東京フィル第八一三回オーチャード定期
東京フィルハーモニー交響楽団 第八一三回オーチャード定期演奏会
二〇一二年三月十八日(日)十五時 オーチャードホール
伊福部昭/交響譚詩
ラヴェル/ピアノ協奏曲ト長調
ベルリオーズ/幻想交響曲作品十四
小山実稚恵(ピアノ)
東京フィルハーモニー交響楽団
指揮/山田和樹
東フィルのオーチャード定期を聴きに行った。オーチャードホールに行くのは何時以来だろう。恐らく今世紀初のような気がする。
目当ては一曲目。伊福部昭の交響譚詩。山田和樹はキビキビとした表現で、オケをよく鳴らしている。編成が小さいので近頃は上演機会が多くなってきた曲だが、プロオケが定期公演で取り上げるのは聴き逃せない。特に変わったことはしていなかったが、満足度は高い好演だったと思う。
ラヴェルのピアノ協奏曲も大好きな曲だが、改めて小山実稚恵の素晴らしさに圧倒される。言葉に表しにくいのだが、安定しているのに音楽性に満ちているとでも言うのだろうか。安心してゆったり聴いていられるのだか、旋律の歌わせ方や細かなニュアンスが曲にピタリとはまっていて心地よい。爆演型ピアニストがオケと指揮者に喧嘩を売るような協奏曲も楽しいが、こんな大人の余裕のような演奏もいい。唯一気になったのは、この曲で大変重要な楽器である鞭。私のイメージではパチンという大きな拍手のような音が曲にあっていると思うのだが、拍子木のように素材が鳴っているカンという音で、若干違和感を感じた。これは指揮者の好みだろうか。
幻想交響曲もなかなかの好演。個人的には小林研一郎の表現がすっかり身に染みてしまっているので、どうしてもそれが基準となってしまう。山田和樹は師匠であるコバケン譲りの大胆な表情付けをしながらも、推進力のある音楽作りをしていた。第二楽章の終結での大きなルバートや、第一、第四楽章の繰り返しの省略など今時の若手の傾向とは違うが、これが本来の指揮者の役割だろう。楽譜に忠実とか、作曲者の意図に忠実なんてクソクラエだ。我々が聴きたいのは曲と演奏者の個性の融合であって、理屈や時代考証ではないのだ。ただ、第四楽章で金管の行進曲のフレーズを段々クレッシェンドして、フレーズの最後を最強奏するのは、目立ちたがりの中学校吹奏楽部員みたいで品が無かった。
第三楽章の羊飼いの笛のバンダは、下手側三階席の上のボックス席?に、第五楽章の鐘は舞台袖に配置していた。全体的に、フランス風の洒落っ気のある演奏ではなく、師コバケン譲りの暑苦しい幻想交響曲だったが、良く言えばコバケンよりスマートな、悪く言えばコバケンほどやり尽くしていない演奏だった。山田がこの先、コバケン路線を突き詰めて超えていくのか、それとも独自路線を切り開くのか。五年十年後にまた聴いてみたい気がする。
久々のオーチャードホールは三階席だったが、改めてホールの音響自体は悪くないと感じる。しかし、何故かいつも感じる舞台と客席の一体感の無さは相変わらずで、舞台上の出来事が他人事に感じられる不思議なホールである。。
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