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2012年9月21日 (金)

日本フィル杉並公会堂シリーズ第3回

ベートーヴェン/バレエ音楽「プロメテウスの創造物」序曲作品四十三
ベートーヴェン/ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品六十一
ベートーヴェン/交響曲第五番ハ短調作品六十七

ヴァイオリン/松本紘佳
管絃楽/日本フィルハーモニー交響楽団
指揮/三ツ橋敬子

二〇一二年九月二〇日 杉並公会堂

 かつて、ただ興味本位で西本智実の演奏会を見に行き、その内容の無さにガッカリしたことがある。それに懲りずに、三ツ橋敬子という指揮者を見に行ってみる。建て替え後の杉並公会堂に足を運ぶのは今回が初めてだ。建て替え前に何度か来たが、ある時最前列中央で聴いていたら、広上淳一が指揮台上でジャンプするたびに、指揮台の赤い絨毯から土埃がたなびいていたのが印象深い。現在はキャパ千人ほどのコンサートホールで、アマチュアオーケストラに大人気のようだ。なるほど、シューボックスで小さめのわりには響きすぎずいい塩梅だ。ロビーや廊下が狭く人の流れが悪いのは残念だが、ホール自体は素晴らしい。

 一曲目は「プロメテウスの創造物」序曲。生で聴くのは初めてかも知れない。特にどうと言うことはない演奏。生で見る三ツ橋敬子はチビで猫背な指揮者。棒は斉藤流とはほど遠く、何のために指揮棒を持っているのか判らないほど、手首や棒を使わない指揮だ。しかし、痙攣する両腕から指揮者の気持ちは伝わるらしく、オケはよく鳴っている。

 ヴァイオリン協奏曲のソリストは一九九五年生まれの松本紘佳。立ち振る舞いもまだ発表会の雰囲気だが、演奏は十分に合格点だろう。まだ、演奏を楽しむ段階には遠く、技術的な綻びは殆ど無いのだが音楽の楽しさが伝わってこない。クライスラー作のカデンツァや第二楽章で顕著なのだが、テンポを崩して唄わせるのだが、お手本通りやっているだけに感じてしまう。また、舞台度胸が付いていないのだろうが、間が持たないので折角ルバートしても、撓めずに次のフレーズに行ってしまうのだ。もっとも、この注文は十七歳には酷だろう。だから、なまじテンポを崩すよりは勢いで弾ききった方がいいかも知れない。第三楽章は若向きで好演。勢いのあるいい演奏だった。松本は来月からヴィーンに留学するとのこと。是非演奏経験を積んで、技術に負けない音楽性を身に付けて来て欲しい。

 後半は交響曲第五番。若手の指揮者が「運命」を振るのはどんな気持ちなのだろうか。これだけ手垢にまみれ、大指揮者巨匠たちが名演を残している曲だ。生半可な解釈や工夫では到底勝負にならない。
 三ツ橋の演奏は、徹底的に押しまくり。小細工は一切無し。テンポも一貫して早めで、弱音のニュアンスや、テンポの揺れなどは無い。確かに、これしかやり方はないかも知れない。当然、ここはこうしたい、あそこはああしたいという表現欲は指揮者を志すものなら持っているだろう。しかし、手兵オケを自由に操れる大指揮者ならともかく、客演の若手指揮者が定期公演以外で、練習時間の制約の中で勝負するにはこれしかないだろう。第一楽章から前へ前へ進む演奏で、昔の大指揮者がやった間合いなどクソクラエだ。第一楽章再現部もテンポを落とさず突き進むのは快い。第二楽章第三楽章も快速で進み、第四楽章もオケをガンガン鳴らす快演。若手指揮者だから当然繰り返すだろうと思っていた提示部を繰り返さず展開部に突入する。これには喝采を送りたい。このような表現の場合、繰り返し無しは当然だと思うが、ベーレン何とか版とかの学究的演奏が流行の今日、反復の省略は結構度胸がいるだろう。よくぞやってくれた。勢いを保ったまま終楽章もコーダへ進む。せっかくだから最後は猛スピードでと期待したのだが、そこは安全運転で破綻無く終了。終わった瞬間に客席から「ブラヴォー」ではなく「よしっ!」と声が掛かった。宇野功芳がベト五を振った時と同じだが、私も心の中で「よしっ、よくやった」と思った。
 三ツ橋敬子は宣材写真と実物が、オウムの菊池直子の手配写真と実物くらいギャップがあったが、若手らしい表現で好印象だった。五日ほど前に聴いたインバルのマーラーのように、特に何もしていないのだがフレーズとフレーズの間合いの絶妙さで聴かせる老指揮者の名人芸もいいが、三ツ橋のような若さに溢れる表現もいい。今後追いかけたりはしないが、機会があったら時々聴いてみたい指揮者である。
 アンコールはベートーヴェンの十二のコントルダンスから第八番。楽しい小品だった。

