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2014年1月11日 (土)

岩戸山風天洞

 以前に蒲郡市の大聖寺大秘殿を訪れて、人工洞窟の十界巡りに感動した。その大聖寺大秘殿と同じ住職が経営している岩戸山風天洞を訪れてみた。豊田市街から国道一五三号と県道三四四号を辿った大蔵町という所にあるが、近づくと電柱や角角に案内板が出ているので解りやすい。
 駐車場にクルマを駐めて大きなモニュメントがある参道を登る。入口は派手だが、道沿いに色々な看板や仏像があることを除けば軽い山登りの雰囲気だ。二百メートルほど登ると道が広くなり、左側に十二支の守り神の祠が並ぶ。この辺りから能天気な歌(音頭?)が聞こえ始め、それぞれの祠の前に立つと人感センサーで中の照明が点くようになっている。この先境内のあらゆる箇所で、この人感センサーで電動式の何かが作動する仕組みが無数に仕掛けられている。個人的な印象だが、省電力のためというよりは参詣者を驚かす演出のために仕掛けられている印象で、大変にいい味を出していると思う。
 洞窟の入り口で千円の拝観料を払いいよいよ洞窟に入る。大秘殿の十界巡りは人工洞窟とは言うものの、見るからに建物の地下室を迷路状に仕切って、内装屋さんが腕をふるって洞窟風に仕上げましたという雰囲気だったが、こちらは造園業者が重機を駆使して大きな岩を組み合わせて造った洞窟だ。壁面がコンクリートではない部分が多いので、自然洞窟に近い雰囲気で、鍾乳洞に近いものがある。洞内は曲がりくねっている上にアップダウンもある。各所に仏像などが配置されており、全長は五百メートルにも及ぶという。洞内の白眉は風天神で、太い柱の前面に阿修羅の面が配され、その奥に風天神像があり、そこから急な階段を上るという趣向である。最後の出口の扉がいかにもプレハブ小屋のようなアルミの扉なのはご愛敬であろう。
 洞窟を出て順路を進むと大楽乗仏殿という建物に入る。四角い建物内に通路が蛇行するように仕切られており、通路の両側には無数の聖徳太子像が並べられ、仕切りの壁面には歴代天皇の肖像画が並べられている。大秘殿では歴代総理大臣だったが、ここでは歴代天皇だ。それならばきっとと思って探すと、やはりあった。顔だけ描かれて背景が真っ白なままの肖像画。大秘殿もここも何故か肖像画は完成していないのだ。どういう事情なのか判らないが、並びの最後が昭和天皇で、今上天皇だけ明らかに後から付け足した位置に掲げられているので、途中で肖像画家が死んでしまったわけでもなさそうだ。そして、大楽乗仏殿の出口には何故か横綱千代の富士の肖像画と優勝額、そしてロッキード事件でお馴染みの全日空若狭得治社長らしき肖像画、そして一日一善の笹川良一が母を背負って讃岐の金比羅様詣りをする有名な絵が掲げられている。もうこうなってくると何が何だか判らない。
 更に先に進むと楊柳観音がある。別名寝拝み観音といわれ、洞窟状になっている天井の部分に観音像が描かれており、ベンチのような寝台に仰向けに寝て拝むというものだ。天橋立の股覗きではないが、妙な姿勢で拝むという発想がすばらしい。さらに、この平らな天井に見える岩を少し離れて見ると、十メートル立方もありそうな巨大な自然岩なのである。どう見ても自然に出来た配置ではなく人工的に作ったものだ。よくぞこんな山中で、大がかりな工事をしたものである。
 これで大体見るところは終わり。休憩所や土産物コーナー、研修室のような部屋のある建物があり、その前には小型の重機が置かれている。その先に更に裏山に続く道があるので進んでみる。道の両側には相変わらず仏像などが並んでいるが、そのうちに古い墓石などが並び出す。沢山の墓石が積み木のように積んであったりするのだが、どう見ても何処かの寺で墓地の整理をした時に、廃棄する無縁の墓石をもらってきてとりあえず置いた感じである。そしてその先は山の斜面に道路を造成する工事中になっている。重機があったのはこの為か。残念ながら道路開鑿工事は中止されている雰囲気だが、更に道を造って色々なものを並べて欲しいものだ。
 踵を返して帰路を進むと下り坂の途中に小さな祠があり、戦艦陸奥の遺材が祀られており、その両脇を東郷元帥と乃木大将のの像が固めている。これも大秘殿で見たなあと思っていると、その先には大聖寺という建物がある。
 大聖寺大秘殿と岩戸山風天洞、同じ住職が造った姉妹寺の人工洞窟だ。どちらも見応え満点だが、規模と仕掛けの大きさで風天洞の方がより面白いと思う。両方行くのであれば大秘殿を先に見て風天洞に行くのがいいだろう。

Photo
風天神

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