フェリーあぜりあの進水式
昨年の橘丸に続き、伊豆諸島航路に就航する新造船、フェリーあぜりあの進水式を見学した。
当日と前日に休暇が取れたので、前々日のサンライズ瀬戸で高松に入る。駅構内のうどんの不味さに呆れながら琴電で琴平まで行って、多度津まで戻って予讃線で今治へ。今治から芸予汽船の「つばめ」で因島の土生へ渡る。ここで土生商船の「しまなみ」に乗り換えて一旦三原まで渡ってしまう。最初は重井で瀬戸内クルージングに乗り換えようと考えたのだが、土生商船と瀬戸内クルージングの重井港は二キロ以上離れているようなので、瀬戸内クルージングに乗るのは帰りにする。三原からほうらい汽船の「シーホーク」で瀬戸田に到着。途中、東海汽船ファンには田熊四姉妹(※)を生んだ造船所として思い入れがある内海造船田熊工場が無くなって、跡地が大きなスーパーになっているのに衝撃を受けたり、乗降客が無ければ当然抜港するのに感心したりしながら瀬戸内の船旅を満喫した。
民宿で一泊して、翌日は午前中耕三寺を見物し、昼前に内海造船に向かう。丁度東海汽船のバスツアーが到着したところで、見学者に新造船の概要を書いた紙と因島名産のはっさくゼリーが配られる。工場内を進むと一号船台の大きな船の隣にこぢんまりと進水式の準備がされている。昨日連絡船上から見ても、耕三寺の丘の上から双眼鏡で見ても姿が確認出来なかったのは、大きな船の陰に隠れていたからだった。
初めて見るフェリーあぜりあは、イラストで見るよりは精悍な姿である。予想通り、トカラ列島航路のフェリーとしまに似ているが、ペイントの境目から上が垂直の船首と、今時の平べったい船尾が特徴か。進水してしまったら見ることのない船底を観察すると、大きめのビルジキールとフィンスタビライザーが目を引く。現在のあぜりあ丸はスタビライザーとバウスラスタを装備していないので、荒天時の大揺れと離着岸時の操船が船舶ファンには堪らないが、フェリーあぜりあはどちらも装備しているので、より安定した航海が出来るのではないだろうか。そして特筆したいのはデザインの良さ。橘丸の珍奇な塗色に比べて何とすっきりしていることか。基本的には上が白、下三分の一が青の塗色で、境目に一筋黄色が入っているのが良いアクセントになっている。デリックポストはあぜりあ丸と同じT型。船尾の左舷側にはランプウェイがあり、跳ね上げたランプウェイの煙突と同じ高さになる部分に、ファンネルマークと同じ緑の二本線が入っているのも洒落ている。マックファンネルのポストの部分が青で先端が黄色いのは煙で汚れるから色を付けたのかも知れないが、ここは白の方が良かったような気がする。
進水式自体はあっという間に終わってしまうが、内海造船は見学者に優しくて、岸壁の先端まで行って写真を撮ってもいいようだ。見ているとタグボート二隻が前後について見学者に右舷側が見えるよう船を回す。左舷には何も書いてないが、右舷には大きなツツジの花の絵と「FERRY AZALEA」「ShinShin Kisen」の文字が描かれている。右舷側と左舷側の構造が随分違う船なので、これは右舷だけの特徴である。ランプウェイが左舷にあることでも判るが、この船は左舷付け専用になるので、乗り降りのついでに桟橋から写真を撮る時は、この英語の船名は撮りにくそうだ。
就航は十二月頃になるフェリーあぜりあだが、伊豆諸島初のRORO船ということで期待が高まる。各島での荷役作業が画期的に効率化されるのか、それとも港湾事情の悪さでランプウェイは無用の長物と化すのか。場合によってはさるびあ丸の後継船がRORO船ということもあり得る。RORO船で納涼船対応なんてどうしたらいいのか判らない。おがさわら丸の入替も決まったようなので、一旦おがさわら丸を三八航路に投入し、その間に橘丸を大改造して納涼船化、或いはRORO船化するとか、妄想は留まるところを知らない。
とにかくフェリーあぜりあの就航は、伊豆諸島航路の歴史の転換点になる予感がする。そして、引退までカウントダウンとなった、個人的には世界遺産に指定したいあぜりあ丸に、少なくとも一度は乗りに行きたいと思っている。
帰路は13時40分発の瀬戸内クルージングの「シトラス」で尾道に渡り、福山から新幹線に乗換え。尾道、福山とも乗換時間が九分というかなりきわどい乗り継ぎで、船が若干遅れたり、窓口で前の婆さんがもたついて焦ったりしたものの、瀬戸田港から五時間弱で東京駅に到着とは、新幹線の速さに改めて感じ入ったが、もう一日休んで、帰りももっと余裕のある行程にすれば良かったと反省した。
(※)一九六七~七三年に建造された、はまゆう丸(初代)、かとれあ丸(初代)、ふりいじあ丸、さるびあ丸(初代)の純客船四隻
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