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2014年9月28日 (日)

耕三寺

 生口島に進水式を見に行ったついでに、耕三寺を見物してきた。
 前日に瀬戸田に入り、造船所に近い民宿皇船荘(みふねそう)に投宿。一泊二食付きで七千五百円(税別)という宿で、周りのブロック塀にペンキでドラえもん、ミッキーマウス、アンパンマンなどが描かれている。良く見るとドラえもんは目が離れていてポケットが無く、タケコプターが青で描かれているので丁髷に見える。実はこの宿については数年前に伊集院光がラジオで面白おかしく話していたので覚えており、今回丁度内海造船のすぐ近くにあるので泊まってみたのだ。
 建物も部屋もどうということはなく、収穫期にはレモン風呂になるという風呂も、今はただ少し大きめの家庭風呂だ。しかし、夕食の豪華さは大変なものである。席に着いた時にお、ずらっと並んだおかずを見て、これで七千五百円なら大満足と思っていると、後から次々運ばれてくる。カレイ丸ごと一匹の唐揚げと、黒鯛半尾の煮付が出て来て、とてもとても一度に食べきれる量ではない。出来るだけ肴中心に食べていると厨房から坊主頭のご主人が出て来て、「お客さん魚好きみたいだからおまけ。太刀魚のポン酢ソーメン」と言って太刀魚の刺身が追加された。申し訳ないが二時間かかって食べたが、刺身とカレイの唐揚げ黒鯛の煮付け以外は、ちょっと箸を付ける程度。頼んだ燗酒は部屋に持ち帰って、落ち着いてから寝酒として飲んだ。

 朝食を終えて宿を立ち、耕三寺に向かう。生口島の観光地と言えばここと平山郁夫美術館くらいだが、私の興味は断然耕三寺である。由来縁起等は本家のウェブサイトを見ていただきたいが、第三者視線から簡単に説明すると、戦前の成金が母の死を期に出家し、財力に物を言わせて日本中の有名寺社のレプリカを所狭しと建てたという寺である。山門は京都御所、中門は法隆寺、五重塔は室生寺、孝養門は日光の陽明門、本堂は平等院鳳凰堂と、こんな調子の建造物が二十近くあり、その他に庭園や書院、総高十五メートルの観音像、そして千仏洞地獄峡という三五〇メートルにも及ぶ人工の洞窟霊場、瀬戸田の街全体を見下ろせるイタリア産大理石で造形された丘と、西日光を自称するだけのことはある。更にすごいのは、これらの建物の内戦前に建造された十五棟は登録有形文化財に指定されている。
 入口で千二百円の拝観料を払って入場するが、どこから見ていいか迷う。境内の見取り図を眺めて、端から潰していくことにする。朝一で訪れたので境内のあちこちで掃き掃除が行われており、足元の細かい砂利には熊手の目が立っている。これは珍スポットの雰囲気ではなく、真面目な寺院だ。しかし、次々現れる建物は確かに見応えがあり、一つ一つは立派なものと感じるが、やはりいくら何でも沢山ありすぎだ。生憎神社仏閣を廻る趣味はないので、オリジナルを知らないものばかりなのが残念。修学旅行で見た日光の陽明門を模した孝養門に感心する程度だ。珍スポットマニア、大仏マニアとしては観音像に興味があるがそれほど大きくなく、色も落ちてくすんでいるので今ひとつな印象だった(この時は)。裏山に広がる未来心の丘は杭谷一東という彫刻家の手による最近の作だが、小高い丘一面が真っ白な大理石のモニュメントになっている様は壮観である。それにしても昭和一〇年から始まって、二十一世紀になってもまだ拡張する耕三寺の財力に感心する。創設者は酸素溶接で鋼管を一手に作っていたらしいが、どれほど儲けたのだろうか。
 境内に戻って、もっとも興味のある千仏洞地獄峡に入る。珍寺の定番、洞窟霊場である。入ってしばらくは左右に仏像などが並んでいるが、閻魔と鬼の人形による裁きの場面を越えると、左右に額に入った立体的な八大地獄の絵が現れる。その後六道の同じような絵が続くのだが、この絵がなかなかリアルで素晴らしい。更に進むと水音がし始めるので期待すると、高さ十メートルはあろうかという空間に無数の仏像が並んでおり、真ん中を滝が流れ落ちている。まさかこの規模のものがあるとは思っていなかったので感動するが、これはまだ序の口。再び進むとまた大きな空間に滝があり、通路の両側は池になっている。そして右側の池の水面には飛び石があるので、道からそれてそちらに行くと、天井が一旦低くなった先にもう一つの大きな空間が現れる。ただし、ここを抜けるのが本来の道ではないので一旦戻って通路を進むと、広間内を立体的に通路は登っていき、狭い洞窟を抜けるともう一つの大きな空間の上部に出る。ここから通路をグルグル下っていくと、さっきの池の飛び石の崎先に出るという、凝りに凝った趣向となっている。大きく取った空間内に通路を立体的に配置することが素晴らしい演出効果を生んでいる。この辺はとても文章では表現しきれないので、是非実際に訪れて見て欲しい。最後に地中とは思えない八角堂に仏画が飾ってあるのを見て出口に向かう。コンクリートの通路が突き当たってUターンする形で急な階段に脚を掛ける。階段を見上げるとそこには先ほどのぱっとしない観音像、いや救世観音像様を仰ぎ見る形になっているのだ。地下の世界ですっかり感動したところへ、久しぶりに太陽の光が差したと思ったら観音様に見下ろされるというのは、実に巧みな演出である。この千仏洞地獄峡は単体でもいいが、救世観音像との組合せが本当に素晴らしい。大聖寺大秘殿や岩戸山風天洞と趣向は同じだが、演出の妙で一段上という気がする。これだけのためにしまなみ海道の途中で立ち寄ったり、三原まで来たついでに連絡船で渡ってみる価値はあると思う。
 最後に別館の金剛館に入る。こちらは財力に物を言わせて収集した仏像や美術品の展示室。古い仏像や胎内から出て来た文書などは感心するが、茶道具になるとさっぱり解らない。抹茶をしゃくう耳掻きの親玉みたいなヤツが芸術品だと言われても、ウチにあるヤツが三百年も経てば同じようになる気がする。どうもこの辺は理解の範囲外だ。

