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2012年12月27日 (木)

さよなら幸兵衛

 大人の男として持っていたいものの一つが行きつけの飲み屋ではないだろうか。ここ五年ほど、土日の休みにすることがないと地元(徒歩十分くらい)の飲み屋に昼飲みに行って、その後ゆっくり風呂に入るのが生活パターンになっていた。雑居ビルの一階の角、床面積は約二坪。L字型のカウンターの短い部分に焼き台がある作りで、満席で七名収容という店だ。現在は土日の昼間だけの営業で、客層は常連客ばかり。近所の馬券売り場で馬券を買い、一杯やりながら結果を待っているという非常に回転の悪い店である。
 元は現在の女将の母親が戦後間もなく始めた飲み屋で、以来六十余年、経営は娘が引き継ぎ、区画整理で場所は移ったが営業を続けてきた。元は普通の飲み屋と同じく、平日夕方の営業だったのだが、毎日営業するのが体力的にきつくなってきたので、ここ十年ほどは競馬開催日のみ昼間の営業となったそうだ。そんな事情なので、客は顔見知りの常連客ばかり。殆どが悠々自適のリタイア組で、四十代前半の私は最年少の新参者だ。
 大体私が顔を出すのが正午頃。土曜でも日曜でも番頭格のイタさんが来ていて、日曜だと近所の和食居酒屋の大将であるマンちゃんとアカさん夫婦が来ている。これが十二時台のレギュラーメンバーで、二時頃になるとタカヤマさん、マキさん、サトウさんが現れる。その他にも毎土日来るわけではないが、ホンマさん、スズキさん、イノさん、クロカワさんなどが加わり、私はそろそろ席を譲って帰宅する。以前はイタさんと共にいつでも居たサンちゃんは体を壊して姿を見せなくなり、エンドウさんは震災後に被害を受けた故郷に帰ってしまった。ホシノさんは最近来ないので皆心配しているが、誰も消息を知らない。
 大体滞在二時間半ほどで、ビール大瓶、焼酎ウーロン割り(冷・温)数杯、つまみ二品、やきとり三本というのがいつものパターンで、勘定は千六百円くらい。焼酎はボトルで入っていて、ウーロン茶と氷は無料。女将や周りの常連客とどうでもいい世間話をしたり、競馬中継を見て当たった外したと騒いでいるのを一緒になって冷やかしたりしていると、あっという間に席を譲る時間になってしまう。本当に居心地の良い場所であった。勿論、こんな単価の安い客ばかり相手に、土日だけ営業していたのでは家賃すら払えるとも思えず、女将が道楽でやっているようなものだった。

 遂にこの飲み屋、幸兵衛が六十余年の歴史に幕を下ろすことになった。女将も齢七十五、体力的にきつくなってきたし、元気な内に息子の嫁や孫達と遊びたいということなので、残念だが仕方ない。今までよくぞこんな儲からない客相手に店を続けてくれたという感謝の気持ちだけである。
 最終日の二十四日は混雑を予想して少し早めに入店。イタさんの他にスズキさんが娘と孫を連れてきている。スズキ一家と入れ替わりにホンマさん、続いてタカヤマさん、アカさん、マキさんが来店。競艇に行くというイタさんを「競艇はいつでも行けるんだから今日はよしなよ」と焼酎を注いで引き留め、いつも通りサトウさんと入れ替わりで店を後にした。
 手帳を調べてみると二〇〇七年から一七二回この店に飲みに行ったことになる。幸兵衛がなくなると休日の楽しみが減ってしまうが、どう考えても代わりになる店は見つからないだろう。休日の昼飲みをやめればいいだけの話だが……。
 たった五年ではあったが、居心地良く入り浸れる飲み屋に出会えたことに感謝したい。ありがとう幸兵衛、ありがとうおっかさん。

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2012年12月19日 (水)

圓朝全集

円朝全集(全十三巻・別巻二) 岩波書店

 岩波書店から圓朝全集が刊行されるという新聞広告を見て狂喜した。私が生きている間に、まさかそんなことがあるとは思っていなかったので即決で注文した。注文しておいてから改めて内容を見てみたが、これが大変に素晴らしいのだ。

