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2012年5月31日 (木)

鮎釣り二〇一二

鮎釣り二〇一二

・まとめ

 台風の大雨が降り十月に入ったので、今年の鮎釣りは九月いっぱいで終了。釣行二〇日、釣果六十七匹、一日最高十七匹、ボウズ九回。去年が一四四匹、一昨年が一〇七匹で、釣行日数は二十二日、二十一日なので、いかに今年がダメだったかが判る。
 今年は五月の大雨、夏の渇水と気象条件が悪く、去年本拠地にしていた桂川と釜無川、新たに本拠地にしようとした多摩川上流などで釣りにならなかった。しかし、私自身の雑で向上心の無い了見が最も反省すべきだろう。来シーズンは早く情報を収集し、何とか去年からの目標である年間二百匹、一日三〇匹を実現したい。

・九月二十七日(木) 相模川(小倉) 一匹

 陽気が秋らしくなったと思ったら台風が接近してきた。今年最後かもと思いながら、有給休暇を取って相模川へ。今回は久々に鮎釣りの師匠にご同行願う。
 高橋オトリから右岸側の分流に入る。平水だが濁っていて、底の状態が判らない。足元から探っていくが、立ち込んでみると砂底で石がなかったりする。午前中は緩い瀬で探り釣りをするがゼロ。風が強いので午後は短竿に変えて、流れの強い瀬に移動。終了直前に辛うじて一匹掛けて坊主は免れたが、休暇取って一匹ではお話にならない。もっとも、師匠を含め周りも殆ど釣れていなかった。混み合っている左岸側の分流は幾らか釣れていたようだ。午後はそっちに行こうと思ったのだが、混んでいるので諦めたのだった。
 水温は二〇℃。台風が直撃すれば、今年の鮎はお終いだろう。週末に掛けて台風の進路が気に掛かる。

・九月十六日(日) 多摩川(日野橋) ゼロ

 三連休は細々した所用があって、釣りに行けなかったのだが、日曜日の夕方に早めに帰宅したので、日暮れまで二時間ほど多摩川へ。日野橋周辺は工事で地形が変わっており、先月とは流れの位地が違う。渇水でドブ臭の強い流れで鮎ルアーを引いてみる。所々に喰み跡は見られるが、鮎が食べそうな苔が付いている石自体が少なく、殆どはドブのヌメリのような苔だ。歩き回って色々探ってみるが、魚の気配は全くなく、当然反応もない。竿を出せただけでよしとする。

・九月七日(金) 神通川(高山線鉄橋下) 五匹

 昨日に続き高山線下へ。濁りは引いて、笹濁り程度。相変わらず釣り師は多いが、釣れているのは一人だけ(勿論オレじゃない)。思い出したように時々掛かるが続かない。この日は八匹掛けて、取り込んだのは五匹。三匹はキャッチミス。荒瀬に立ち込んでいるわけでもなく、風が強いわけでもない。日頃運動不足で腕力がないという言い訳も出来るが、自覚しているのは雑な釣りをしているということだ。下手なんだから基本に忠実に丁寧に釣らないでどうする。ダラダラ九時間も釣ってないでメリハリを付けるべきか。

・九月六日(木) 神通川(高山線鉄橋下、大沢野大橋上流) 三匹

 同僚から顰蹙を買いながら、有給を取って神通川へ。前回と同じ高山線の下に入るが雨。釣り始めた頃は大したことなかったが、次第に土砂降りに。見る見る濁ってきたので一時間ほどで釣果無く撤収。ただ、流れを見ると濁っているのは手前(左岸)だけのようだ。
 昼食後、上流を見に行くと強い笹濁り程度。大沢野大橋の上流に入る。チビ鮎含め三匹ほど掛けるが続かない。夕方になって周りが釣れ始めても自分だけ釣れない。三匹で納竿。夕方には空は晴れたが、心は晴れず土砂降りのまま。

・八月二十四日(金) 神通川(高山線鉄橋下) 十一匹

 神通川四日目は、昨日いい思いをした高山線鉄橋下へ。まあ、大抵このパターンは釣れないのだが。午前中は昨日と同じ場所で七匹。昼時になっても頑張っていたものの、突然仕掛け(複合糸〇、〇七号)が切れたので撤収。午後は少し下流に入るもののいい場所を確保出来ず苦戦。夕方になって午前の場所に戻るがたまにしか掛からず合計十一匹。
 今年の鮎釣りツアーは七日三十七匹という、まともな釣り師が神通川で一日に釣る程度の釣果で終了。ただ、神通川は(庄川も)群れ鮎が無数にいる感じなので、九月に行けば愉快な思いが出来るかも知れない。九月に休暇が取れますように。

・八月二十三日(杢) 神通川(高山線鉄橋下) 十七匹

 神通川三日目は高山線の鉄橋下に入る。動機は単純。釣れなくても列車が見られると楽しいから。数名の釣り師が入っている流心の早瀬ではなく、ヘチのチャラチャラな所で結構掛かり、午前中で八匹。午後は分流のトロで数匹掛けて、夕方流心の早瀬に入り、合計で十七匹。これくらい釣れれば、ヘボ釣り師としては十分納得。