 耕三寺は所謂オヤジ系珍スポットの一つに含まれると思うのだが、今一珍になりきれていない。それは、創設者が没して後も寺としてしっかり管理されており、建物の管理や境内の清掃が行き届いているからだろう。途中で資金が尽きたり、遺産相続で揉めたりして管理が行き届かなくなると珍スポット化が進むと思うのだが。もっとも、千仏洞地獄峡だけで珍スポットとしての実力は横綱級だから、普通の観光客も、我々珍スポマニアも充分に楽しませる、瀬戸内の穴場として覚えておきたい。また内海造船で進水式があったら、皇船荘二泊くらいで来てみたいものだ。

Kousanji1
(千仏洞内部。写真では伝わりにくいです。)

Kousanji2
(千仏堂出口の階段から救世観音を見上げる。)



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2014年9月27日 (土)

フェリーあぜりあの進水式

 昨年の橘丸に続き、伊豆諸島航路に就航する新造船、フェリーあぜりあの進水式を見学した。
 当日と前日に休暇が取れたので、前々日のサンライズ瀬戸で高松に入る。駅構内のうどんの不味さに呆れながら琴電で琴平まで行って、多度津まで戻って予讃線で今治へ。今治から芸予汽船の「つばめ」で因島の土生へ渡る。ここで土生商船の「しまなみ」に乗り換えて一旦三原まで渡ってしまう。最初は重井で瀬戸内クルージングに乗り換えようと考えたのだが、土生商船と瀬戸内クルージングの重井港は二キロ以上離れているようなので、瀬戸内クルージングに乗るのは帰りにする。三原からほうらい汽船の「シーホーク」で瀬戸田に到着。途中、東海汽船ファンには田熊四姉妹(※)を生んだ造船所として思い入れがある内海造船田熊工場が無くなって、跡地が大きなスーパーになっているのに衝撃を受けたり、乗降客が無ければ当然抜港するのに感心したりしながら瀬戸内の船旅を満喫した。

