中之院軍人墓地
以前犬山市の桃太郎神社を訪れたが、境内に並んだコンクリート製の桃太郎や犬猿雉、鬼達のオブジェがとても表情豊かで感動した。後から調べると、あのコンクリート像達の作者は浅野祥雲(一八九一~一九七八)という人の作品であることを知った。更に浅野祥雲の作品がまとまって見られるスポットが名古屋周辺に幾つかある事を知った(熱海城に作品群があることを知ったのは熱海城の中だけ見て帰って来た直後だった。残念!)ので、今回はそれらのスポットを続けて回ろうと目論んで、先ずは南知多町の中之院、通称狸寺へ向かった。
貝殻公園を後に県道二七六号線を三キロほど北に進むと岩屋寺という有名な寺がある。その岩屋寺の奥の院へ向かう道に入ってすぐ右側の路地に中之院はある。門の周辺から信楽焼の狸の置物が並べられている。しかし、この寺が狸と縁がある謂われがあるわけではなく、住職の趣味で集めたものらしい。そして、目的の浅野祥雲作品群は境内の奥にあった。全部で九十二体あると云われる軍人像である。桃太郎公園のユーモラスで極彩色の今にも動き出しそうな像とは違い、ここは静かで、時間が止まったような感じがする。脇の説明版の文章をそのまま書き写してみる。
中之院軍人像について
ここの軍人像のほとんどは昭和十二年上海上陸
作戦における呉淞の敵前上陸で戦死された
名古屋第三師団歩兵第六連隊の兵士達です。
緊急の出動で名古屋城内の兵営より名古屋
港まで夜間十三キロの徒歩行軍の後、艀で野間沖に
待機していた巡洋艦、駆逐艦に乗りこみ、わずか
廿六時間で揚子江河口付近に到着後の昭和十二年
八月廿三日の敵前上陸でしたが、上陸後半月足
らずでほとんど全滅してしまいました。
軍人像そのものはめいめいの遺族が戦没者の
一時金をもって写真を基に造らせ建立したものです。
昭和十二年から十八年のことと言います。
また戦後進駐軍が取り壊しを命じた際、僧侶
が「国のために死ぬということはアメリカも日本も変わり
はない。あれを日本人の手で壊すことは出来ない。どう
しても壊すというなら我々をこの場で銃殺した上で
あなた方が行って壊せばいいだろう」と頑張った。
おかげで像は壊されずに済んだということです。
建立当より名古屋市千種区月が丘にあった
もので、当山には御縁により平成七年十一月に
お移しし、この地で安住いただいております。
現在もよくご遺族ご縁者の方々に御参りに
いらっしゃっています。
天台宗 大慈山中之院
写真を基に制作しているだけあって、一体一体が非常に写実的である。浅野祥雲の作風は、初期はリアルで後期になるとユーモラスな方向に変化していったらしい。昭和十年代制作のこの軍人像は、初期の代表作と云えるのではないだろうか。
一体一体の表情を眺めていくと、こんな若者達が命を落としたことに胸が痛み自然と頭の下がる思いがする。そして、このリアルな造形が出来る素養があるから、ユーモラスにデフォルメされた像にも生命力を感じるのだと妙に納得してしまった。
他の浅野祥雲スポットと違って面白がるような所ではないが、貝殻公園とともに知多半島の二大名所として訪れる価値があると思う。
軍人墓地 台座が無いのは移転時に親族が不明だった像たち
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