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2013年9月25日 (水)

鈴本演芸場九月下席(夜の部)

「川柳つくし真打昇進披露興行」
二〇一三年九月二十三日(月祝)十七時二十分

「黄金の大黒」桂才紫
「犬の目」柳家小せん
(太神楽曲芸)翁家和楽社中(和楽、小楽、和助)
「夜の慣用句」柳家喬太郎
「目黒の秋刀魚」柳亭市馬
(漫才)ロケット団
「ガーコン」川柳川柳
「漫談」三遊亭円歌
「転宅」柳家三三
   ー仲入りー
(口上)市馬、つくし、川柳、円歌
(動物物真似)江戸家小猫
「つる」桃月庵白酒
(紙切り)林家二楽
「ソング・コップ」川柳つくし

 音楽家も噺家もメインストリームに興味がない私は、現役の噺家では川柳川柳師が一番好きである。その川柳師の最初で最後の弟子、川柳つくしが真打に昇進したので、披露目の口上が見たくて上野鈴本の前売券を購入。鈴本は公立ホールのような雰囲気が好きではないが、とにかく初日を見たいのである。

 披露目のせいか前座の高座は無し。ベテラン二つ目の才紫はおめでたい「黄金の大黒」の羽織のやりとりまで。なかなか歯切れがよくて良い。
 小せんは「犬の目」。この人の何だかのんびりした雰囲気は好きだ。やりようによってはグロになりかねない噺を、とぼけた味わいにするところは実力だろう。
 和楽社中の太神楽に続いて喬太郎の「夜の慣用句」。続いての市馬は「目黒の秋刀魚」。二人とも中堅の実力者で安定の高座。喬太郎は客によって新作も古典も自由自在だし、市馬はどんな客相手でも古典できっちり笑わせる。落語協会はこの世代に人材が厚いので将来が楽しみだ。
 ロケット団はここ数年で随分間が良くなった。いいテンポで客席を沸かせており、ネタも沢山あるので自由自在な感じが頼もしい。ずっと寄席にいて欲しい芸人だ。
 川柳のめくりが出ると客席から拍手が起こる。つくしファンが多い客席なので、川柳師を労う雰囲気だ。少し痩せた感じはするが、お馴染みの「ガーコン」で歌い始めれば相変わらずの声だ。時々つっかえるのもポンコツな感じでいい。途中多少刈り込んで脱穀機まで。立ち上がると若干ふらつくのもご愛敬だ。
 円歌は立ったままでの漫談。「最近寄席に出てないんだ。座れないから。座れって言うなら出ないって言ってるんだ」と相変わらずの毒舌。客席からは「座れないんじゃ口上には出ないのか?」という囁き声が聞こえる。
 仲入前の三三は転宅。この人もメキメキ実力を付けてきている。女にもう少し色気が出れば言うこと無しだと思う。

 つくしの真打披露口上は市馬、つくし、川柳、円歌の四人が並ぶ。円歌は正座椅子的な何かに座っての口上。期待の川柳師の口上は、八月十五日の独演会の時と同じ、落語は本来男が語る前提で出来ているので女には不利だという話。別に受けるような話ではなかったが、努力家で沢山ネタを作っている。オレは三つぐらいしかない。二つか三つオレにくれ! というところでドッと受けていた。
 子猫は小菊の代演。先代猫八から見ているが、実に寄席向きで安心の芸だ。このような芸を若い人が継承してくれるのは嬉しい。
 白酒は「つる」。この人は見た目で随分得をしている。出てきただけでそこはかとなくおかしな風貌で、噺も巧いのだから素晴らしい。新真打に遠慮して軽いネタ。
 膝替りは二楽の紙切り。鋏試しに桃太郎を切ってから、受けた注文は「杯に菊」、「柳につくし」の二題。柳につくしは柳の下につくしが生えており、その脇で川柳師がガーコンをやっている図だった。
 イエローサブマリンの出ばやしが始まり、つくしのめくりが出ると再び拍手が起こり、そのまま出囃子に手拍子となる。長く寄席に通っているが出囃子に手拍子が起こったのは初めて。つくしが登場すると盛大な拍手、お辞儀をして頭を上げても暫く拍手が収まらず、つくしも「鳴り止みませんね」と話し始める。まくらでは川柳が真打まで十九年かかったのに私は十六年などという差し障りのない話。初のトリネタは「ソング・コップ」。アレンジ禁止法という法律が施行され、あらゆる歌を編曲や音を外して歌うとソング・コップに逮捕されるという噺。荒唐無稽で面白い。つくしは川柳も褒めているように、創作力はなかなかの物を持っていると思う。以前は創作力と演技力の差で、物語の面白さより演技の下手さが目立つことが多かったが、段々と自分に合った噺をするようになってみたようだ。突き詰めれば名人になると云う芸風ではないが、師川柳同様、寄席の芝居の中でちょっと風変わりな高座をする噺家という立ち位置で頑張ってもらいたいものだ。

