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2013年11月30日 (土)

岐阜大仏

 太平洋側へ向かった目的はこの岐阜大仏。日本三大大仏を個人的に決定するためにも是非見ておかなければならないと思っていたからだ。

 大仏のある正法寺は予想外に小さな寺で、大仏殿はボロボロである。しかし、二百円の拝観料を払って大仏殿に入ると、予想以上に大きな大仏が身を屈めるようにして大仏殿に収まっている。下から見上げると、大仏様がこちらを見下ろしているように感じる。大仏殿の壁には五百羅漢像が並んでおり、それを見ながらぐるっと一周すると、大仏奉賛会による断面図が掲げてある。それによれば六尺の大真柱を中心に材木で骨格を組み、竹材と粘土で外郭を構成、その上に一切経の経文を貼り付け、表面を漆で補強し、最後に金箔を貼った乾漆仏という構造で、竹で編んだ構造から一名籠大仏とも呼ばれているそうだ。大真柱とはイチョウの大木で、六尺というのは周囲の寸法らしいので、直径でいうと三尺くらいであろうか。坐高は十三、七メートル、開眼は江戸後期の一八三二年。乾漆仏としては最大最古の大仏である。

 幾つも大仏を見てきたが、この岐阜大仏はかなりいい感じである。竹と紙で出来ていて中は空洞という、運動会の大玉送りみたいな構造なうえに、ボロボロの大仏殿に窮屈そうに収まっているのが何とも庶民的でいい。大仏殿の中には大仏の正面まで上がれる回廊があるようなのだが、残念なことに立入禁止になっている。正面から大仏を拝んでみたい気がするが、古い建物なので致し方ないだろう。
 ところが、柱に貼ってある何かの記事のコピーを読むと、この大仏殿は一八九一年の濃尾地震に耐えたことで、建築学会からも一目置かれているのだそうだ。ボロく見えるが構造的には丈夫らしい。派手さはないが質実剛健で頼もしい大仏と大仏殿である。
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2013年11月29日 (金)

桃太郎神社

 桃太郎神社はコンクリート製のオブジェが立ち並ぶ愛知県でもメジャーな珍スポットであり、そこへ向かうには名鉄犬山線の犬山遊園駅から木曽川の左岸を遡るのだが、鉄道好きとしては名鉄の犬山橋が気にかかる。ここは二〇〇〇年まで道路と鉄道の併用橋だった。それも、路面電車の併用橋ではなく本線系統の併用橋なので、長い編成の特急電車とクルマが並んで走るという光景が見られた。いずれ行ってみたいと思っていたのだが、私がJR線完乗を目指している内に、平行する道路橋が完成して鉄道専用橋になってしまった。現在では複線線路の両側に、やけに広いスペースがある橋という印象だ。

 桃太郎生誕の地と云われる桃太郎神社は入り口の鳥居の下で猿が出迎えてくれるが、境内一杯にコンクリート製のオブジェが点在している。犬あり雉あり猿あり鬼あり。そして勿論桃太郎の像もある。石段を数段登ったところには桃から桃太郎が生まれた場面のオブジェがある。その他にお婆さんの洗濯岩だとか、くぐり岩などがあるが、何と言っても見物はコンクリートのオブジェ群だ。事前に珍スポマニアの聖書「珍日本紀行」で予習した感じよりは、色が塗り直されたらしく活き活きとした印象だ。ただ、残念なのは、「珍日本紀行」に記されている宝物館はその後焼失したとのことで新しい建物に変わっており、お爺さんが芝刈りに使った手袋や、きび団子作りに使った臼と杵などは飾られていなかった。
 宝物館を出て戻ろうとすると子供の引きつけるような泣き声が聞こえる。見ると両親と五歳くらいの息子、それにお祖母ちゃんという家族連れが宝物館の入り口いて、男の子が引きつけるように泣いているのだ。父親やお祖母ちゃんが「いい子にしてれば大丈夫」などとなだめているところを見ると、鬼のオブジェが怖くて大泣きしているようだ。今時の子供にしては大変素直に育っていていいことだ。子供というものは何か怖いもので脅かした方がいい。この子には今後当分は「いい子にしないと鬼が来るよ」と躾ければいい。そういえば私と妹(二歳下)は、親から「おいでおいでが来るよ」と脅かされた。最近になって記憶が繋がったのだが、おいでおいでとは「夜へ急ぐ人」を歌うちあきなおみの姿だった。今でもネットの動画で見ることが出来るが、あれは鬼のオブジェなんぞより数倍怖かった。

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2013年11月28日 (木)

古井の天狗山

 日本海側での車中泊が寒くて辛かったので、方針を転換して太平洋側へ向かう。最初に向かったのが古井の天狗山。高山本線古井(こび)駅からすぐ、飛騨川を見下ろす高台の上の、荒薙教という宗教の施設である。
 駐車場にクルマを駐めるとすぐに大天狗像が見えるが、まずは本堂の方をお参りする。周辺には沢山の天狗像が点在しており、天狗好きにはたまらないだろう。本堂の正面にも大きな天狗の木像が鎮座しているが、それより圧倒されるのは壁面に掛けられた無数の天狗の面。本堂の外壁、内壁ともにびっしりと天狗の面が掛けられている様は壮観である。
 本堂周辺を一通り眺めた後、いよいよ大天狗像に向かう。説明によれば高さ十二メートルで、材質は不明だが全体が緑色に塗られている。大天狗は木の切り株に腰掛けており、十二メートルというのが何処から何処までを計っての数値なのかはよく判らない。一言で表現すれば怖い大天狗像で、悪いことをすると大天狗にさらわれて八つ裂きにされるという迷信も、この像を見ると笑っていられない気がする。
 全体に真面目な宗教施設であり、天狗の顔がみんな怖いせいで、我々珍スポット愛好家が求める、笑いや脱力の要素が無いのが残念な気がする。一番奥の一角に、お約束の鼻が男根になっている天狗のコーナーでもあれば、ぐっと楽しめる場所になると思うのは、珍スポマニアの戯言であろう。そんな了見だと大天狗様にさらわれて八つ裂きにされるかも知れない。
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2013年11月27日 (水)

白馬大仏

 庄川大仏から、見るべき小杉大仏をふっとばして、次に向かったのは白馬大仏。白馬というと長野県のイメージだが、所在地は新潟県糸魚川市だ。姫川沿いの国道一四八号線を遡り、県境を越えて長野県に入ったところで旧道を戻ろうとしたのだが、この旧道は土砂崩れで長いこと通行止め、というよりは復旧の見込み無く廃道になっているようで通れない。一旦平岩まで戻って旧道を辿る。
 遠目にも目立つ白い大仏は葛葉峠を背負った斜面に佇んで、姫川の流れを見下ろしていた。予備知識では白馬温泉の温泉ホテルが建立した大仏だと記憶していたが、色褪せた看板が点在するばかりでホテルは無い。もしかすると大仏の目の前の広場にホテルが建っていたのかも知れない。
 大仏はかなりの大きさで、頭が大きくコミカルな顔立ちである。クルマを止めて石段を登ろうとすると、隣の民家の飼い犬が猛然と吠えかかってくる。立ち止まって犬を見つめると、吠えるのをやめたので、「キミは大仏様の番犬かい? お役目ご苦労様」と話しかけてみる。言葉が通じるはずもないが、以降この犬は不審そうな表情ながらも吠えはしなかった。
 大仏の足下から見上げると遠くからでは気づかないことが判る。元々全体がもっと真っ白で、唇は真っ赤だったようだが、すっかり色褪せて全体として大人しい色合いになっている。白いせいで汚れが目立ち、頭の汚れが雨で流れて両頬を伝い顎の下まで筋になっている。背中には扉があり、以前は中に入れたようだが、現在は閉鎖されている。
 台座には銘板が埋め込まれており、以下の文言が刻まれている。

