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2013年11月11日 (月)

阪本昌胤記念館

阪本昌胤記念館

 全興寺を後にして、石切の石切劔箭神社(いしきりつるぎやじんじゃ)に向かった。この神社は昔から腫れ物に御利益があることと、お百度参りが盛んなことが有名だが、それ以上に参道の雰囲気が怪しいことで有名である。狭い参道に様々な店が連なっており、中でも占いの店が多いのが異様だという。ただし、ネット上の情報を集めると、かつては本当に異空間に迷い込んだようだったのだが、近年では大分すっきりしてしまい、かつてのインパクトはないと評されている。

 近鉄奈良線が生駒山に突き当たり進路を北に変えて勾配を登る。急坂マニア垂涎の暗峠へ向かう国道三〇八号線を越えて石切で下車し、石切神社への参道を歩く。まだ参道のとば口の所に、私が見たかった物を発見する。
「名所 日本で三番目 石切大仏」
 石切大仏は一九八〇年に建立された大仏で、台座を含めた高さは六メートルである。私は大仏好きでもあるので、この手の物件は見逃せないが、この日本で三番目というのはツッコミどころ満載だ。この大仏は日本で○○が三番目と書いていないところが素晴らしい。勿論、大きさや古さでは三番どころかベストテン入りも難しいだろう。そう、この大仏は日本で何かが三番目なのだ。そして、一番目と二番目がどの何(大仏なのかも判然としない)なのかも知ることは出来ないのである。
 そして、大仏の回りに色々な説明が書かれた石碑が並んでいる。実は今回私が見たかったのは、これらの石碑群なのである。
 これらの石碑群は、石切大仏の寄進者である、阪本昌胤氏によって立てられたものなのだ。中でも目を引くのが「交通事故防止 道路敷地一〇三〇平方メートル(三百十二坪) 土地時価約 壱億圓 東大阪市へ個人寄付 昭和四十七年九月六日 旧和歌山藩士 勲五等 正六位 四世 阪本昌胤」と記された石碑。名前と壱億圓の部分が大書されている。
 更に大仏の脇には阪本氏の銅像と四つの偉業を列挙した石碑がある。偉業の内容をかいつまむ。

昭和四十四年三月明治百年と万博を記念して現金二千万円を大阪府に寄付。府民の森に桜一万株を植樹し「阪本の山桜の森」と命名。
昭和四十六年九月天皇皇后訪欧を記念して現金三千万円を東大阪市に寄付。老人センターを建設。
昭和四十七年九月交通事故防止のために道路用地一〇三〇平方メートル時価約一億円を東大阪市に寄付。
昭和四十八年十一月阪本の山桜の森に記念碑建立。大阪府知事、東大阪市長列席の下除幕式挙行。

 何とも輝かしい偉業の数々である。この阪本昌胤という人は、製薬会社の四代目で、東大阪市の市議会議員を務めたとか務めないとかいう人で、製薬会社の発祥の地である石切に大仏を建立したり記念館を建てたりしているということである。市や府に莫大な寄付をし、府民の憩いの場所や老人の福祉施設を提供したというのはすごい。昭和四十年代の五千万円といえば今の幾らくらいだろう。時期的に近い三億円事件の六分の一だ。そしてそれらの偉業を石碑に刻んでしまうところが更に素晴らしい。俺はこんなに立派なことをしたんだと、これほどストレートに誇示する姿勢には清々しささえ感じる。

 更に参道を進み、石切神社の門前にある石切大天狗に到着。ここは阪本昌胤記念館であるらしい。しかし、建物は閉鎖され、敷地の入口は門が閉じられている。連休明けなので休業日なのだろうか、それとも。外から垣間見える屋外の石碑類も、鎧戸の閉じられた建物も、ここ暫く人が入っていない雰囲気なのである。珍スポットを探訪しているとしばしば遭遇する、つい最近までやっていたのに閉鎖されてしまった物件の雰囲気だ。

 石切神社本体は、お百度参りをする人が、老若男女の取り混ぜて大勢いたことと、池に夥しい数の亀が居ること以外は普通の神社であった。

 石切神社を少し過ぎたところには第二阪本昌胤記念館があるが、ここも先程の大天狗同様閉鎖されている雰囲気。建物の正面には阪本氏の寄付で建設された老人センターが大きく描かれている。いくら石油ショック前とはいえ、これだけの施設が三千万円で出来るとは到底思えないので、建設費の一部になったということだろう。
 私は阪本昌胤に興味があって石切に来たので、ちょっと間に合わず残念であった。しかし、参道の雑多な店などはまだまだ健在なので、訪阪のついでに立ち寄るには楽しいスポットであると思う。
Sakamoto
(阪本昌胤第二記念館)

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