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2014年1月26日 (日)

群馬交響楽団第四九六回定期演奏会

群馬交響楽団第四九六回定期演奏会

二〇一四年一月二十五日(土)群馬音楽センター

マーラー/交響曲第六番イ短調

管絃楽/群馬交響楽団
指揮/沼尻竜典

 群響の定期は昨年十月にトゥルノフスキーの「我が祖国」を聴きに行くつもりでいたのだが来日が中止になり、大友直人の代演になったので行くのをやめた。トゥルノフ爺ならチケットを買って高崎まで出向く気になるが、大友なら枕元まで来て演奏してくれるとしても時間の無駄なので遠慮したい。さておき、毎年一曲ペースで続いている沼尻竜典のマーラーを聴きに行く。今回は昨年十一月にインバル/都響で聴いたばかりの六番である。

 今回は前から三列目の真ん中。指揮者の背後四メートルくらいの席だ。普段後方の貧民席でばかり聴いているので珍しい。舞台が近いので、絃楽器群の動きがよく判り、管楽器が遠い。普段だと管のトゥッティにかき消されて聞こえない減の動きが判るのが面白い反面、金管楽器の音などは頭の上を抜けていく感じで、舞台に近い割に迫力がない。舞台から音が出ていったきり返ってこない群馬音楽センターの音響の問題でもあるだろう。
 沼尻竜典という指揮者は何度かしか聴いたことがないが、印象が薄かった。今回も特にどうという感じもしない平均点の演奏。判りやすい棒でオーケストラは安心して楽しそうに演奏している感じだが、緊迫感のような物は感じられない。曲自体がよく書けている第一から第三楽章は良かったのだが、第四楽章の後半が冗長な印象になってしまった。この曲は二度目のハンマー以降を蛇足な感じを出さずに演奏出来るかが難しく、全体のペース配分と、最後に如何にオケに鞭を入れてラストスパートをかけさせるかが指揮者の腕の見せ所だが、残念ながらそつなくまとめた演奏という印象であった。
 中間の二楽章はスケルツォ、アンダンテの順。研究対象としてマーラーの最終意志がどっちの順番だったのかに興味はあるが、アンダンテ、スケルツォの順にはやはり違和感がある。終楽章のハンマーは舞台下手の花道の部分に置いて、大きな箱形の台を叩いていた。これは台が共鳴してゴツっという大迫力の音がして素晴らしいし、振動で事故を誘発しやすい山台の上ではなく、視覚効果も抜群の花道に設置したのは正解だと思う。

 群響の定期は土曜の夜公演で、十八時四十五分という開演時刻である。東京方面に帰る人にも配慮した時間設定なのかも知れないが、これだけ週休二日が浸透しているのだから、土曜の昼公演にしてはどうだろうか。私のように東京の僻地から聴きに行く場合、長めの曲目だと八高線の最終の時刻が気になってしまうのである。

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2014年1月20日 (月)

国宝みうらじゅん いやげ物展

国宝みうらじゅん いやげ物展

二〇一四年一月十七日~二月三日パルコミュージアム

 芸能人や有名人の中で、自分と同じ傾向の趣味趣向を持っている人には親近感が湧くものである。私にとってはタモリ、伊集院光、みうらじゅん、小林悠あたりが代表的なところだが、小林悠アナがラジオで紹介していた「国宝みうらじゅん いやげ物展」に行ってみた。

 みうらじゅん氏のコレクションはちくま文庫になっている「いやげ物」「カスハガの世界」で見ているが、それらの実物が見られる。いやげ物としては、甘えた坊主、ひょうたん君、ヘンジク、金プラ、ヘンヌキ、ヤシやん、ユノミン、カスカメ、カスハガ、プリ貝、イナキャラ、5円ファミリー、プーちゃん、二穴オヤジ、天狗の世界、ゴムヘビ、フィギュ和のコーナーがあり、氏のコレクションの一部(?)が展示されているが、私が感心したのは二穴オヤジとゴムヘビ。よくぞこれだけ集めたと感動する。
 いやげ物以外では、ゆるキャラぬいぐるみ、飛び出し坊や、3Dポスター、テレホンカードのコーナーなどがあるが、私が今凝っている浅野祥雲物件である桃太郎神社のテレホンカードを発見して嬉しくなってしまった。