 圓朝全集は過去二回編纂されて、三回出版されている。

春陽堂版(一九二六~全十三巻、後に世界文庫一九六三年~)
角川書店版(一九七五年~全七巻)

 どちらも現物を見たことはないが、春陽堂版は旧字旧仮名、昭和の名人達が読んだのはこちらだ。角川書店版は新字新仮名だろう。春陽堂版は後に世界文庫に納めらた。私が圓朝に興味を持った学生時代には、古本屋で見つけた「牡丹灯籠」と「真景累ヶ淵」が面白くて何度も読み返し、是非他の作品も読んでみたいと思ったのだが、全集の古本は滅多に出回らない上に貧乏学生に手が出せる値段ではなかった。
 その後、赤塚の松月院(怪談乳房榎の舞台)を訪ねた時、地元の顕彰会が出版していた私家版の乳房榎(後にちくま文庫に所収)を手に入れたりしたが、まとまった形で圓朝ものに触れることはなかなか出来ずにいた。
 近年になって青空文庫(インターネット上の電子図書館)で世界文庫版を底本としたデータが続々と閲覧可能になってきた。更に、以前このブログにも書いたが、国立国会図書館の近代デジタルライブラリーで初版本のスキャン画像が閲覧できるようになった。新字新仮名でスマートフォンでも読める青空文庫と、旧字旧仮名総ルビ句読点無しの初版が両方閲覧できるという、以前に比べれば十分満足できる環境と言える。しかし、私のような過去の遺物的人間は、どうしても文学作品は印刷された本の状態で読みたいという欲求を抑えきれない。仕方なく幾つかの作品を青空文庫からテキストデータでダウンロードし、ワープロソフトで縦書き印刷にして読んでみたりした。テキストデータをそのまま印刷するのではなく、フリーソフトやウェブのサービスを利用して仮名遣いを旧仮名に、漢字も旧漢字に変換(概ね一括出来るが、弁を辨、辯、瓣に戻すのなどは手動)したり、青空文庫では括弧書きになっているルビをワープロソフトで振り直したりという加工を加えたりするので結構な手間がかかる。それはそれで面白いので構わないのだが。

 今回の岩波書店版「円朝全集」は、ウェブサイトに内容見本が掲載されているが、嬉しいことに初版の挿絵入りで、何と旧仮名遣いである。流石に総ルビではないが、ほぼ初版並にルビが振ってあり、かなりオリジナルに近い作りとなっている。漢字が新漢字なのは仕方がないが、さすがは硬派の岩波書店。中途半端に圓朝などと表記せず、全て円朝で統一している所は方針がはっきりしていて良い。旧漢字を中途半端に使うと六代目三遊亭円樂みたいな噴飯ものの表記になるので、岩波書店(編集者?)の見識に敬意を表したい。

 既に第一回配本(第一巻、怪談牡丹燈籠、塩原多助一代記、鏡ケ池操松影)は刊行済みで、早速届くのが楽しみである。別巻含め十五巻、第一巻が八八二〇円なので、全巻揃いで約十三万円強くらいだろう。バラ売りはないので安い買い物ではないが、落語好き、圓朝好きだったらこの機会を逃す手はない。即決で購入である。
 なお、岩波書店のウェブサイトには内容見本として、塩原多助一代記から有名な青の別れの部分が掲載されている。ほんの二十ページほどだが、これをプリントアウトして読んだだけでもわくわくしてしまう。毎月一冊届く度にゆっくり読めるというのは何という楽しみだろう。これを読み終わる再来年の春頃までは頑張って生きようという気持ちになる。

(岩波書店のサイト)
http://www.iwanami.co.jp/moreinfo/092741+/index.html

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2012年12月 6日 (木)

