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2012年7月16日 (月)

名古屋マーラー音楽祭第2部演奏会

ソプラノ/菅英三子、小川里美、小林沙羅
アルト/三輪陽子、ニン・リャン
テノール/永田峰雄、バリトン/三原剛
バス/オットー・カッツァマイヤー
合唱/名古屋マーラー音楽祭フェスティバル合唱団
管絃楽/名古屋マーラー音楽祭フェスティバル・オーケストラ
指揮/井上道義

マーラー/交響曲第八番変ホ長調「千人の交響曲」

二〇一二年七月一六日(月祝)愛知県芸術劇場大ホール

 マーラーの生誕百五十年、没後百年に当たる二〇一〇年、二〇一一年にメモリアルイヤーにふさわしい行事の無かった東京楽壇に比べ、地元アマチュア・オーケストラによる交響曲全曲演奏を企画するとは、流石に芸所名古屋である。集大成の合同オーケストラ&合唱団による千人を聴きに日帰りで出向く。

 会場の愛知芸劇は、コンサートホールには入ったことがあるが、大ホールは初めて。まず驚くのは舞台上に巨大な合唱団の雛壇が組まれているのはいいのだが、音響反射板は無く、プロセニアム(舞台の額縁)の奥は上と左右を黒い幕(一文字幕と袖幕)で囲み、合唱団の背後にはホリゾント幕という、およそ音楽を演奏するとは思えない構成。オーケストラは殆どプロセニアムより客席側に出ているので問題無いが、合唱団は音響的に相当厳しそうだと感じる。
 オーケストラも合唱団も全員パート毎に色分けされたTシャツ姿で舞台に登場。夏のお祭りだから構わないと思う。演奏が始まると、予想通り合唱が厳しい。客席側から児童合唱、女声、男声の並びなので、特に男声が遠く、人数(七百人位か)の割には迫力に欠ける。一階席前方で聴いてもそうなのだから、客席後方では合唱が何をやっているのか判らないのではないか。井上の曲作りは特に書くべき事は無い。表面的には昨年聴いたデュトワと同じような、基本速めのテンポでサラサラと進めていき、ここ一番で撓めたり引っ張ったりは一切しない。ただ、デュトワがやると厳しい曲作り(好きではないが)と感じたのに、井上がやるとそつなく纏めた印象になる。
 オーケストラは混成部隊だが、大きな破綻無く完奏して立派。選抜メンバーなので個々の技量も高く、アマオケで感じる音程の曖昧さも感じなかった。アシスタント無しの管楽器群も大健闘。一番トランペットが裏返らず頑張っていた(N響より立派)が、音色が刺激的で耳に突き刺さるようだった。ティンパニを一組しか使っていないのは指揮者の判断か、会場の制約か。何れにしてもスコアで二対と指定されている部分は音量不足で決まっていない。実はかなり重要な大太鼓のトレモロが、頑張って叩いているわりには楽器が鳴っていなかった(会場のせいかも知れない)のは残念だった。合唱も頑張っていたようだが、いかんせん音が遠く、オケやソリストがワァーっと鳴ると合唱は全然聞こえないという状況だったので、派手な落っこちなどはなかったとしか言えない。独唱陣はバランスが良かった。声量が飛び抜けていたり、特に下手だったりという人は無く、アンサンブルとして適度に纏まっていた。第二ソプラノ、第二アルトとバスが若干弱く、ピンチヒッターのテノールは音域的に厳しい場面があったが、何れも十分合格点の出来。指揮者の上下に独唱者が並ぶ形だったが、独唱者たちは一所懸命横目で指揮者を見て落っこちないようにしていたのが面白かった。第一アルトは左上を見上げるような姿勢で唱っていることが多かったが、あれも指揮者を視界に入れる策略ではないだろうか。

 演奏終了後、指揮者がマイクを持つ、ソリストの紹介に続いて、合唱団、オーケストラの構成員を所属団体毎に立たせて紹介する。指揮は面白くも何ともないが、この手のパフォーマンスに井上ほど適任な指揮者は居ないだろう。同系統のハッタリ指揮者である西本智実あたりでは貫禄が足りない。最終公演を振っただけなのに全部オレの手柄みたいな雰囲気を出せるには、井上くらい歳を取って頭が禿げないと難しい。
 異論はあるだろうが、このようなアマチュア・オーケストラのお祭りの集大成という条件の中で、井上の指揮は色気が無くてつまらなかった。幕で囲まれた舞台を見れば判るように、ここは井上道義のマーラー観を問う場所ではなく、祭りのクライマックスなのだ。演奏は地味なくせに、一部と二部で照明を変え、二部の神秘の合唱までを暗めの照明にするあたりは噴飯ものである。先日テレビでアバドがマーラーの交響曲第九番を指揮して、曲の最後で照明を落としていく演出をしていたが、アバドもここまで落ちたかとがっかりした。井上も同様、照明などで小細工せずに、演出は演奏でやるべきだ。演奏が良ければ聴衆は反応するのだ。演奏に自信がないからといって演奏以外の演出で誤魔化すのは素人騙しだ。以前レナルトが新宿文化センターでやったみたいに、最後に合唱団に大サービスのフェルマータをしたりするのが、お祭りの司祭役を委ねられた指揮者の役割のような気がする。マイクパフォーマンスは立派だが、演奏の方も大向こうを唸らせるような外連があっても良かったのではないか。