・八月二十二日(水) 神通川(塩) 一匹

 神通川二日目は、昨日より少し下流の新婦大橋と成子大橋の中間辺りに入る。とにかく暑くてどうにもならない。午前中辛うじて一匹(プラス大きな鰍一匹)を掛ける。昼食後、川原に駐めたクルマの全扉を全開にして昼寝するが、岩盤浴みたいな人型の染みが出来た。午後も竿を出すが、自分も周りの釣り師も流れに座り込んで涼んでいる状態。諦めて早めに上がって片付けていると、上空を消防のヘリコプターが低空飛行し、成子橋の上には消防車とパトカーが何台も停まっている。後で北日本新聞のウェブ版を見ると、やはり釣り師が流されたようである。なお、KNBラジオのニュースによれば、この日の気温は八尾で三十七度。この夏最高かつ全国ベストフォーに入る気温とのこと。そりゃ岩盤浴にもなるわ。

・八月二十一日(火) 神通川(大沢野大橋下流) 五匹

 濁りが引いたので好調と伝え聞く神通川、一番馴染みのある大沢野大橋に入る。条件は悪くないはずなのだがちっとも気配がない。十一時半ころ待望の一匹目。オトリを野鮎に買えて送り込むとすぐに二匹目。すわ入れ掛かりかと構えるが、それきり沈黙。午後も音無しだったが、三時半過ぎに再びパタパタっと立て続けに四匹掛かる(一匹キャッチミス)がそれっきり。周りの釣り師の話では好調なのは下流の方で、平日なのに解禁日みたいな混雑とのこと。釣れないのは嫌だけど、混んでいるのはもっと嫌だと思う。

・八月二〇日(月) 庄川(中田大橋上流) ゼロ

 神通川を見に行くと濁っているので庄川に移動。江戸っ子で日券とオトリを購入し、中田大橋上流の水道管の下に入る。改めてオトリを見るとみんな一〇センチほどのメザシサイズ。川を見ると泳いでいるのもメザシサイズばかり。移動しながら探ってみるものの反応無し。昼前頃には発電のため増水して流れが変ったので納竿。毎日の発電放流のせいで水位が安定しない状態が続いているようだ。苔が全然付いていないのも、鮎が育たないのも、どちらも関西電力のせいか。群れ鮎は沢山いるのに残念だ。電力が落ち着いて、チビ鮎たちが産卵出来るまで育ってもらいたいものだ。

・八月十九日(日) 九頭竜川(下志比) 三匹

 夏恒例の鮎釣りツアー。土曜夜走りで九頭竜川に到着。夜が明けると結構濁っている。去年も世話になった尾崎オトリで日券とオトリを買う。濁っているので立ち込めず、ヘチの浅いところで釣っている。深いところにガンガン入っていく連中は結構釣っているが、私は一日頑張ってチビ三匹。九頭竜で二日やろうと思っていたのだが、濁りが引くか判らないので早めに神通川に移動する。

・八月十一日(土) 千曲川(大石橋下流) ゼロ

 漁協の情報によれば好調になってきた千曲川に釣行。いつもの高野釣具で日券とオトリを買って大石橋下の依田川合流点へ入る。渇水で垢腐れ気味で、釣り師の数も覚悟したほどではない。寝坊したせいで出遅れ、九時からガンガンに近い瀬で釣り始めるが全く反応無し。真夏なので、もう釣れる時間帯を過ぎているのか。午後はもう少し流れの緩い場所に移るがこれもダメ。周りを眺めると二人くらいポツポツ釣れているが、ツ抜けする程でもなく、その他は私同様音無の構えだ。夕方まで頑張ろうと思ったのだが、二時半ごろに根掛かりで仕掛けごとそっくり持って行かれたので終了。その後ものすごい夕立が来たので日曜日の釣りは断念。
 一体何処へ行ったら、私のような下手な釣り師でも釣れるのか。来週は夏休みを取る予定なので、何処へ行くかとても悩むところだ。

・八月八日(水) 多摩川(日野橋) 一匹

 釣果こそ一匹だったが、初めて尽くしの記念すべき釣行。
 その一「チャリ鮎」。自宅から釣りの格好をし、リュック一つと竿、タモ、ダイワの友バッグという持ち物で、自転車で五分程度の多摩川へ行く。クルマで行くと何かと大装備になるが、手軽でとてもいい。
 その二「友ルアー」。今までも使ってみたことはあったが、ダイワの速攻友ルアーをオトリ代わりに使って初釣果。友ルアーでも縄張り鮎さえいれば釣れることが判ったので、次回からスタートが楽だ。
 その三「朝飯前」。釣り歴は長いが、出勤(登校)前にちょいと釣りをするというのは初めて。
 というわけで、前の晩に用意して、平日の出勤前に四時半起き。五時には釣り開始。なお、五時の水温は二十五度なので、日が昇ったら魚は動かないだろう。友ルアーなので、流れの強い瀬を探っていくと、三十分ほどで遂に十七センチほどの綺麗な雌鮎を背掛かりでキャッチ。オトリを野鮎に換えてさあこれからが本番と頑張るが、水温が高くてオトリの動きが悪く反応無し。あっという間に通常起床時刻の六時になったため納竿。急いで帰宅。
 朝食のおかずに釣ったばかりの鮎を、鮭の切り身と一緒に焼く。焼き上がった鮎を頭からひと囓りしてびっくり。洗剤の香料系の独特な臭いがして、到底食えた代物でない。渇水の多摩川は緑色の水で、どぶ川の臭いが強かった。増水直後ならいいが、渇水続きでは臭くて食べられそうにない。私は基本的な考え方として「食べるまでが釣り」と思っているので、身近で手軽に鮎釣りが出来ることと、釣った魚が食べられない問題を、どう折り合いを付けるべきか。