白馬大仏像
建立年月 昭和四十七年十月
設計者 新潟県西頸城郡青海町
    長野建築設計事務所 所長 長野登
施工者 新潟県長岡市長町二丁目
    株式会社戸貴田組 代表取締役 斉藤裕三
協力業者
長岡市 有限会社早川組
 〃  保科工業株式会社
 〃  株式会社吉岡工業
 〃  株式会社荒木家具
 〃  有限会社小林板金
 〃  藤田木型製作所
新潟市 ライト工業株式会社
東京都 林昭三

 協力者の名前ばかりで施主の名前が無いが、調べたところ白馬温泉の開祖であり、白馬観光ホテルの社長であった金田義孝により建立されたようである。因みに、長野建築設計事務所、保科工業、林昭三以外の施工、協力業者は、業態を替えている会社もあるが二〇一三年現在存続しているようである。それにしても、肝心の白馬観光ホテルが廃業してしまっているようなので、大仏自体は放置されているという表現が適当なのではないか。国道一四八号線の大所トンネルが開通して新道に移ったのが一九九四年。それまで国道沿いの大仏だったのが、行き止まりの裏道沿いになり、やがてはオーナーである目の前のホテルも廃業。今では私のような物好きか、蓮華温泉に行こうと思って迷い込んだ方向音痴の目にしか触れない状態となっている。残念だが、このまま荒廃していく運命のようだ。ただ、コンクリートの建造物は平均七十年は持つと云われている。まだ建立から四十年しか経っていないので、この地で再開発事業でも行われない限り、あと三十年くらいは黙って存在し続けるのかも知れない。

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(白馬大仏)

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2013年11月26日 (火)

庄川大仏

 日本三大○○という表現をよく使うが、日本三大大仏というのは議論の的である。奈良と鎌倉の一位二位は揺るがないとして三番目がどこかで紛糾する。先日訪れた石切大仏などという、幕下クラスまでが自分が小結(第三位)と主張するから混沌としてくる。
 その第三位候補の最右翼である高岡大仏は、富山三大仏の一つであり、この富山三大仏も高岡、庄川の二つが鉄板で、第三位を小杉と戸出が争うという面白さだ。この富山県の四つの大仏はみな個性的で面白い。

高岡大仏 坐高七、四m、銅製、一九三三年建立、露天
庄川大仏 坐高六、三m、コンクリート製、一九三三年建立、露天
小杉大仏 坐高約五m、木製、平安時代建立(顔と手以外江戸中期補修)、本堂内
戸出大仏 坐高一、八m、石製、江戸期建立、大仏殿(地蔵堂?)内

 ご覧のように材質も全て異なり、歴史もそれぞれだ。敢えてこの中から三大仏を選ぶこともなかろう。富山四大仏ということでいいのではないか。
 私はこの中で高岡大仏と戸出大仏は訪問済みで、今回は庄川大仏を訪ねてみた。砺波市から国道一五六号線進んだ道沿いに鎮座しているのだが、道路からは姿が見えないのでちょっと見つけるのに苦労する。目印は金屋東という信号で、その脇の狭い路地を入ると大仏のある光照寺である。

 寺の境内に入ると道路に向かって大仏が鎮座している。台座の銘板に刻まれた縁起によると、この大仏は十万納骨大仏と呼ばれ、昭和三年に光照寺三十世住職君道法師の発案により浄財を集め、小杉町の竹内源造により昭和五年春に着工し、昭和八年夏に竣工したと記されている。一九三三年というとコンクリート造りの大仏としてはかなり早い時期のものである。全体が緑色に塗られているのが珍しい。納骨大仏とは何ぞやということが気になるので調べてみると、建材のコンクリートに十万体の遺骨を混ぜて建立したという事らしい。同様の例は庄川大仏より五年前に建立された別府大仏に先例があるようだ。もっとも別府大仏はコンクリートに遺骨を混ぜたのが原因かどうかは判らないが、建立から四十年で老朽化のため体内巡りが中止され、六十一年目には解体されている。もっとも、十万体の遺骨を全部練り込むはずもなく、一体当たりマッチの頭程度とすれば、質の悪いコンクリートを使ってしまったと云うことだろう。幸い庄川大仏の方は建立から八十年を経ても特に痛んだ感じもなく健在である。

 これで富山四大仏の内三つを訪れたので、当然次は小杉大仏へ向かいそうなものだが、GPSに小杉大仏を打ち込んでいなかったため別の方角へ向かってしまったのである。無計画な行動は、往々にしてこの手の失敗を生むものである。

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2013年11月25日 (月)

ニコイ大滝

ニコイ大滝

 まとまった休暇が取れたので、ちょっと遠出をして珍スポットを巡ってきた。
 私はここ数年、どこへ出かけるにもガーミン社のハンディGPSを持ち歩いている。このGPSMAP六〇CSxには日本全国の地図が収納されており、GPSのログを保存出来るほかに、特定の地点(ウェイポイント)を登録出来る。毎年六月になると鮎釣り用の囮屋リストを登録し、十月になると珍スポットリストを登録している。今回は当初目標は二箇所くらいあったのだが、後は適当にGPSの画面に現れた珍スポットを適当に探訪するという方針にしてみた。

 まず向かったのが岐阜県のニコイ大滝。何故ニコイ大滝なのかと言えば、天候次第では、この夏二回空振りしている能登の舳倉島へ渡れないかという下心があったのだ。しかし、日本海には低気圧が居座って、波の予想は四メートル。到底船は出そうにないのでニコイ大滝を目指す。

 ニコイ大滝は落差百メートル以上で、岐阜県内最大の滝と言われているが、日本の滝百選などには含まれていない。ネットの情報などによれば昭和後期にリゾート開発計画が頓挫して、そのまま廃墟化して立入禁止になっているのだという。滝の目の前にはコンクリート製の観瀑橋があるらしいが、これがかなり老朽化しているらしく、訪問者は一様に何時崩落してもおかしくないと言っている。

