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2015年12月21日 (月)

バッティストーニの第九

東京フィルハーモニー交響楽団第九特別演奏会

ベートーヴェン/「レオノーレ」序曲第三番
ベートーヴェン/交響曲第九番ニ短調作品一二五

ソプラノ/安井陽子
アルト/竹本節子
テノール/アンドレアス・ジャーガー
バリトン/萩原潤
合唱/東京オペラシンガーズ
管絃楽/東京フィルハーモニー交響楽団
指揮/アンドレア・バッティストーニ

二〇一五年十二月二〇日オーチャードホール

 予想通り期待外れの第九だった。今まで聴いたバッティストーニの舞台では、彼の若さと果敢な挑戦者精神が功を奏して、完成品ではないけれど才能の煌めく演奏になっていた。しかし、そんな芸風のバッティストーニとベートーヴェンの相性は悪そうだ。交響曲ならば一、二、四、八番辺りだと面白そうだが、第九は遮二無二突っ込んで行くには大物過ぎる。基本速いテンポで畳み掛けるのだろうと予想して、何年かぶりに年末の第九を聴きにオーチャードホールへ向かう。

 オーケストラの編成は絃が十四ー十二ー十ー八ー六型で、管はホルンにアシスタントが一本付いている以外は編成通り。但しピッコロとコントラファゴットは出番以外ではアシスタントに付いている。合唱は約八十名。楽譜はベーレンライター版を使用。実演でベーレンライター版を聴くのは初めての経験かも知れない。

 第一楽章は予想通り速いテンポで突っ走る。バッティストーニ得意の、フェイント的に音量を小さくする外連が三箇所ほどあった。ハッとさせられて面白かったが、他に工夫がないので取って付けた感は免れない。再現部は速いテンポながら雄弁で、トレモロにしたティンパニに目一杯の強弱とルフトパウゼを入れてドラマティックに叩かせていた。また、この楽章では十九世紀的な大指揮者はヴァイオリンのオクターヴ上げを多用するが、バッティストーニはコーダ直前の一箇所だけ採用していた。
 第二楽章も速い。第二スケルツォは繰り返さずにトリオに入るが、トリオも超高速だ。第二スケルツォで問題となるヴァイオリンのオクターヴ上げは採用していた。
 チューニングの中ソリストが着席して第三楽章。この楽章も快速。テンポが速いのはいいのだが、絃楽器の十六分音符をスラーを付けずにタタタタと弾かせるのは、音楽の流れが悪くなり違和感がある。テンポが速くても歌うのをやめてしまったらこの幸せな楽章が台無しだと思う。珍しくホルンのソロがこけたのはご愛敬。
 アタッカにせず間を置いて第四楽章に入ったのは大変な見識だ。この辺はただ者でない。そして低絃のレチタティーヴォの雄弁なこと。テンポを変えるななどという指示はクソ喰らえでやりたい放題に突っ走り大見得を切る。一気呵成に進んで、間を置かずに歓喜の主題が現れる所は現代的でいい。ただし、良かったのはここまで。歓喜の主題以降はテンポは速めだが普通の第九。行進曲で普通テンポになるが、テノールの独唱はオペラアリアのようにここだけ雄弁すぎて違和感有り。再び快速になり歓喜の合唱まで突っ走り、男声合唱から普通のテンポ。しかし、テンポは遅くなっても一本調子である。二重フーガから再び早くなり、一気にコーダまで突っ走る。結局声楽が入って以降は、多少テンポの緩急はあったが、ずっと表情が変わらないオールフォルテ。オペラで実績のあるバッティストーニならば、テノールだけでなく声楽全体に濃厚な表情を付けたりする冒険も出来ただろう(恐らく失敗するだろうが)。合唱は人数の割に声量は十分だったところはさすがだが、正直雑でクオリティは低く、声量自慢で終わった感がある。これは合唱団のせいなのか、指揮者のせいなのかは不明。とにかく聴いていて暑苦しく、途中からうんざりしてきて、正直早く終わらないかと思う第四楽章だった。
 演奏時間は全曲でおよそ六〇分。若手の第九としては平均的なテンポなのだろうか。カーテンコール中にぞろぞろ帰っていく客が大勢いたのが、演奏の出来を物語っていたように感じられた。

