二〇一四年の見世物小屋
二年前に「ニッポンの、みせものやさん」という映画を観た。日本で唯一の見世物小屋となった大寅興行社のドキュメンタリー映画で、普段見られない見世物小屋の裏側を見ることが出来て、とても面白い映画だった。靖国神社のみたま祭りのポスターを見かけて、そういえばと思って調べてみると、見世物小屋の様子が変わったという書き込みが沢山あるので、どんな様子なのか確認すべく、久々にみたま祭りに行ってみた。
境内はもの凄い雑踏で、私のように目的地に向かって進みたい者にとっては何とも苦行だが、みたま祭りは何度も行っているので見世物小屋の場所は判っている。辿り着くと、例年と同じ場所にお化け屋敷と並んでいるが、正面に大きく「ゴキブリコンビナート」という看板が掲げられており、昔ながらの蛇娘の看板などは無くなっている。
私の乏しい知識では、見世物小屋は二〇〇〇年代に入った段階で大寅興行社一社のみになっていたが、二〇〇一年頃に大寅興行社から若者が独立し、入方興行社を創業。みたま祭りなどでは大寅興行社のお化け屋敷と入方興行社の見世物小屋が並んで営業していた。しかし、見世物小屋の出し物は停滞し、社主の入方氏が一人でデビルマンのような格好をして、蛇を食いちぎる他に、蝋燭の火吹き、鼻から口に通した鎖で水入りのバケツを持ち上げる、扇風機を舌で止めるなどの芸をやっていて暗い雰囲気だった。そんな見世物小屋が急に活気づいたのが二〇〇五年頃。若い蛇娘の小雪さんと、デリシャスウィートスというイカれた女子バンドが参加するようになって急に舞台が華やかになった。特に美人の小雪さんが生きている蛇を食いちぎるのが人気を呼んで、見世物業界は活気づいたと思っていた。ところが、二〇一〇年頃に期待の新興勢力であった入方興行社の入方氏が死去し、見世物小屋は再び大寅興行社の興行となった。人気者の小雪さんは大寅興行社の見世物にも出演し、蛇娘の大先輩あるお峰さんと一緒に舞台を務めるようになっていた。映画「ニッポンの、みせものやさん」は、このお峰さんと小雪さんが一緒に大寅興行社の見世物に出ている時期のドキュメントであった。
ところが、最近ネットで見た情報によれば、お峰さんは引退(高齢だから仕方ない)し、小雪さんは失踪したとの噂で、大寅興行社の小屋を使っているが、中身は劇団ゴキブリコンビナートがやっているということであった。
劇団ゴキブリコンビナートのことはよく知らないが、小雪さんが蛇娘になる前に所属していた劇団で、エロとグロ(特にひどいグロ)を主眼にした劇団らしい。
実際に見世物小屋に入ってみると、まず出て来たのは「ものすごい寝たきり老人」。全身白塗りに様々な色の点々をつけた(腫瘍のイメージか)爺さん(本当は若そうだ)が這って出て来て、鼻から口へ通したボールチェーンで水入りバケツを持ち上げる。次は首狩族。三人の土人(の扮装の日本人)が鎌を持って暴れ回るが、結局やるのはドライアイスを食べる芸。次が中国の串刺し男。長い鉄串を両頬に貫通させた男が、コンクリートブロック三個を載せた台車を、串に掛けた綱で引くという芸。続いてヤモリ女。埼玉で発見された人間の形をしたヤモリ女が虫(爬虫類飼育用のミルワーム)を生でむしゃむしゃ食べる。そして最後がアマゾネスのピョン子ちゃん。お峰さんがやっていた、蝋燭の蝋を口に含んで火炎を吹く。これで一回りである。
やっている内容は、小雪さんが入る前に入方氏が一人でやっていた芸だが、それをゴキブリコンビナートの劇団員(アマゾネスのピョン子ちゃんは大寅興行社の興行でもいたので劇団員ではないかも)が手分けしてやっている感じだ。そして伝えられているとおり小雪さんの姿はなく、表の看板にも蛇娘の絵は無かった。ただ、出口で入場料を徴収していたのは大寅興行社のオバサンだった。
好意的に解釈すればお峰さんは高齢で引退、小雪さんは寿退職して芸人が足らなくなったところで、ゴキブリコンビナートが大寅興行社の下請けに入って、興行は大寅興行社、中身はゴキブリコンビナートが請け負うことで、見世物小屋は再びピンチを切り抜けたということなのか。
しかし、ネット情報では司会者が「小雪さんは失踪した」と言っていたという情報が飛び交っており、動物愛護団体の圧力で蛇が食べられなくなって……逃亡した云々などという噂が飛び交っている。残念ながら現在のゴキブリコンビナート主体の見世物は、小雪登場以前のレヴェルに戻ってしまい、何度も見ようという気にはなれない。というよりは、私にとって見世物小屋は小雪さんの芸を観に行く所だったので、もう行く理由が無くなってしまった感じがする。小雪さんのあの赤い長襦袢姿をもう見ることは出来ないのだろうか。実に残念だ。
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