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2012年9月16日 (日)

越前大仏

 北陸珍スポット巡りの最後は福井県勝山市の越前大仏へ向かう。今回巡る珍スポットのうち、石仏と石像、加賀大観音とこの越前大仏は所謂オヤジ系スポット。財を成したオヤジが思いつきで作った施設である。そして、図らずも巡る順番に規模が大きくなっている。

・おおさわの石仏の森&ふれあい石像の里
病院、老人ホーム経営者が一九八九年開設、総工費六億円

・ユートピア加賀の郷
不動産会社経営者が一九八七年開設、総工費二八〇億円

・越前大仏
タクシー会社経営者が一九八七年開設、総工費三八〇億円

 いずれもバブル期に社長の道楽で作った施設だが、道楽に三八〇億円とは佳き時代だったのだろう。
 さて、この越前大仏は国道の標識にも案内が出ており辿り着きやすい。数台しか駐まっていない広大な駐車場にクルマを置き、計画的に作られて、現在は一軒も営業していない門前の土産物屋街を抜けて五百円の拝観券を買う。開設当初の拝観料は三千円だったそうなので、随分値下げしたようだ。
 まず巨大な南大門。一対の巨大な仁王像と、巨大な狛犬が入口を固めている。続いて中門、その奥が大仏殿である金堂。金堂の大きさは間口五十八メートル、奥行き四十八メートル、高さ五十二メートル。当然意識して造ったのであろう奈良東大寺の大仏殿よりも若干大きい。そして中の大仏は高さ十七メートル。奈良の大仏の十四、七メートルより二メートル強大きく、座像としては日本最大(諸説あり)の仏像である。
 勿論、奈良の大仏は修学旅行で参拝しており、印象は残っている。しかし、越前大仏の方が遙かに印象が強い。その理由はズバリ静寂! 奈良の大仏は大勢の観光客の中、同級生達とワイワイ言いながら見物した。しかし、越前大仏は他に数名の観光客がいるだけ。大仏の正面に階段で登る観仏台(?)があり、そこに一人で立つと大仏と一対一で対峙する気分になる。大仏殿の中には常時音楽っぽいお経(声明というのか?)が流れており、何だか急に非現実の世界に連れ去られたような気分になる。宗教心ゼロでお馴染みの私が迂闊にもそんな有難い気持ちになったのだから、信心心のある人なら跪いて涙するのではないか。外国人などを連れて行って脅かすには、断然奈良の大仏より越前大仏だ。それも出来れば閑散期の平日がいいだろう。九月の土曜日の午後で参拝客は常時二三組なのだから、冬の平日なら貸し切りが狙えるだろう。五百円でこの大仏を独り占めできるなんて素晴らしい。小林悠(TBSアナウンサー)の至言「仏像は見る物でなく浴びる物」を最大に実現できる空間である。
 暫くの間大仏を浴びまくってから五重塔に向かおうとすると、途中に九龍壁なるものがある。これは中国北京北海公園の九龍壁を複製した物とのこと。陶板の造形で作った高さ七メートル、幅二十五メートルの壁(両面)であり、これも立派な物だ。
 続いて五重塔へ向かう。ここの五重塔は高さ七十五メートル。東寺の五重塔五十四、八メートルを遙かに凌ぐ世界一の五重塔だ。由緒正しい五重塔は見上げるだけしか出来ないが、こちらは鉄筋コンクリート製なので、勿論最上階まで登ることが出来る。しかも四階まではエレベーターで上がれる。この五階からは先ほどの大仏殿は勿論、寺の全景、そして勝山市を一望することが出来る。馬鹿と煙はと言われようが、やはり高い所はいい。大仏殿の向こうに天守閣のある立派な城が見える。後で調べた所、勝山城博物館というもので、戦国時代にあった勝山城とは何の関係もない博物館で、越前大仏と同じくタクシー会社社長が作った物だという。そして、越前大仏、勝山城博物館と、製糸工場の産業遺産である、ゆめおーれ勝山との三館共通入場券は通常千二百円(五百円+五百円+二百円)の所を九百円で回れる。大変お得である。
 残念ながら券売所の向かいにある土産物コーナーには目を引く物はない。絵葉書のセットが二種類あり、方や百円、方や四百円と随分差があったが、中身はさほど変わらない。百円の絵葉書セットを購入した。

