も知識がないのだ。
 前半の十番はほぼ予想通り。代役の知らない指揮者にN響の反応が悪い上に、低音が薄い曲(完成していないという見方も出来るだろう)なので、三階後方の人民席では音圧が低く迫ってこない。NHKホールはクラヲタが言うほど悪いホールではないと思っている(響きのバランスなど)が、音圧の無さは仕方ない。
 大地の歌は交響曲と言うよりは管絃楽伴奏の歌曲なので、歌手の実力で出来不出来が決まる。第一楽章が始まった途端にがっかりした。テノールは楽譜から一時も目を離さないが、どうにか唱えましたという感じ。体格のわりに声量不足で、オケにかき消されて聞こえない部分が多い。取り敢えず間違わずに唱いましたという出来で、なんでこんな下手な歌手を呼んだのかと首を傾げたくなる。諦めに似た気持ちで第二楽章を聴き始めて驚いた。アルトの歌手がものすごく上手いのだ。アルトだがくぐもらず通る声質で声量も十分。時にハッとするような魅力的な表情付けをする。思わず聞き惚れてしまい、いつの間にか大地の歌の世界へ引き込まれてしまう。そして第三楽章では再びガッカリし、第四楽章では再び聞き惚れる。途中から期待した通り、終楽章の「告別」は絶品。マーンケの絶唱に応えるように、N響も充実した音になり、まさか第一楽章では予想出来なかった大名演。盛大なブラヴォーの声が掛かるのも納得の演奏であった。
 私にとって大地の歌のスタンダードは、生まれて初めて買ったCDで聴いたバーンスタイン/イスラエル・フィル(ソニー、第九番、十番との三枚組CD)で、ここでのクリスタ・ルートヴィッヒのアルトを越える歌唱は無いと思っていた(ヴァルター盤のフェリアーはくぐもった声が好きになれない)。しかし、今回初めてルートヴィッヒに並ぶか、それを凌ぐ歌手に出会えた気がする。年明けにBSで放送するらしいので、聴き直すのが今から楽しみである。

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2011年11月 9日 (水)

ジムニーのステアリングシミー

 私の乗っている車はスズキのジムニーシエラJB43W。初度登録が二〇〇六年四月で細かく言うとJB43の5型と呼ばれるバージョンである。
 このクルマが、乗って約一年くらいから一定の速度になるとハンドルに振動が出るようになった。最初に感じたのは一年目に冬タイヤから夏タイヤに履き替えた時。時速七〇キロ台になるとハンドルに振動が出るのを確認し、単純にホイールバランスが悪いのだと思い、タイヤ屋で念入りにホイールバランスを取り直してもらうと、その時は症状が治まった。
 しかし、それから段々と症状が出るようになり、最近では七〇キロ台では盛大にハンドルがブルブル震えるのが当たり前になっていた。このとき窓から顔を出して前輪を見ると、前輪もハンドルと同じ周期で細かくヨーイングしている。流石にこれは何か対策をせねばなるまいと思い、同じ症状が出ている人がいないかネットで検索してみた。すると出るわ出るわ。呼び方はステアリングシミーとかハンドルジャダーとかバラバラだが、かなり多くの人が同じ症状に悩まされているようだ。中には動画をYouTubeにアップロードしている猛者もいて、私のより更にひどい様子を見ることが出来る。そして、嬉しいことにスズキからはこの症状に対応する部品、ブッシュとシムが供給されており、その後のマイナーチェンジでは新車時に対策が施されているようである。
 これだけの情報を集めてから、世話になっているディーラーに、FAXで現状と対応の可否を問い合わせる。数日経って電話があり対応は可能との回答。いつも通りスズキの純正部品は船便か何かで届くらしく、二週間も経ってから部品が入った旨連絡があり、日曜日に入庫する。見積りは工賃込みで約一万四千円とのこと。殆どが工賃なので、まあ妥当な線であろう。
 ところが翌日ディーラーから電話があり、部品を交換したが症状が残るので、ブレーキディスクとパッドも一式交換しないと駄目だと言われる。以前世話になっていた町の整備屋(廃業)では、ブレーキジャダーが出た場合迷わずディスク研磨で対応してくれていた。研磨出来ないか尋ねると、出来ませんとの答え。出来ないものは仕方ない。全部で幾らかと尋ねると約四万四千円とのこと。いずれブレーキディスクの交換は必要なので、ちょっと早めだけど仕方ない。ただ、車検整備でもないこの時期にこの出費は痛い。
 そもそも同型車で頻発している不具合なのだから、メーカー側が対策を講じてもいいくらいの問題であり、全部ユーザー負担というのもどうなのか。スズキという自動車メーカーは、いいクルマを作っていると評価するし、気に入ったクルマだからほぼ比較対照無しでこのクルマを買ったのだ。恐らくジムニー乗りの多くがそうであると思う。なので、惚れた弱みにつけ込んでディーラーの対応は随分と高飛車である。以前世話になっていた町の整備屋があれば、ディーラーなどに世話になる気はないのだが、たまたま一番近所のスズキのディーラーに頼んだので足元を見られている。
 元自動車メーカーの営業をしていた職場の先輩に聞いたところ、買いたいクルマが決まっているなら、ディーラー同士で競争させないと足元を見られるのだそうだ。正にそのパターンに填っているのである。何とか地元ディーラーをギャフンと言わせてやりたいものだ。
 残念ながら、四万数千円をかけて対策を施した我がジムニーシエラであるが、土曜日に引き取って運転してみると、ステアリングシミーの症状は概ね解消したという程度である。確か新車の時にもこんな感じだったと思い出す程度の、僅かなシミーは時々発生する。次回冬タイヤに履き替える時にホイールバランスをきっちり調整してもらって、様子を見るしかないだろう。ん~、はやり構造的な欠陥のような気がするんですけど。如何でしょうかスズキ自動車さん。

