橘丸の初航海
橘丸(東海汽船 貨客船 五六八一総噸)
二〇一四年六月三菱重工下関造船所で竣工
二〇一四年六月二十七日東京~三宅島~御蔵島~八丈島航路に就航
東海汽船の二十二年ぶりの新造船、橘丸の初営業航海に乗船してみた。本来ならば八丈島で一泊して島焼酎でも楽しんできたい所だったが、土日の連休が取りにくい仕事をしているので、先日のかめりあ丸最終航海同様、夜行着発での乗船となった。
竹芝桟橋の待合所には橘丸の幟が立っている程度で、特段祝祭ムードはない。金曜の夜なので待合所内は人が溢れている。東海汽船名物の何を言っているのか聴き取れないトラメガで誘導し、「さるびあ丸御列」「橘丸御列」という看板の前に並ばせる。近くの人がうるさく感じるからトラメガを天井に向けるので何を言っているのか聴き取れない。行き先が書いていないから初めての人はどっちに並べばいいのかまごつく。屋内用の拡声器を購入し、「大島、利島、新島、式根島、神津島行」「三宅島、御蔵島、八丈島行」という看板に書き換えるだけで解決する問題だが、何十年も改善されない。これが所謂東海クオリティだ。ハイテク新造船が就航しても、オペレートに関しては何十年も全く進歩が無い。
橘丸の船内は新しいだけあって大変快適だ。特に二等和室が一人一人の区画に仕切板とコインロッカー(返却式)が設置されたのがすばらしい。二等室での二大問題、寝相が悪いと隣のオッサンと至近距離で見つめ合う態勢になる、船内を動き回るのに貴重品を持ち歩かなければならない、という点が改善された。特二等にもコインロッカーが設置された。、一等以上の客室は見ていないので何とも言えない。喫煙室、キッズルーム、授乳室、ラウンジ、ペットルームは在来船にはなかった設備だ。
船室はさるびあ丸と同じ五層だが従来のAデッキに当たる最上階の六甲板には屋根が無く雨ざらしで、Bデッキ後方(さるびあ丸では一等室部分)が遊歩甲板になっている。従来よりも船室を減らして定員を絞った感じがする。Aデッキをオーニングで囲って客を雑魚寝させて、二千人も載せることが当たり前だった三十年前の設計とは大きく異なる所だろう。また、従来船ではCデッキにもあった外通路が無くなったので、船尾側の見た目が随分平べったく感じる。従来Cデッキにあった船尾のウインチ類が一段高いBデッキに設置されたので、真四角なトランサムスターンになったことも相まって、のっぺりした船らしさのない船尾だ。やはり船のお尻は丸い方がいいと思う。もっともこれは趣味の話で、設計者からすればポッド推進船にクルーザースターンなんて全く無意味と一笑に付されるだろう。また、従来の上からA、B~Eデッキという呼び方ではなく、上から6、5~2Fと表記されているが、船内の案内放送では「四甲板(よんこうはん)案内所」と言っている。アルファベット+デッキで呼ぶのをやめるなら、表記と呼称を統一しないと判りにくい。最初から表記と呼称がバラバラなあたりも東海クオリティーである。
乗ってみた感想は下層船室でもエンジン音が随分静かで振動も少ない。これはエンジンの進歩のおかげだろう。海況が穏やかだったので揺れについては何とも言えないが、さるびあ丸と変わらないのではないか。幅が広くなった分、接岸時のローリングは幾らか軽減されるかも知れないが、これらについては波の荒い時に乗ってみないと判らない。レストランはまだオペレーションが不慣れでまごついていたが、瓶ビールおいてあるのが好ましい(中瓶なのが残念、大瓶ならよかった)。唯一地域色のあるメニュー「明日葉の天ぷら」(三百円)を頼んでみたが、衣の厚いところは未だ揚がっておらずニチャニチャしている上に、油が切れていなくてベットリ油が溜まっているという、中学生が初めて天ぷらに挑戦したような代物が出て来た。見ただけで胸焼けがしそうで、一箸しか付けられなかった。せっかく地域色のあるメニューなのだから、厨房の技量を上げて看板メニューにして欲しい。
そして、船内には柳原良平の絵や作品(グッズ)などがあちこちに配置されて居る。橘丸と命名したところまでは良かったが、この奉りぶりは目に余り不愉快だ。最初から懸念事項であった船体の配色は、実際乗ってみると甲板全体が黄色くて全く落ち着かない。船会社に勤める友人に写真を送ったところ、「南極探検船みたいな船ですね」という的を射た返事が来たが、竹芝で乗船する時も、周りで「何でこんな黄色くしちゃったの」とか「ひどい色だねこりゃ」という声が聞こえてきた。最後の一人になっても私は主張するが、橘丸の配色はとても格好悪い。そして、柳原良平を持ち上げることで責任をなすりつけようとする東海汽船の姿勢はもっと格好悪い。東海汽船という会社の体質からして、評判の悪い配色については柳原良平の責任にして言い逃れし、柳原が死んだらドック時にしれっと塗り替えるのではないだろうか。毎回橘丸のことを書くと、配色のことで批判になってしまうのが残念である。柳原関係で良かったのはラウンジにある橘丸物語りのパネル(※)だけである。せっかくだから船内の柳原関係を外して、先代橘丸の模型や写真を展示してみてはどうだろうか。せっかく栄光の船名を柳原大先生が復活させてくれたのだから、大先生を奉るのではなく、船名の由来の方をアピールするべきだろう。竹芝や下田の待合所で埃をかぶっている模型だって、三代目橘丸の船内に展示してもらう方がいいだろうと思うのだが。
※柳原良平・西村慶明著「“橘丸”物語り」(一九七二年至誠堂)は二代目橘丸の引退に際し出版された、橘丸の歴史を綴った絵本。ラウンジの壁面には、この本をそのままコピーしたパネルが掲示されている。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
ドック入りの時に塗り替えて欲しいですね。
正直、眺めていて恥ずかしくなります。
まさか、2020年にこのカラーリングのまま東京湾を航行させないでしょうね?
晴海には選手村が出来て、外国人がたくさん集まりますからね。。。。。
さるびあ丸、彼女は容姿も肌の色も美しいですよね。
投稿: 38 | 2014年7月 8日 (火) 04時53分
まったく同感です。最新鋭の船故形態的には致し方ないと納得するところですが、あの塗色・船内の柳原氏に関する展示、船全体がまるで柳原神社の様です。柳原氏はもう過去の人です。東海汽船は、氏と決別すべきです。大漁といい・・・・・。
投稿: しぐなす | 2014年10月12日 (日) 20時36分