・七月二十六日(木) 桂川(曙橋下流) 四匹

 先週末は千曲川、釜無川へ行ったものの増水で竿を出せず。休暇を取って平日に桂川へ釣行。曙橋の佐藤オトリから川に入ると、釣り師は見渡したところ十名ほど。八時から瀬で釣り始めて一時間ほどで、二十三センチくらいの良型を確保するがその後さっぱり。早めの昼休みを取って、正午頃再開。暑いので深めのポイントを探るが反応無し。昼過ぎには周りの釣り師も殆ど引き上げてしまう。もうやめようかと思ったのだが、せっかくのびのび釣れる平日なのだからと思い、どんどん移動しながら探っていくと、二時半頃になって瀬で立て続けに三匹。しかし、その後は続かず四時には終了。
 七月二十日に成魚放流をしたらしいが、不調の桂川には焼け石に水ということか。拾い釣りの出来ない土日だったら、午前中の一匹だけだったろう。嗚呼、平日に釣りがしたいものだ。

・七月十五日(日) 多摩川(中流) ゼロ

 昨日のリベンジのつもりで同じ場所へ。秋川でオトリを入手するが東秋留橋周辺には鮎師は数名しかいない。釣れていないようだ。
 昨日同様条件はいいように感じるが、全く反応はない。昨日釣れなかったのは鮎ルアーのせいではなかったようだ。今年の多摩川は史上最高の推定千二百万匹の遡上と言われているが、昭島あたりではそんな景気のいい感じは一切無い。一昨年は結構釣れた場所だったのだが何故だろう。是政あたりまでは遡上してきているようなので、大丸堰あたりの魚道に何か支障でもあるのだろうか。

・七月十四日(土) 多摩川(中流) ゼロ

 満を持して臨んだ三連休は、初日未明の雨で出鼻をくじかれる。予定していた千曲川も、年券を持っている桂川も、近所の相模川も増水で駄目。諦めて買い物などをしていたところ、地元の多摩川は水は多いが濁っていないことを発見。昼過ぎから竿を出してみるが、オトリがないので鮎ルアーで始める。一部の石には残り垢と喰み跡があるので期待したが、鮎ルアーでは反応無し。またも大きな鯉を掛けてしまい、泣く泣く糸を切るが、今日はオトリより高い、一匹二千円の鮎ルアーを持って行かれる。痛恨。
 結局四時間ほど粘ってゼロ。どこかでオトリを買っていけば釣れそうな気はする。

・七月六日(金) 三面川(岩沢橋)、高根川(関口橋) 四匹

 昨年同様、渓流釣りに来た三面川で中一日鮎釣り。雨続きで増水しているが、以前に完敗した岩沢橋下へ入る。増水のせいで動ける範囲が狭い。第一投目のオトリを送り込むと途端に入れ掛かり。幸先がいいと喜ぶが、その後全く続かず。ゴミが多くて、のべつにオトリの鼻先に葉っぱなどが引っかかり鬱陶しい。その後音無しで撤退。
 午後は支流の高根川に入ってみる。狭い川なので釣り場を探して彷徨うが、関口橋下流の瀬に入る。ここも第一投でいきなり掛かるが、後が続かない。二時間ほどで四匹掛かるが一匹は十センチほどのチビでノーカウント。
 今出ている水が引いて、何日か日差しがあれば、三面川も本格シーズン突入だろう。時間があったら八月ごろに再訪したい。

・七月一日(日) 多摩川(奥多摩地区) 不戦敗

 どこも状況が悪いので、初めての奥多摩漁協管内へ行ってみる。川を見渡すとカヌーをやる人ばかり。釣り師は渓流釣りが一人いるだけで鮎師は皆無。オトリ屋でオトリを買おうとすると「置いてない」との返事。何故かと尋ねると「鮎が全然居ないから」とのこと。五月の大水のせいというわけでもなく、放流量が少ないからとのこと。漁協によれば三、二トン放流しているはずなのだが。
 やるだけ無駄、今年は見込み無し、秋川に行った方がいいと説得されてオトリ屋を去る。川見をしつつ秋川へ向かう。五日市地区はそこそこ釣り師がいるが、駐車場所がない。駐めやすい秋川地区は昨日同様釣り師の姿無し。二千円の日釣り券を買って一二匹では話にならないので、今日は断念して帰宅。昼から飲み屋で飲んだくれる。