暗峠

 フェリーで大阪に上陸したので、せっかくだから国道三〇八号線の暗峠(くらがりとうげ)を通ってみることにした。
 私は世間に殆ど認知されていない急坂マニアという趣向を持っているので、暗峠といえば憧れの地と言って差し支えない。元来は大阪と奈良を結ぶ最短ルートで古くから賑わった道であり、峠付近は江戸時代に石畳で舗装された。この古くから賑わったのが仇となり、近代になってもルートの付け替え等が出来ず、登山道をそのまま舗装した形で現在に至っている。特に大阪側は勾配がきつく、地形図で見た感じでは約二、三キロで標高差が四百メートルあるので、平均勾配が十七、三パーセントということになる。しかしウィキペディアによれば最大勾配は三十七パーセントという箇所があるらしい。
 判りにくい道に迷いつつ国道三〇八号線に入るが、近鉄のガードをくぐるといきなり一方通行出口で進入禁止になる。看板の指示通り迂回して上り勾配にかかる。民家の間の路地を進む感じである。急坂ではお馴染みの模様入りコンクリート舗装が、雨で濡れた上に落ち葉が散っているので、時々駆動輪が空転する。MT車では基本ローギヤでなければ登れず、部分的に勾配が緩むと一瞬二速に入れる程度だ。二、三キロというのは急坂としては破格の長さだが、面白いのであっという間である。せっかくだから下ってみようと思い、信貴生駒スカイラインをアンダークロスしたところで切り返して、大阪方面へ下ってみる。下りはローギヤでエンジンブレーキをかけるが、見る見るスピードが上がってしまい、フットブレーキと併用でないと走れない。すぐに低速で走る二千CCくらいのセダンに追いついたので、余りプレッシャーを与えないように車間を保って追走する。セダンはAT車らしく、ブレーキランプが一瞬も消えないままノロノロ走っていくが、そのうちに妙な臭いが鼻につくようになる。何だろうと思いつつ走っていると、急勾配ももうすぐ終わる頃、件のセダン車が道路脇の空き地に入っていく。どうしたのかと思って見ると、前輪のタイヤハウスから白い煙が上がっている。ブレーキを踏み続けたせいで加熱し、キャリパーのグリースが焦げ始めたか何かだろう。やはりシビアな走りを要求される場合、MT車の方が安心な気がする。
 麓まで降りて、再び同じ道を上り暗峠を堪能して奈良方面へ抜けた。

 なお、この峠は国道に指定されているため、カーナビで有料道路を避ける設定にしたクルマが時々紛れ込むようだ。私が一回半通過しただけでも、途方に暮れているオバサンを見掛けたし、離合できずに数十メートル後退する場面があった。普段峠道、林道や狭隘路を通り慣れない運転士は近づかない方が賢明だと思う。

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2012年12月 5日 (水)

九州のカーフェリー

 クルマで九州旅行をして、三航路のフェリーに乗った。

フェリーあそ(九商フェリー)六九七噸 神田造船一九八九年

 島原~熊本航路に乗船。本当は熊本フェリーのSSTH(Super Slender Twin Hull/超細長双胴船)、航海速力三〇ノットのオーシャンアロー(一六八七噸、IHI一九九七年)に乗りたかったのだが、丁度出港したばかりで次便は一時間三十分待ち。在来フェリーは十分後の出帆なのでそちらに乗船した。こちらは従来型のカーフェリーで、航海速力は一三、八ノット。オーシャンアローが三〇分で結ぶ航路をゆっくり一時間かけて進む。私は船マニアなのでSSTHに乗ってみたかったが、旅の情緒としては在来船の方が趣がある。特筆すべきは島原航路のカモメたちの技。出帆直後から無数のカモメが追尾してきて、投げられたかっぱえびせんを至近距離から見事にキャッチしていく。中には手に持ったかっぱえびせんを直接かっ攫っていく剛の者もいて見飽きない。空中キャッチが下手で、水面に落ちたエサを拾ってばかりいる東京湾フェリーのカモメたちに少しは見習わせたいと思う。
 生憎島原湾はべた凪。水面を滑るように全く揺れない航海。寒いし退屈なので船室に入って座った途端に眠る。目を覚ますと熊本港に近づいており、左舷側をオーシャンアローがすれ違っていく。高速船なのに後部に開放甲板があるようだ。ここは往復して乗り比べたかったと思う。
 
フェリーなんきゅう(南九船舶)一三五噸 前畑造船二〇一一年

 九州で一番乗りたかった船がこのフェリーなんきゅうだ。薩摩半島と大隅半島を結ぶ山川~根占航路は、近年色々な動きがめまぐるしかった。簡単にまとめると次のような経緯になる。