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五重塔から大仏殿を望む。向こうに勝山城博物館も見える。

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2012年9月15日 (土)

加賀大観音

 続いて向かったのは、加賀温泉駅に近い加賀大観音。北陸地方では一大チェーンを展開している8番ラーメンの本店で昼食をとり、国道八号線を西に進むと、遠くに金色の観音像が見えてくる。観音像を目指して車を走らせるが、案内看板の類が無いので迷う。何とか入口を発見して進入すると、大きな建物と広大な駐車場があるがクルマは一台も駐まって居らず、更に奥に誘導する標識がある。細い道を進んで狭い駐車場に車を駐め、砂利道の坂を上るといきなり大観音の入口に出る。
 この施設はユートピア加賀の郷という宗教テーマパークで、一九八七年の開業。大温泉浴場、観光ホテル、美術館・博物館、遊園地、プール、パットゴルフなどを併設した施設だった。しかし、遊園地、ホテル、温泉浴場の順に廃業し、現在は宗教施設のみが営業している。三年ほど前にタレント僧の織田無道が住職となったが、従業員への賃金不払いなどの問題を抱えたまま雲隠れしているという。
 かなり廃墟化してしまっているのは残念だが、淡路島の大観音のように閉鎖されて立ち入れないよりはずっとマシだ。拝観料五百円を払って観音像に向かう。観音像は正式には慈母観世音菩薩といい身丈は七十三メートル。コンクリート製で外側は金色に塗られている。後ろ側から胎内に入れるようになっており、螺旋階段で肩の辺りまで登ることが出来る。胎内は残念ながら撮影禁止だが、壁面にびっしりと一枚三千円のパネルが貼ってあり、「水子供養 ○山□男」などと書いてある。所々に外部を覗ける窓があるが、鳩が巣を作ったらしく、羽が散乱していたりして荒れた感じだ。最上階まで上り詰めると仏像が安置してあり、東西南北各方角に窓が開いている。外から見ると丁度肩の部分に窓が沢山あるのでここだろう。景色はいいのだが、窓が小さいので今一つ満足感が無い。東京湾観音のように腕の上に展望台を作ってくれると楽しめるのに。
 観音像の裏手には三十三間堂がある。大きな体育館のような建物だが入ると驚く。観音側から見て左側には釈迦の一生をテーマにした(ん、どこかで聞いたような)巨大なジオラマが展開している。壁面には色々な場面の立体像が並び、手前一面には巨大な箱庭が広がっている。残念ながら節電のためか照明が点いておらず、薄暗い中でしか見ることが出来ない。そして更にすごいのは右側半分の千手観音像だ。金ピカの千手観音一一八九体が、雛壇に整然と並んでいる様は圧巻としか言いようがない。完全に整列しているので、正面、斜め四十五度から見ると一直線に並んでいるのだ。京都の三十三間堂には修学旅行で行ったような行かないような曖昧な記憶しかないが、京都まで行かなくてもここで十分だと思う。こちらも節電で薄暗い中だが、これだけ金ピカな物が並んでいるのだから、ちゃんと照明を当てたら目も眩む光景になるだろう。残念ながら三十三間堂も撮影禁止であった。
 続いて巨大な金ピカ梵鐘が池の上に吊されている梵鐘仏堂、建物の中に金ピカの五重塔ががあり、周りの回廊に仏像が並ぶ瑠璃光殿、ピラミッド状の山に金ピカの仏像が並べられた金色堂などを見て回るが、いずれも照明が点いていないので今ひとつ迫ってこなかった。だが、これらも決して大したことがないわけではない。三十三間堂の印象が強すぎて、その後見た物が霞んでしまっているのだ。ちゃんと照明を点けて、金色堂、瑠璃光殿、梵鐘仏堂、大観音、三十三間堂の順に見学したら素晴らしかったと思う。これから行く人は是非その順序で見てもらいたい。