・六月三十日(土) 秋川(東秋留橋) 二匹

 渓流釣りに行ったり、増水したりして久々の鮎釣り。寝坊したので手近な秋川漁協管内を探るが、釣り師の数は少ない。解禁日に惨敗した東秋留橋に入る。水量は平水近くまで戻っているが、垢は全く付いていない状況。ヘチの残り垢を探るも反応無く、チャラ瀬の石を探ると待望の一匹目。釣れたのはオトリと変わらない成魚放流っぽい鮎。オトリが野鮎になってもその後は反応無し。昼頃やっともう一匹。二時頃に三匹目を掛けるが、三匹目は空中でバレる。釣れた鮎は二匹とも成魚放流の感じだが、どちらも横っ腹に一円玉くらいの傷がある。冷水病でないといいのだが。煮干しサイズの子鮎や、オトリを追わない群れ鮎は沢山いるので、苔が付けばもう少し良くなりそうだ。

・六月十日(日) 桂川(梁川) 十二匹

 土曜の雨で梅雨入りして、今日は五月晴れ。奥多摩の解禁に行こうかとも考えたが、年券のある桂川へ。先週の垢腐れを見ているので、流れのきついポイントを探す。漁協梁川支部のオトリ小屋前が、両岸が岩場なので入ってみる。
 オトリ屋のオヤジが言うには、午後からが本番とのこと。釣りやすそうな瀬を見つけて九時半開始。流れが強いので背カンで泳がせるが、さっぱり反応はないし、魚の姿も見えない。引き上げていく人に聞くと全然反応が無いとのこと。水温は十六度と厳しい。オトリに負担を掛けないように、そおっと泳がせていると十時半ごろやっと手応え。十二センチ程のチビ鮎だが、確かにオトリが追われる気配の後に掛かった今年一匹目。その後午前中はポツリポツリ釣れてチビ鮎ばかり四匹。
 午後は場所を変えて、深めの瀬から大岩のある深みに落ち込む所へ移動。ここでは二三匹パタパタっと釣れれば一休みというパターン。苔を喰む鮎の姿も見られるようになる。午前中は水温が低いので隠れていたのだろうか。揃いのウェアの二十人ほどの集団が入ってきて、狭い川なので釣りにくくなったが、十五時半まで頑張って、十八センチを頭に合計十二匹。初釣果&初ツ抜けで大満足。
 中央道の渋滞も、上野原からだと三十分程度で抜けられた。今年初の鮎の塩焼きを肴に、冷えたサッポロラガーの大瓶。日本に生まれて本当に良かった。日本の夏万歳。
(↓今年一匹目のチビ鮎)
20121

・六月三日(日) 桂川(曙橋上流) ゼロ

 これが本当の三日坊主。うまいこと言ってる場合ではない。
 荒天の予想だったので、様子を見るつもりで桂川へ。九時前に到着すると、雨足が強くなってみんな引き上げてくるところ。一様に表情が暗い。オトリ屋のオヤジに話を聞くと、先月の大雨で放流した鮎はみんな死んだだろうという。「流されたんじゃないの?」と聞き返すと、四日も泥濁りが続いたので、死んだだろうという。えー、そういう話は年券買う前に言って欲しかった。
 すっかり空いた川に入ると水温は十四度しかないのに、ひどい垢腐れ。フェルト底の靴では滑ってしまい、怖くて歩けないような状態。大雨が一月遅ければ、鮎が育ったところで新苔が着いたのに。
 空いているのをいいことに、結構動き回って広いチャラ瀬をあちこち探るが反応無し。昼頃になって、やや流れが強めのところで二三回オトリが怪しい動きをするがそれっきり。せめて一匹と思って粘るが、十四時には納竿。見わたした限りでは、私のやや下流にいる釣り師が一匹だけ釣れて、その時は大勢いる見物人(早く切り上げた連中)から拍手が起こっていた。
 オヤジの言う通り放流魚が死に絶えたなら、天然遡上のない桂川は今季絶望。うっかり年券を買ってしまったが、元は取れないかも知れない。

・六月二日(土) 秋川(東秋留橋) ゼロ

 ヤケ酒の影響で寝坊。解禁日の秋川へ向かう。当然混んでいて、良さそうな場所には人が入っている。砂利底だが群れ鮎が沢山いるところで竿を出す。本来の友釣りとは違う、出会い頭事故的な期待をするが、時々鯉が横切るのでハラハラする。
 午後は上流に移動して、人が少ない分流のチャラ瀬を攻めてみる。そこら中に鮎は泳いでいるのだが、全くオトリに反応しない。まだ苔を喰んでいないのだろう。監視員の話でも、つれている人で四五匹だという。魚は沢山いるので、七月頃には面白くなるのではないだろうか。
 というわけで、今日も坊主。今日の釣り場は、鮎の師匠である叔父貴の家のすぐ近くなのだが、二日坊主では顔向け出来ないので、素通りして帰宅。