二〇〇二年九月まで 南海郵船(岩崎系)がフェリーを運行していたが、乗客の減少を理由に廃止
          船舶整備会社が南九船舶を設立、隣接する指宿~大根占航路で小型フェリー(十九噸)二隻を運航開始
二〇〇六年十一月  鹿児島商船(岩崎系)地元支援を条件に佐渡汽船の中古船を購入し運行再開
二〇一〇年二月末  鹿児島商船(岩崎系)地元支援の増額要請不調で航路撤退
二〇一一年三月   南九船舶は航路を山川~根占に移し暫定運行開始
二〇一一年八月   南九船舶は新造船を就航させ本格的な運行態勢に入る

 簡単に言えば、岩崎グループが赤字航路を廃止。困った自治体が公的支援をして航路は再開したが、岩崎が更に支援を要請した所自治体は拒否、岩崎はケツを捲くって撤退という流れの中で、地元の船舶整備会社が小型フェリーで参入し、堅実な経営で実績を伸ばしてきたということだ。私は鹿児島県の経済事情について詳しくはないが、偏狭な船マニアの視点からすると、種子島屋久島航路でのなりふり構わぬライバル潰しや、山川~根占航路存廃問題での金出さないならすぐ撤退という姿勢を見る限り、岩崎グループは大人気ない組織という印象が拭えない。

 さて、目当てだったなんきゅうフェリーだが、私は迂闊にも昨年八月に新造船が就航していることを知らず、十九噸の小型フェリーが運行しているとばかり思っていた。なので積み残されないように早めに船着き場に向かったが、停泊していたのは立派なフェリーだった。渡し船みたいな小型フェリーにクルマを後退で積み込むのを期待していたので少々残念である。八時発の始発便に乗船すると、車両甲板には乗用車が十七台積まれており、頑張ればもう一台積めそうである。ちなみに積み残しはなかったが、連休とはいえ十一月の始発便でこの盛況なのだから、夏休みなどは積み残しが出そうだ。しかし、輸送需要相応の船舶を投入してると評価するべきであり、鹿児島商船が大きめの中古船(元えっさ丸→ぶーげんびりあ、一四七八噸)を投入したのに比べると適材適所の感がある。
 船内設備は小さな船室とトイレがあるだけで、車両甲板に飲料の自動販売機がある。自販機があるということは航行中も車両甲板に立ち入れるわけで、実際には船室に入らず車内で寝ている乗客が多いようだ。この日の錦江湾もべた凪で、小型船だから揺れるという期待は肩すかしを食った形。しかし、一般の乗客からすれば揺れない快適な航海と言えるだろう。少々残念なのは乗船券がただのレシートなこと。東海汽船みたいに下船時に回収されるよりはマシだが、旅の記念になるような半券が手元に残ると嬉しいのだが……。

みやざきエキスプレス(宮崎カーフェリー) 一一九三一噸 三菱重工下関一九九六年

 東京から佐多岬まで車を運転して流石に疲れたので、帰路はフェリーを利用しようと考えた。検討すると幾つか利用できる航路がある。

(一)マルエーフェリー 志布志~東京 志布志発二十六日7時、東京着二十七日9時30分、運賃六八八〇〇円
(二)オーシャン東九フェリー 北九州~東京 北九州発毎日19時、東京着翌々日5時40分、運賃三〇九〇〇円
(三)さんふらわあ 志布志~大阪 志布志発毎日17時55分、大阪着翌7時40分、運賃二七一〇〇円
(四)宮崎カーフェリー 宮崎~大阪 宮崎発毎日19時、大阪着翌日7時30分、運賃二五五〇〇円
(五)さんふらわあ 別府~大阪 別府発毎日18時45分、大阪着翌日6時35分、運賃二五六〇〇円
(六)さんふらわあ 大分~神戸 大分発毎日19時15分、神戸着翌日6時35分、運賃二五六〇〇円