 百貨店の催し物会場で期間限定で行われているので、出品物は厳選され、きっちり整理されている。しかし、これらが収蔵庫兼展示室に雑然と並べられれば、紛う事なきオレちゃん博物館。脱力スポットに付き物のあれである。逆に言えば、オレちゃん博物館も整理すれば立派な展覧会になりうるという事である。どちらかと云えば、私は雑然と並べられていて、見ていて訳がわからなくなるような方が好きである。このようなセレクションの展覧会も素敵だが、常設のみうらじゅんコレクション館なんてものがあったら素晴らしいと思う。

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2014年1月12日 (日)

関ヶ原ウォーランド

 浅野祥雲作品を巡る旅は、いよいよ最大の聖地、関ヶ原ウォーランドへ向かうことになった。午前中岩戸山風天洞を見てから関ヶ原に向かう。十二月二十八日土曜日、年末年始九連休の初日で天候は雪である。悪い予想通り名神高速は帰省ラッシュと関ヶ原の雪で大渋滞。関ヶ原インターチェンジから一般道に出ても大渋滞である。
 やっと辿り着いたウォーランドは、職員が駐車場の除雪をしていて、積雪は十五センチほど。それでも営業はしているようなので入場料三百円を払って中に入る。主な通路は一度除雪をしたようで雪が浅いが、Gパンにスニーカーの足元ではどうにもならない。一通り園内を回るが、せっかくの浅野作品群もすっかり雪を被ってしまい、何だかよく判らない。雪の無い時に見たことがあれば、この雪景色も比較して楽しめるのであろうが、初めてではどうにもならない。
 仕方ないので屋内の資料館をじっくり見て回る。残念だが私が興味があるのは浅野祥雲のコンクリート塑像である。関ヶ原の合戦は、最後に小早川とかいうやつが裏切ったくらいの知識しかない。戦国時代の甲冑などにも興味はなく、関ヶ原で発掘された鉄兜などに若干考古学的な興味がある程度である。そもそも関ヶ原の合戦に興味があるのなら、ここではなく関ヶ原町歴史民俗資料館の方に行くであろう。
 浅野祥雲作品巡りは残すところ小規模な所ばかりになってしまったが、それらとウォーランドの再訪を兼ねて、雪の無い季節に再び来てみようと思う。

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武将も生首も雪が積もる

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2014年1月11日 (土)