 国道三六〇号線の巣之内集落から池ヶ原湿原方面への林道に入る。痛んでいるが完全舗装の林道で、所々に現れる沢を渡る橋が単線並列で架かっているのがただの林道でなかった事を物語っている。種蔵集落を越えて暫く進むと「青少年旅行村みやがわ配置図」という案内板が現れる。現在は山林に還っているが、かつてはバンガローやテントサイト、炊事場などが点在していたようだ。事前の情報通りこの案内板に惑わされずに先へ進む。GPSには林道から滝へのアプローチルートの入口にウェイポイントを打ってある。つづら折れを暫く進んだ右カーブの外側がアプローチルートの入口。目印とされている立入禁止の看板が見あたらないが、足元に裏返しになって落ちていた。
 クルマを駐めてハイキングルートのような道を進む。斜面の樹木の根元がみな「し」の字型に曲がっているのが豪雪地帯であることを物語っている。ここにリゾートを開発しても稼働出来るのは六~十月程度で、雪解け後のメンテナンス費用が莫大になるだろう。暫く進んで地形が険しくなると滝の水音が聞こえるようになり、小さな尾根を越えるとコンクリート製の歩道が現れその先にコンクリート製の観瀑橋が見える。歩道も橋も手すり部分の損傷が激しいようだが、これは豪雪地かつ傾斜地なので、落石や倒木によるダメージであろう。私の感覚ではコンクリート橋自体はそれほど心配することはなく、雪の重みや落石倒木等で崩落することはあっても、人間が一人二人乗ったところで驚きはしないだろう。おっと、肝心のニコイ大滝だが水量も豊富で見応え十分。橋が滝に近すぎて見えるのは上半分くらいだが、それでも迫力十分だ。たまたま紅葉時期で、かつ午後の日差しを順光で受けて、滝の飛沫に虹が架かるという絶好のタイミングで観ることが出来た。素晴らしい滝である。

 橋を渡りきるとコンクリート製のトンネルが現れる。事前知識があるので、ヘッドランプを装着してトンネルに入る。これがニコイトンネルで、長さ百三十四メートル、高低差三十メートルという急な登り勾配である。少し進むと内部は岩盤を素掘りにしたトンネルで、足元は舗装されたり階段になっているが、泥や砂利が堆積しており歩きにくい。トンネル内の照明設備だったらしい電線やソケットなども散乱している。トンネルを抜けると滝上部の沢の左岸に出て、手すりの倒れたコンクリート橋で対岸に渡ることが出来る。対岸にあるのがニコイ鍾乳洞であるらしい。入口は倉庫のようなトタンの扉があり、何故か火気厳禁という赤い札が貼ってある。中を除くとスチール製の書類棚のようなものが投棄されていて、その先は一段高くなっている。スチール棚に足をかけて一段高い部分に登ろうとするが、一面にコウモリの糞らしきものが散乱しており異臭がする。滑らないよう注意して登ると狭い洞窟が幾つか枝分かれしているようだ。幸か不幸かコウモリは冬眠に入ってしまったようで姿はないが、これ以上深入りするには本格的なケイビングの装備が必要だろう。まあ、ここまで来れば十分と納得して引き返す。

 帰路、先程の「青少年旅行村みやがわ配置図」から右に分岐する道に入ってみる。ニコイ大滝の全景が観られるところがあるのではないかと思ったのだ。しかし道はすぐに行き止まって、巨大な砂防堰堤が正面に現れる。左岸側にスロープのような構造物があるので、道かと思って近づいてみると巨大な階段式魚道であった。現在も水は流れているが半ば土砂で埋まっており水深が無い。これでは魚は遡上出来るが、鳥や獣に狙われ放題で隠れ場所がない。第一、すぐ下流には何段もの段差があり、魚道など無く、魚が最も遡上しにくいカーテン状の流れになっている箇所が幾つもある。典型的な無駄な施設である。
 更に林道を下って種蔵集落で分岐して菅沼谷の左岸を遡る林道に入ってみようとするが、こちらは入口が封鎖されており進入不可であった。ニコイ大滝のレポートに滝の全景を写した写真が無いのは、全景を眺められる地点が無いからのようだ。せっかく県下最大の滝があるのだから、林道と滝を見上げられる場所を多少整備すれば観光資源にならないだろうか。いずれ橋が崩落すれば本当に垣間見ることも出来ない幻の滝になってしまい、勿体ない気がするのだが。

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(観瀑橋からニコイ大滝、虹が出ている)

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2013年11月16日 (土)

関門トンネル人道

関門国道トンネル(国道二号線)

 下関の造船所で進水式を見学する前に、時間繋ぎで関門海峡のみもすそ川公園で観光時間が三十五分ほどあった。みもすそ川公園といえば関門トンネル人道の下関側の入口である。宇部市営観光バスのバスガイドは、人道は長さ七百メートル以上あり、向こう岸まで行ってくる時間はないと言う。しかし私の感覚では、自分の歩く速度は時速五キロ、三十五分あれば余裕で門司まで往復出来そうだ。何らかの支障があっても、十五分進んだところで引き返してくればいい。これは乗り鉄だった頃に、乗り換えで待ち時間があると、待ち時間から五分引いた時間を半分に割って、その時間で行けるところまでとにかく行ってみるというのが行動パターンだった。前から行ってみたかった関門人道に行ける機会が図らずも巡ってきたのだから、迷わず行ってみようと思う。
 同じツアーの参加者たちとエレベーターに乗って、下関側の入口を降りる。エレベーターを降りると広いフロアがあり、その一角に幅約四メートルのトンネルが口を開けている。他の参加者たちはトンネルの様子を眺めているが、私は早足で歩き始める。暫く進んで振り返ってみたが、私と同じく向こう岸を目指そうという物好きは他にいないようだ。
 トンネル内は床面が黄色く塗ってあり、天井には所々に監視カメラ、壁面には緊急用のインターホンが設置されている。海底トンネルでは標準の中央が低い落込勾配になっており、その一番低くなった部分が山口、福岡両県の県境で、床に県境線と県名がペイントされている。
 対岸の門司まで所要時間は十分弱。余裕があるのでエレベーターで地上に上がり、みもすそ川公園の対岸から関門橋と関門海峡を眺める。海峡は潮の流れが速く、後でバスガイドに聞いたところ、この日の潮流は時速八ノット(約十五キロ)で、大潮の時には十ノット(約十八キロ))になるということだ。こんな流れの速い海峡を結構な大型船が通過していく様は、見ていて恐ろしいと感じる。
 急いでトンネルを引き返すと、まだバスが出る時間まで十分ほどある。みもすそ川公園の長州砲や義経の八艘跳びの像などを眺めるが、海峡を通る船を見ている方がずっと面白い。海峡を俯瞰出来る場所で双眼鏡と受信機を持って、、関門海峡海上交通センター(関門マーチス)の無線を聞いていたら一日飽きないと思う。
Kanmon
(関門トンネル人道 下関側から)

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2013年11月12日 (火)

渡辺発祥の地

坐摩神社(いかすりじんじゃ、通称ざまじんじゃ)

大阪市中央区久太郎町四丁目渡辺三号

 大阪珍スポット探訪の第三弾は、急に地味になるが本町の坐摩神社を訪ねた。ここまで書くと、名字に詳しい人は「さては、オマエの本名は渡辺だな」と言うかも知れない。残念ながら私の本名は渡辺ではなく、フルネームだと日本中に同姓同名が居るか居ないか微妙くらいの珍しい名字だ。しかし、母の旧姓が渡辺なので、渡辺発祥の地と言われるこの神社を訪ねてみたのだ。