 私の休暇は十一月二十七日までなので(一)のマルエーフェリーが一番楽だが、如何せん運賃が高すぎるので却下。(二)のオーシャン東九フェリーがマルエーと距離は変わらないのに半額以下とお得感満点だが、何故か十一月二十五日発が運休日。二十六日発だと早朝東京着でそのまま出勤になるので、これも却下。残るは関西着の四航路だが、余裕を持って二十六日朝関西着にしたい。そうすると二十五日正午時点で大隅半島の先端に居る現状では別府や大分発の(五)(六)は不可能で、選択肢は(三)か(四)しかない。この二者はほぼ互角だが、たった一つの理由で簡単に決着がついた。私はさんふらわあ柄の船が嫌いなのである。
 船を単なる移動手段と考える方には関係ないだろうが、我々船ヲタにとっては、船体の形状、デザインは結構重要な要素で、乗ってみたい船と乗りたくない船ははっきり分かれる。初めて乗った一九八〇年当時から、どうもさんふらわあ柄には胸がときめかないのだ。それに比べ、宮崎カーフェリーは赤と白のツートンカラーで質実剛健。まだマリンエキスプレスという社名で川崎~高知~日向航路を運行していた頃、予約していたのに台風で欠航になったこともあった。迷わず宮崎発を選択する。
 残念ながら、この無計画な旅も後半に入り、資金的に厳しくなってきた。手持ちの現金では全然足らないので、乗船券は大嫌いなクレジットカードで購入。当然二等室で、千五百円也の夕食バイキングも、五百円也の朝食も断念。二百円のカップ麺と、持ち込みの飲み物で我慢する貧乏旅行になってきた。
 一万噸クラスの大型船だが、外洋を航海するのでいい感じに揺れるのが心地よい。しかし、明け方近くになると大阪湾に入ったらしく全く揺れなくなる。甲板に出ようとするが、結構な勢いで雨が降っている。傘もないので接岸作業をじっくり見ることも出来ず、結果としては船旅を楽しむというより、単なる移動手段で終わった宮崎~大阪航路であった。

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2012年12月 4日 (火)

涅槃城

 大隅半島を佐多岬に向かって進んでいると、道端に「無垢世界 涅槃城」という巨大な看板が立っていた。余りの香ばしさに心惹かれるが多少の下調べが必要と感じたので、少しやり過ごしてからクルマを道端に駐めてスマートフォンで調べようとした。しかーし、一帯は人家もない山の中で携帯電話のサービス圏外。携帯の圏内に入ってから調べると、宗教団体の施設なのだが一般客にも一部開放されている模様。佐多岬の帰路に立ち寄ることにする。
 件の看板から脇道に入ると延々四キロほど進む。まず巨大な門が現れ、脇に案内図がある。資料館は一般開放しているようなので、資料館に向けて更に進む。道路脇で大勢の人たちが植栽の手入れをしているが、女性や子供も混じっている所を見ると造園業者ではなく信徒の方々ではないだろうか。
 小さな峠のような道を進むと奥の山の上に巨大な金色の涅槃像が見える。更に進むと広大な駐車場があり、先ほどの涅槃像の麓に資料館がある。クルマを駐めて恐る恐る中に入ると年配の女性が現れる。見学したい旨申し出ると色々な説明が始まる。まず賽銭箱のような物の前で幾らでも構わないからと喜捨を求められるので、取り敢えず百円投入。撮影禁止と注意書きがある壁に書かれた色々な教義(?)を付きっきりで説明される。何だかさっぱり理解できない話なので、まずは「へえ、宗教の施設なんですか」ととぼけた返答をし、後はひたすら「へえ、大したものですねえ」「へえ、立派な物ですねえ」と相槌を打つ。
 一通り説明を受けると解放され、地下の三十三体の仏像を見物する。廊下の両脇に一体づつ安置されているが、素人目にも不出来な仏像で、信仰心を持たない身には有難味を理解することは出来ない。一通り見終わって入口に戻るとさっきのオバサンが「たくさん仏像があったでしょう」と再び話しかけてくる。「大したものですねえ。いい物を見せていただきました」と礼を言って辞去しようとすると、祭壇に線香を上げていくよう勧められる。ここまで勧誘するような話にはならなかったので、お礼のつもりで線香を上げ、何だか判らないものに手を合わせてから建物を出る。オバサンは土産物コーナーに寄るようにとか、広島に行くことがあったら教団の本部を訪ねるようにとか勧めてくれたが、余り面白くなさそうなのでそのまま帰ることにする。
 元来た道を戻っていくと、先ほどの植栽を手入れしている人々が、一斉に私のクルマに向かって合掌をする。私に仏の御利益があるように祈ってくれているのかと思ったが、どうも視線の方向がこちらに向かっていない。時刻は丁度正午だ。どうやら彼等は仕事の手を休めて、正午の祈りを本尊の涅槃像に捧げている所らしい。たまたまその方角から私が接近してきたようだ。
 資料館のオバサンも、植栽の信徒さんたちも何だか穏やかな表情で幸せそうな感じがした。山の中に突然大規模な施設が現れたので胡散臭さ満点という先入観で入ってみたが、中の人たちの穏やかな表情を見て、宗教とは究極のサービス業かも知れないと感じた。どこぞの教団のように組織犯罪などを企てない限り、信者の心を穏やかにする対価としてお布施を受け取るのは、遊園地や音楽会と変わらない商行為と考えていいのではないだろうか。
 案内看板の脱力臭に惹かれて入ってみた涅槃城だが、規模が大きくてびっくりする以外は真面目な宗教施設で。静かに見学するべき場所であると思う。