岩戸山風天洞

 以前に蒲郡市の大聖寺大秘殿を訪れて、人工洞窟の十界巡りに感動した。その大聖寺大秘殿と同じ住職が経営している岩戸山風天洞を訪れてみた。豊田市街から国道一五三号と県道三四四号を辿った大蔵町という所にあるが、近づくと電柱や角角に案内板が出ているので解りやすい。
 駐車場にクルマを駐めて大きなモニュメントがある参道を登る。入口は派手だが、道沿いに色々な看板や仏像があることを除けば軽い山登りの雰囲気だ。二百メートルほど登ると道が広くなり、左側に十二支の守り神の祠が並ぶ。この辺りから能天気な歌(音頭?)が聞こえ始め、それぞれの祠の前に立つと人感センサーで中の照明が点くようになっている。この先境内のあらゆる箇所で、この人感センサーで電動式の何かが作動する仕組みが無数に仕掛けられている。個人的な印象だが、省電力のためというよりは参詣者を驚かす演出のために仕掛けられている印象で、大変にいい味を出していると思う。
 洞窟の入り口で千円の拝観料を払いいよいよ洞窟に入る。大秘殿の十界巡りは人工洞窟とは言うものの、見るからに建物の地下室を迷路状に仕切って、内装屋さんが腕をふるって洞窟風に仕上げましたという雰囲気だったが、こちらは造園業者が重機を駆使して大きな岩を組み合わせて造った洞窟だ。壁面がコンクリートではない部分が多いので、自然洞窟に近い雰囲気で、鍾乳洞に近いものがある。洞内は曲がりくねっている上にアップダウンもある。各所に仏像などが配置されており、全長は五百メートルにも及ぶという。洞内の白眉は風天神で、太い柱の前面に阿修羅の面が配され、その奥に風天神像があり、そこから急な階段を上るという趣向である。最後の出口の扉がいかにもプレハブ小屋のようなアルミの扉なのはご愛敬であろう。
 洞窟を出て順路を進むと大楽乗仏殿という建物に入る。四角い建物内に通路が蛇行するように仕切られており、通路の両側には無数の聖徳太子像が並べられ、仕切りの壁面には歴代天皇の肖像画が並べられている。大秘殿では歴代総理大臣だったが、ここでは歴代天皇だ。それならばきっとと思って探すと、やはりあった。顔だけ描かれて背景が真っ白なままの肖像画。大秘殿もここも何故か肖像画は完成していないのだ。どういう事情なのか判らないが、並びの最後が昭和天皇で、今上天皇だけ明らかに後から付け足した位置に掲げられているので、途中で肖像画家が死んでしまったわけでもなさそうだ。そして、大楽乗仏殿の出口には何故か横綱千代の富士の肖像画と優勝額、そしてロッキード事件でお馴染みの全日空若狭得治社長らしき肖像画、そして一日一善の笹川良一が母を背負って讃岐の金比羅様詣りをする有名な絵が掲げられている。もうこうなってくると何が何だか判らない。
 更に先に進むと楊柳観音がある。別名寝拝み観音といわれ、洞窟状になっている天井の部分に観音像が描かれており、ベンチのような寝台に仰向けに寝て拝むというものだ。天橋立の股覗きではないが、妙な姿勢で拝むという発想がすばらしい。さらに、この平らな天井に見える岩を少し離れて見ると、十メートル立方もありそうな巨大な自然岩なのである。どう見ても自然に出来た配置ではなく人工的に作ったものだ。よくぞこんな山中で、大がかりな工事をしたものである。
 これで大体見るところは終わり。休憩所や土産物コーナー、研修室のような部屋のある建物があり、その前には小型の重機が置かれている。その先に更に裏山に続く道があるので進んでみる。道の両側には相変わらず仏像などが並んでいるが、そのうちに古い墓石などが並び出す。沢山の墓石が積み木のように積んであったりするのだが、どう見ても何処かの寺で墓地の整理をした時に、廃棄する無縁の墓石をもらってきてとりあえず置いた感じである。そしてその先は山の斜面に道路を造成する工事中になっている。重機があったのはこの為か。残念ながら道路開鑿工事は中止されている雰囲気だが、更に道を造って色々なものを並べて欲しいものだ。
 踵を返して帰路を進むと下り坂の途中に小さな祠があり、戦艦陸奥の遺材が祀られており、その両脇を東郷元帥と乃木大将のの像が固めている。これも大秘殿で見たなあと思っていると、その先には大聖寺という建物がある。
 大聖寺大秘殿と岩戸山風天洞、同じ住職が造った姉妹寺の人工洞窟だ。どちらも見応え満点だが、規模と仕掛けの大きさで風天洞の方がより面白いと思う。両方行くのであれば大秘殿を先に見て風天洞に行くのがいいだろう。

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風天神

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2014年1月10日 (金)

五色園

 日進市にある五色園は、大安寺の管主であった森夢幻により一九三五(昭和九)年に設立された広大な宗教公園だ。五色とは園内に植えられた松竹梅に桜と紅葉の彩りを楽しめる故の命名で、現在でも桜の名所として知られているようだ(通常は入園無料だが、花見時季は有料)。しかし、本来の目的は仏教の視聴覚伝導であり、園内各所に親鸞聖人の故事を表現したジオラマが配されている。ここまで書けばもうお判りと思うが、そのジオラマ群が浅野祥雲作のコンクリート塑像で構成されているのである。