・六月一日(金) 相模川(葉山) ゼロ

 解禁日は休暇を取って、遡上良好らしい相模川へ。七時頃現地に入り様子を見るが、全く釣れていない。取り敢えず七時半頃から竿を出すが全く反応無し。周りも毛鉤は釣れているが、友釣りは音無し。八時頃大きな当たりがあるが、明らかに鮎ではない手応え。ナイロン〇、五号(二lb)の仕掛けなので、どうせ切れてオトリごと持って行かれるだろうと思い、せめて姿だけ見ようと寄せてみると、五〇センチ近い鯉。どこまで寄せられるかと思ってやり合っていると、パキッと音がして竿が折れる。穂先を回収すべく慌てて拾って引くと、当然糸は切れる。解禁日の朝八時に竿を折るという最悪のスタート。
 予備の渓流竿に切り替えるが、相変わらず反応はない。というより、九時頃には友釣り師はみんな引き上げ、毛鉤師しかいない状態。友釣り専用区のはずなのだが。
 相模川は遡上良好と言っているが、遡上魚はまだ煮干しサイズで、縄張りを持つのは大分先の感じだ。
 解禁日に坊主はともかく竿を折るとは幸先が悪い。腕慣らしと思って予備竿の方だったのが不幸中の幸いか。自棄酒を呷りながら、明日明後日の土日の計画を立てる。

・五月三十一日(木) 解禁に当たって

 今年も鮎釣りの季節が来たので、みっともない釣果を書き込んでいこうと思う。今頃気がついても手遅れだが、私は釣りが好きだが、上手くはないし素質も無いように感じる。しかし、乗り鉄を趣味としていた頃に比べ、明確なゴールがない趣味なので飽きることがない。最終的には一日一束(百匹)と尺鮎が目標だが、達成したら飽きるとも思えない。これから落ちていく体力と増えていく経験値のバランスが、どう釣果に現れるのかも見物だ。
 鮎釣り三年目の昨年は、前半は好調だったものの、後半の天候不順に祟られて釣行二十三日、釣果百四十四匹という結果だった。今年の目標は、控えめに去年と同じ釣行三十日、釣果二百匹とするが、追加で一日釣果三十匹というのを加えたいと思う。

 さて、東京都島しょ農林水産総合センターの調査によれば、多摩川では推定七百八十三万匹だった昨年を上回る史上最多の遡上が確認されているようだ。しかし、私が見てきた感じでは、四谷本宿取水堰あたりでは遡上鮎の姿は見られない。これは去年も同じで、ガス橋付近を大量に遡上している鮎は、上河原堰か大丸堰あたりで止まってしまっているのではないだろうか。
 推定百八十六万匹だった一昨年は、五月の連休頃には日野用水堰の下などに遡上した鮎がひしめいていたのに、去年今年は堰下で跳ねる鮎の姿は見られない。せっかく大量の鮎が遡上しているのに堰き止めてしまっては勿体ない。魚道をしっかり整備して奥多摩漁協、秋川漁協管内くらいまで天然遡上エリアになれば、毎年大金をかけて放流事業を続けるよりずっと資源活用になるし、釣り場としての魅力も増すと思うのだが。

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橘丸三代

橘丸(三代目)
貨客船 五七〇〇総噸(東海汽船)
全長一一八m、全幅一七m、速力一九ノット
二〇一六年 三菱重工下関造船所で建造予定
主に東京~三宅島~八丈島航路に就航予定

 東海汽船が再来年に就航させる新造船の名称が「橘丸」になると公式の新船ブログで発表された。橘丸といえば、噺家では三遊亭圓朝に当たるような大名跡である。かつて東京湾の女王と呼ばれ、東海汽船、いや日本内航客船の歴史の中でも最も輝かしい船名が復活するということは、船舶ファンとしては本当に嬉しい。

 念願だった新船の建造が決まり、命名とカラーリングを東海汽船名誉船長である柳原良平氏に一任すると聞いた時、正直なところかなり嫌な予感がした。二〇〇〇年に高速船を購入した時、船名は鳥名シリーズの「シーホーク」「シーガル」の流れを引き継いで「アルバトロス」と名付けられたが、カラーリングはおもちゃ箱をひっくり返したようなパステルカラーで、操舵室の上に目玉が描いてあるという、遊園地の面白乗り物みたいなものだった。これをデザインしたのが柳原氏だった。そして、二〇〇二年に三隻のジェットフォイルを購入した時、東海汽船は柳原氏に命名とカラーリングを依頼した。これが現在の「セブンアイランド愛、夢、虹」の三姉妹である。伊豆七島という呼び方は定着しているので、これを否定する気はないが、直訳してセブンアイランド(アイランズじゃないのか?)というのはセンスのかけらもないし、色も派手派手なパステルカラー。漫画家に頼んだのだから漫画みたいな色になるのは仕方ないのかと諦めの境地だった。
 しかし今度は、中古購入のアルバトロスやジェットフォイルと違って、自社発注の新造船だ。伝統的な花の名前と落ち着いたカラーにして欲しい。色見本みたいな船体で、「セブンアイランド絆」なんて船名だったら死にたくなるが、東日本フェリーの悪夢(*)と同じようなことになるのは杞憂ではないと、本気で心配していたのである。
(*)親会社が変わった東日本フェリーが、インキャット社(豪)の大型高速船(ウェーブピアーサー)を二隻立て続けに新造し、七歳の女の子に船体デザインを任せ、その子の愛称を船名にした。船体いっぱいに子供の落書きをペイントされたナッチャンという名前の船が二隻就航するという、普通の客や船舶ファンに恥辱プレイを強いるような状況になった結果、大方の予想通りごく短期で撤退を余儀なくされ、会社自体も倒産に追い込まれた事件。

