ホテルローヤルの看板
インフルエンザに罹患したため望まぬ十連休となった。症状が治まって以降は退屈で仕方ないので、大量にある古い写真の整理を始めてみた。取り敢えずDPEの袋に入ったままの状態のものを、時系列に並べ直す事から始めた。ざっと並べると小学校の修学旅行から二〇〇三年頃まであって、これは自分用のカメラを買ってもらった時期から、デジタルカメラに移行した(数年間の併用期間が終った)時期までにあたる。写真自体に日付が入っているものが大部分だが、父親のお古の一眼レフ(ペンタックスSP)で撮ったものなどは、撮影時期の判定が難しい。段々面白くなってきて、予想通り安いフィルムスキャナを買ったりし、最終的にどう整理するか考えている。
フィルムスキャナで色々見ていると、ポジが無くネガしか残っていない写真が結構あった。その中で、面白く懐かしい写真が見つかった。
蓼科高原「ホテルローヤル」の看板(一九九二年五月一八日撮影)
国道二〇号線の山梨・長野県境から長野方向に五キロほど進んだ所、富士見町落合のヘアピンカーブ手前の道端(右側)にあった看板である。これは北側(ヘアピンカーブ側)からの撮影で、当時既に裏面の南側は何が書いてあるのかさっぱり判らないほど色褪せていた。
当時私は訳あってこの付近を頻繁に往復しており、この看板も見慣れていたのだが、あるとき看板上部に描かれたイカしたアベック(死語?)が気になってしまい、通るたびに見るのを楽しみにしていた。後に仲間のなべちー君に教えた所「甲府まで笑ったよ」と、大絶賛であった。
残念ながらこのホテルローヤルは、一九九二年当時既に廃業していたか、廃業寸前だったと思う。ビーナスライン沿いにあったラブホテルで、最近DVDで観た一九八二年十月二十三日放送の「江戸川乱歩の美女シリーズ第十九作・湖底の美女」(原作は「湖畔亭事件」で、白樺湖周辺で撮影していた)で一場面だけ写っていたラブホテルが、確証はないがここだったように思う。そしてこの看板も、一九九〇年代中頃にはいつの間にか撤去されてしまった。
改めて看板を眺めてみると、図案はアベックが赤いオープンカーに乗っており、背景に空と緑と山のようなものがある。だが、それはどうでも良く、アベックの男の表情が何ともイカしているのだ。現在では広告看板も洗練されてしまい、地方へ行ってもあまり妙な看板が無くなってしまった。しかし、一九八〇年代までは、素人がデザインしたか、看板屋のオヤジがお任せで描いたのか知れない、面白い看板が結構あったような気がする。当時は今のように脱力系の場所や物に興味がなかったが、もう少し早くこの手の興味を持っていれば、香ばしい物件が幾らでもあったような気がして残念である。
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コメント
なんか呼ばれた気がする。おひさー。
懐かしいもん出してきたねぇ。
初見のインパクトもさることながら、後で思い出してクスクス笑いしてると、だんだん妙なテンションが押し寄せてきて爆笑しちゃうんだよねぇ・・・
あんな危険物、道路脇に設置しちゃダメだよ。
投稿: なべちー | 2013年3月 2日 (土) 17時41分
そうです、なべちーさん。あなたに見せたかったんですよ。やっぱり出てきてくれましたね。ありがとう。
絵柄の素晴らしさもさることながら、「甲府まで笑った」というコメントが名言として心に残っておりまして、その後アレンジしてあちこちで使わせてもらってます。
投稿: へべれけ | 2013年3月 2日 (土) 21時57分