 終演後外に出ると猛烈な暑さでグッタリ。途中下車した千種から中央線に乗って、名古屋で途中下車して一杯やろうと思うが、改札で止められる。中央線から名古屋で新幹線に乗り継ぐ乗車券は、金山~名古屋間の運賃が含まれていないので名古屋で途中下車するには金山~名古屋間の往復運賃三二〇円が別途必要だという。素直に払えば良かったのだが、何となく意固地になってしまい、新幹線ホームで缶ビールを飲みつつ、一時間近く暇を潰す。

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2012年7月13日 (金)

春だドリフだ全員集合

春だドリフだ全員集合(一九七一年 松竹)

松竹ホームビデオ

 ドリフターズの映画は全部で二十一作あるが、製作年代が一九六七年から一九七五年までなので、一九七〇年生まれの私は一本も劇場で観たことはない。十年ほど前に東宝製作の五本はテレビで放映されたが、松竹製作の十六本は手つかずだった。もっとも、私はドリフのコントが好きなのであって、脚本家が別にいる映画についてはさほど興味がなかったというのが本音である。
 今回は今更VHSビデオを購入して鑑賞した。理由は簡単で、この映画はいかりや長介が売れない噺家という設定のため、師匠として三遊亭圓生、その他柳家小さん、入船亭扇橋、桂伸治(十代目文治)などの噺家が出演しているのである。
 物語は万年二つ目の噺家なまず家源五郎(いかりや)を中心としたドタバタ劇で、粗筋は省略するが、お手軽映画にしては伏線が活きていたり、ちょい役で当時の人気スターが何人も出ていたりで結構面白い。期待した噺家の出演シーンはそれほど多くないが、師匠役の圓生の名脇役ぶりが光る。圓生は舞台やテレビドラマなどにも出ていたようだが、小さんや伸治と違い、素人出演者をフォローする役回りになっている。また、寄席の舞台袖の場面では寄席囃子の名人橘つや師が、斜め後ろからちらりと映るのが貴重である。

 落語ファンにとって、この映画の最大の興味は、圓生の脱退宣言の場面であろう。この映画の七年後に実際に起こる、落語協会分裂騒動の予言だなどといわれているシーンだが、実際にはちょっと違う。いや、逆と言っていいだろう。(ここからネタバレ)いかりや達が紛れ込んで大騒ぎになっている宴会の隣室で、落語連盟の幹部(圓生、小さん、伸治ともう一人)が真打昇進の選考会議をしている。全会一致の数名の他に、圓生は自分の弟子の碇亭長楽(なまず家源五郎から改名)を加えるよう頼んでいる。話が纏まった頃に隣の座敷で爆発が起こり、芸者の扮装をした長楽が飛び込んでくる。それが長楽だと気づいた圓生は呆れ返り、「長楽の真打昇進は御破算です。私は落語連盟を辞めます」と詫びる。弟子のダメさに呆れて、お詫びのために辞めるというのがこの映画の筋で、会長の方針と相容れないから脱退するという、実際の事件とはかなり異なるのである。

 ドリフの映画は他にもたくさんあるが、他の作品はわざわざ購入してまで観ようとは思っていない。レンタルDVDで出してくれればいいのに。それにしても、この映画の題名は何とかならないのか。ドリフの映画は殆どこんな命名で、内容と無関係なものが多い。これでは何作も観ていると、題名と内容が一致しなくなるだろう。全員集合シリーズならば、せめて「落語の修行だ全員集合」くらいにしてもいいのではないか。内容に春を感じさせる場面は、強いて言えば学生が引っ越してくる所くらいしかなかったと思う。

 VHSプレイヤーが何時臨終を迎えるか知れないので、DVDに焼いておこうと思ったのだが、コピーガード信号が入っているらしくて録画出来なかった。残念だが、何本か持っているコピーガードのかかった市販VHSソフトは、プレイヤーが死ぬと一生お蔵入りにするしかないようである。何だか釈然としないが、仕方ないのだろう。

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