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2011年11月 7日 (月)

下野国風俗資料館

鬼怒川秘宝殿

 タイトルにはわざと通りにくい正式名称を書いてみた。鬼怒川温泉にクルマで行った人なら見掛けたことがあるであろう、あの建物である。昭和の時代には各地の温泉街の外れにあった秘宝館であるが、近年多くの秘宝館が閉鎖に追い込まれている中、頑張って営業を続けている。
 そも、秘宝館とは何ぞやと思う方は、ウィキペディアで調べていただきたいが、簡単に言えばエロ&面白の博物館である。脱力スポットや珍スポットと呼ばれるものが好きな身にとってはたまらない施設で、絶滅前に見ておきたいと思っている。しかし、わざわざそのために鬼怒川温泉まで行く気にもならないので、新潟からの帰路を、米沢、若松経由にして立ち寄ってみた。
 建物の外観は既に色褪せており、脱力指数が上がる。広い駐車場に先客のクルマは一台。もっとも、土曜日とはいえまだ午前中。本来は温泉旅館で一杯やった勢いで来るところだろうから、空いているのは当たり前か。入館料はネット情報では千五百円とのことだったが、窓口で爺さんが「割引で千円でいいよ」と言い、入場券と次回用の割引券をくれた。
 館内の展示物を順にタイトルで紹介すると、「竜王祭縁起」「下野国性神道中双六」「奉献虹見滝舞」「造下野薬師寺別当暮色」「板東武者出征前夜」「百花繚乱太閤幻夢」「雷鳴日光街道狼藉」「生写恋情壬生手管」「艶容温泉郷恋花開」「日本秘画ギャラリー」「エロスギャラリー」「ラブサイエンス」「ラブシネマ」「プレイホール」「ラブショップ」となっており、一応地元の風俗資料という方向性は持っているようである。
 「奉献虹見滝舞」は、動く人形と映像の作品で、本来は雨が降る仕掛けだったようだが、現在は雨は降らない。映像も薄暗くてあまり面白くない。次の「造下野薬師寺別当暮色」から「艶容温泉郷恋花開」までの六シーンが、この秘宝殿の白眉であろう。精巧に出来た人形と背景が実に良く出来ていて感心する。「造下野薬師寺別当暮色」と「生写恋情壬生手管」では人形が機械仕掛けになっており、落ちが付く構成。「板東武者出征前夜」は人形は動かないが、奥の障子に映る影絵が動く趣向。「百花繚乱太閤幻夢」「雷鳴日光街道狼藉」「艶容温泉郷恋花開」は動きのない人形だが、何れも精巧に出来ており、特に「百花繚乱太閤幻夢」は傑作だ。女の人形も数十年を経て随分色褪せているが、真新しかった頃はさぞやと思わせる造形である。
 その後はどうでもいい壁画や、性の科学的解説などがあった後、映画の上映室がある。覗いてみると画像の乱れた八〇年代らしきエロビデオが上映されていた。そして最後がゲーム機とグッズ販売コーナーになるのだが、何故かここに等身大のマリリン・モンローの人形がある。土台の部分を見ると以前は回転ベッドのように回っていたらしいが、今は回らないベッドに半分起き上がったモンローが艶然と微笑んでいる。
 ゲームコーナーのゲーム機やビデオ上映器は大半が故障しており、グッズも大して面白い物はなかった。しかし、日本中で秘宝館が消滅していく中、細々と営業を続けている鬼怒川秘宝殿に敬意を表したい。わざわざ来て後悔無し。特に人形の六シーンは良く出来ており、脱力系マニアには必見だ。何時閉鎖になるか判らないので、今のうちに見ておきたい。

