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2016年6月 5日 (日)

柳澤健「1974年のサマークリスマス 林美雄とパックインミュージックの時代」

柳澤健「1974年のサマークリスマス 林美雄とパックインミュージックの時代」(集英社)

初出「小説すばる」(二〇一三年八月号~二〇一四年十一月号)

 連載が始まったとき、久米宏がラジオで話しているのを聞いてすごく読みたいと思ったドキュメンタリー。連載が終わって一年経っても単行本にならないので半ば諦めていたのだが、単行本になったので即買い。

 本書ではTBSアナウンサー林美雄の、主に第一期のパックインミュージック(一九七〇年五月~一九七四年八月)とその後のあたりのエピソードを中心にまとまられている。二〇一三年末に「林美雄 空白の3分16秒」というTBSラジオの特別番組になった第二期パック(一九七七年十月~一九八〇年三月)のことや、それ以降のことは殆ど取り上げられていない。
 残念なことに、一九七〇年生まれの私にとって、林美雄は若者の支持を集める深夜放送のカリスマではなく、TBSアナウンス部の管理職。ラジオでは午後のワイド番組と、タイサン(太平洋産業)の「いか塩辛金印」のコマーシャルの人という印象だ。
 私は物心ついたときからラジオが流れている家庭で育ったのだが、最初に積極的に聴くようになった番組は「春風亭小朝の夜はともだち」(一九七九~八一年)。「一慶・美雄の夜はともだち」(一九七六~七七年)より少し後だ。第二期パックもまだ小学生だったのでさすがに聴いていなかった。それよりも、一九八〇年代の後半以降何をやってもダメだったTBSラジオの午後帯の中での二年間が印象に残っている。
 一九八五年の大改革「スーパーワイドぴぃぷる」の轟沈以降、TBSラジオの午後帯は迷走を続ける。その中で一九九三年十月に「林美雄アフタヌーン~オーレ!チンタラ歌謡族」が始まった。午前は大沢悠里、昼休みは小島一慶、午後は林美雄という、TBSのオジサンアナウンサー三人の並びは結構気に入っていて、大学生だった私は毎日楽しみに聴いていた。一年後に番組名が「ダントツ林の午後はどーんとマインド!」に変わるなどTBSの迷走は続き、たった二年で林美雄は降板。一九九五年からは「ゆうゆうワイド」が十二時台まで一時間延長し、十三時からは「北野誠の大胆!ヒルマーノ」が始まる。最初の内は習慣で聴き続けていたが、関西風の雰囲気に付いていけず、ラジオのチャンネルを変える習慣が無かった私が、遂に十三時からは文化放送の「吉田照美のやる気MANMAN」を聴くようになってしまった。
 ここからTBSラジオ同様に私も迷走を始める。しばらくは「やるMAN」を聴いていたのだが、一九九七年十月からはニッポン放送の「のってけテリー!渚の青春花吹雪」を聴くようになる。これは単純に大学の同じクラスだった川野良子アナ(現フジテレビ)がアシスタントを担当するようになったからで、川野アナが降板した一九九八年四月からはまた「やるMAN」に戻る。そして二〇〇一年頃からは、最初「FMかよ!」と思いつつ聴いていた松本ともこの「ストリーム」に戻って、今日まで再びチャンネルを変えないラジオ生活に落ち着いている。
 午後ワイドをやっていた時代の林美雄は、学生だった私にとっては大人のアナウンサーだったが、時々垣間見えるアナーキーな部分にかつての名残を感じられたような気がする。

 さて、そのTBSラジオだが、今春の大改変を越えて毎日ラジオが楽しみで仕方ない。大沢悠里は大好きだが、七十代半ばの爺さんに毎日四時間半は無理だろう。近年は聴くに堪えなかった。しかし土曜二時間ならばまだまだ行けるはずだ。朝の伊集院は期待通り白伊集院だが、月曜アシスタントの安田美佳が逸材だった。また午前のスーは随分おとなしめの白スーで、夜の番組みたいにもう少し弾けてもらいたい気もするが、その後にとてつもない暴走オバサンが控えているから今くらいでいいと思う。当面この、伊集院~スー~赤江ラインで安心して楽しめそうなTBSラジオである。

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