耕三寺
生口島に進水式を見に行ったついでに、耕三寺を見物してきた。
前日に瀬戸田に入り、造船所に近い民宿皇船荘(みふねそう)に投宿。一泊二食付きで七千五百円(税別)という宿で、周りのブロック塀にペンキでドラえもん、ミッキーマウス、アンパンマンなどが描かれている。良く見るとドラえもんは目が離れていてポケットが無く、タケコプターが青で描かれているので丁髷に見える。実はこの宿については数年前に伊集院光がラジオで面白おかしく話していたので覚えており、今回丁度内海造船のすぐ近くにあるので泊まってみたのだ。
建物も部屋もどうということはなく、収穫期にはレモン風呂になるという風呂も、今はただ少し大きめの家庭風呂だ。しかし、夕食の豪華さは大変なものである。席に着いた時にお、ずらっと並んだおかずを見て、これで七千五百円なら大満足と思っていると、後から次々運ばれてくる。カレイ丸ごと一匹の唐揚げと、黒鯛半尾の煮付が出て来て、とてもとても一度に食べきれる量ではない。出来るだけ肴中心に食べていると厨房から坊主頭のご主人が出て来て、「お客さん魚好きみたいだからおまけ。太刀魚のポン酢ソーメン」と言って太刀魚の刺身が追加された。申し訳ないが二時間かかって食べたが、刺身とカレイの唐揚げ黒鯛の煮付け以外は、ちょっと箸を付ける程度。頼んだ燗酒は部屋に持ち帰って、落ち着いてから寝酒として飲んだ。
朝食を終えて宿を立ち、耕三寺に向かう。生口島の観光地と言えばここと平山郁夫美術館くらいだが、私の興味は断然耕三寺である。由来縁起等は本家のウェブサイトを見ていただきたいが、第三者視線から簡単に説明すると、戦前の成金が母の死を期に出家し、財力に物を言わせて日本中の有名寺社のレプリカを所狭しと建てたという寺である。山門は京都御所、中門は法隆寺、五重塔は室生寺、孝養門は日光の陽明門、本堂は平等院鳳凰堂と、こんな調子の建造物が二十近くあり、その他に庭園や書院、総高十五メートルの観音像、そして千仏洞地獄峡という三五〇メートルにも及ぶ人工の洞窟霊場、瀬戸田の街全体を見下ろせるイタリア産大理石で造形された丘と、西日光を自称するだけのことはある。更にすごいのは、これらの建物の内戦前に建造された十五棟は登録有形文化財に指定されている。
入口で千二百円の拝観料を払って入場するが、どこから見ていいか迷う。境内の見取り図を眺めて、端から潰していくことにする。朝一で訪れたので境内のあちこちで掃き掃除が行われており、足元の細かい砂利には熊手の目が立っている。これは珍スポットの雰囲気ではなく、真面目な寺院だ。しかし、次々現れる建物は確かに見応えがあり、一つ一つは立派なものと感じるが、やはりいくら何でも沢山ありすぎだ。生憎神社仏閣を廻る趣味はないので、オリジナルを知らないものばかりなのが残念。修学旅行で見た日光の陽明門を模した孝養門に感心する程度だ。珍スポットマニア、大仏マニアとしては観音像に興味があるがそれほど大きくなく、色も落ちてくすんでいるので今ひとつな印象だった(この時は)。裏山に広がる未来心の丘は杭谷一東という彫刻家の手による最近の作だが、小高い丘一面が真っ白な大理石のモニュメントになっている様は壮観である。それにしても昭和一〇年から始まって、二十一世紀になってもまだ拡張する耕三寺の財力に感心する。創設者は酸素溶接で鋼管を一手に作っていたらしいが、どれほど儲けたのだろうか。
境内に戻って、もっとも興味のある千仏洞地獄峡に入る。珍寺の定番、洞窟霊場である。入ってしばらくは左右に仏像などが並んでいるが、閻魔と鬼の人形による裁きの場面を越えると、左右に額に入った立体的な八大地獄の絵が現れる。その後六道の同じような絵が続くのだが、この絵がなかなかリアルで素晴らしい。更に進むと水音がし始めるので期待すると、高さ十メートルはあろうかという空間に無数の仏像が並んでおり、真ん中を滝が流れ落ちている。まさかこの規模のものがあるとは思っていなかったので感動するが、これはまだ序の口。再び進むとまた大きな空間に滝があり、通路の両側は池になっている。そして右側の池の水面には飛び石があるので、道からそれてそちらに行くと、天井が一旦低くなった先にもう一つの大きな空間が現れる。ただし、ここを抜けるのが本来の道ではないので一旦戻って通路を進むと、広間内を立体的に通路は登っていき、狭い洞窟を抜けるともう一つの大きな空間の上部に出る。ここから通路をグルグル下っていくと、さっきの池の飛び石の崎先に出るという、凝りに凝った趣向となっている。大きく取った空間内に通路を立体的に配置することが素晴らしい演出効果を生んでいる。この辺はとても文章では表現しきれないので、是非実際に訪れて見て欲しい。最後に地中とは思えない八角堂に仏画が飾ってあるのを見て出口に向かう。コンクリートの通路が突き当たってUターンする形で急な階段に脚を掛ける。階段を見上げるとそこには先ほどのぱっとしない観音像、いや救世観音像様を仰ぎ見る形になっているのだ。地下の世界ですっかり感動したところへ、久しぶりに太陽の光が差したと思ったら観音様に見下ろされるというのは、実に巧みな演出である。この千仏洞地獄峡は単体でもいいが、救世観音像との組合せが本当に素晴らしい。大聖寺大秘殿や岩戸山風天洞と趣向は同じだが、演出の妙で一段上という気がする。これだけのためにしまなみ海道の途中で立ち寄ったり、三原まで来たついでに連絡船で渡ってみる価値はあると思う。
最後に別館の金剛館に入る。こちらは財力に物を言わせて収集した仏像や美術品の展示室。古い仏像や胎内から出て来た文書などは感心するが、茶道具になるとさっぱり解らない。抹茶をしゃくう耳掻きの親玉みたいなヤツが芸術品だと言われても、ウチにあるヤツが三百年も経てば同じようになる気がする。どうもこの辺は理解の範囲外だ。
耕三寺は所謂オヤジ系珍スポットの一つに含まれると思うのだが、今一珍になりきれていない。それは、創設者が没して後も寺としてしっかり管理されており、建物の管理や境内の清掃が行き届いているからだろう。途中で資金が尽きたり、遺産相続で揉めたりして管理が行き届かなくなると珍スポット化が進むと思うのだが。もっとも、千仏洞地獄峡だけで珍スポットとしての実力は横綱級だから、普通の観光客も、我々珍スポマニアも充分に楽しませる、瀬戸内の穴場として覚えておきたい。また内海造船で進水式があったら、皇船荘二泊くらいで来てみたいものだ。
(千仏洞内部。写真では伝わりにくいです。)
(千仏堂出口の階段から救世観音を見上げる。)
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