 渡辺は日本で五番目に多いと言われる名字で、推定人口は一一五万人といわれる。その渡辺のルーツは源綱といわれ、綱が母方の里である摂津国西成郡渡辺に居住し、渡辺綱と称したのが始まりで、その子孫は渡辺党と呼ばれ、瀬戸内海の水軍を統括したという。渡辺綱といえば鬼退治で知られており、由緒正しい渡辺家では、鬼は既に退治済みということで、節分に豆撒きをしない。これが本当の豆知識である。
 ちなみに、私の母の実家である渡辺家では、節分に豆ではなくABCビスケットを撒くという風変わりな風習がある。これは鬼退治とは関係なく、私の祖母が節分の日に映画に夢中になって豆を買い損ない、代わりにビスケットを買って帰って以来の風習だと、祖母が最晩年に告白したことにより判明している。

 さて、渡辺発祥の地であるが、本来は淀川の河口付近にあった港の渡辺津で、現在の天満橋から天神橋のあたりだったようだ。現在渡辺橋はそれより二キロ程下流にあるが、これは江戸時代に渡辺津の殷賑を偲んで付けられた名前であり、この坐摩神社がある旧渡辺町も、天正年間に豊臣秀吉により地名ごと移転させられたもので、綱が住んだ渡辺からは二キロ程離れている。なお、渡辺町の町名は一九八八年の住居表示実施で消滅する予定だったが、渡辺の末裔たちの要望で番地に渡辺を残すという超法規的措置によって、久太郎町四丁目の住所は一番地、二番地、三番地、渡辺という番地になっている。

 平日の夕刻に訪れた坐摩神社は、周りを高層ビルや高速道路の高架橋に囲まれた喧噪の中にひっそりと佇んでいた。建物や周辺の雰囲気は歴史よりは清潔さを感じさせ、時々通りかかるスーツ姿のサラリーマンが社殿に深々と頭を下げて足早に立ち去っていく姿は、地域に根付いた神社なんだなと感じさせられる。
 お守りの一つくらい買っていこうかと思っていたのだが、何だか凛とした雰囲気に飲まれてしまい、お参りをしただけで失礼することにした。

 この日大阪に着いて以来、十月に買ったばかりのデジカメ(オリンパス/TG-2)のGPS機能がおかしくなり、いつまで経っても全く衛星を補足しなくなった。それどころか、満充電にしてきて三十枚くらいしか写真を撮ってないのに、坐摩神社を出る頃には充電警告が出る状態になっている。肝心な時にGPSが役に立たず、無駄に電池が減り続けるという体たらくには呆れるばかり。幸いこの後船内で充電が出来たので、以降はGPSをオフにして乗り切ることになった。これではデジカメを買い換えた意味がない。

Watanabe
(坐摩神社と住居表示板)

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2013年11月11日 (月)

阪本昌胤記念館

阪本昌胤記念館

 全興寺を後にして、石切の石切劔箭神社(いしきりつるぎやじんじゃ)に向かった。この神社は昔から腫れ物に御利益があることと、お百度参りが盛んなことが有名だが、それ以上に参道の雰囲気が怪しいことで有名である。狭い参道に様々な店が連なっており、中でも占いの店が多いのが異様だという。ただし、ネット上の情報を集めると、かつては本当に異空間に迷い込んだようだったのだが、近年では大分すっきりしてしまい、かつてのインパクトはないと評されている。

 近鉄奈良線が生駒山に突き当たり進路を北に変えて勾配を登る。急坂マニア垂涎の暗峠へ向かう国道三〇八号線を越えて石切で下車し、石切神社への参道を歩く。まだ参道のとば口の所に、私が見たかった物を発見する。
「名所 日本で三番目 石切大仏」
 石切大仏は一九八〇年に建立された大仏で、台座を含めた高さは六メートルである。私は大仏好きでもあるので、この手の物件は見逃せないが、この日本で三番目というのはツッコミどころ満載だ。この大仏は日本で○○が三番目と書いていないところが素晴らしい。勿論、大きさや古さでは三番どころかベストテン入りも難しいだろう。そう、この大仏は日本で何かが三番目なのだ。そして、一番目と二番目がどの何(大仏なのかも判然としない)なのかも知ることは出来ないのである。
 そして、大仏の回りに色々な説明が書かれた石碑が並んでいる。実は今回私が見たかったのは、これらの石碑群なのである。
 これらの石碑群は、石切大仏の寄進者である、阪本昌胤氏によって立てられたものなのだ。中でも目を引くのが「交通事故防止 道路敷地一〇三〇平方メートル(三百十二坪) 土地時価約 壱億圓 東大阪市へ個人寄付 昭和四十七年九月六日 旧和歌山藩士 勲五等 正六位 四世 阪本昌胤」と記された石碑。名前と壱億圓の部分が大書されている。
 更に大仏の脇には阪本氏の銅像と四つの偉業を列挙した石碑がある。偉業の内容をかいつまむ。

昭和四十四年三月明治百年と万博を記念して現金二千万円を大阪府に寄付。府民の森に桜一万株を植樹し「阪本の山桜の森」と命名。
昭和四十六年九月天皇皇后訪欧を記念して現金三千万円を東大阪市に寄付。老人センターを建設。
昭和四十七年九月交通事故防止のために道路用地一〇三〇平方メートル時価約一億円を東大阪市に寄付。
昭和四十八年十一月阪本の山桜の森に記念碑建立。大阪府知事、東大阪市長列席の下除幕式挙行。

 何とも輝かしい偉業の数々である。この阪本昌胤という人は、製薬会社の四代目で、東大阪市の市議会議員を務めたとか務めないとかいう人で、製薬会社の発祥の地である石切に大仏を建立したり記念館を建てたりしているということである。市や府に莫大な寄付をし、府民の憩いの場所や老人の福祉施設を提供したというのはすごい。昭和四十年代の五千万円といえば今の幾らくらいだろう。時期的に近い三億円事件の六分の一だ。そしてそれらの偉業を石碑に刻んでしまうところが更に素晴らしい。俺はこんなに立派なことをしたんだと、これほどストレートに誇示する姿勢には清々しささえ感じる。

 更に参道を進み、石切神社の門前にある石切大天狗に到着。ここは阪本昌胤記念館であるらしい。しかし、建物は閉鎖され、敷地の入口は門が閉じられている。連休明けなので休業日なのだろうか、それとも。外から垣間見える屋外の石碑類も、鎧戸の閉じられた建物も、ここ暫く人が入っていない雰囲気なのである。珍スポットを探訪しているとしばしば遭遇する、つい最近までやっていたのに閉鎖されてしまった物件の雰囲気だ。

 石切神社本体は、お百度参りをする人が、老若男女の取り混ぜて大勢いたことと、池に夥しい数の亀が居ること以外は普通の神社であった。

 石切神社を少し過ぎたところには第二阪本昌胤記念館があるが、ここも先程の大天狗同様閉鎖されている雰囲気。建物の正面には阪本氏の寄付で建設された老人センターが大きく描かれている。いくら石油ショック前とはいえ、これだけの施設が三千万円で出来るとは到底思えないので、建設費の一部になったということだろう。
 私は阪本昌胤に興味があって石切に来たので、ちょっと間に合わず残念であった。しかし、参道の雑多な店などはまだまだ健在なので、訪阪のついでに立ち寄るには楽しいスポットであると思う。
Sakamoto
(阪本昌胤第二記念館)

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2013年11月 8日 (金)

全興寺

野中山全興寺(せんこうじ)