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2012年9月14日 (金)

ハニベ巌窟院

 北陸地方は珍スポットが多く、計画段階でどこに行こうか迷うが、絶対に外せないのがハニベ巌窟院だろう。案内看板を頼りに辿り着くと、まずは巨大な大仏の頭部がお出迎え。何でもこの大仏は肩の所まで製作した所で資金難のため製作中断。完成の暁には裏山の上に鎮座する予定らしい。既にここで突っ込み所満載だ。大仏を建造する場合、最終的に鎮座する場所で、足元から作り始めるのが普通ではないのか。頭の方から作って、完成したら移動というのは随分非効率に感じる。
 それはさておき、八百円の入場料、もとい拝観料を払って中に入る。まず大仏の台座部分に入ると、よくある水子供養の地蔵を奉納する施設になっており、大仏の胎内には入れない。大仏の脇には大仏の縮小版が鎮座しており、これが完成予想の模型らしく、顔から肩までは全く相似形だ。最初大仏の異様に広い肩幅を見て、製作途中というのは眉唾に感じたが、全体で見ると異様にがっちりした大仏である。
 大仏の周りには色々な像やオブジェが立っていて、説明書きのあるもの無いものまちまちだが、何の統一感もない。この統一感の無さが、珍スポットには重要な要素だ。雨が降り出したので説明書きは飛ばして先に進む。鯉の泳ぐ池を越えて坂道を上ると、水子地蔵堂がある。ここも中は水子地蔵がびっしり並んでいるのだが、玩具やぬいぐるみなども奉納されていて心が重くなる。日本中の寺で水子供養が盛んだが、そんなに需要があるのだろうか。奉納された地蔵に普通に名前が書いてあったりするのが生々しい。
 更に山道を登るといよいよ巌窟院である。種を明かせば、元々石切場(採石場)だった坑道に様々な仏像などを展示した施設である。最初は阿弥陀堂という小さな洞窟。ここには幾つかの仏像があるが、素焼きの皿に願い事を書いて聖函に投げ入れるアトラクションが面白い。落語の愛宕山そのままだが、二枚百円の皿を買って投げてみる。一枚目には「釣り名人になりたい」と書いて投げてみた。普段物を投擲するという運動をしていないせいか、皿は明後日の方向へ飛んでいく。二枚目も同じ事を書いては芸がないので「モテモテになりたい」と書こうかと思ったが、今更もてても仕方がないので「楽に暮らしたい」と書いて投げる。これも明後日の方向へ。私の将来は「釣りは上達せず生活苦」で決まりらしい。
 続いて建物があり、仏像などのどうでもいい物が陳列されている。そこを抜けるといよいよ巌窟院本洞に進む。洞窟に入るとまず仏像が並び、釈迦一代記というコーナーがある。釈迦の一生を彫刻で描いているのだが、真ん中誕生場面「天上天下唯我独尊」だけ異様に印相が悪くて宗教的でない。続いて「胸像製作承ります」と書かれ、見本の胸像が並ぶコーナーがある。納期三ヶ月だそうだ。その次はインド彫刻のコーナーだが、秘宝館などではお馴染みのエロい彫刻が並んでいる。そしてその先がいよいよ地獄のコーナー。これ以降の展示物はクラクラするような素晴らしい物ばかりだ。生憎雨天で洞内は湿度百パーセント。写真を撮ったのだがフラッシュで霞が光ってしまい、まともに撮影できなかった。ネット上に様々なレポートがあるので、暇な方は検索して見て欲しい。
 洞窟を抜けると「山道ですから雨の日や足に自信のない方は元の道へ戻って下さい。」と注意書きのある山上自然公園・日本一大涅槃像へ向かう。小雨模様の赤土の山道は本当によく滑り危険である。おっかなびっくり歩いて辿り着いた山頂には確かに涅槃像があった。しかし、日本一を標榜するのは如何なものか。大きさも大したことないし、姿勢がおかしいのだ。一般的な涅槃像は釈迦が横たわり、右手で頬杖をついて頭を持ち上げている姿勢の物が多い。この涅槃像は、右手は顔に添えているが、それ以外の全身が気をつけの姿勢なのだ。つまり直立の姿勢のまま横に寝かせてあり、足が地面から浮いているのだ。随分横着して作ったものである。この涅槃像の広場が大仏の最終的な設置場所らしく、今はがらんとした広場になっている。いつかこの山の上に大仏が完成し、衆生を見下ろす日が来ることを祈りたい。
 帰りに売店に立ち寄ると、素晴らしいオリジナルグッズが販売されている。Tシャツ、マグカップ、竹製団扇、絵葉書、提灯、ステッカーなどなど。今どきこれだけ揃っているのは珍しい。恐らく在庫が無くなっても再生産するかは微妙なので、ある内に買っておきたい。私は悩んだ末に、絵葉書セットとマグカップを購入した。

