日本フィル杉並公会堂シリーズ第3回
ベートーヴェン/バレエ音楽「プロメテウスの創造物」序曲作品四十三
ベートーヴェン/ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品六十一
ベートーヴェン/交響曲第五番ハ短調作品六十七
ヴァイオリン/松本紘佳
管絃楽/日本フィルハーモニー交響楽団
指揮/三ツ橋敬子
二〇一二年九月二〇日 杉並公会堂
かつて、ただ興味本位で西本智実の演奏会を見に行き、その内容の無さにガッカリしたことがある。それに懲りずに、三ツ橋敬子という指揮者を見に行ってみる。建て替え後の杉並公会堂に足を運ぶのは今回が初めてだ。建て替え前に何度か来たが、ある時最前列中央で聴いていたら、広上淳一が指揮台上でジャンプするたびに、指揮台の赤い絨毯から土埃がたなびいていたのが印象深い。現在はキャパ千人ほどのコンサートホールで、アマチュアオーケストラに大人気のようだ。なるほど、シューボックスで小さめのわりには響きすぎずいい塩梅だ。ロビーや廊下が狭く人の流れが悪いのは残念だが、ホール自体は素晴らしい。
一曲目は「プロメテウスの創造物」序曲。生で聴くのは初めてかも知れない。特にどうと言うことはない演奏。生で見る三ツ橋敬子はチビで猫背な指揮者。棒は斉藤流とはほど遠く、何のために指揮棒を持っているのか判らないほど、手首や棒を使わない指揮だ。しかし、痙攣する両腕から指揮者の気持ちは伝わるらしく、オケはよく鳴っている。
ヴァイオリン協奏曲のソリストは一九九五年生まれの松本紘佳。立ち振る舞いもまだ発表会の雰囲気だが、演奏は十分に合格点だろう。まだ、演奏を楽しむ段階には遠く、技術的な綻びは殆ど無いのだが音楽の楽しさが伝わってこない。クライスラー作のカデンツァや第二楽章で顕著なのだが、テンポを崩して唄わせるのだが、お手本通りやっているだけに感じてしまう。また、舞台度胸が付いていないのだろうが、間が持たないので折角ルバートしても、撓めずに次のフレーズに行ってしまうのだ。もっとも、この注文は十七歳には酷だろう。だから、なまじテンポを崩すよりは勢いで弾ききった方がいいかも知れない。第三楽章は若向きで好演。勢いのあるいい演奏だった。松本は来月からヴィーンに留学するとのこと。是非演奏経験を積んで、技術に負けない音楽性を身に付けて来て欲しい。
後半は交響曲第五番。若手の指揮者が「運命」を振るのはどんな気持ちなのだろうか。これだけ手垢にまみれ、大指揮者巨匠たちが名演を残している曲だ。生半可な解釈や工夫では到底勝負にならない。
三ツ橋の演奏は、徹底的に押しまくり。小細工は一切無し。テンポも一貫して早めで、弱音のニュアンスや、テンポの揺れなどは無い。確かに、これしかやり方はないかも知れない。当然、ここはこうしたい、あそこはああしたいという表現欲は指揮者を志すものなら持っているだろう。しかし、手兵オケを自由に操れる大指揮者ならともかく、客演の若手指揮者が定期公演以外で、練習時間の制約の中で勝負するにはこれしかないだろう。第一楽章から前へ前へ進む演奏で、昔の大指揮者がやった間合いなどクソクラエだ。第一楽章再現部もテンポを落とさず突き進むのは快い。第二楽章第三楽章も快速で進み、第四楽章もオケをガンガン鳴らす快演。若手指揮者だから当然繰り返すだろうと思っていた提示部を繰り返さず展開部に突入する。これには喝采を送りたい。このような表現の場合、繰り返し無しは当然だと思うが、ベーレン何とか版とかの学究的演奏が流行の今日、反復の省略は結構度胸がいるだろう。よくぞやってくれた。勢いを保ったまま終楽章もコーダへ進む。せっかくだから最後は猛スピードでと期待したのだが、そこは安全運転で破綻無く終了。終わった瞬間に客席から「ブラヴォー」ではなく「よしっ!」と声が掛かった。宇野功芳がベト五を振った時と同じだが、私も心の中で「よしっ、よくやった」と思った。
三ツ橋敬子は宣材写真と実物が、オウムの菊池直子の手配写真と実物くらいギャップがあったが、若手らしい表現で好印象だった。五日ほど前に聴いたインバルのマーラーのように、特に何もしていないのだがフレーズとフレーズの間合いの絶妙さで聴かせる老指揮者の名人芸もいいが、三ツ橋のような若さに溢れる表現もいい。今後追いかけたりはしないが、機会があったら時々聴いてみたい指揮者である。
アンコールはベートーヴェンの十二のコントルダンスから第八番。楽しい小品だった。
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コメント
楽しさの伝わらない感想だなぁ。
投稿: | 2012年10月 5日 (金) 23時16分