 大阪に行ったついでに幾つかの珍スポットに立ち寄ってみた。まずは平野にある全興寺に向かう。関西本線の平野から歩いて十分強。アーケードになっている商店街を横切ったところにある寺だ。商店街側の入口は本堂の裏にあたり、本道の脇を回ると駄菓子屋さん博物館、おばあちゃんの部屋、音博物館などがあるが、これらは土日祝日のみ開いているようだ。私の目的は地獄極楽。まず本堂にお参りしてから地獄堂に向かう。
 小さな地獄堂の入口には電気仕掛けの地獄極楽判定機があり、二択の質問が十問記されている。「感謝して努力する」or「絶えず不平不満が多い」とか「義務も責任も進んで果たす」or「やる気がなく無責任」など、どちらか選んで十問選択を終えると判定が出る。極楽側を選ぶとプラス一点、地獄側を選ぶとマイナス一点で、合計点が八以上なら「極楽行きたいこ判!」、四以上「極楽行き合格」、〇以上「極楽行き資格あり」、マイナス三以上「地獄行き執行猶予」、マイナス七以上「地獄行き覚悟せよ」、マイナス八以下「地獄行き決定!」と判定される。試しに私がやってみたところ、「地獄行き覚悟せよ」との判定であった。覚悟しなければならない。
 地獄堂に入ると、正面に閻魔大王、右側に三つ目の鬼と、腹に仏像の入った鬼婆、左側には人形が三段九体並んでいる。閻魔の前の賽銭箱の下に銅鑼がセットされており、その銅鑼を鳴らすと鬼の横にある浄玻璃鏡に映像が映って渋い声のナレーションが流れる。人間は悪いことをすると地獄に落とされ、その罪に見合った責め苦を受けるという話が、恐ろしい地獄絵とともに解説される。思わずじっくり見てしまったが、かなり恐ろしいタッチの絵なので、小さな子供が見たら相当怖がるのではないか。脇に注意書きがあり、
「お父さん お母さんへ お寺からのおねがい! この地獄堂は子供たちに「悪いことをしないこと」と「自分のいのちを大切にすること」を教えるために開いたものです。お父さんお母さん むやみに子供に恐怖心を与えて言うことを聞かせるための材料にしないで下さい。こわいエンマさまの姿は本来はお地蔵さまのやさしい慈悲の心のあらわれなのです。これを機会に子供たちと「いのちの大切さ」についてもう一度話しあってみて下さい。」
と注意書きがあるのだが、ちょっと怖すぎの感は否めない。
 地獄堂の外には地獄の釜の音が聞こえる石なるものがあり、真ん中にある穴に首を突っ込んで聞くらしい説明図がある。庭石に首が入る程度の穴を「型に穿っただけのもので、首を突っ込んでみても何の音も聞こえなかった。もしかすると故障中なのか。
 続いて進むと地下室状の「ほとけのくに」がある。入口の階段には四国八十八箇所霊場お砂入り手すりがある。透明なアクリルのパイプに霊場の砂が入っており、これを触りながら進むと御利益があるのだろう。淡路島の世界平和大観音にあったという「お砂踏み」と同じ趣向だ。ほとけのくにの中は中央の床にステンドグラスのようなマンダラがあり、周りの壁には仏様が並べられて水の流れる音と水琴窟の音がしている。マンダラに座って瞑想するように説明があるので、靴を脱いでマンダラに上がってみる。冷たいガラスの感触で、長く座っていると冷えそうである。
 その他境内には仏足石や、納骨堂などが建ち並んでいるが、それほど広くない敷地によくこれだけ詰め込んだものだと感心する。
 帰路は隣接するサンアレイ本町通り商店街を冷やかしながら歩いてみた。平日の午後早めの時間なので閑散としていたが、なかなかいい感じの商店街だが、やはり端の方に行くと空き店舗が目についた。

Senkouji
全興寺地獄堂入口(赤いのが判定機)

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2013年11月 7日 (木)

橘丸の進水式

橘丸(貨客船 五七三〇総噸) 

二〇一三年十一月六日 三菱重工業株式会社下関造船所にて進水

 二〇一四年七月、東海汽船の東京~八丈島航路に就航予定の貨客船、橘丸の進水式を見学してきた。旅行は計画から実行まで全部自分でやらないと気が済まない性分なのだが、今回は生まれて初めて旅行会社が主催するパッケージツアーというものに参加してみた。
 船マニア向けの旅行商品なので、下関まで飛行機で往復するような野暮なプランを立てないところは、流石船会社のパッケージツアーだ。前日の朝東京駅集合、新幹線で大阪まで行き半日自由行動。大阪南港から新門司行きの名門大洋フェリーに乗って船内一泊、翌日はバス移動で三菱重工下関造船所で進水式見学。午後は下関で自由時間があって、山口宇部空港から飛行機で戻るというスケジュールだ。当然私は大阪で珍スポット巡りなどをしたのだが、寄り道は別頁に譲って、ここでは進水式のことを中心に感想を書きたい。

 三菱重工のウェブサイトによれば、進水式は一般人も見学出来るようで、一般客や小学生の社会科見学なども来ており、賑やかな雰囲気だ。我々パッケージツアー組は船台の目の前までバスで入って、左舷側船首のすぐ前、バルバスバウを見上げる一段高い特等エリアに案内される。我々の右側には背広を着た社員らしき関係者エリア、背後が小学生、正面に吹奏楽団、その向かって左が一般エリアという配置である。開始時刻が近づくと東海汽船の重役たちが次々と船首と対峙する位置の壇上に上がる。橘丸の命名とカラーリングを担当した東海汽船名誉船長、柳原良平氏も登壇した。そして最後に山崎社長が登壇すると、命名式と進水式が始まる。
 山崎社長が命名を宣言すると、紅白幕で覆われていた船名が現れる。漢字で「橘丸」美しい船名だと思う。平仮名で「たちばな丸」にしなくて本当によかった。東海汽船ファンの間では、橘丸の名は三八航路の本船にはふさわしくなく、数年後に建造される片航路向けの新造船(さるびあ丸の代替船)にこそ相応しいという意見もあるが、私はどちらでもいいと思う。それよりも藤丸以来三十六年ぶりに漢字の船名が復活したことを喜びたい。
 命名式が終わると、続いて進水式が始まる。進水作業の進行を告げる第一号鐘、第二号鐘、第三号鐘が鳴らされ進水準備が進み、態勢が整ったところで社長夫人の支綱切断となる。船首の喫水線の所にセットされていたシャンパンの瓶が割れると橘丸は船台を静かに滑り降りる。くす玉が割れ、中から紙テープと風船が舞い上がる。吹奏楽団が「錨を上げて」を演奏する中、意外にあっけなく進水式は終了する。進水の瞬間は本当にあっという間で、吉村昭の「船艦武蔵」で描かれたような緊張感は無い、和やかな祝典という雰囲気であった。

 進水式が終わると唐戸市場にあるカモンワーフで自由時間になったが、私は迷わず関門汽船で巌流島に渡った。三菱重工下関造船所の目の前が巌流島なので、艤装岸壁に係留された橘丸の姿を見ようと思ったのである。巌流島から眺めると、橘丸は一番北側の桟橋に入り船で係留されており、船尾がよく見える。平べったいトランサムスターンの船尾は、同じ三菱重工下関製のおがさわら丸に似ている。そして南側の岸壁には先月進水した伊豆諸島開発のあおがしま丸が係留されており、図らずも八丈島で接続する航路の新造船二隻を同時に眺めることが出来た。残念ながら、私のコンパクトカメラでは巌流島と三菱はちょっと遠く、いい写真が撮れるかもとの目論見は外れだった。