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ハニベ巌窟院 建造半ばの大仏(左)と日本一大涅槃像(右)

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2012年9月13日 (木)

高岡大仏

 続いて高岡大仏を見物する。日本三大大仏のうち二つは奈良と鎌倉の大仏であることは誰でも思いつくが、三番目がどこの大仏なのかは悩む所だ。ウィキペディアに、三番目は高岡と岐阜の大仏がそれぞれ自称していると記述されている。スマートフォンのナビを頼りに向かうがと、住宅街の真ん中に突然大仏が現れる。しかし、クルマを駐められるような場所が無く、周りをグルグル回ってしまう。大仏寺脇の一方通行の道沿いに参拝用の駐車場を発見しどうにか車を駐める。普通の住宅や商店が建ち並ぶ中にある大仏は、思ったほど大きくない。座高は七、四三メートルで、現在の仏像は一九三三年に建造されたものだ。奈良の大仏の一四、七メートル、鎌倉の一一、三九メートルに比べるとかなり小さいが、それ以上に威圧感が無い。理由は、周りに日常風景が広がっているせいだろう。奈良の大仏は大仏殿に入っているから、会社で言えば役員室付き。鎌倉の大仏も周りが広いから部長あたりの管理職席。高岡の大仏はごちゃごちゃした中に立っているので恰幅はいいけど平社員の風情だ。だが、良く姿を見ると大変端正で美しい。そして、この大仏様は髭が可愛らしい。チョロとした口髭と、小さくとぐろを巻いた顎髭が愛嬌があっていいのだ。
 台座の中にも入れるようになっており、仏画などが展示されている。中で目を引いたのが、木製だった頃の大仏の頭部。これは火災にあった時焼け残ったものとのこと。そして、右書きで「高岡大佛御面像竣工記念鋳造員」と記された写真。大仏の顔の部分を囲んで五十人近い人が並んだ記念写真である。高岡大仏の起源は一二二一年に遡り、この地に移転したのは一六〇九年。その後一七四五年と一八四一年に焼失、一九〇〇年(明治三十三年)の高岡大火で三たび焼失し、一九〇七年から高岡銅器の職人達による協力の下、現在の大仏の建立が始まった。この写真はその十一年後、一九一一(明治四十四)年に顔の部分が完成した時の記念写真のようであり、この写真より更に二十二年を経て、現在の大仏が再建されるのである。ところが、写真をよく見ると、その顔は現在の大仏とは別人のように感じられる。四半世紀にわたる大仏鋳造の中で、何かが起こったのか、再建後に何かがあったのか。謎である。
 残念ながら、高岡大仏は私の好きな珍スポットや脱力スポットではない。地元民から愛されている大仏様であり、普通の観光地だった。