Photo_7
※鬼怒川秘宝殿の内部は写真撮影可なので、画像はネット上に沢山転がってます。

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フェリーあわしま

フェリーあわしま

粟島汽船カーフェリー 六二六総噸
一九九二年新潟鉄工所で建造

 村上まで来て時間があるので、これも前々から行ってみたかった粟島に渡ってみることにした。
 粟島は笹川流れの沖約十八キロに浮かぶ東西四、四キロ、南北六、一キロ孤島で、人口は約三七〇人。最高峰の小柴山は標高二六五メートルである。
 粟島までは粟島汽船のフェリーと高速船が運航しており、夏の最繁忙期には一日に高速船三往復、フェリー二往復のダイヤを組んでいるが、十一月は閑散期なので高速船、フェリーとも一日一往復のダイヤで運行されている。そして、高速船の方は粟島に滞泊する運行なので、本土から日帰りするにはフェリーにしか乗ることが出来ない。しかし、一~二月の最閑散期は、フェリーのみ一往復で粟島起点の運行なので、日帰りは不可能になる。それに比べればまだマシといえるだろう。
 岩船港の乗り場から10時00分発の粟島行きに乗船する。カーフェリーだが、車両を運んでもらえるのは島民と業者のみで、マイカーで島に渡ることは出来ないらしい。船内に入ると客室は一フロアのみで、案内所と自動販売機があるのみ。一等船室が二室あるが、扉が透明で室内がよく見えるので、二等客にジロジロ見られそうだ。上部の甲板にも公園のベンチのような椅子席があり快適だが、特筆すべき事に遊歩甲板が船橋(操舵室)前まで回り込んでおり、乗客が前面の眺望を楽しめるようになっている。これは嬉しい配慮である。
 べた凪に近い海上状況で一時間半の船旅はあっという間。粟島に到着すると、まず村役場で自転車を借りる。そして、まず腹ごしらえということで村内の食堂に入り、名物わっぱ煮をいただく。これは丸い木製の器(わっぱ)に焼き魚を具にした味噌汁が入っており、これに焼けた玉石を放り込んでグラグラ煮立てるという料理だ。勿論、漁師が浜で焚き火をしながら体を温めるために作った料理なのだろう。焼け石でグラグラいってるものが出てくるとテンションは上がるが、食べてみるとさほどではない。焼き魚が固くて不味いのだ。恐らく本来は生の魚が入っており、良く煮えるまで玉石を取り替えて煮込んだのだろうが、食堂で出す場合はそうもいかないのだろう。一回しかグラグラ出来ないから最初から焼き魚を入れているのだと思う。まあ面白かったので良しとする。
 続いては島の最高峰、小柴山に登ろうと思う。ここには灯台があるはずだ。船上から島を眺めた時には何処だか判らなかったが、小さな島では取り敢えず一番高い所に登ってみたい。何とかと煙はという俚諺の通りである。地形図で見ると、標高一五九メートルの峠までは舗装路があり、そこから二六五メートルの灯台までは山道のようだ。峠まで自転車で登れば、登りは辛いけど帰りがとても快適であろうと浅はかな了見で坂道を登り始めた。
 三段ギヤ付きの自転車を借りたが、すぐに坂道がきつくなって自転車を押しながら坂道を登る。昼食後で満腹なのも手伝って、結構きつい。それでもゼイゼイ言いながら峠に到着。ここで自転車を置いて、階段の登山道を登り始める。ゆっくり一段一段上っていくのだが、何だかいつもと調子が違い、脚が思うように動かない気がする。途中休憩を取りながら辿り着いた小柴山は、一等三角点と灯台がある粟島の最高峰。三六〇度の大パノラマと思いきや、周りにも結構高い山があるので、海は山越に遠くしか見えない。それで船上から見えなかったのだ。納得して、今来た道を引き返す。階段を下るが、もっと脚が思うように動かない。平坦な道になっても歩き方が変である。運動不足だろうか。
 下り坂を自転車で快適に下り、村役場に自転車を返す。基本料金が一時間三百円で、以降一時間毎に一五〇円。私は三時間未満で六百円だったが、丸一日借りて島一周などしたら、村営とは思えない高額な貸し自転車になりそうだ。車両もボロなのだから、半日、一日単位にして、宿泊客には割安になるようにすればいいと思う。
 時間があるので島唯一の温泉施設、漁火温泉おと姫の湯に立ち寄る。こぢんまりとした施設で、海水のように塩辛い温泉につかる。
 15時00分発のフェリーに再び乗船。途中で高速船と離合するが、かなり距離を取っているので、写真も撮れない。岩船港に差し掛かる頃には日本海に夕陽が沈みかけて、絵葉書で見るような景色となった。
 なお、脚の違和感だが、翌日理由が判明。ただ登り坂を歩くのではなく、前傾姿勢で自転車を押すことにより、脹ら脛からアキレス腱にかけて強い負担がかかったようだ。翌日には脹ら脛がパンパンに腫れて、もの凄い筋肉痛に襲われた。