 最後にやはり書かざるを得ないのは、橘丸のカラーリングについて。あおがしま丸のシンプルな青と白の船体に比べ、鶯色と黄土色を斜めに塗り分けた橘丸は本当に見苦しい色だ。最初にカラーリングが発表された時点から何たる珍妙な色かと呆れたが、実物を見れば少しはましなのかと一縷の望みを持って進水式に臨んだ。しかし、実際に実物を見ると、その珍妙さはふざけているとしか思えない。柳原良平の画集に載っているなら、あのタッチでこの色遣いでいいのだろうが、実際の船としては不細工なこと甚だしい。現在は二色だが、実際に就航すれば錆の茶色が加わって、雑な迷彩色みたいな色合いになるのだろう。現在のさるびあ丸やかめりあ丸のシンプルな美しさと比べると、同じ会社の船とは到底思えない。
 広報戦略として名誉船長などという中途半端な有名人にカラーリングを頼んでしまったので、誰も大っぴらに反対意見を唱えることが出来ず、引っ込みがつかなくなったのだろう。株主総会である株主が「おかしな色だ」と指摘したことに対し、山崎社長と社員株主が「こちらの方がいい」という意見で結束していた様子からも、翼賛態勢になっていることがうかがえる。このまま行けば、社屋の上に巨大なウンコを載せた向島の某大企業並の大失敗であると思う。
 これほど東海汽船が好きな私がこれほどまで批判的な論調にならざるを得ないという、残念な気持ちを解っていただきたい。私はあくまでも「橘丸の色は格好悪い」と主張する。東海汽船はこの件に関しては裸の王様だ。
 もっとも、船体デザインではなく色塗りの失敗なので、取り返しがつかないわけではない。私の楽観的な予想では、柳原良平氏が天寿を全うされ、山崎社長が社長(又は会長)を退任してほとぼりが冷めた頃、ドック明けの橘丸は普通の色遣いに変更されているのではないかと思う。或いは、さるびあ丸の後継船が完成した時に、色遣いを統一するという理由付けで塗色を変更するか。そもそも同じ会社の二隻しかない貨客船のカラーリングがバラバラというのは不自然なのだ。遠くからでもどこの船会社の船か判るのが船のカラーリングの原則だと思う。七月以降東海汽船の(ジェットフォイルを含む)六隻の船は、全部バラバラなカラーリングになる。こんなみっともない状態は早く解消してもらいたいものだ。

Tachibanamaru

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2013年11月 3日 (日)

インバルの[新]マーラー・ツィクルス第Ⅱ期

インバルの[新]マーラー・ツィクルス第Ⅱ期

 インバルと都響によるマーラー・ツィクルスの第Ⅱ期が始まった。セット券が購入出来なかった事についてはここに書いたが、やはり全部通しで聴いてみたい気持ちを抑えられず、各公演の一回券を購入した。芸劇公演は一回券が殆ど出なかったので、我等負け組は横浜公演を主に聴くことになる。これに来年予告されている第十番を聴けば、一応今回のツィクルスプラスアルファをコンプリートしたことになる。

【第六回】

マーラー/交響曲第六番イ短調「悲劇的」

管絃楽/東京都交響楽団
指揮/エリアフ・インバル

二〇一三年十一月二日(土)横浜みなとみらいホール

 第六番は難しい曲だ。人気のある復活や第五番よりは内容が深いが、濃縮されすぎていて息苦しい。長い第四楽章は下手な演奏に当たると退屈である。随所で鳴らされるカウベルが一瞬のどかな音楽を装うが、まったくのどかなどではなく、集中力を要求される曲だ。また、打楽器が舞台上と舞台裏との出入りが激しく、ハンマーの打撃もあるので事故の起こりやすい曲でもある。

 同一プログラム二日連続公演の初日なので、予想通りペース配分を考えた演奏だった。第一楽章はかなり抑え気味で、コーダの加速でようやく乗ってくる感じ。なのでやや集中力に欠ける印象だった。とはいえ、要所要所はインバルの老獪な表現で大きなルバートやテンポの変化があり、都響も心得ているから決して凡演ではない。第二楽章(スケルツォ)も同じ傾向で、メリハリは効いているがまだ通常モードな感じ。第三楽章(アンダンテ)から都響も本気モードに入ってきて、明らかに良く鳴るようになってくる。第四楽章ではインバルも手綱を緩めてオーケストラを煽る。第一楽章の抑えた感じからは想像もつかないような集中力で、長いこの楽章が全く弛緩することがなかったのは素晴らしい。ハンマーは舞台下手奥に位置して、小さめのハンマーで平台を叩いていた。木管のベルアップ同様、音よりは視覚に訴える意味が大きいと思うので、もっと目立つ場所で派手に叩いても良かったと思う。また第四楽章半ばで、ハープの弦が切れる事故があった。ヴァイオリンなどはよく切れるが、ハープは珍しい。

 第一楽章提示部でトランペットのソロが裏返り、繰り返しの時も同じ吹き損じをした。それ自体はよくある事故で咎めるような事では全くないが、問題はその奏者の態度。裏返った時に明らかにシマッタという表情で首を傾げ、その後演奏中からカーテンコールまで、ずっとうなだれ続けていた。同情されたい中学生じゃないんだから客の前であの態度はないだろう。ミスっても舞台上では何事もなかったように振る舞い、舞台袖に引っ込んでから落ち込むのがプロというものだ。N響の首席トランペットを見習って欲しい。
 また、最終音が消えた瞬間にブラヴォーと叫んだ奴がいて、緊張した空気を一発でぶちこわしてくれた。たった一人の馬鹿者の叫び声で、二千人の作り出した良い緊張感を台無しに出来るというのは、精神的なテロと言っても差し支え無いだろう。あの男がセット券を持っている可能性は大いにあるので、七、八番はいいとしても、九番の時には何か対策を立てないと、暴動が起こる可能性がある。ネットニュースの見出しに「ブラボーと叫び袋叩き」なんてのが出ないことを祈る。