 民宿で一泊して、翌日は午前中耕三寺を見物し、昼前に内海造船に向かう。丁度東海汽船のバスツアーが到着したところで、見学者に新造船の概要を書いた紙と因島名産のはっさくゼリーが配られる。工場内を進むと一号船台の大きな船の隣にこぢんまりと進水式の準備がされている。昨日連絡船上から見ても、耕三寺の丘の上から双眼鏡で見ても姿が確認出来なかったのは、大きな船の陰に隠れていたからだった。
 初めて見るフェリーあぜりあは、イラストで見るよりは精悍な姿である。予想通り、トカラ列島航路のフェリーとしまに似ているが、ペイントの境目から上が垂直の船首と、今時の平べったい船尾が特徴か。進水してしまったら見ることのない船底を観察すると、大きめのビルジキールとフィンスタビライザーが目を引く。現在のあぜりあ丸はスタビライザーとバウスラスタを装備していないので、荒天時の大揺れと離着岸時の操船が船舶ファンには堪らないが、フェリーあぜりあはどちらも装備しているので、より安定した航海が出来るのではないだろうか。そして特筆したいのはデザインの良さ。橘丸の珍奇な塗色に比べて何とすっきりしていることか。基本的には上が白、下三分の一が青の塗色で、境目に一筋黄色が入っているのが良いアクセントになっている。デリックポストはあぜりあ丸と同じT型。船尾の左舷側にはランプウェイがあり、跳ね上げたランプウェイの煙突と同じ高さになる部分に、ファンネルマークと同じ緑の二本線が入っているのも洒落ている。マックファンネルのポストの部分が青で先端が黄色いのは煙で汚れるから色を付けたのかも知れないが、ここは白の方が良かったような気がする。
 進水式自体はあっという間に終わってしまうが、内海造船は見学者に優しくて、岸壁の先端まで行って写真を撮ってもいいようだ。見ているとタグボート二隻が前後について見学者に右舷側が見えるよう船を回す。左舷には何も書いてないが、右舷には大きなツツジの花の絵と「FERRY AZALEA」「ShinShin Kisen」の文字が描かれている。右舷側と左舷側の構造が随分違う船なので、これは右舷だけの特徴である。ランプウェイが左舷にあることでも判るが、この船は左舷付け専用になるので、乗り降りのついでに桟橋から写真を撮る時は、この英語の船名は撮りにくそうだ。
 就航は十二月頃になるフェリーあぜりあだが、伊豆諸島初のRORO船ということで期待が高まる。各島での荷役作業が画期的に効率化されるのか、それとも港湾事情の悪さでランプウェイは無用の長物と化すのか。場合によってはさるびあ丸の後継船がRORO船ということもあり得る。RORO船で納涼船対応なんてどうしたらいいのか判らない。おがさわら丸の入替も決まったようなので、一旦おがさわら丸を三八航路に投入し、その間に橘丸を大改造して納涼船化、或いはRORO船化するとか、妄想は留まるところを知らない。
 とにかくフェリーあぜりあの就航は、伊豆諸島航路の歴史の転換点になる予感がする。そして、引退までカウントダウンとなった、個人的には世界遺産に指定したいあぜりあ丸に、少なくとも一度は乗りに行きたいと思っている。

 帰路は13時40分発の瀬戸内クルージングの「シトラス」で尾道に渡り、福山から新幹線に乗換え。尾道、福山とも乗換時間が九分というかなりきわどい乗り継ぎで、船が若干遅れたり、窓口で前の婆さんがもたついて焦ったりしたものの、瀬戸田港から五時間弱で東京駅に到着とは、新幹線の速さに改めて感じ入ったが、もう一日休んで、帰りももっと余裕のある行程にすれば良かったと反省した。

(※)一九六七~七三年に建造された、はまゆう丸(初代)、かとれあ丸(初代)、ふりいじあ丸、さるびあ丸(初代)の純客船四隻

Azalea

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2014年9月14日 (日)

プラムの国

 群馬県最大の観光名所、プラムの国へ行ってきた。元々は普通のプラム農園で、収穫時期になるとプラム狩りをやっていたのだが、収穫時期以外にも来園者が楽しめるようにと、経営者が敷地内にアトラクションを手作りしていき、段々と独自の世界が出来上がった施設で、様々な遊具や動物ふれあいコーナー、そして今回の目的である恐怖の洞窟があるという。