Photo_6
フェリーあわしま(粟島港停泊中)

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朝日スーパーライン

 毎年六月になると、三面川水系の猿田川に釣りに来る。新潟側の村上市(旧朝日村)から朝日スーパーライン(旧スーパー林道)を辿るのだが、この道は県境を越えて山形県鶴岡市(旧朝日村)へ通じている。平成の大合併以前は新潟県と山形県の朝日村同士を結ぶという面白い道だったのだが、現在は合併して面白くなくなってしまった。
 この道は朝日連峰の原生林を縦断するので、ブナの原生林を体感出来る。いつも六月から七月に訪れるのだが、新緑の眩しさは筆舌に尽くしがたい。スーパーラインに沿う猿田川は、入渓し易い釣り場なので、釣果はボチボチだが、鰭が真っ黄色な岩魚の姿はさすが天然物。小さくても溜息が出るほど美しい。
 以前八月の下旬に行ってみたのだが、クルマから降りた途端に虻の群れに襲いかかられて、這々の体で逃げ帰った事がある。長く通っている釣り師の伯父貴が言うには、昔から真夏になると虻が多くて釣りどころではないらしい。
 今回は釣り道具を一切持たずに、ブナ林の紅葉だけを目当てに訪れてみた。縄文の里の先にスーパーラインの入口ゲートがあるが、そこから既に紅葉はいい感じだ。スーパーラインを進むと、午後だったせいもあるが、六七月には考えられない対向車の多さである。やはり皆紅葉を愛でに繰り出しているようだ。
 十キロ少々進むと山形県小国へ抜ける道を分けるが、この先が縄文の里で見学した三面集落の在ったところだ。奥三面ダムは一九七一年着工、二〇〇一年竣工。三面集落の閉村は一九八五年だが、そこから湛水開始まで十五年もかかったらしい。東京の小河内ダムが戦争を挟んでも約二十年で完成しているのに対して随分ゆっくりな気がする。どれほど必要があって作られたダムなのだろうか。なお、三面川水系にダムは三箇所あり、この他に本流の三面ダムが一九五三年、支流猿田川の猿田ダムが一九五五年に完成しており、これら三つのダムで常時一八七〇〇キロワットの発電が行われているらしい。この夏は震災に伴う電力逼迫のため、午後になると放流量を増やしたため、鮎釣りが非常にやりにくかった。
 通常だとこの小国へ抜ける県道の他に、県境近くから高根へ抜ける平床林道という枝道もあるのだが、今年は災害のため全て通行止め。スーパーライン本体も山形県側は通行止めになっているので、袋小路の一本道である。猿田ダムを超えると紅葉は見頃を過ぎた感じだが、行けるところまで行ってみることにする。県境近くの鳴海金山の先でゲートが閉じられており、そこで引き返すことになった。
 猿田川野営場には水場(沢水を引いているだけだが)があるので、そこで車中泊をしようと思ったのだが、テントサイトにはクルマが二台乗り入れて、テントが四張も設営されている。とても入り込めそうにないので駐車場で車中泊。昼間は暖かかったが夜は冷え込む。夕食用に買った冷奴を急遽湯豆腐に変更。寒空に星を眺めながら酒を飲む。