【第七回】

マーラー/交響曲第七番ホ短調

管絃楽/東京都交響楽団
指揮/エリアフ・インバル

二〇一三年十一月八日(金)横浜みなとみらいホール

 第六番は難しいと書いたが、第七番は捕らえどころがない曲だ。結論から書くと、先週の第六番より、ミスがないという点では完成度は高かった。冒頭のテノールホルンがちょっとひっくり返った以外に目立つミスは無く、都響はインバルの指示通りに演奏していた。先週同様、前半は抑え気味だが後半になって暖まってきて、インバルと都響のコンビネーションが発揮されていたが、曲が不出来なことは致命的だ。マーラーが好きなので、一般人より相当多くこの曲を聴いているはずだが、百パーセント納得したことは一度も無い。殆どの場合、演奏者の健闘をたたえつつ、曲に対する疑問がどうしても残ってしまう。最後の最後で盛大に鳴らされるカウベルの音に、マーラーの意図を読み取ろうとしてしまう私が馬鹿なのだろうか。インバルは第四楽章と第五楽章をアタッカで演奏していた。ここでチューニングでもしてくれれば、ベートーヴェンの第九の終楽章同様、ここまでとは関係ない馬鹿騒ぎと割り切ることが出来るのだが、凡庸な私には第九も夜の歌も、終楽章とそれまでの関連が理解できないし、アタッカで演奏する意味が解らない。
 愚痴になってしまったが、演奏自体はとても素晴らしく、おそらく今現在生で聴けるこの曲の最高水準の演奏だろう。それ故に曲の弱点を感じてしまった。インバルは相変わらず押さえどころはきっちり押さえて、外連味たっぷりなルバートや表情を加えたりしていた。それなのに百パーセントの満足に到達できないのは、インバルが終始冷静だからかも知れない。この曲の理想の演奏には、緻密なリハーサルだけでなく、バーンスタインやテンシュテットのように、マーラーが憑依してしまったかのような没入感が必要なのではないか。

【第八回】

マーラー/交響曲第八番変ホ長調「千人の交響曲」

独唱/澤畑恵美、大隅智佳子、森麻季(ソプラノ)
   竹本節子、中島郁子(メゾソプラノ)
   福井敬(テノール)、河野克典(バリトン)、久保和範(バス)
合唱/晋友会合唱団(合唱指揮/清水敬一)
   東京少年少女合唱隊(合唱指揮/長谷川久恵)
管絃楽/東京都交響楽団
指揮/エリアフ・インバル

二〇一四年三月八日(土)東京芸術劇場
二〇一四年三月九日(日)横浜みなとみらいホール

 第八番の通称「千人の交響曲」は二公演とも聴く。横浜のチケットはすんなり取れたが、芸劇はセット券のみで完売。通常とは違う方法で何とかチケットを入手した。

 インバルの千人は二〇〇八年のプリンシパル・コンダクター就任披露演奏会で取り上げ、その時の演奏がCDにもなっている。その時と違うのは第二第三ソプラノ、第二アルト、バスのソリストと児童合唱だけ。勿論、インバルの基本的アプローチは変わらないが、この六年間で都響との信頼関係がより深まった印象で、演奏の出来はより練られたものとなっていた。目立った違いは、第二部の神秘の合唱で、最初の五小節毎に大きく間を取るのが新機軸だった程度だ。初日の芸劇では第一部は抑え気味で、第二部の後半になってかなりテンションが上がってきた感じだった。二日目のみなとみらいでは第一部からハイテンションで、第二部の導入部も前日より遅いテンポでオケを鳴らし切っている印象で、このまま進むととてつもない名演になるかと思われた。ところが、前日もつんのめり気味で不安定だった法悦の教父(バリトン)が一小節早く歌い出してしまった。インバルがすぐに制して歌い直したのでハッとする程度の事故だったが、演奏者全員が気づくミスだったので、ここで一旦緊張の糸が切れた感は否めず、そこから持ち直すまでに暫く時間がかかった。しかし第二部後半は再びテンションも上がって来て、圧倒的な完成度の演奏となった。
 声楽陣は実力者揃いだが、バスはいつも通り声量不足。瞑想の教父のソロをオケにかき消されずに歌える日本人の歌手などいないと思うが、それにしても歌い方が一本調子で、懐の深い表現とも違い物足りない。バリトンは二日目もつんのめり気味だったので、ゲネプロのテイクがないとCD化は難しいかも知れない。第二ソプラノはヴィブラートが少なめのとても美しい声質だったが、若干声量が足りず苦しかった。また第三ソプラノは栄光の聖母にしては声質が合わない。音域の問題は別にして、声質だけで言ったら第二と第三のソプラノを入れ替えた方がいいように感じた。テノールは抜群の声量だが、相変わらず陶酔しすぎの歌い方で、この曲には合わないと思う。
 合唱の晋友会は三百人強くらいで、全員暗譜なのは立派。安心の晋友会で、アマチュアとして望みうる最上の合唱だ。児童合唱の東京少年少女合唱隊も素晴らしい。もっと少人数なら更に上手な児童合唱団もあるかも知れないが、百人規模でこれだけのクオリティの団体は他にないだろう。
 都響の編成は十六型で、管の編成は楽譜通り、ハープだけ倍にして四台。ティンパニは四台一セットプラス一台。芸劇ではかなり広めに仮設の張出舞台を組んで、舞台上にはかなり余裕がある感じで、混声合唱は正面の雛壇、児童合唱は下手側のバルコニー席に配置されていた。横浜では舞台上に児童合唱を並べ、Pブロックに男声合唱と独唱者、LA、RAブロックに女声合唱を配置して合唱がオーケストラを取り囲んでいた。両日とも栄光の聖母は下手側二階のバルコニー席に、金管のバンダは倍管にして三階席の上下に配置されていた。インバルは毎回バンダをこのように配置するが、栄光の聖母の呼び掛けにマリア崇拝の博士が応える構成なのだから、二人は対峙しなければならないし、金管の音が客席全体を包む効果は素晴らしい。こういう部分がマーラー指揮者のツボで、安易にオルガンの前に並べたりしないところは流石である。また、いつも通り独唱陣をオーケストラと合唱の間に配置していた。声楽曲的な第一部ではこの位置が好ましいが、オペラ的な第二部では舞台前面に独唱者を配置したい。今まで随分千人を聴いたが、第一部と第二部で独唱者の立ち位置を変えた例は見たことがない。誰か試してくれないだろうか。

【第九回】

マーラー/交響曲第九番ニ長調

管絃楽/東京都交響楽団
指揮/エリアフ・インバル

二〇一四年三月十五日(土)東京芸術劇場

 インバルの新マーラーチクルスも、いよいよ最後の第九番である。三日連続公演の内、初日の池袋で聴く。
 インバルの九番は日本フィルを振った一九七九年のライヴがCD化されているが、三十五年経っても基本的なアプローチは変わらない。他の曲も同様だが、基本テンポは速めで推進力をもって進んでいき、撓めるところでは思い切って表情を付ける。この方針で一番から八番まではとても濃縮された濃い名演を繰り広げてきた。今回の九番も同様だ。インバルの意を酌んだ都響も相変わらず反応が良く、危なげのない演奏を繰り広げていく。三日公演の初日なので、やはり前半は抑え気味であったが、肝心の第一楽章が薄味になることはなくペース配分も万全だ。第四楽章では盛大な音の洪水から最後の静寂へ向かって、マーラー指揮者と手兵オケの面目躍如と言うべき名人芸を堪能出来た。正に現在日本で聴き得る、最も上質で安心のマーラーであり、チクルスの最後を飾るに相応しい名演であった。
 客観的には以上のような感想になる。個人的には特に第一楽章の速めのテンポ設定が不満であった。今まで印象に残ったこの曲の名演に超スロー演奏が多かったせいか、ここ一番でテンポを思い切り落として粘着系の表現をして欲しい。最初からインバルにそんな期待はしていないのだが、全体の完成度が高いのでついつい無い物ねだりをしたい気持ちになってしまうのである。理想のスタイルではないけど圧倒される、昔で言えば朝比奈のブラ一を聴いた時のような気分であった。