 ところが、東海汽船から発表されたのは、まさかの橘丸復活だ。個人的には盆と正月とカーニヴァルが一緒に来たような目出度さで、虎屋で紅白饅頭を誂えて、隣近所に配って回りたいくらい嬉しい。いやその前に、理由もなく信用していなかった柳原良平氏にお詫びとお礼に伺いたい。高速船隊は派手でいいが、在来船は伝統的な船名とカラーリングという、船マニアの大先達である氏の深い見識に、心から感謝したい。柳原先生本当に有難う。もう生涯ウィスキーはトリスしか飲まないことにします。

 実を言えば、滅多に書き込むことのない某掲示板で、私は三月にこのような書き込みをしている。

295 名前: NASAしさん [sage] 投稿日: 2012/03/03(土) 22:52:08.75
>>294
全く同感。在来船を妙なデザインにして違和感があった80年代の教訓を活かして、
従来通りのデザインと、奇を衒わない船名にして欲しい。個人的には平仮名で
違和感のない名前(はまゆう丸、さつき丸)又は思い切って橘丸復活希望。(以下略)

 この時の意識としては、東海汽船にとって橘丸というのは特別な名前で永久欠番扱いだろうから復活はあり得ないと勝手に思っていたので、次善の案を書き込んだのだった。そんな特別な船名を復活させるとは、今回の新造船に対する期待の大きさが感じられる。
 話はそれるが、ここに書いた一九八〇年代の妙なデザインというのは、七〇年代の上部はクリーム色で下部は紺色というデザインから九〇年代の全体が白で喫水線に近い部分だけ水色のデザインに移行するまでに、数通りのデザインを試行した時期のことで、映画「男はつらいよ柴又より愛をこめて」(一九八五年)で見ることが出来る。

 新船ブログでは同時に大まかなデザインも発表されている。船の形は同じ三菱重工製のさるびあ丸と似ているが、船尾や煙突の形状は大きく異なる。そしてカラーリングだが、黄土色とオリーブ色の二色で、黄土色の地色に、船首の喫水線から船尾の船縁を結ぶ斜めの直線と船縁に挟まれた三角形の部分にオリーブ色を配している。これは恐らく、船縁から下をオリーブ色にすると、シア(船首と船尾が中央より上に湾曲し、全体が反り返るような船独特の形状)の無い設計故にのっぺりとした印象になるのを防ぐ狙いではないだろうか。現役のかめりあ丸、さるびあ丸の白地に水色の配色に比べると中間色になって、地味な色で思い切ったデザインにした感じがするが、実際現物を見るとどんな印象だろうか。
 それよりも気になるのが煙突である。船尾寄りに大型のマックファンネル(帆柱と一体型の煙突)が配置されているのだが、この煙突もオリーブ色の三角形にペイントされているのだ。船首も煙突もオリーブ色では東海汽船のファンネルマーク(社章)をどこに掲げるのだろうか。現行の船首のマークは、一九六〇年代後半に細いマックファンネルの船(さくら丸、はまゆう丸、かとれあ丸)が誕生し、ファンネルマークを付けられなかった時代の産物なので拘らなくていいと思うが、立派な煙突にファンネルマークがないのは如何なものか。これでは黄土色とオリーブ色の三角の組み合わせが社章になってしまう。ノルウェイの国旗を中央に寄せたみたいな東海汽船の社章を堂々と掲げて欲しいものだ。

 二〇〇二年のジェットフォイル導入以来、久々の伊豆諸島航路の新船だ。デザインには若干疑問が残るものの、実物を見れば印象も変わるかも知れない。とにかく早く実物が見てみたくて落ち着かない。

(おまけ)

 ついでなので先代、先々代の橘丸について調べてみた。

橘丸(初代)
貨客船(後に客船) 三九二総噸(東京灣汽船)
全長四一、二m、全幅七、三m、速力一一ノット
一九二三年 大阪鐵工所(現日立造船)櫻島工場で建造
一九二八年 客船化改造、主に東京~大島~熱海、~下田航路に就航
一九三四年 大島元町港で座礁、後に復旧
一九三四年 鹿児島商船に売却、その後種子島丸と改名、一九六三年まで就航

橘丸(二代目)
客船 一七八〇総噸(東京灣汽船~東海汽船)
全長七六m、全幅一二、二m、速力一五、五ノット
一九三五年 三菱重工神戸造船所で建造
      主に東京~大島~下田航路に就航
一九三七年 海軍に徴傭、特設病院船となる
一九三八年 陽湖にて中国機の空襲による至近弾を受け座礁横転するも引き揚げ復旧
一九三九年 解傭、日清汽船が傭船、南京方面に就航、東京湾汽船に復帰
一九四三年 陸軍に徴傭、輸送船となる、後に改造、病院船となる
一九四五年 偽装病院船として米軍に拿捕される(橘丸事件)
一九四五年 米軍から返還後、復員船として活動
一九五〇年 東海汽船に返還、主に東京~大島航路に就航
一九七三年 さるびあ丸就航に伴い除籍、久三商店にて解体廃船

