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2013年11月12日 (火)

渡辺発祥の地

坐摩神社(いかすりじんじゃ、通称ざまじんじゃ)

大阪市中央区久太郎町四丁目渡辺三号

 大阪珍スポット探訪の第三弾は、急に地味になるが本町の坐摩神社を訪ねた。ここまで書くと、名字に詳しい人は「さては、オマエの本名は渡辺だな」と言うかも知れない。残念ながら私の本名は渡辺ではなく、フルネームだと日本中に同姓同名が居るか居ないか微妙くらいの珍しい名字だ。しかし、母の旧姓が渡辺なので、渡辺発祥の地と言われるこの神社を訪ねてみたのだ。

 渡辺は日本で五番目に多いと言われる名字で、推定人口は一一五万人といわれる。その渡辺のルーツは源綱といわれ、綱が母方の里である摂津国西成郡渡辺に居住し、渡辺綱と称したのが始まりで、その子孫は渡辺党と呼ばれ、瀬戸内海の水軍を統括したという。渡辺綱といえば鬼退治で知られており、由緒正しい渡辺家では、鬼は既に退治済みということで、節分に豆撒きをしない。これが本当の豆知識である。
 ちなみに、私の母の実家である渡辺家では、節分に豆ではなくABCビスケットを撒くという風変わりな風習がある。これは鬼退治とは関係なく、私の祖母が節分の日に映画に夢中になって豆を買い損ない、代わりにビスケットを買って帰って以来の風習だと、祖母が最晩年に告白したことにより判明している。

 さて、渡辺発祥の地であるが、本来は淀川の河口付近にあった港の渡辺津で、現在の天満橋から天神橋のあたりだったようだ。現在渡辺橋はそれより二キロ程下流にあるが、これは江戸時代に渡辺津の殷賑を偲んで付けられた名前であり、この坐摩神社がある旧渡辺町も、天正年間に豊臣秀吉により地名ごと移転させられたもので、綱が住んだ渡辺からは二キロ程離れている。なお、渡辺町の町名は一九八八年の住居表示実施で消滅する予定だったが、渡辺の末裔たちの要望で番地に渡辺を残すという超法規的措置によって、久太郎町四丁目の住所は一番地、二番地、三番地、渡辺という番地になっている。

 平日の夕刻に訪れた坐摩神社は、周りを高層ビルや高速道路の高架橋に囲まれた喧噪の中にひっそりと佇んでいた。建物や周辺の雰囲気は歴史よりは清潔さを感じさせ、時々通りかかるスーツ姿のサラリーマンが社殿に深々と頭を下げて足早に立ち去っていく姿は、地域に根付いた神社なんだなと感じさせられる。
 お守りの一つくらい買っていこうかと思っていたのだが、何だか凛とした雰囲気に飲まれてしまい、お参りをしただけで失礼することにした。

 この日大阪に着いて以来、十月に買ったばかりのデジカメ(オリンパス/TG-2)のGPS機能がおかしくなり、いつまで経っても全く衛星を補足しなくなった。それどころか、満充電にしてきて三十枚くらいしか写真を撮ってないのに、坐摩神社を出る頃には充電警告が出る状態になっている。肝心な時にGPSが役に立たず、無駄に電池が減り続けるという体たらくには呆れるばかり。幸いこの後船内で充電が出来たので、以降はGPSをオフにして乗り切ることになった。これではデジカメを買い換えた意味がない。

Watanabe
(坐摩神社と住居表示板)

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