 終演後のオーチャードホール前には黒塗りのクルマがずらりと並んで待機している。世渡り上手なホリエモンこと三木谷が理事長のオケだから、財界のVIPが大勢臨席されていたのだろう。三階席の安いチケットを握りしめて、会社を早引けして聴きに来ている私のような貧乏人とは別の世界だ。私はやはり日本フィルや旧新星日響のような貧乏人向けのオーケストラが好きだ。

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2015年12月 3日 (木)

だいとう

だいとう(大東海運 貨客船 六九〇総噸)
二〇一一年五月 渡辺造船所(長崎)で建造
全長八三・六m、全幅一三・四m、航海速力一六ノット
那覇~南大東島・北大東島航路に就航中

 思いがけなく仕事が四連休になり、はて何処に行こうかと思案中に、ふと大東海運のウェブサイトを見ると、休暇の日程と運行スケジュールがピッタリ。こんなチャンスは滅多にないと航空券と船と民宿の予約を取って沖縄へ向かう。思えば二〇〇八年九月、とまりん二階の大東海運の事務所で、あっさり「今日の便は欠航です」と告げられて途方に暮れてから早七年。二度目の挑戦である。今度は台風も発生しないであろう十一月。天気予報も晴れマークが並んでいる。

 成田発のLLCで那覇に着き、大東海運に電話すると「今すぐ乗船券を買いに来い」という。本来は午前中の内に乗船券を購入しなければならない。これは那覇発も各島発も同じ扱い。その理由は後で判ってくる。13時半にとまりん二階の大東海運で乗船券を購入。乗船開始は16時、この日は危険物積載便なので、出港地は那覇新港である。二時間半も時間があるのでゆっくり昼食を取り、歩いて新港へ向かう。途中コンビニで食料を仕入れたり、釣具屋を冷やかしても15時半には新港に到着。他のバースには先日浦賀水道で釣り船から見かけたマルエーフェリーのたかちほや琉球海運のRORO船などがいるので、写真を撮ったりしてから乗船。甲板にGPSロガーをセットしたり、荷役を眺めたりして、16時45分頃出港。定刻は15時なので早出しだが、大東海運は荷物と乗客を乗せきったら出港するのだ。そのため、乗船券を午前中に買っておけと言う指示になるのである。
 那覇港を出て喜屋武岬を回り込み進路を東に取る。海は凪いでおり気温は三〇度近い。甲板のベンチで夕陽を眺めているのには最高の状況だ。勿論一杯やりたいところだが、困ったことにこの船は船内禁酒で、カップ麺と飲料の自販機があるだけだ。夜行の船で酒を飲むなというのはよくせきの事なのだろう。そういえば船内の注意書き類を見ると、分煙の掲示には「大人なんだから」と書いてあったり、ゲロ袋入れには「嫌がらせはやめてください」などと、管理者の怒りが垣間見える文言が散見される。一般的に船に乗ると大人気ない人種に遭遇することが多いが、この船の乗客の民度は相当低いと判断せざるを得ない。以前乗ったフェリーとしまは禁酒ではなく分酒(船室内禁酒)だったが、全面禁酒ということは、大暴れするような輩が複数回出現したのだろう。