Photo_5
スーパーラインから猿田貯水池(泥又川方面)を望む

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2011年11月 6日 (日)

奥三面歴史交流館「縄文の里・朝日」

 イヨボヤ会館に続いて、これも前から行ってみたかった、奥三面歴史交流館「縄文の里・朝日」に行ってみた。ここは三面川の最上流の集落、岩崩集落の先にある施設だ。展示内容は一九八五(昭和六〇)年にダムの底に沈んだ三面集落と、その周辺に点在する奥三面遺跡群の資料である。
 日本中にダム建設で消滅した集落は沢山あるが、この三面集落は山の奥の僻地で、大昔から続く自然と共存する暮らしを続けてきたようだ。郷土資料館のような施設は何処にでもあるが、これだけ特殊な暮らしをしてきた集落のものは珍しいだろう。狩猟に使う銛や弓矢などは珍しくないが、熊を圧死させる罠や、岩魚を捕るドウなど、山深い土地ならではだ。特に感心したのが実物大のゼンマイ小屋である。矢口高雄の漫画などで、季節になると山奥のゼンマイ小屋に泊まり込んでゼンマイ取りをするという知識はあったが、想像以上に立派な小屋を建てていたことが判る。
 四百円で入館出来る小さな施設なので、さほど期待はしていなかったのだが、展示内容は大変充実している。特に入館時に渡されるイヤフォンガイドが、説明が細やかで有り難い。入るときに五問の問題を書かれた紙を渡された。見学前に設問を読んで確認し、真面目に答えて記入したところ、全問正解という事で、資料館オリジナルの絵葉書セットをいただいた。せっかくなので、その日の晩に一緒に三面に釣りに来る伯父貴達に手紙を書いて、翌日粟島のポストに投函した。自分宛にも一枚出したので、粟島の消印が押されるのかが楽しみだ。
 帰りに館内にある食事処「やまびこ」に寄ってみた。イヨボヤ会館で海鮮丼を食べたので腹は減っていないが、「新そば」の張り紙があったので釣られてしまった。しかし、水とおしぼりを持ってきたオバサンが、「今日はそばが終わってしまって、うどんしかありません。」と言う。何か食べたかったわけではなく、新そばが食べたかっただけなので、申し訳ないが謝って店を出た。
Photo_2

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イヨボヤ会館

イヨボヤ会館(村上市内水面漁業資料館)