 久しぶりの鈴本は最終的に立ち見まで出る盛況だったが、すぐ後ろに座ったババア軍団が噺を聞かずに仲間同士で喋っていたり、芸人の話にいちいち溜息のように返事をするババアなどに悩まされた。こういう連中は家でテレビでも見ていて欲しい。究極はつくしの高座が終わった時に、高座に祝儀袋を置きに行った田舎者。以前国立演芸場で牧伸二に同じ事をしているバカがいたが、今回の田舎者は更に間抜けで、手渡さずに舞台上手に置いて去ってしまった。なので、つくしが這っていき祝儀袋を拾った瞬間に緞帳が下り切るという、最悪の幕切れとなってしまった。
 芸人に祝儀を切るときはこっそり前座かお茶子(今時いないか)に言付ける物で、公衆の面前で渡すなどは野暮の骨頂、とんだ杢兵衛お大尽である。寄席の客のくせにそんな事も知らずに祝儀を渡そうなんていうのは、思い上がりも甚だしい。本人はいい気になっているのかも知れないが、今年見た恥ずかしい人の断トツでナンバーワンだ。

 今回は五人同時真打昇進で、つくしの披露目は全部で十日しかない。もう一回くらい鈴本以外に見に行って、どう変化するか見てみたい気がする。

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2013年9月23日 (月)

N響第一七六一回定期公演

NHK交響楽団第一七六一回定期公演

ブラームス/交響曲第二番ニ長調作品七十三
ブラームス/交響曲第三番へ長調作品九十

管絃楽/NHK交響楽団
指揮/ヘルベルト・ブロムシュテット

二〇一三年九月二十二日NHKホール

 九月のN響定期はブロムシュテットがブラームスの交響曲を全部振るという。B定期(サントリーホール)で一回券の取れない一番と、苦手な四番はいいから、二番三番のC定期を聴きに行く。一日目の土曜日に行きたかったのだが色々あって、半休を取って日曜のA定期二日目を聴く。

 まずプログラムを読んで、ブロムシュテットが八十六才だと云うことに驚く。毎年N響に客演しており、特に興味もなかったが、いつの間にか長老になっていたのだ。調べてみると、二十二年前に同じN響でマーラーの九番を聴いているが、確か対向配置で演奏していた以外に記憶はない。今回もオケは対向配置で、通常だと十六ー十四ー十二ー十ー八という絃の人数だが、第二ヴァイオリンを十六に増やしているのは対向配置故の配慮だろうか。ステージに現れたブロムシュテットは二十余年前より少し猫背にはなったが、八十代とは思えない矍鑠ぶり。

 交響曲第二番はすばらしい出来。どこをどうしたとか具体的な指摘は何も出来ない。それくらい一見何もしていないような演奏だが、幾らでも雄弁に奏でられる曲を淡々と進めていく。生半可な指揮者がやるとごくつまらない演奏になるのだが、オーケストラが指揮者を信頼しきっているからだろう。淡々としているのにオーケストラの音が厚く感じられるのだ。老騎手ブロムシュテットは、ずっとオーケストラを抑えろ抑えろと制御しつつ曲を進めていくが、終楽章のコーダで手綱を緩め、馬の尻をポンと軽く叩く。すると待ってましたとばかりにオーケストラは走り出す。N響がこんなに楽しそうに演奏しているのを見たことがない。実力のあるオーケストラが、乗るとどれほどすごい演奏をするかが、この終楽章の最後に凝縮されていたと思う。

 交響曲第三番も同傾向の演奏だが、最後に手綱を緩める部分がない分、二番よりは聴き劣りがする。最後が静かに終わるので仕方がないのだが、なぜこの曲順なのかと疑問が湧く。恐らくBAC定期の順に一番から順番に演奏したかったのではないかと思うが、この演奏会単体では三番二番の順序の方がよかった。それでも、滅多に安心して聴けない第三楽章のホルンソロなどは安定感抜群でN響の実力を実感したし、指揮者が手を下ろしてから盛大な拍手を送るN響の客層の良さ(NHKホールはほぼ満席だった)に感心した。

 私は真のブラームス好きからは際物だと笑われるような個性的な演奏が好きだ。ブラームスに限らず指揮者の個性が見えない演奏に価値を見いだせないのだ。今回のブロムシュテットの演奏は、ブラインドで聴いたら誰の演奏だか全く判らないだろう。しかし、聴き終わった後の充実感は素晴らしく、いい演奏に立ち会えたという喜びが大きかった。私も幾らかブラームスの本質が見えてきたのか。よく、ブラームスは中年以降の男性じゃないと本質が判らないというが、私もようやくその域に達してきたのだろう。大人げない言動などは慎まねばなるまい。

 一つだけ気に入らなかったのは両曲とも第一楽章の提示部を反復していたこと。無理矢理繋げた感満載の二番、唐突に戻る感じの三番とも繰り返しは不要だ。というより、一部の例外を除き提示部の反復は必要ないと思う。同じ所を二度演奏しないで、さっさと先へ進んでもらいたいと、繰り返されるたびに感じるのである。

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