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2011年12月19日 (月)

芸大現代音楽の夕べ

二〇一一年十二月十八日(日)十五時 東京藝術大学奏楽堂

阿部俊祐/IL(二〇一一初演)
折笠敏之/Sedimentation(二〇一一初演)
安良岡章夫/合奏協奏曲第二番「トリアングラム」~ヴィオラ、ハープ、ヴィブラフォーンとオーケストラのための(二〇一一初演)
山田和男/交響的木曾(一九三九)

安藤裕子(ヴィオラ)、早川りさこ(ハープ)、藤本隆文(ヴィブラフォーン)
管絃楽/藝大フィルハーモニア
指揮/矢崎彦太郎

 芸大オケが山田和男の交響的木曾を取り上げるというので足を運んでみた。正直な所、交響的木曾以外の曲に何ら興味はないのだが、別に忙しくもないので早めに会場に到着する。予想通り、入りは三割程度か。なお、昼公演なのに「夕べ」と銘打っているのは、本来予定した公演が震災の影響で延期になったためらしい。
 昼食の肉豆腐定食にビールを一本付けたおかげか、前半は気持ちよく睡眠。所謂「ピーポー、ドカン、ガッシャーン」系の曲なので、都会の喧噪と同じで睡眠の邪魔にはならない。
 休憩後はヴィオラ、ハープ、ヴィブラフォンが指揮者の周りに並ぶ様子なので、近い方が面白そうだと三列目に移動。ソロ楽器を近くで眺められて面白いが、曲は全く面白くない。現代音楽の作曲家達は、こんなつまらない曲を半世紀も作り続けている事に疑問を持たないのだろうか。色々な作曲技法や演奏法を駆使した作品は、作曲家と演奏者の自己満足から一歩たりとも外へ出ない。客を楽しませない音楽など存在価値はない。私の定義では、音楽とは鼻歌になるものであり、その曲の旋律やフレーズが耳に残り、帰途思わず鼻歌で出てしまうのが音楽だと思う。

 目当ての交響的木曾を聴くのは三回目。曲として何度目の上演になるのかは知らないが、私の認識としてはすっかり名曲の仲間入りをした感がある。今までの小泉和裕、田中良和の演奏は、奇を衒わず好感が持てる演奏だった。今回の矢崎の指揮は、前二者と違って、思い切ったルバートや表情付けをしており、曲の魅力が一層際立つ演奏となった。想像上の山田一雄本人が指揮した交響的木曾はこんな感じではないだろうか。指揮者としての山田一雄は緩急自在な表現が素晴らしかったが、そんなスタイルに近い演奏である。
 伊福部昭や山田和男の曲は、所謂現代音楽ではない。落語で言えば「猫と金魚」や「試し酒」みたいに、作られた年代は現代だが、中身は古典である。このような曲が、オーケストラのプログラムに定着して、邦人作品特集とかでない普通の演奏会で普通に取り上げられるようになる事を祈って止まない。それにしても、現代作曲家の本流であるところの芸大作曲科の准教授や卒業生が、相変わらずの自己満足曲を書いている現状では、五十年、百年後に演奏される曲など現れようが無いだろう。

 初めて足を運んだ芸大の奏楽堂はいい雰囲気のホールだ。ただ、前の方に座ったのは失敗だったらしく、思ったより音が頭上を抜けていってしまった。舞台上の天井反射板が可動式なようだが、オルガンがあるので下げると見た目がみっともないのだろうか。前方は演奏者を見る席、演奏を聴くなら後方の席が良さそうである。

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コメント

ごぶさた。
唐突ですが、伊福部昭「交響譚詩」について、音源などの情報ありましたらご教授願いたい。
当方、来年10月の定期演奏会でやる予定です。

投稿: メタ坊 | 2011年12月20日 (火) 00時03分

 メタ坊さん、ご無沙汰です。
 交響譚詩の音源は、私の知っている範囲で8件あります。
(1)山田和男(一雄)/新響(N響)(1944)
(2)山田夏精(一雄)/東響(1962)
(3)芥川也寸志/新響(1977L)
(4)外山雄三/N響(1982L)
(5)手塚幸紀/東響(1984L)
(6)広上淳一/マルメso(1990)
(7)原田幸一郎/新響(1994L)
(8)広上淳一/日フィル(1995)
 現在入手しやすいのは(3)と(8)だけのようです。
 また、ポケットスコアは音楽之友社から出ていますので、倒産する前に入手するが吉かと思われます。
 詳細メールします。

投稿: へべれけ | 2011年12月20日 (火) 11時24分

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