« おおさわの石仏の森&ふれあい石像の里 | トップページ | ハニベ巌窟院 »

2012年9月13日 (木)

高岡大仏

 続いて高岡大仏を見物する。日本三大大仏のうち二つは奈良と鎌倉の大仏であることは誰でも思いつくが、三番目がどこの大仏なのかは悩む所だ。ウィキペディアに、三番目は高岡と岐阜の大仏がそれぞれ自称していると記述されている。スマートフォンのナビを頼りに向かうがと、住宅街の真ん中に突然大仏が現れる。しかし、クルマを駐められるような場所が無く、周りをグルグル回ってしまう。大仏寺脇の一方通行の道沿いに参拝用の駐車場を発見しどうにか車を駐める。普通の住宅や商店が建ち並ぶ中にある大仏は、思ったほど大きくない。座高は七、四三メートルで、現在の仏像は一九三三年に建造されたものだ。奈良の大仏の一四、七メートル、鎌倉の一一、三九メートルに比べるとかなり小さいが、それ以上に威圧感が無い。理由は、周りに日常風景が広がっているせいだろう。奈良の大仏は大仏殿に入っているから、会社で言えば役員室付き。鎌倉の大仏も周りが広いから部長あたりの管理職席。高岡の大仏はごちゃごちゃした中に立っているので恰幅はいいけど平社員の風情だ。だが、良く姿を見ると大変端正で美しい。そして、この大仏様は髭が可愛らしい。チョロとした口髭と、小さくとぐろを巻いた顎髭が愛嬌があっていいのだ。
 台座の中にも入れるようになっており、仏画などが展示されている。中で目を引いたのが、木製だった頃の大仏の頭部。これは火災にあった時焼け残ったものとのこと。そして、右書きで「高岡大佛御面像竣工記念鋳造員」と記された写真。大仏の顔の部分を囲んで五十人近い人が並んだ記念写真である。高岡大仏の起源は一二二一年に遡り、この地に移転したのは一六〇九年。その後一七四五年と一八四一年に焼失、一九〇〇年(明治三十三年)の高岡大火で三たび焼失し、一九〇七年から高岡銅器の職人達による協力の下、現在の大仏の建立が始まった。この写真はその十一年後、一九一一(明治四十四)年に顔の部分が完成した時の記念写真のようであり、この写真より更に二十二年を経て、現在の大仏が再建されるのである。ところが、写真をよく見ると、その顔は現在の大仏とは別人のように感じられる。四半世紀にわたる大仏鋳造の中で、何かが起こったのか、再建後に何かがあったのか。謎である。
 残念ながら、高岡大仏は私の好きな珍スポットや脱力スポットではない。地元民から愛されている大仏様であり、普通の観光地だった。

Photo
明治四十四年(左)と現在(右)の高岡大仏。鼻と口は似ているが、目と頬の形が違うように見える。耳が写っていないのが残念だ。

|

« おおさわの石仏の森&ふれあい石像の里 | トップページ | ハニベ巌窟院 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« おおさわの石仏の森&ふれあい石像の里 | トップページ | ハニベ巌窟院 »