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2011年12月13日 (火)

幻の貨客船「ゆり丸」

ゆり丸(伊豆諸島開発) 貨客船四九六総噸
一九九八年関門造船で建造

 東海汽船から、かめりあ丸の代替船建造が発表された。予定通りに進めば、二年後には新造船就航となるので、あと何回乗れるかカウントダウンが始まった。年休消化を兼ねた休暇を取り、船に乗りに行く事にする。この時期に行くと、かめりあ丸だけではなく、幻の船ゆり丸に乗る事が出来る。一粒で二度美味しい、グリコみたいな船旅になる。

 日曜夜発の船は空いているだろうと思ったら結構な乗船率。どうやら島民が土日を東京で過ごして帰宅する需要が多いようだ。竹芝の船客待合所に着いてから、持ってきた株主優待券が去年の物である事に気づく。普段は割り引いてもらう分奮発して特二等に乗る事が多いが、今回は割引がないので二等和室。扉のすぐ横なので、誘導灯が眩しくて寝にくい区画だった。
 翌朝は式根島で下船。滞在時間が四時間あるので温泉で一浴するつもりだ。野伏港から歩いて地鉈温泉に向かう。北風なので波も静だが、適温の湯溜りが無い。あちこち探るが諦めて移動。足付温泉に行ってみると、こちらはぬるくて今一。松ヶ下雅湯は清掃中、さっき通った憩いの家は定休日。諦めようかとも思ったのだが、足付温泉の一番手前のぬるい湯溜りに入る。入ってみると、足元の細かい砂利の下から湯が沸いており、座ると尻の下から温まる。上半身はぬるい湯につかり、尻からじわじわ暖められるという理想の浴槽。誰も来ないので空を眺めながら野湯を堪能する。
 島内をぶらぶら歩いてから、池村商店で缶ビールとタタキ(魚のすり身を揚げた物)とお弁当を買い、野伏港の待合所で昼食にする。下田行きの乗船券を買うと、出札係のオバサンが「いつもは12時50分頃に入ってくるんですけど、きょうはゆり丸なので遅れています」と申し訳なさそうに言う。こちらは最初からそのつもりなので「承知してます。大丈夫ですよ」と答える。
 下田と利島、新島、式根島、神津島を結ぶ航路は神新汽船の運航で、通常は船舶ファン憧れの貨客船、あぜりあ丸(四八〇噸)が運行している。しかし、毎年十二月のこの時期はあぜりあ丸が入渠のため、伊豆諸島開発所属のゆり丸が代船として運行されるのである。このゆり丸という船は定期航路を持たず、あちこちに神出鬼没に現れるので、船舶ファンからは幻の船と呼ばれている。
 元の経緯を辿ると、小笠原の父島と母島を結んでいた伊豆諸島開発の航路に現在のははじま丸が就航した時(一九九〇年)、古いははじま丸(一九七九年建造)を第二ははじま丸と改名して予備船として残した。この予備船が、各所の代船として重宝されており、何と一九九八年に予備船の代替船として現在のゆり丸が建造されたのである。毎年、ははじま丸とあぜりあ丸の代船として就航するが、それ以外の航路にも代船として就航し、かつては鹿児島のトカラ列島まで赴いた事もある。この、滅多に乗れない船に、東京から一番近くで乗れるのが、この季節の下田航路なのである。

 通常より二十五分程遅れてゆり丸は野伏港に姿を現した。大きく回り込んで右舷を見せながら岸壁に近づき、右舷側の錨を降ろす。あぜりあ丸と同じくスラスターを装備していないが、操船の方法が少し違うようだ。錨を降ろしてから船尾を大きく振って左舷付けにする。
 乗り込むと乗客の区画は一フロアだけで、あとは上部甲板にベンチがあるだけである。客室フロアの側廊を回り込むと操舵室の下に行けて、荷役作業や進行方向を見られるのが嬉しい。もっとも航行中は盛大に水飛沫が飛んでくるのでズブ濡れ必至ではあるが。
 式根島を出ると早速の大揺れで嬉しくなる。フィンスタビライザーなどという小賢しい物が付いてないのが嬉しい。横風を受けて盛大にローリングしながら新島、利島に寄港。豪快な荷役を見物。利島を出ると向い風で盛大なピッチング。ジェットコースターのようで楽しくなる。ずっと外のベンチにいたのだが、日が傾いて寒くなったので船室に入って横になる。暫くすると気持ち悪くなってきてきたので、再び甲板に出る。神子元島に沈む夕日を見て、すっかり暗くなって下田着。
 オフシーズン平日の下田は閑散としている。平日だと特急は終わっているので、普通列車を乗り継いで四時間半。上陸四時間以外はほぼ乗り物に乗っていた二十四時間だった。

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