 国道十七号沿いにある案内看板を頼りに進んでいく。普段は恐怖の洞窟が前面に出されているらしいが、プラム狩りの季節なので穏健な案内表示になっている。駐車場にクルマを止めると大きな案内板がある。非常に大雑把な園内案内図の下に、テレビ取材時の写真が掲げられている。そしてその脇には何やらオブジェのようなものがあり、半透明のドームの中で電球が光っている。
 入口でプラム狩り込みの入場料八百円(プラム狩り時季以外は四百円らしい)を払うと小さなビニール袋と皮むき用の果物ナイフを渡される。そしてプラム狩りの説明を受ける。実際に木の下に行って「赤いのではなく紫色のを取るように」と指示される。とりあえず一個もいで皮をむいて食べてみる。甘酸っぱくてなかなかおいしい。受付小屋の周辺には休憩所のような場所があり、水槽に入った巨大なミドリガメと、小さなケージに入ったウサギなどが居る。それらを眺めた後案内に従って坂を下り、遊具などがある広場に向かうと、どこかから若い女が楽しそうにキャアキャア叫んでいる声が聞こえる。先客が居るようだ。
 坂を下りて広場に着くと、先客のカップルが洞窟から出て来たところのようで、遊具のコーナーで独楽回しなどをして遊んでいる。眺めるとバスケットゴール、バドミントンのコート、シーソー、ぶら下がりシーソー、廃ガードレールの橋(平均台?)、パンチングボール、廃タイヤやガードレールの支柱の上を渡る遊具(かなり危険)、滑り台、ターザンロープなどの施設と、竹馬、リム回し、パターゴルフ、独楽回しなどの遊具が乱雑に置いてある。そして、大きなウサギ小屋があり、沢山のウサギが飼育されている。
 まずはウサギ小屋に入ってみる。ウサギが脱走しないように気をつけながら中に入ると、腹が減っているらしくウサギたちがワラワラと群がってくる。どいつもこいつも薄汚くて可愛くない。すぐに小屋を出ると、次はターザンロープで遊んでみる。これはちゃんとワイヤーロープを張って滑車がついているので、滑らかにスピードが出る。童心に返って楽しかったが、借りた果物ナイフを片手に持っているので、転んだりしたら結構危険だ。あとの遊具は正直どうでもいいので、この施設の核心である恐怖の洞窟に入ってみることにする。全長五十メートルほどの人工洞窟の中に、お化け屋敷的なアトラクションが色々あるようだ。筑波山のガマ洞窟と同様の趣向である。蚊に悩まされながら入口を入る。この手の施設では定番になっている人感センサーにより電動の様々なアトラクションが動く。特にここで感心したのは、他では見られないエアブローを上手に使った仕組みが何箇所かある。蝙蝠のぬいぐるみが天井から糸で吊されている。これだけでは面白くも何ともないのだが、人感センサーでエアブローが起動すると、この蝙蝠に空気が噴射され、不規則に動き回るさまは本当の蝙蝠の動きに近く、大変良く出来ている。その他におどろおどろしい人形が電動で動いたり、足元が突然クッションになっていてびっくりする仕掛けなどもある。なかなか凝っていて面白いが、もう少しメンテナンスをした方がいいなどと思っていると、突然何者かが飛んできて顔をかすめて飛んでいった。びっくりして懐中電灯を点けると、何と本物の蝙蝠が天井からぶら下がっている。これには相当肝を冷やした。最後にカーテンの隙間のような所からマネキンの手が出ていて、「これで洞窟とお別れです、握手をして下さい」と書かれている。何が起こるかと恐る恐る握手をしてみると、何と何も起こらない。最後に強烈なフェイント攻撃なのか、本当は電流仕掛けか何かがあったんだけど壊れているのかは定かではない。
 洞窟を出てプラム園に戻り、お土産用のプラムをもぎ取る。ビニール袋が小さいので五個しか入らない。駐車場に戻ると反対側に自転車周回コースがあり、何台かの自転車が置いてある。しかし、どれもサドルが破れて中のスポンジが覗いており、座ったら間違いなく泡状の水が出て来てズボンが濡れそうである。暫し逡巡していると、何だか駐車場が賑やかになる。見ると女子大生と思しき五六人連れの若い女の子が、ワイワイ言いながらこちらへ歩いてくる。見た感じ大学のテニスサークルの合宿帰りという雰囲気だ。プラムの国の看板や案内板を見て「何これ~」「すっご~い、怪しすぎる~」などと言い合っている。中で威勢のいいのが「こりゃ入ってみるしかないでしょ」と言うと、ぞろぞろプラムの国に入っていった。どんな集団で、どうしてこんな所に迷い込んだのか。近所にリゾート地があるわけでもなく、バス停すら無いところに身軽な格好でぞろぞろ歩いて来たのも不思議だ。周辺に駐めてあるクルマも無い。もしかすると谷川岳の雌狸たちが退屈しのぎに化けてきたのかも知れない。プラム園には犬は居なかったので、園主のオッサンが化かされなかったか心配である。