 なお、初代は一九二九年の桐丸(五三一噸)就航までの六年間、二代目は一九六九年のかとれあ丸(二二一〇噸)就航までの三十四年間、東海汽船(東京灣汽船)の旗艦を務めた名船であり、特に二代目は流線型の美しい船形も相まって「東京湾の女王」と呼ばれた。二代目橘丸はよく知られているが、初代が長く鹿児島で活躍したのは知らなかった。一九六〇年代まで現役だったということは、一九五九年に照国郵船から東海汽船に譲渡された第一照国丸(椿丸)と並んで活躍していたということだろう。

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2012年5月28日 (月)

ガマランド

 早起きして筑波山に出かけた。脱力スポットとして知られるガマランドが目的なのだが、せっかくだから乗り物も制覇したい。ロープウェイ乗り場のつつじヶ丘にクルマを駐めて、関東鉄道の路線バスに乗ってケーブルカー乗り場へ移動する。ケーブルカーで登り、ロープウェイで下って戻ってくる。丁度よい季節なので、乗り物も登山道も観光客だらけで盛況だ。
 そんな中、目当てのガマランドへ向かう。周りは大盛況でも、ここだけは静寂である。昔デパートの屋上にあったような百円で乗れる電動遊具が多数並んでいるのだが、稼働しているものは一つもない。ミニアスレチックらしき一角に並んだ遊具類も既にオブジェと化しており、物好きな子供でも遊ぼうとは思わない雰囲気だ。すっかり時代に取り残され、既に廃墟の雰囲気すら漂い始めている園内で、喜んで色々観察したり写真を撮ったりしているのは私一人。時々迷い込んでくる男女二人連れなども無くはないが、言葉少なに見渡すとすぐに立ち去っていく。山道を登った先にある、屋根が崩れ落ちている生命の石、どこにあるのか判らない逆さ舟石の看板などを見て、滑走面がコンクリートむき出しになっている無料大すべり台を歩いて降りる。壁面に色を塗っただけのガマの滝の下にある池には、大量のオタマジャクシが泳いでいた。
 そしていよいよ、売店で五百円の入場料を払いガマ洞窟に入る。洞窟と言っても、勿論本物ではない。土産物屋の建物が山の斜面に接して建っており、その斜面にガマランドの人工地盤がある。斜面を削った部分と、高床式の部分があるわけだが、建物と高床式の床下に生じた中途半端なデッドスペースを飾り付けて、お化け屋敷に仕立てたわけである。
 入口にはいきなりこれでもかと言うほどの人形やぬいぐるみなどが飾られている。中に入ると真っ暗で、足元もグニャグニャしていたりして訳がわからない。せっかくだが、私は恐がりに来たわけではないのではないので、LEDライトで照らして進む事にする。こうすると構造や展示物の様子が判り都合がいい。ありとあらゆる物が雑多に並べてあり、脱力感満載だ。最初は怖い物を並べていたのだろうが、凝った人形を作っても暗闇なので見えないことに気づいたのだろうか。ワケのわからない物体が天井から吊してあったりする。「鍋島の猫」と「安達ヶ原の鬼婆」の場面があるのだが、人形が痛んで原形を留めていない上に、関係ない人形を並べたりしているので何だかさっぱり判らない。更にはイノシシ大明神としてイノシシの剥製が展示されている。外の看板には巨大イノシシと書いてあるが、イノシシの一般的なサイズを知らないので、巨大かどうかの判断は出来ない。後半にはガマ洞窟らしく巨大なガマのオブジェがあり、床のセンサーを踏むと人形が天井から降りてくる仕掛けなどもある。とにかく、不要な物を適当に放り込んである感じで、何か入ってはいけないところを探索しているような気分だ。
 フラッシュを焚いて写真を撮ると、まるで雰囲気が感じられなくなってしまうのが残念だ。ブラックライトに照らされた、壁面の落書きもいい味を出しているので、高感度のヴィデオカメラで撮影してみたいと思う。
 洞窟を抜けると、さっき入場券を買った土産物屋の中に出る。せっかくだからガマの油でも買って帰ろうと思ったのだが、残念ながらここにはガマの油は置いていなかった。

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2012年5月24日 (木)

抗生物質で台無し

 風邪を引いて二日ばかり寝込んだ。七年前に煙草をやめて以来、滅多に風邪を引かなかったのだが、久しぶりである。私は元々了見が虚弱なので、体質も弱々しい感じがするのだが、無理をしないせいか意外に丈夫で、花粉症と虫歯くらいでしか医者に行くことがない。今回も二日ほどじっとしていたら熱も下がったので、もう大丈夫と思っていた。ところが、昼間は大丈夫でも、夜横になると咳が止まらなくなって、ウトウトしては咳き込む状態が続いた。これでは保たないと諦めて医者に行き薬をもらってきた。

 初めて行った職場の近くの耳鼻咽喉科は、咳止めと抗生物質を処方してくれた。普通の風邪ならば抗生物質は飲みたくないのだが、今回はとにかく咳を止めないと眠れないので、医者の指示通り抗生物質も飲んだ。確かに咳は鎮静方向に向かい、眠れないほどではなくなった。しかし、以来どうも体全体が不調なような気がするのである。まあ、完全に気持ちの問題なのだが、体内の善玉菌が死滅して、体中の抵抗力が無くなってしまったような気分になっているのだ。今まで毎日毎日規則正しく乳酸菌系の飲料を摂取し続けてきたのに台無しにした気分だ。極端な言い方をすれば、せっかくおなかの中で育ててきたものを流産してしまったような喪失感である。