 ウェブサイトによれば園内のジオラマは二十の場面があるようで、結構広いので歩いて回るのは大変だ。幸い園内には広い車道とあちこちに駐車スペースが整備されているので、クルマでちょっと移動して、幾つか見たらまたクルマで移動というのがくたびれなくていいと思う。なかなか見応えのある場面が多く彩色もきれいなので、浅野作品の魅力が十分に堪能出来る。躍動的なポーズにも感心するが、私が一番心を奪われたのは「桜ヶ池大蛇入定の由来」という場面。実際に池の畔に置かれているのだが、この大蛇(と解説されているが実際の姿は龍)の姿が素晴らしい。水面に背中を出し首をもたげている姿は、実に生き生きとしており、次に雨が降ったら昇天しそうな勢いである。
 なお、この五色園のコンクリート像群は極彩色の塗装が大変きれいに保たれており、浅野作品が大変良好な状態で鑑賞出来る。これは浅野祥雲作品再生プロジェクトというグループが、手弁当で桃太郎神社と五色園の像の修復保全作業を行っているおかげのようだ。浅野作品を愛する人たちの行動に心から敬意を表したいと思う。

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桜ヶ池大蛇入定の由来

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2014年1月 9日 (木)

桃厳寺大仏

 名古屋市千種区の名古屋大学の北に桃厳寺(とうがんじ)という寺があり、本堂の墓地の間の一段低い場所にコンクリート製高さ十メートルの大仏が鎮座している。名古屋の街中とは思えない、広くて静かな境内を歩いて大仏と対峙する。一九八七年建立とかなり新しい大仏だが、新しいだけに状態は良く、全身が鮮やかな緑色に塗られているのが珍しい。庄川大仏が同じくコンクリート製で緑色だが、こちらの方が遥かに鮮やかな色で、唇や目、白毫は金色に塗られている。そして面白いのは台座に八頭の象が大仏を守るように配されている。こちらも真緑の象達である。
 本堂の脇に入り口があり、軒に吊された鐘を叩いて住職を呼ぶ。弁財殿の拝観料千円を払う。本堂には直径一メートルはあろうかという巨大な木魚があり、その先の弁財殿には秘仏裸弁天が安置されており、その奥には多数の木彫り男根が並べたれた一角もある。更に屋上に上がると仏塔があり、木々の上に顔を出した大仏を眺めることも出来る。周囲には大きなビルが林立しているので、ここだけが異空間であることを確認出来る。
 また、廊下の壁の至る所にいろいろなパネルが展示されており、大仏の建造過程の記録などの他に、来訪した有名人の色紙や記念写真が貼られている。売れない噺家や漫才師の色紙が多いが、一部大物芸人のものも含まれている。聞いたことのないヨガの権威の写真などはどう反応していいのか判らないが、田原俊彦がザ・ベストテンで、この寺から生中継をしたという、限りなくどうでもいい知識を得る事が出来る。
 正直なところ、オレちゃん博物館としてはそれほどの規模でもなく、目玉は巨大木魚とくらい。不確かな情報では、年に数日の開帳の日には裸弁天の衣が脱がされるらしいが、正直どうでもいい。なので、千円の拝観料は高く感じるが、拝観記念に金色の小さな男根の入ったお守りが貰える。首席の馬鹿話のネタには使えそうなので、それを含めて千円ならまあまあだろうか。
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2014年1月 8日 (水)

聚楽園大仏

 聚楽園(しゅうらくえん)は名古屋の実業家山田才吉が一九一六(大正五)年に開業した料理旅館であり、広大な敷地を有していた。その敷地内に昭和天皇のご成婚を記念して一九二七年にに建立されたのが聚楽園大仏だ。鉄筋コンクリート製で高さ一八、七九メートル。信仰のためではなく観光目的に建立された大仏である。一九三七年の山田才吉没後、聚楽園自体が譲渡され、一九九七年からは東海市が公園として管理している。大仏は一九八三年から曹洞宗大仏寺の所有となり、一九八五年に修復が行われた。