Kyofu

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2014年9月 8日 (月)

舳倉島

 念願の舳倉島へ上陸することが叶った。高校生の頃、第二次船ブームの最中だった私は、日本地図を眺めて能登半島の先にある小さな島が気になって仕方がなかった。しかし、インターネットも無かった時代、舳倉島に関する情報は余りにも少なく、また能登半島の先は余りにも遠くて実際に足を向ける機会は無かった。乗り鉄をやっていた時に、まだ鉄道が通じていた輪島までは行ったが、当然船には乗らずバスで宇出津へ抜けてしまった。
 昨年の九月に神通川に釣りに行った時、連日の雨で釣りにならず、北陸観光をしようと能登半島へ足を伸ばした。せっかくだから舳倉島に行こうと思いついたのだが、二日続けて荒天のため欠航。一旦行きたくなったら止まらなくなって、十月にも再びチャレンジしたものの、やはり荒天で欠航。三回も輪島港の岸壁に繋留されたままの連絡船ニューへぐらを悔しい思いで眺めてきた。

 今回は天候が良さそうなので期待を込めて九月一日に輪島入り。昨年行ってとてもよかった小料理屋、新駒で前祝い。残念なことに前回泊まって感じがよかった駅前の輪島ステーションホテルは廃業していた。翌二日は絶好の好天。船は予定どおり就航。定刻より若干前倒しの8時55分出帆。コンテナは満載しているが乗客は六名しか居ない。
 ニューへぐらは一九九七年墨田川造船建造の貨客船、一〇二総噸。船尾側にクレーンとコンテナを平積みするスペースが備えられているが、積まれているのは通常の一〇フィートコンテナではなく、一メートル四方ほどでやや縦長の小さなコンテナである。出港時に狭い港内で回頭するのだが、スラスターは装備していないらしく、船首のウインチで沖側に張られたロープを巻き上げている。岸壁側を見ている間に回頭作業が終わってしまい、ロープの先がどうなっていたのかは謎のまま。
 輪島港を出ると海上はべた凪。揺れてくれた方が楽しいのだが贅沢は言っていられない。全航程の丁度真ん中くらいで七ツ島に最接近する。この辺りまで来るとやっと船の進行方向に舳倉島の灯台の先端だけ見えるようになる。輪島の海岸から見ると約二十三キロ先で一番大きい大島の標高が六十一、七メートルの七ツ島はよく見えるが、約五十キロ先で標高十二、四メートルの舳倉島は全く見えない。地球が丸いことを実感させてくれる。
 一時間半の航海を終えて舳倉島港に近づくとあちこちに小舟やブイが浮かんでおり、ピンク色の旗が立っている。この時季は海女による素潜り漁が盛んであるとは知っていたが、こんなに大勢が漁をしているとは思わなかった。後で島内を散策して判るのだが、素潜り漁は島の周り一帯で行われているので、海女の人数は百人くらい居るのではないだろうか。
 ニューへぐらが舳倉島港に接岸し、島に上陸する。船からコンテナを降ろす荷役作業が行われているが、甲板上のクレーンで桟橋に下ろされたコンテナは、フォークリフトで島民のリヤカーに積み込まれる。輪島港で荷役を見ている時、何故こんな小さなコンテナしか使わないのか不思議に思っていたが、島内に自動車が無く運搬手段がリヤカーに限られるから、リヤカー輸送対応の特殊な小型のコンテナを使っているのだ。クルマのない島に上陸したのは初めてかも知れない。ネット情報では島内に自動販売機はなく、船が着くと島民が船内の自動販売機に飲料を買いに来ると書かれていたが、港に一台飲料の自動販売機が置かれていた。