 昔から、病は気からと言うが、こんな凹んだ気持ちでいるから、風邪もすっかり治った気がしないのである。ここは一つ了見を切り替えて、リセットした状態から、前よりいい状態を作ることにした。乳酸菌製剤のビオフェルミンSを一瓶買ってきて、食後に三錠づつ飲むことにする。普通の乳酸菌飲料と、オリゴ糖や植物繊維を多く含む飲料も規則正しく飲むことにする。これで腸内には善玉菌が大繁殖するに違いない。ついでだからこの夏は、鮎の刺身を食べて、横川吸虫(小腸に寄生する人体寄生虫)を育ててみようか。腸内細菌も寄生虫も花粉症のアレルギー症状を抑えるという説があるので、合わせ技にすれば幾らか効果が期待できるのではないだろうか。

 このように、本来何らかの目的のために始めた行為が、その行為自体が面白くなってしまって目的を見失うというパターンは、いわゆる「ダメな人」によく見られるようである。

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2012年5月 6日 (日)

国立マーラー楽友協会演奏会

国立マーラー楽友協会二〇回&初演一〇〇年記念演奏会「おとなマラ九」

二〇一二年五月六日(日)十四時 一橋大学兼松講堂

マーラー/交響曲第九番ニ長調

管絃楽/国立マーラー楽友協会管弦楽団
指揮/齊藤栄一

 マーラーの交響曲第九番だけを演奏し続けているというアマチュアオーケストラがあると数年前に知った。連休の最終日に演奏会があるらしいので、雨で釣りが沙汰止みになって退屈していたのを幸いに聴きに行ってみた。
 この国立マーラー楽友協会なるものの実体はよく判らないが、プログラムを読んだところ、一橋大の学生オケとそのOBを中心にしたアマチュアオーケストラ、水星交響楽団のメンバーが中心となって、マーラーの交響曲第九番を演奏するために組織されているようだ。
 兼松講堂まで行ってみるとそれらしき表示もなく、本当に演奏会があるのか不安になる。中に入ると舞台上やあちこちで楽員がさらっており、雑然としているものの確かに演奏会がありそうだ。入り口近くに山積みにされたプログラム冊子を取って席に着く。

 トライアングルのトレモロによる開演ベルが鳴って、地味な普段着を着た楽員たちが舞台上に揃う。ヴァイオリンを対向配置にしてチェロバスは上手側、打楽器とハープは下手側。絃の人数は数えたところ七ー八ー六ー八-七くらいで、低音側が厚い(というより高音側が薄い)編成だ。
 ロビーで子供が泣いている声と共に演奏が始まる。アマオケにして悪くない演奏だ。どうしたって、落っこちや綻びがあるのは仕方ない。技術的なミスは多いのだが、演奏にかける意気込みのようなものが伝わってきて、気にならなくなってくる。指揮者も判りやすい棒を心がけてはいるが、音楽自体は安全運転ではなく、思い切ったテンポの動きなどもあり、退屈しない音楽作りだ。アマチュアオケだからといって、演奏のレヴェルに表現を合わせてしまう指揮者もいるが、それは間違いだ。この指揮者とオケは、マーラーの九番が好きでたまらないのだろう。技術的には届いていないが、彼等の目指すものが聴き手の脳内で補正されて鳴っているような気がした。第二楽章の最後では、たどたどしい管楽器の掛け合いがかえって面白かったが、流石に主旋律が落っこちると何だか判らない。容赦なくテンポを煽った第三楽章のコーダは、脱落者が続出して先頭集団だけが何とかゴールインした感じだったが、スリル満点で面白かった。ここでテンポを妥協しなかった指揮者と、死屍累々ながらもついていったオケに拍手。第四楽章はやはり厳しい。絃主体の音楽だけに、人数の薄さと、これはどこのアマオケでも抱える問題だが、ヴィオラの非力さが致命的だ。しかし、プロオケでも十六型は欲しいこの曲を第一ヴァイオリン七人(推定)でよくぞ弾ききったと思う。アマチュアだから音程が怪しかったり、最後の最弱音になるとボロが出てしまうのは仕方がないと思う。それでも何でも弾ききるんだという意志が音楽に宿って、上手ではないが感動的な音楽になっていた。コーダの最弱音に差し掛かると、遠くから雷鳴が聞こえ、マラ九なんだか幻想交響曲なんだかよく判らなかったのもご愛敬だろう。

 近年はアマオケを聴いても、技術的に水準が上がったせいで、そつない演奏を聴かされてがっかりすることが多かったが、この演奏会は久々にアマオケがしゃかりきになって演奏している熱さを感じることが出来た。それにしても、客席の入りは三十人程度。舞台上の半分も入っていなかった。チラシすら作っていない様子で、自分たちが演奏を楽しめればいいということだろうか。せっかくこんな熱くて面白い演奏をしているのだから、もう少し広報すればいいのに。この曲を愛する者にとっては、プロオケのやっつけ仕事より何倍も興味深く面白い演奏会だった。

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