 年末の平日なのに公園の駐車場にはクルマが一杯で賑わっている。聚楽園は桜の名所でもあるらしいので、花見頃には大変なことになるのだろう。大仏は小高い丘の上に鎮座しており、近づくと予想以上の大きさに驚く。約一九メートルというのは台座を含まない数値のようだ。色は石州瓦のような赤茶色で一九八五年の改修時に塗装されたようだ。一九二七年製ということで、年代も色合いも常福寺大仏に似ている。いずれもコンクリート製の大仏としては最初期のものだが、聚楽園大仏の規模の大きさ、常福寺大仏の光背の見事さ、いずれもコンクリート造形の可能性を最大限に活かしている。

 三大○○の話を蒸し返すようで申し訳ないが、日本三大大仏特別編として素材別で一つづつ挙げるとすれば、金属製は越前大仏、コンクリート製は聚楽園大仏、石製は日本寺大仏でいいと思う。とにかく大きさに圧倒される聚楽園大仏である。

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2014年1月 7日 (火)

中之院軍人墓地

 以前犬山市の桃太郎神社を訪れたが、境内に並んだコンクリート製の桃太郎や犬猿雉、鬼達のオブジェがとても表情豊かで感動した。後から調べると、あのコンクリート像達の作者は浅野祥雲(一八九一~一九七八)という人の作品であることを知った。更に浅野祥雲の作品がまとまって見られるスポットが名古屋周辺に幾つかある事を知った(熱海城に作品群があることを知ったのは熱海城の中だけ見て帰って来た直後だった。残念!)ので、今回はそれらのスポットを続けて回ろうと目論んで、先ずは南知多町の中之院、通称狸寺へ向かった。
 貝殻公園を後に県道二七六号線を三キロほど北に進むと岩屋寺という有名な寺がある。その岩屋寺の奥の院へ向かう道に入ってすぐ右側の路地に中之院はある。門の周辺から信楽焼の狸の置物が並べられている。しかし、この寺が狸と縁がある謂われがあるわけではなく、住職の趣味で集めたものらしい。そして、目的の浅野祥雲作品群は境内の奥にあった。全部で九十二体あると云われる軍人像である。桃太郎公園のユーモラスで極彩色の今にも動き出しそうな像とは違い、ここは静かで、時間が止まったような感じがする。脇の説明版の文章をそのまま書き写してみる。

   中之院軍人像について

 ここの軍人像のほとんどは昭和十二年上海上陸
作戦における呉淞の敵前上陸で戦死された
名古屋第三師団歩兵第六連隊の兵士達です。
 緊急の出動で名古屋城内の兵営より名古屋
港まで夜間十三キロの徒歩行軍の後、艀で野間沖に
待機していた巡洋艦、駆逐艦に乗りこみ、わずか
廿六時間で揚子江河口付近に到着後の昭和十二年
八月廿三日の敵前上陸でしたが、上陸後半月足
らずでほとんど全滅してしまいました。
 軍人像そのものはめいめいの遺族が戦没者の
一時金をもって写真を基に造らせ建立したものです。
昭和十二年から十八年のことと言います。
 また戦後進駐軍が取り壊しを命じた際、僧侶
が「国のために死ぬということはアメリカも日本も変わり
はない。あれを日本人の手で壊すことは出来ない。どう
しても壊すというなら我々をこの場で銃殺した上で
あなた方が行って壊せばいいだろう」と頑張った。
 おかげで像は壊されずに済んだということです。
 建立当より名古屋市千種区月が丘にあった
もので、当山には御縁により平成七年十一月に
お移しし、この地で安住いただいております。
 現在もよくご遺族ご縁者の方々に御参りに
いらっしゃっています。