Photo
明治四十四年(左)と現在(右)の高岡大仏。鼻と口は似ているが、目と頬の形が違うように見える。耳が写っていないのが残念だ。

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2012年9月11日 (火)

おおさわの石仏の森&ふれあい石像の里

 ちっとも釣れない神通川の鮎に見切りを付けて、土曜日一日で北陸の珍スポットを巡ることにした。

 まず向かったのは、おおさわの石仏の森&ふれあい石像の里。ここは以前偶然に通りかかって発見し、後にネットで調べて概要が判った珍スポット。富山の実業家某氏が私財を投じて作った施設で、神通川を望む山の斜面に中国製の石仏石像がずらりと並ぶ様は圧巻。石仏の森の方は所謂五百羅漢で、様々な石仏が五百体並んでいるそうだ(数えたわけではない)。
 今回は念入りに全ての石仏をくまなく見て回ろうと思い、朝七時から探索を始める。残念ながら最上部の二区画ほどは通路が藪に覆われてしまい立ち入れなくなっていた。それ以外も通路部分に雑草が茂っており、あまり手入れが行き届いていないようだ。様々な仏像があるが、生首を持っていたり、蛇に絡まれていたりするものは印象が強い。しかし、数が多すぎるせいか、一体一体の印象よりは全体を眺めた時の数の多さの方が印象が強い。一目五百体は壮観である。通路の雑草だけでなく立木の枝も伸びてきているので、草むらや木立に隠れかけている仏像が多いのも残念。
 石仏の森から八百メートルほど上流にある石像の里は、石仏ではなく創設者の友人知人をモデルにした石像が並んでいる。こちらは実在の人物だけによりシュールである。一区画だけ、石仏の森と同じような仏像がひしめいている区画があるが、ネット情報によれば石仏を八百体作成して、石仏の森に五百体、こちらに三百体設置したのだとか。石仏の森をもう少し詰めて八百体全部並べた方が統一感がある気がするのだが。石像の土台部分にはモデルの名前が刻まれているが、漢字フルネームのものは少なく。名字だけ、名前だけ、愛称らしきものなど様々である。ポーズは正面向いてすましているものばかりではない。明らかに釣りに行った時のスナップ写真をモデルにしたと思われる、魚を持って笑っている像などもある。ここの創設者とうっかり釣りなどに行くと石像にされてしまうようだ。自分をモデルにした石像が勝手に製作され、名前入りで陳列されていたら本人は驚くだろう。名前があやふやなのはその辺に気を遣ってなのか。気の遣い所がずれているような気はするが。
 石像は全て中国の石工が製作しているそうで、材質は白くてきれいな石だ。しかし雨風に晒されているせいで黒ずんでしまっている。所々雨の当たらない部分に元の白さが残っているものがあるが、殆どは石の地蔵のような色合いである。五六年前のネット情報だと、新たに製作された石像が陳列されるのを待っているようだったが、現在新規製作はストップしているようだ。
 この二つの施設は春か秋に来るのがいいと思う。冬は雪に埋もれているだろうし、夏は雑草が茂って歩きづらい。足元の悪い傾斜地を歩き回ることになるので、夏に来るなら暑さと虫への対策をしないと厳しい。

Photo

全景、左が石仏の森、右が石像の里。神通川対岸より撮影。

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2012年9月 5日 (水)