 翌朝は六時頃目が覚めるが外はまだ暗い。そうか、沖縄だから夜明けが遅いのだ。8時の定刻よりかなり早く北大東島に到着。ここからが大東島航路の醍醐味、繋船作業と荷役である。西港の岸壁にはすでに北大東3号という小型船が待機しており、だいとう船首から繋船索を受け取ると沖のブイへ曳いていく。そしてブイに繋船索を繋ぐと、今度は船尾から繋船索を受取同じく沖のブイ(船首索を繋いだのとは別のブイ)に繋ぐ。この作業をしている間に船首と船尾の圧縮空気砲から岸壁へ先取りロープが二本づつ発射される。これで岸壁側に四本、沖のブイへ二本の繋船索を張って、だいとうは岸壁から七~八メートル離れたところに船体を安定させるのである。そして岸壁に待機している大きなクレーンでコンテナや自動車などの貨物、更に鉄の籠に乗せた乗客を岸壁に陸揚げするのである。島の外周が切り立った崖で海に突き出した突堤が建設出来ない、太平洋の荒波が直接押し寄せる岸壁で荷役をする苦肉の策が、接岸しないでの荷役なのである。
 勝手な推測だが、大東島へ渡るのに飛行機を使わず船で行こうという乗客の何割かは、このクレーンで吊られて上陸を体験したい人種ではないかと思う。かくいう私がその一人だ。今日は海上が静かなので荷役も順調だ。ただし冷凍コンテナなどは積載場所が決まっているので、南大東行きのコンテナを一旦陸に揚げて、北大東行きの荷物を降ろし終わってから再び積み込んだりする。コンテナは大きさが二種類あって、冷凍コンテナは見慣れた東海汽船サイズ(幅二、九×奥行一、八×高さ二、二メートル)と同じくらいだが、雑貨のコンテナはもっと小さく、荷役作業員がクレーンのフックを掛け外しするのにコンテナの上に乗らずに作業が出来るサイズだ。しかし、舳倉島航路で使われている人力荷車に積めるような小さなものでもない。全てのコンテナに大東海運と会社名がペイントしてあるので独自規格なのかも知れない。
 北大東島で一時間半ほど荷役の後、だいとうは南大東島に向かう。岸壁側の繋船索を解放すると再び北大東3号がクレーンで海上に降ろされ、先ほど繋いだブイと繋船索を外しに行く。用が済むと再びクレーンで陸揚げされる。慣れているとは言え、素晴らしい手際である。
 四十分ほどの航海で南大東島西港に到着。奥山レンタカーを拝み倒して、港まで送迎を頼んである。レンタカーを借り、北大東島までの乗船券を購入してから島内観光。鉄ヲタにはサトウキビ運搬鉄道の線路跡などが楽しめるが、基本的に大した観光地はない。しかし、島の北西部にある鍾乳洞、星野洞だけは見ておきたい。私は鍾乳洞が好きで、日本中のかなりの鍾乳洞を見ているが、間違いなくベストスリーには入るだろう。山口県の秋芳洞などに比べれば規模は小さいが、鍾乳石類の見事さは圧巻で、また間近で観察出来るのが素晴らしい。
 港湾事務所(大東海運の代理店)から連絡があり、16時発の北大東島行きは14時半早発となる。大東そばの昼食を取り再びだいとうに乗船。北大東島では民宿二六荘に投宿。翌日は民宿のクルマを借りて島内観光。南大東以上に何もない島だが、漁港の建設現場は壮大だった。南大東島では同規模の漁港が完成しているので、大規模な掘り込み式漁港の建設中と完成後の様子が比べられるのは面白い。

 帰りの那覇行きも定刻の14時より早発の13時半発。往路より乗客が多く、公室のカウンターではオッサン達が声高に談笑している。持参の水筒で何か飲んでいるらしく、大変ご機嫌な様子である。私は基本的にずっと甲板で海を眺めている。日も暮れて進行方向右手の海上に灯りが見える、漁船が進むのに灯りの位置が変わらないので漁船が併走しているのかと思うが、何故か月の位置が変わっていく。どうやらあの灯りを中心にぐるっとのの字を描いて進んでいるようだ。後でGPSの軌跡を確認したところ、時刻は20時50分から21時25分頃。航跡は南北五キロ、東西二、五キロのループになっており、その中心の位置は北緯二十五度五十七分、東経一二九度五十九分あたりである。憶測でしかないが時間を調整しているのではないか。中心の灯りは何かのブイで丁度目標になるのでその周りを回っているのかも知れない。伊豆大島行きの夜行船も大島近海で時間調整をしているが、フィンスタビライザーを搭載した船は、外洋で停船すると急に揺れ出すことになるので、このように無駄走りをして時間を調整するのではないかと思う。
 翌朝はほぼ定刻で那覇泊港に入港。ここは離島航路のターミナルなので、見渡すとフェリー琉球(久米島行き)、フェリーとかしき(渡嘉敷島行き)、フェリーざまみ(座間味島行き)と高速船(座間味島、渡嘉敷島行き)が並んでいる。ここからは久米島へしか行ったことがないので、他の航路にも乗ってみたい。しかし、大東島航路のようにわざわざ乗りに来るほどの航路とも思えない。次は思い切って石垣島起点の航路にでも乗ってみようかと思う。

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