     天台宗 大慈山中之院

 写真を基に制作しているだけあって、一体一体が非常に写実的である。浅野祥雲の作風は、初期はリアルで後期になるとユーモラスな方向に変化していったらしい。昭和十年代制作のこの軍人像は、初期の代表作と云えるのではないだろうか。
 一体一体の表情を眺めていくと、こんな若者達が命を落としたことに胸が痛み自然と頭の下がる思いがする。そして、このリアルな造形が出来る素養があるから、ユーモラスにデフォルメされた像にも生命力を感じるのだと妙に納得してしまった。
 他の浅野祥雲スポットと違って面白がるような所ではないが、貝殻公園とともに知多半島の二大名所として訪れる価値があると思う。
Photo
軍人墓地 台座が無いのは移転時に親族が不明だった像たち

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2014年1月 6日 (月)

貝殻公園

 年末年始の予定が何もないので、再び中部地方の珍スポット巡りに出かけた。伊良湖から名鉄フェリーで師崎へ渡り貝殻公園を目指す。我々のバイブルである都築響一著「珍日本紀行」にも取り上げられているスポットで、地元の山本祐一(一八九四~一九八七)という人が還暦の時に見た夢を元に築き上げた公園である。祐一氏の没後は息子の良吉氏が管理しているらしいが、良吉氏も高齢のため近年では放置に近い状態であるようだ。

 辿り着いた貝殻公園は予想通り暫く手が入っていない感じで、草に覆われて風化が始まっている。鳥居をくぐった正面が白山神社の本殿だが、扉は閉じられていている。本殿の脇を進む豊浜漁港を見下ろせる広場には大砲のオブジェがあり、更に進むと展望台となっている白山丸があるが、周囲には立入禁止の結界が張られている。瓢箪型の白山貝塚の碑、五色観音、藤棚やベンチなど、あらゆる物がコンクリートで造られており、表面が様々な貝殻で装飾されている。神社などでよく見られる柵の柱の部分に出資者の名前が書いてあるものも、小さな巻き貝を並べて字が書かれている。そして、その出資者名だが、個人の他に地元大企業の名前も記されている。本当にこれらの企業が幾らか出しているのだろうか。
 その一角に、全く貝殻で装飾されていない石碑がある。これはこの公園の創設者山本祐一氏の顕彰碑で、もっこを担いだ氏の姿とともに、次のような文章が刻まれている。

   寸記
白山妙理大権現の御眷属龍神の霊夢に感動し
昭和三十年正月の還暦以来畚を肩に葛折りの
草覆ふ細き坂道を登りつ降りつ擔ふに物の虚
無く粉骨砕身峯の松籟に神のみ聲と聞き時偶
難有涙に咽ぶこともありしと
此の間世人の驚歎と羨望交々の中に翁は耳を
閉じ凡そ二十年の歳月を経て目を見張程山形
を美麗に改めたるも猶満足せず天才の手技を
活用せんとしつヽあり
翁は風雨寒気に厭はず曉の二時半に山に登り
一日として信仰を缺さず今日に至れり

  なんのその岩をも通す桑の弓

翁の堅忍不抜の精神は龍神の加護となり
「貝殻公園」の名聲は全國に廓大しつヽあり

  昭和五十六年二月吉日
           齋藤駒吉 撰文

 世人の声に耳を閉じたというあたりがリアルであるが、毎朝二時半には登ってきていたというのはすごい。とにかくこれだけの公園を一人で二十年掛けて作り上げたというのは大変なことである。
 それにしても、すでに展望台の白山丸には立ち入れず(展望台の屋根が崩落している)、オブジェの貝殻も剥落が目立つ。海沿いの丘の上という強い海風に晒される厳しい環境にあるので、廃墟化が進むのも早いのではないだろうか。個人所有の物件なのでどうすることも出来ない。いわゆるオヤジ系珍スポットとしてはかなり見応えのある公園なので、興味のある人は早めに訪れた方がいい。名古屋まで行ったらちょっと足を伸ばす価値はあると思う。
Photo
貝殻公園 風化しつつある白山丸

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