 渓流釣りと鮎釣りで、新潟県の三面川に何度も通っている。三面川は古くから鮭漁で有名な川であり、日本初の鮭の博物館であるイヨボヤ会館(イヨボヤは当地での鮭の呼称)がある。以前から興味はあったのだが、釣りのついでにはなかなか立ち寄れずにいた。いつか行きたいと常々思っていたが、今回思い切って、紅葉と鮭の遡上を見るために村上までやってきた。
 館内には色々な展示があり、卵の孵化コーナーや、淡水魚の展示などがある。アユカケの実物を初めて見る事が出来た。しかし、この博物館の白眉は何と言っても鮭の産卵シーンだ。館内の地下に面した人工河川と、地下の廊下を進んだ先にある種川(三面川を分流させて作った鮭の産卵場)をガラス越しに観察出来る迫力は圧巻である。
 先ず人工河川を観察する。鮭の産卵床になるような砂利の川底を造成してあり、沢山の鮭が群れている。サケ科の魚類に共通の、砂利底を掘ってた産卵床が幾つも見られ、時々鮭が産卵行動をしている。テレビで観た産卵シーンと同じだが、目の前で行われていることに感動を覚える。
 続いて種川の観察窓を覗く。こちらは自然河川の分流なので、そう簡単に鮭は見られない。ガラス越しには沢山のハヤ(ウグイ)が泳いでいるばかりだ。しかし、幾つもある観察窓を順に覗いていくと、鮭の居る窓を発見。メス鮭をオス鮭が盛んに追い回しているので根気よく眺めていると、遂に産卵の瞬間を見る事が出来た。しかし、その瞬間、周りを泳いでいたハヤ達が一斉に卵を狙って飛びかかるのである。オスが放精するのとハヤが飛びかかるのとほぼ同時だ。自然というのは厳しいものだと実感した。
 三面川では江戸時代から鮭を育てる漁業をしてきたという。資源の少ない日本で、動物資源を取り尽くすのは簡単だ。だのに、江戸時代から資源の保護に着目した先人の知恵に感動を覚えた。展示によると鮭の回帰率(産んだ卵に対し、成長して産卵に戻ってくる率)は千分の三だという。二匹の鮭から三匹の鮭が育てば拡大傾向だが、回帰した鮭が全て産卵出来るわけでもない。自然界では、消滅もせず爆発的に増えるでもないバランスが知らぬうちに均衡しているようだ。
 見学を終え、道路を渡って種川を地上から観察する。除き窓から遠い浅瀬に、産卵を終えた鮭の死骸が浮かんでいる。勝手な感傷だが、その姿から生命を繋いだ達成感を感じる。
 念願の鮭の産卵を見る事が出来たが、今度は鮎の遡上を見て見たい気がする。六月頃に来れば見られるのだろうが、その頃は渓流釣りのシーズンなので、そんな悠長な時間を捻出出来るかが問題だ。

Photo_3
人工河川での産卵の様子

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親鸞聖人立像

 文化の日を絡めて連休を取得し、計画性のない旅に出る事にした。鮭の遡上と紅葉を見物するという大雑把な目的はあるが、車中泊なのでスケジュールは無いに等しい。
 鮭の遡上は新潟県の三面川で見るのだが、前夜に発ってサービスエリアで一泊しているので時間に余裕がある。そこで、中条にある親鸞聖人像を見に行く。
 釣りの行き帰りに日本海東北道の上から遠くに見える仏像のようなもの。以前から何だろうかと思っていたが、ネットで調べると(「中条 巨大」ですぐヒット)、高さ四〇メートルの親鸞聖人像と判明した。高速を中条で降り、海岸方向へ向かって突き当たりを右折。程なく視界に現れる巨大像は一般的な巨大仏とはやや趣を異にする。何しろモデルが実在の人物なのだ。巨大物というものは、大抵神々しさと馬鹿馬鹿しさが合わさったような感想になるのだが、親鸞像はやけに生々しい。ネットで調べた所によれば、胎内巡りなども出来るようなのだが、それらしい案内の類は見当たらない。仕方なくぐるっと一周して全体を眺める。背中に二本、避雷針の電線が這っていて、土台の周りは池になっている。池の水は緑色に濁って透明度がほぼゼロだが、歩いていくと何者かが水の中で人の気配を察して逃げるらしく、水面がユラリと動く。姿は見えないが河童かも知れない。
 同じ敷地内に西方の湯という日帰り温泉がある。時間があるので一浴びしようと思い玄関を入るが人の気配がない。自動ドアが開いて中に入れるし、事務所に電気は付いているが、人がいないのである。玄関の外へ出て見回すと、営業時間は十時かららしい。まだ時刻は九時ちょっとだ。まだ営業時間前のようだ。
 玄関前で首輪を付けた白黒の子猫三匹がじゃれ合って遊んでいる。よく見ると一匹がメジロらしき小鳥を咥えている。子猫のくせに野鳥を捕らえるとは大したものだ。他の二匹はそのメジロが欲しいらしく追いかけ回しているが、狩人猫は唸って放さない。暫く猫たちを観察して、親鸞像を後にする。
Photo

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