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2015年10月 7日 (水)

コバケンのブラ一

フレッシュ名曲コンサート

ラフマニノフ/ピアノ協奏曲第二番ハ短調作品十八
ブラームス/交響曲第一番ハ短調作品六十八

ピアノ/梅田智也
管絃楽/日本フィルハーモニー交響楽団
指揮/小林研一郎

二〇一五年一〇月三日(土)立川市市民会館

 地元の立川市市民会館で日本フィルの演奏会があったので聴きに行ってみた。昔は都民名曲サロンという名称だったシリーズで、都が助成して都内区市町村で在京オケを聴くという演奏会である。

 前半はラフマニノフ。独奏は第十二回東京音楽コンクール第一位の梅田智也。長身の若者だが、あまり音楽のスケールは大きくない感じだ。そつなく弾いていて不安は感じないのだが、背の高い兄ちゃんに我々が期待するバリバリ弾く感じではなく、大変大人しい演奏だ。何より音量が足らず、トゥッティのオケがかぶる部分ではピアノが完全にかき消されてしまう。コバケンも常にオケに抑え気味の指示を出している。指揮者がそうしているということは、ホールや私の座った席の問題ではなく、奏者か楽器の問題であろう。コバケンも協奏曲で独奏者を挑発するタイプではないので、若者を温かく見守りつつキッチリ合わせた感じの演奏だった。

 後半はブラームス。コバケンの得意なレパートリーなので、今まで何度も聴いてきた。録音も五種類出ていて、一九七八年の東響とのライヴLP以外は手元に揃っている。今回の演奏を一言で言えば、コバケンも丸くなったという所か。アプローチは昔と変わっていないのだが、テンポの変化や表情の付け方が自然になったように感じる。コバケンも七十代半ばになり、昔なら老大家と呼ばれていい年齢であるが、相変わらず音楽作りは表現主義で濃厚である。枯淡の境地や軽妙洒脱というのとは真反対の芸風だから、晩年のバーンスタインやシェルヘンのようにワガママジジイになって、やりたい放題やってもらいたいのだが、妙に手慣れてきて角が取れてきているのは、評価する向きもあろうが、私はちょっと残念な気がする。
 いつも通りご挨拶の後、アンコールはハンガリー舞曲第五番。「日本風に、演歌のように」と断っての演奏で、コバケン節全開のやりたい放題。そつない指揮者ばかりの昨今、ここまで遊べるというのは貴重なことだと思う。

 立川市市民会館は数年前に改修工事を行い、プレミアム商品券の不正販売でお馴染みの多摩信用金庫が命名権を取得。たましんRISURUホールという面白い名称になって、指定管理者も民間業者になったようである。今回改修後初めて客席に入ったが、座席の見た目がが豪華なった他、客席壁面も更新された。音響反射板の意匠などは変わっておらず、舞台の見た目は大きな変化はない。何より気になったのは、客席の天井が一面網に覆われていること。工事中の落下防止ネットのようなものが天井全面を覆っていて、天井だけまだ工事中のように見えて不思議な感じだ。
 今回は二階席のほぼ中央で聴いたのだが、元々デッドな音響だったホールが更に乾いた音響になったような感じがした。壁面のせいなのか、新調した絨毯のせいなのかは判らないが、以前はもう少しマシな音がした気がする。幸い、人見記念講堂や練馬文化センターの二階席ような、オーケストラの楽器間のバランスがおかしく、特定の楽器が突出して聞こえるような感じではないので、雰囲気に乏しいだけで、鑑賞に支障がある程ではない。良く響き残響の長いホールで音楽を聞き慣れてしまったせいで、今回の日本フィルの演奏は絃楽器のざらざらした感じや、木管楽器の不揃いな感じが露呈する一方で、いつもは聞こえにくいコントラファゴットがよく聞こえて面白かった。サントリーホールや東京芸術劇場ばかりでなく、たまには多目的ホールで聴いてみるのも、普段気づかない発見があって面白いものだ。

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