談志の芝浜
NHKの談志追悼番組で芝浜(抜粋)を放送していた。二〇〇六年の収録とクレジットされていたので晩年の姿だ。
談志の噺を見るのは太田光がプロデュースしたDVD以来だが、かのDVDでは切り替わるカメラアングルに惑わされて、談志の芸自体を評価しづらかった。今回の映像は普通の映像なので、安心して観ることが出来た。
結論を一言で言えば、独りよがりな芸だ。どの登場人物(芝浜は二人しかいないが)も談志自身をしか感じさせず、徹頭徹尾談志が演じている次元から離れない。そして、科白がスラスラと出ないものだから、唸り声と身振り手振りと表情で表現する。これがまた紋切り型だ。噺の筋に入ってからは「斜めの圓菊」と全く変わらない。こう成ってしまうと映像無しでは聞き手に伝わらない。話芸でなくて顔芸である。かつて榎本滋民が圓生を評した「眼技」とは、似ているようだがメダカと航空母艦ほどの違い。どちらかと言えば、師五代目小さんの座敷芸、百面相のタコに近い。
女房が真実を告白して、亭主に「別れないでちょうだい、あんたが好きなの」と掻き口説く場面など、談志はこれがリアリズムだと思っているのかも知れないが、女房が談志のままなので観ていて居たたまれないし気持ち悪い。こういう芸が好きな客と、こういう芸を目指す噺家が結構居ることも事実だが、私には噺とは違う芸の一ジャンルとしか思えない。そして、高座全編で発散している「どうだ俺は巧いだろう」というオーラが煩わしい。
はっきり言えば談志の噺は下手である。立川談志という芸としては極まっているけれども、噺としては異端。立川談志としては名人。噺家としては普通かそれ以下。TBSが録った志ん朝の芝浜と観比べれば、噺家としての両者の実力の差は明らかだ。志ん朝や圓生の高座を映像で観ていると、何時の間にか演者の姿が消えるのである。例えば圓生の「木乃伊取り」。清蔵の最後の科白の後、圓生が向き直って頭を下げた時、「あ、圓生だったんだ」と我に返る瞬間がある。それまで観客は噺の世界に入り込んでしまい、酔っ払って楽しくなっちゃった清蔵を観ており、演者の存在を忘れているのだ。談志の高座ではこの感覚が皆無だ。
談志のファンというのはクラシック音楽界で云えば宇宿允人のファンみたいなもので、談志ファンであって、落語ファンではないのである。
一九七八年の落語協会分裂騒動を見ると、談志は志ん朝に嫉妬して、何とか志ん朝を超えようとあらゆる策略を練ったが、どうしても超えることが出来なかったようだ。いや、何とか追いつき追い越そうとすればするほど、差は広がっていくばかりだったと思う。将来落語協会のトップに君臨するために、圓生の不満に乗じて志ん朝と圓樂を追い出したが、計略外れて戻った志ん朝の香盤は下がらなかった。仕方ないからほとぼりが冷めた頃、真打昇進試験を言いがかりにして、協会から出て行った。
もし談志が協会に留まっていたら、圓歌の次の会長は談志だったろう。しかし、それは志ん朝が早死にした結果であり、志ん朝が生きている限り談志がトップに君臨することはなかった。志ん朝を追い越したかった談志は、どうしたって協会に留まることは出来なかったのだろう。
圓樂と談志が死んで、一九七八年の落語協会分裂騒動の首謀者が全員片付いた事になる。やはり気になるのは弟子たちの動向だ。圓樂と談志は自分が大将になるために弟子を道連れにした。追悼報道では両者とも弟子思いみたいに書かれているが、分裂前からの弟子は完全に被害者だと思う。先代金馬のように知名度のある自分はフリーになるが、弟子は協会に預けるというのが本当の弟子思い。圓樂の居ない圓樂党や談志の居ない立川流は苺の無いショートケーキみたいなもので、テレビに出ている数名を除けば、芸だけで食っていける芸人は殆ど居ない。しかし、今更協会に戻ろうにも難しいだろう。
黒円楽(楽太郎)は歌丸のつてで芸協に合流を画策したようだが、断られたようだ。圓樂が弟子入り五年程度の粗悪真打を量産したせいで、基本真打十五年の芸協が受け入れられるはずもない。立川流も独自制度なので同様だろう。
この際だから、圓樂党と立川流が合併して第三の協会を作るのがいいのではないか。客が呼べる(知名度があるという意味で、噺が巧いという意味ではない)のが円楽、好楽、志の輔、談春、志らく程度で。寄席の芝居は打てないだろうが、落語会ならばそこそこ工夫が出来るのではないか。
落語界の二悪人、圓樂と談志が野心に燃えて掻き回した落語界を、弟子たちがどう収拾を付けるのか、はたまた数名を残して野垂れ死にとなるのか。虎は死して皮を残し、談志圓樂死して弟子路頭に迷う。
さてこの収まりがどう付きますか。お時間で御座います。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
う〜む、なるほど。へべれけくんの文章を読んでいたら
自分が、幼い頃から「志ん朝大好き!」だった理由が
しみじみわかってきました。
投稿: 梅奴 | 2011年12月 9日 (金) 13時48分
梅奴さんコメント有難うございます。
志ん朝師では「四段目」の小僧がいいですね。芝居の事を考えている間、演者どころか小僧も消えて、すっかり芝居の世界に引き込まれてしまいます。
投稿: へべれけ | 2011年12月13日 (火) 12時08分