 この演奏会では三階席の上手側で聴いていたのだが、第三楽章の途中で最前列の方が騒がしくなり、席を立ったり戻ったりしている客が居た。何だろうと思って見ていると、年寄りが倒れたのを近くに座っていた客が係員を呼びに行き、最後は失神した老人を自分で背負って救出しているようだった。演奏会中の急病人というのは高齢化が進むクラシック音楽界では深刻な問題になってくるだろう。ホールの案内係は地方のホールなどにいくと女性ばかりの時がある。見た目は華やかでいいのだが、緊急対応を考えれば力のある男性スタッフが居ると頼もしいと思う。率先して老人を救出した件の客に、心から敬意を表したい。

【総括】

 丸二年をかけてインバルと都響によるマーラーの交響曲を一番から九番まで順番に聴くことが出来た。全て同じホールで聴けなかったのは少々心残りだが、なかなか出来ないいい経験だったと思う。結論から言えば、インバルと都響のマーラーは今現在最上の組み合わせで、世界中でもこれだけのクオリティでマーラーチクルスを出来るコンビはそうは居ないだろう。勿論、オケの技量だけならもっと巧いオケはあるだろうし、曲によってはインバル以上の表現者は居るかも知れない。しかし、九曲並べてこれだけのレヴェルを維持出来るというのは、インバルと都響の良好な関係があればこそだろう。都響が四回目のマーラーチクルスを、七十代後半になったインバルと成し遂げ、それを全て聴くことが出来たことは本当に運が良かった。夏目漱石の柳家小さん(三代目)賛歌を引き合いに出すまでもなく、インバルのマーラーチクルスを、そしてバーンスタイン、山田一雄のマーラーの九番を聴くことが出来た幸運に感謝したい。そしていつか、この歳まで生きていて良かったと思えるような演奏に巡り会いたいものである。とりあえずは七月に予定されているインバルと都響によるマーラーの交響曲第十番(クック版)が楽しみである。

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2013年11月 1日 (金)

池袋演芸場十月下席(昼の部)

池袋演芸場十月下席(昼の部)

二〇一三年十月三十日(水)

「転失気」柳家さん坊
「使うかもしれない」古今亭駒次
(ジャグリング)ストレート松浦
「手紙無筆」金原亭馬遊
「四段目」初音家左橋
(漫才)ホンキートンク
「子ほめ」柳亭市馬
「彦六伝」林家木久扇
「二人旅」柳家小三治
   (仲入り)
(口上)柳亭市馬、林家木久扇、川柳つくし、川柳川柳、柳家小三治
(漫談)アサダ二世
「告知の作法」五明楼玉の輔
「ガーコン」川柳川柳
「目薬」古今亭志ん輔
(俗曲)柳家小菊
「健康診断に行こう」(+ウクレレ漫談)川柳つくし

 九月の鈴本に続いて池袋演芸場で川柳つくしの真打披露目を観る。
 駒次の新作は面白い。同じ鉄道好きなので多少贔屓目に見ていることは否定しないが、以前聞いた「鉄道戦国絵巻」は抱腹絶倒だった。東京在住で鉄道に興味がなければ全く面白くないが、噺家の数が飽和状態なのだから、得意ジャンルがあることはいいことだ。今日はゴミ屋敷に住む一家が断捨離する噺。妻の妄想ぶりが面白かったが、落げが読めてしまうのが少し残念。
 ストレート松浦のジャグリングは初めて見るが、太神楽の西洋版みたいなものだから、寄席とは相性が良く素直に楽しめる。馬遊、左橋とも短めの高座で、四段目は芝居を見ていたことが露見するところまで。ホンキートンクの漫才も勢いがあっていい。
 市馬は子ほめ、寄席で見るのは本当に久しぶりの木久扇はお馴染み彦六伝、小三治は二人旅と、披露目なので短めの高座が続く。
 口上は市馬、木久扇、つくし、川柳、小三治の五人、師匠の他が会長、副会長、相談役というのは豪華。木久扇の口上で、前座の時に川柳(当時さん生)の後援会発足について秩父へ行き、川柳が二日目の高座を酒で穴を開けた話は、以前つくしが話していたのを聞いていたが、当事者から語られると更に趣がある。小三治も川柳に迷惑をかけられた話が中心で、こんな師匠の元でよく頑張ったという論調。対して川柳は、自分が前座の頃圓生のお供で青山高校に仕事に行き、その時のさん生の弥次郎(本人は金明竹と記憶していたのを小三治が訂正)を聞いた郡山剛蔵少年が噺家になる決意をした。つまり、現柳家小三治会長はオレが作ったという話。その後ついでのように、古典落語は女には難しいという話。三本締めの前にもう一度小三治から、圓丈とは違う新しい新作を作れと言う激励があり、かなり内容たっぷりの口上を締めた。
 食いつきのアサダ二世は、楽屋が混んでいて手品を仕込めなかったと、シルクハットとトランプだけ持ってきたものの、今日は手品はやらないという。天一、天勝に始まる日本奇術界の草創期の話をする。見慣れている手品よりはこっちの方が面白かった。玉の輔は新米の医者が癌告知をする話。調べたところ告知の作法という演題らしい。回り落ちがとても良くできた噺だ。川柳は毎度お馴染みのガーコン。鈴本の時よりも調子がいいみたいで、「男の年寄りはダメだな」と小言も炸裂。「つくしの時は頼むよ」と弟子への思いやりもちょっと垣間見えた。志ん輔は目薬。マクラの医者の話が面白かったが、つくしの演題とついてしまったのが残念。小菊の俗曲も安心して聞ける芸で膝代わりにはぴったりだ。つくしは師匠川柳の話から入る。披露目直前にブラック師と飲んでいて階段から転落した話、続いて自分も原因不明の痣で医者に行ったら歳のせいだと言われた話に続いて「健康診断に行こう」。先日の「ソングコップ」に比べると落げが格段にうまく出来ている。主人公がオバサンなので、つくしが歳をとっても演じられるネタだと思う。一席終わったところでウクレレを持って漫談。お馴染みの「来世がんばれ」。聞いたことのあるネタが多かったが、牧伸二や堺すすむみたいに、このパターンで膨大なネタをストックすれば、どこでも使える飛び道具になるだろう。

 池袋演芸場は相変わらず客層はいい。ただし、食べるのと喋るのに夢中な婆さんグループはロビーでやってほしいし、一席終わる毎に便所へ行くらしい爺さんは出口の近くに座れと言いたい。極めつきは最前列に座ってずっとスマホのゲームをしている若造。私も学生の頃は、ぺぺ桜井が出てくると新聞を読んで、文句を言われたら「たまには違うネタやってみろ」と言い返してやろうと身構えていたりしたが、それは毎日同じネタしかやらない手抜き芸人に対する抗議の姿勢だった。後ろの席から画面が丸見えの位置でゲームをするのは、とても気が散って邪魔である。何を目当てに寄席に来ているのか判らないが、せめて他人に迷惑をかけないくらいの気遣いが出来ないのか。まあ、見た感じいかにも情緒不安定な感じだったので、その場で咎めれば逆ギレして、ゲームをする権利とか戯言を叫ぶのだろう。
 オイ、十月三十日池袋演芸場のA列7番の席でゲームをしていたゆとり世代。寄席では噺を聞け、ゲームは家でやれ!

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