復活の休憩

 先日、下野竜也指揮の読売日本交響楽団によるマーラーの交響曲第2番「復活」(九月一日東京芸術劇場)を聴いたが、この日の演奏で一つ面白いことがあった。

 第一楽章が終わると指揮者は静かに手を下ろす。客席は暫く咳払いなどでざわめくが、やがて静かになる。しかし、指揮者は指揮台の上で身じろぎもしない。暫く沈黙が続いた後、舞台上下の扉が開き、後半にしか出番のない奏者(オルガンなど)数名が登場し所定の席に着く。指揮者はまだ身じろぎもせず、再び沈黙が続く。また暫くして指揮者がコンサートマスターに目配せすると、コンサートマスターが立ち上がりチューニングが始まる。チューニングの途中から舞台下手の扉が開き、独唱者二名が登場。オーケストラと合唱団の間の席に着く。チューニングが終わって独唱者が揃っても、相変わらず指揮者は身じろぎもせず沈黙が続く。客席の我慢がそろそろ限界かと思われた頃、指揮者がおもむろに手を上げて、第二楽章の演奏が始まる。計ったわけではないが第一楽章終了から第二楽章の開始まで五分以上は経過したと思われる。
 なぜこんな間を空けたのかは、この曲のスコアを見れば一目瞭然。第一楽章の終止線の下に、「Hier folgt eine Pause von mindestens 5 Minuten.(ここで最低五分の休憩を入れる)」と記されているのだ。第一楽章と第二楽章以下の内容に差があるので、一区切りして気分を変えて欲しいという、作曲者マーラーの注文である。
 この指定を実際の舞台でどう運用するかは指揮者の考えによるのだが、このように何もせずに五分待たされたのは初めての経験だ。大抵はチューニングをする程度でサラッと第二楽章を始めてしまうことが多い。指揮者が悩むのは、指定通り通常のプログラム半ばで行われる十五分程度の休憩を入れてしまうと、完全に音楽が分断されてしまい、休憩後に拍手を受けて登場することにより、更にここから新しい曲が演奏される雰囲気になることだろう。気分は変えたいのだが、完全にリセットされても困るという所だろう。
 今まで実演で聴いた中で、うまいやり方だと感心したのが尾高忠明指揮NHK交響楽団による演奏(一九九一年十一月)で、一楽章が終わるとすぐに舞台の照明が暗くなり休憩に入り、休憩明けは舞台が暗いまま指揮者を含む全演奏者が揃い、チューニングが終わった所で舞台の照明が点灯、すぐに第二楽章演奏開始というものだった。休憩入りも休憩明けも拍手が起こらないので、ちゃんと休憩を取ったのに、演奏の連続性は保たれていた。
 下野も色々考えて今回のやり方に辿り着いたのかも知れないが、聴衆の立場ではかなり疑問が残る。何よりも無駄な緊張を聴衆に強いることの疑問だ。煌々と明るい舞台上で三百人もの演奏者が身じろぎもしない様子を黙って見させるのはかなりの苦痛だ。そして、マーラーの指示を知らない聴衆にとっては、何故みんな黙っているのか判らず、どうしていいのか判らないだろう。マーラーの意図は客に緊張と苦痛を与え、疑問を抱かせることではないはずだ。その点、尾高の方法は不自然さが無く秀逸だった。

 素人の勝手な妄想だが、ここの休憩の取り方は、まず合唱団を入れずに第一楽章を演奏。第一楽章が終わったら舞台の照明を落とす。合唱団、ソリストが続いて入場。全員揃った所でチューニング。チューニングしながら舞台の照明が点灯。第二楽章演奏開始という進行ではないだろうか。指定通り五分以上かかるかは微妙だが、五分以上というのはあくまで目安と考えていいと思う。舞台が狭くて、オーケストラが乗った状態で合唱団が出入りできないのであれば、尾高方式でいいと思う。

 バーンスタインのフィルムなどを見ると、第二楽章が終わった所で独唱者が普通に拍手を受けながら登場したりしている。演奏の内容さえ良ければ、細かな段取りなどはさほどの問題ではないと思う。しかし、下野はまだ若手指揮者だから、このような細かな点で、色々試行錯誤するのは結構なことだ。

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