 上陸してからのことは何も決めていなかったが、とりあえず島内を反時計回りに歩いてみる。海沿いの寒村らしい風景が美しいが、残念なことに殆どの家が木造の壁の外側に半透明の波板を貼って補強してしまっている。そして、屋根の上に太い綱がお好み焼きのマヨネーズのように蛇行して置かれている。何かのまじないなのかと思ったら、強風で瓦が飛ばされるのを防ぐためのようだ。集落を過ぎればお社くらいしか見るものは無い。島内の寺社をくまなく巡るが、特に島の北西側では寺社の周りに築かれた要塞のような石積みがすごい。冬の強風を避けるためと、平坦な島を少しでも高く見せるための二つの意味があるそうだ。しかし、案内図にある築山(ケルン)群というのは見当たらなかったし、シラスナ遺跡は看板だけで草むらにしか見えなかった。
 九月上旬の好天で、とにかく日差しが強くて暑い。遊歩道の周りは灌木と草むらばかりで日陰が殆ど無いので、寺社の軒先で休みながら島を一周して二時間。給水塔であるへぐら愛らんどタワーに登り、風通しのいい展望デッキの日陰側に座る。日差しを避けられれば風が心地よい。持参の握り飯とペットボトルの麦茶で昼食にする。島内には民宿が二軒あるが食堂などは無い。日帰り観光の場合、昼食は必携である。

 一通り島内を散策したので港に戻る。帰りの船まで二時間もあるので釣りをすることにする。リュックの中に短くたためるリール竿など釣り道具一式を入れてあるのだ。防波堤の先端、白い灯台の下で釣りの準備をしていると、海女達が次々とボートで帰港してくる。船上の篭にはいっぱいのアワビやサザエが積まれている。民宿に一泊したら夕食に供されるのだろうか。
 糸の先にジグヘッドというオモリ付きの針を結び、芋虫のようなソフトルアーを刺して釣り始める。すぐに魚がワラワラ寄ってくるが、一目瞭然の小フグの群れである。遊びなのでフグでも構わないと思っていたのだが、このフグたち歯が鋭くて、見る見るソフトルアーを食いちぎっていくのだ。これではかなわないと思い場所を移動するのだが、すぐにフグが寄ってきてしまう。そんな事をしていると、突然強い手応えがあり糸が引き込まれる。何かフグ以外のものが掛かったようだ。繋船の下に潜られないようやりとりして何とか釣り上げたのは、二十五センチくらいのワカシ(ブリの子)だった。晩のおかずにぴったりだが、クーラーボックスはおろかビニール袋も持ってきていないので、勿体ないが放流するしかない。もう一度釣れないかと思って同じ場所を探るが、すぐにフグが集まってしまった。

 帰りの船は往きと同じ乗船客もいたが、島で一泊したらしい二十代前半くらいのカップルが一組乗っていて、島民らしい爺さんから「星は見たか、ここで見る星は輪島で見る星よりずっときれいなんだ」と話しかけられている。出港するので甲板に上がって島を見ていると、件のカップルも上がって来て、並んで満足そうな清々しい表情で島を眺めている。若いカップルなのにこんな島に旅行に来るセンスもいいし、こんな何もない島を満足そうに振り返っている様子もいい。若いのにいい旅をしている二人に幸あれと願う。

 念願の舳倉島であったが、天気が良かったせいもあり期待以上に楽しめた。他に行ってみたい島がまだまだ沢山あるので、再訪するとしても少し先になるとは思うが、次回は是非一泊で来て、島で採れたサザエやアワビを食べてみたいと思う。

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舳倉島港で荷役中のニューへぐら

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