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2012年12月 3日 (月)

球泉洞

 九州脱力観光地巡りは続いて熊本県の鍾乳洞、球泉洞へ向かった。私は基本的に巨大像、吊り橋、鍾乳洞(洞窟)が好きなので可能な限り立ち寄るが、今回の九州旅行で球泉洞に立ち寄ったには理由がある。熊本から鹿児島へ移動するにあたり、高速道路を使いたくなかった区間、それが八代から人吉までの球磨川沿線である。ここは乗り鉄だった時代に二回通ったことがある。肥薩線という九州で最も魅力的なローカル線と、球磨川という鮎釣り師憧れの川の組み合わせは、高速道路で素通りするには余りにも魅力的だ。その途中に大きな鍾乳洞があるのならば当然立ち寄りたい。
 八代から球磨川沿いに国道二一九号を辿る。途中道の駅に立ち寄ると「荒瀬ダム資料コーナー」というのがある。覗いてみると日本で初めて解体撤去される荒瀬ダムの資料が展示されている。鮎釣り師の偏狭な視点からの意見だが、不必要なダムを解体撤去することは歓迎したいし、古いダムを更新して生態系への負荷を減らすことも必要だと思う。
 日本の経済は縮小傾向に向かうのだろうから、建設業界も無闇に新しい構造物を作るのではなく、古い構造物の撤去事業で生き残るというのはどうだろう。ズタズタに分断されている日本の川を見るにつけそう思うのである。
九月から解体工事の始まっている荒瀬ダムの脇を抜けると、堰の上流は既に水が抜かれており、川の流域一杯に泥濘が拡がっている。何十年も堰き止めておけば泥が溜まるのは当然だ。下流の生態系に影響を与えないように処分するのは大変なことだろう。
 球泉洞は国道脇に大きな駐車場がありレストランや土産物コーナーを完備している。入洞料を払って入口を入ると暫くはコンクリートのトンネルを進む。トンネル内はクリスマス用のイルミネーションを設置している所で、半分より奥は既に設置されたイルミネーションが醜悪な光を放っている。悪趣味である。トンネルが終わると自然の洞窟区間に入るが、有名観光洞らしく歩道がしっかりしており、往復区間には通路が中央で仕切られて人の流れが交錯しないように配慮されている。これなら団体客や児童の遠足が訪れても大丈夫だ。洞窟自体は全長約四千八百メートルという日本で六番目に長い規模らしいが、観光用の区間は八百メートルほど。その区間内で十分に見所を押さえている感じがする。それほど沢山の鍾乳洞に行ったわけではないが、見所十分で設備も整った国内屈指の観光洞だと思う。
 また洞内に焼酎の貯蔵棚があり、購入した球磨焼酎を保管して熟成させる事が出来るらしい。アイディアとしては面白いと思うが、瓶詰めにした蒸留酒を寝かせても風味が増すとは思えない。ウィスキーを樽のまま熟成させるなら意味があると思うのだが。

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